授業 〜Rouge〜
隣に座ったノワールを横目で見て、どきりとする。そういえば、彼とここまで近い距離で過ごすのは初めてかもしれない。だからどうというわけではない筈なのに緊張してしまうのは、父上の警告が頭にあるからだろうか。こうしている所を見ると、彼が狂気を抱えた鬼だとは、とても思えないのだけど。
友人達に囲まれたノワールは、無表情ながらも淡々と質問に答えている。無難な答えでやり過ごす彼は、少しずつ友人達に受け入れられているようだ。
……ちょっと、意外だな。
ノワールの事だから、ほとんど拒絶に近い態度で素っ気なく突き放すと思っていたのに。自己紹介をした時からずっと、彼は随分と大人しい。
父上とも対等にやり合う様子や僕達への接し方から、僕のノワールへの印象は、教室に入ってきた時の圧倒的な感じが1番近い。だから、何だかこうして普通に振る舞っている所を見ると、違和感さえ感じてしまう。
「ヴィルヘルム」
ぼんやりとノワール達を眺めながらそんな事を考えていたら、いきなり声をかけられた。はっと我に返ると、ノワールが僕を見ている。
「な、何?」
「次の魔法理論、教科書だけで良いのか」
ノワールの質問に瞬く。彼にこういった事を聞かれるとは思っていなくて、直ぐに反応できなかった。
「……教科書と、ノートくらいはいるのか。他に参考書の類いは必要なのか」
重ねて訊かれ、その「普通」さに、ますます違和感が募っていく。
「おい、聞いているのか」
答えない僕に流石に焦れたのか眉を顰めてそう訊かれ、ようやく我に返った。
「あ、ええと、教科書とノートが必要かな。基本先生が黒板に書いてくれるのを写せば十分だと思う」
「分かった」
頷いて、ノワールは鞄から必要な物を取り出す。いつの間にか友人達も机に戻って授業の準備をしていた。
フウの席に目を向ける。あっちは未だに女子達がフウを取り囲んでいた。
ノワールの質問攻めも先生が来るまで続くと思っていたのに、何でこんなにあっさりと終わっているんだろう。不思議に思って、ノワールにこっそりと声をかける。
「ねえノワール、何でみんな質問止めて席に戻ったの?」
「……ずっとこっちを向いていたのに、見ていた訳ではなかったのか」
呆れ気味の目と冷めた声を向けられ、ああノワールだと何となくほっとした。やっぱり、さっきまでの感じは僕には慣れない。
「ああ、ちょっと考え事をしてたから」
嘘でもない誤魔化しを口にすると、ノワールはそれには触れずに答えてくれる。
「授業が始まる前に今日の授業範囲を確認しておきたい、そう言っただけだ。不慣れな授業への不安と受け取られたらしく、範囲を教えて素直に引き下がったぞ。人が良いな」
「……ノワール」
分かっててやってたの? という問いかけは、口に出来なかった。丁度エイノ先生が入ってきたからだ。
どうやらノワールは、今までのように場を支配するように話を進めていくのではなく、それなりに印象を良くして動きやすく話を誘導する事にしたみたいだ。その態度の切り替えの理由は、分からないけれど。
闇属性である以上絶対に敵意を向けてくる人がいる筈だし、それで黙っているノワールじゃないと思うんだけど、それはどうするつもりなんだろう。少し心配になりながらも、僕も久しぶりの授業に意識を向けた。
エイノ先生の魔法理論は、分かりやすい方なんだと思う。魔法の理論は本当に難しいもので、教科書を読んだだけでは全く分からない。それを理解するのは大変だけどぎりぎり分かる、というレベルで説明してくれるのだから、きっととても心を砕いてくれているんだと思う。
……それでもやっぱり分からない所が出て、試験前に困るんだけど。
とはいえ、これは僕個人の感想だ。友人の中にはさっぱり分からないという人も、とても分かりやすいという人もいる。それでも、みんなの意見を集めてみれば分かりやすいという意見に偏るんじゃないか、と思う。
……そして。ノワールとフウはというと、全く逆の意見を持ちながらも全く同じ態度を取っているようだった。
僕の席は1番後ろの窓際——ここがノワールの席だ——から1つ空けた所だから、2列前の廊下側、ミアの隣で、退屈そうに足をぶらつかせているフウがよく見えた。一応黒板は写しているみたいだけど、時々首を傾げてるから分からないんだと思う。
そしてノワールはと言うと、やっぱり退屈そうだ。黒板も余り積極的に写さず、時折何かを書くくらい。ずっと俯いていて、授業に集中している様子がなかった。
いいのかなと思ったけど、学院に通わなければダメと聞いた時の顔を思い出して考え直す。きっとノワールにとって、この時間は無駄以外の何ものでもないのだろう。それでもこうしてここにいるのが、僕にはやっぱり少し不思議だ。
多分対極的な理由で同じ態度を取っている2人。予想通り、元々編入生という事で気にはしていただろうエイノ先生の目に止まっていた。
「……この理論の問題点ですが。フージュ、分かりますか?」
「え? えーと、えーと……」
声をかけられて、フウが慌て出す。弱り切った様子で教科書とノワールに視線を往復させるけど、ノワールに助ける気はなさそうだ。まあ、助けようもないだろうけれど。
そんな様子のフージュに苦笑して、エイノ先生は優しく言った。
「授業はきちんと聞いて下さいね。ついて行けなくなると大変ですよ」
「はあい……」
首をすくめて頷くフウに、クラスの空気がふっと柔らかくなる。小さな笑い声も聞こえた。
フウの子供っぽく見える振る舞いは、見ているこっちの気持ちを和らげる。エイノ先生も同じだったらしく、柔らかく苦笑して僕達の方へと視線を向けた。
「では、ノワール。分かりますか?」
「自身の身の内にある魔力を魔法に変換して放つ際、大気中に漂う無秩序な魔力の流れへの影響を一切考慮せずに影響値を考察している点です」
間髪入れない返答に、今度はクラスが静まりかえる。咄嗟にノワールに視線を向けると、未だ視線は下げたままだった。
先生に視線を戻す。やっぱり先生も、まさかこんなに直ぐに答えが返ってくるとは思っていなかったようだ。目を見開いて固まっている。
「……何か?」
余りにも静まりかえった教室と集まる視線に、ようやくノワールが顔を上げた。怪訝な顔で先生を見つめている。
「ノワール、聞いていたのですか?」
「……授業ですから」
それだけを返したノワールは、何を驚かれているのか分かっていないみたいだった。やはり怪訝な顔で先生を見返している。
「答えに何か問題があったのでしょうか」
「……いえ、正解です。ただ、その……」
今度はノワールから問われて、先生が言葉を濁す。先生からは聞きづらいだろう問いかけを、僕が代わりにする事にした。
「ノワール、さっきから考え事してなかった? 僕にはそう見えたんだけど」
僕を振り返ったノワールが、相変わらず怪訝な顔のまま答える。
「……ああ、少し。だが、授業はきちんと聞いていたぞ」
「……ええと、授業聞きながら考えてたの?」
普通、考え事してたら周りの声が聞こえなくなるんじゃないか。そう思って聞き返したけど、当然という顔で頷かれてしまった。
「ああうん……そっか」
そういえばミアから、彼が膨大な量の魔術書を読み解きながら会話していたって聞いたっけ。それが出来るのなら、考え事しながら授業を聞く事はそう難しいことではないのかもしれない。
ノワールと一緒にいると、だんだん何に驚いていいのか分からなくなってくる。だったらもう「ノワールだから」で済ませた方が早いのかもしれない。そう思って僕は引き下がった。
先生に小さく首を振ってみせると、先生も何か諦めた様子で頷いて、授業を再開する。驚いた顔でノワールの事を見つめていたクラスの友人達も、ばらばらと顔を前に戻して授業を聞き始めた。
結局僕達が何を問題にしていたか最後まで分からなかったらしいノワールは、一瞬眉をしかめたけれど、直ぐに俯いて何事か考え始めた様子を見せる。気にせず考え事に戻る事にしたらしい。
僕も授業に意識を戻そうとして、ふと首筋を掠めるような視線に気付いた。さりげなく視線を巡らせると、赤い瞳が目に入る。直ぐに視線を外した。
……ヘイグ。
今朝ノワールと校門で会った時も、ノワールが教室に入ってくる前も、ヘイグはノワールへの不信を口にしていた。ヘイグの家も侯爵で、闇属性については偏っていない知識を得ている筈なのだけれど。
…………それでも、闇属性については余り好ましくない知識しかないのも、確かだ。
これからノワールとヘイグが衝突しない筈がない。その時、ノワールはどうするつもりなのだろう。
ちらっとノワールに目を向ける。ヘイグの視線に気付いていないとは思えないけれど、顔を上げようともせずに何事か考え続けていた。そのせいか、ヘイグの視線は更に剣呑になっている。
余り大事にならないと良いけど。僕は小さく息をついて、今度こそ授業へと気持ちを戻した。
午前の授業終了。僕はノワールに声をかけて、一緒にミアやフウのいる席に向かった。休み時間も友人達を上手く捌いていたノワールは、これで昼休みの最初も質問攻めからは逃げられた訳だ。
「お疲れー、ヴィル、ノワール。そっちは余裕そうね、フウと違って」
僕達に気付いたエマの言葉に視線を落とすと、フウがぐったりと机に伏しているのが見えた。全身で疲労困憊ですと訴えている。
「あ……フウ、大丈夫?」
「うー……」
心配になって声をかけると、力の無い声が返ってきた。困ってノワールを振り返ると、丁度溜息をつく所が目に入る。
「……フウ、今日の範囲は然程難しくないだろう。試験にも出たぞ」
「わかんないもん……私ノワみたいに頭良くないもん……」
拗ねたような声に、ノワールがまた溜息をついた。
「俺がどうと言うより、お前がアホなだけだと思うんだが」
「いやいや、初めての授業で普通について行ってるノワールの方がレアだと思うよ? みんなずっと通ってたって分からない所あるのに」
エマが口を挟むけれど、ノワールの目は冷たくフウを見据えている。彼にしてみれば、魔法士であるフウがついて行けないのはあり得ない、という感覚なのだろうか。
「まあ、これから慣れていけば良いと思うよ。フウ、元気出して」
「……あまりコイツを甘やかすな」
僕が励ますように言う傍らで、ノワールがうんざりしたような声を出す。それに苦笑して、ミアが口を開いた。
「フウは一生懸命聞いていましたよ。それくらいにしてあげてください、ノワール」
ノワールは肩をすくめて、それ以上何も言わなかった。そのまま僕に視線を向ける。
「それで?」
「え?」
急に話を振られて戸惑っていると、ノワールが嘆息した。
「俺に声をかけてここに来た以上、何かしら目的があったんだろう。時間的に昼飯の話だと思うが、どうする気だ」
「あ、ああ。ミアが4人分のお弁当を料理人達から預かっているから。ここで食べた方が良いと思ってさ」
編入初日だ、下手に外で彷徨いたり食事したりして厄介事を呼び込まなくたって良いだろう。
「えー、ヴィルったら妹にお弁当持たせてたの? 甲斐性無ーい」
「いえ、私が持つと言ったのですよ。風の魔法で軽く出来ますから」
エマの批難にミアが庇ってくれる。実際、僕が持とうとしたのをミアが押し切ったんだけど。
「ここでか?」
「はい。……何か問題でも?」
わざわざ聞き返すノワールに、やや不安げな色を浮かべるミア。僕も違和感を覚えてノワールの顔を見たけど、いつも通りの無表情にしか見えない。
けれど、エマも彼を見上げて首を傾げた所で、ノワールは軽く首を振った。
「いや。いただこう」
さらりと出てきた言葉に、驚く。やっぱりノワールは、時折育ちの良さが滲み出るような言動が目立つ。
「ほらフウ、起きろ。いつまで机にへばりついている気だ」
「……はあい。ご飯何があるの、ミア?」
ごそごそと起き出したフウにミアが弁当を見せている間に、僕とノワールは適当な席に腰を下ろした。




