駆け引き 〜Noir〜
続きます。
「……どうも、飲み過ぎたようですね。酔いに任せて、戯言を漏らしました。忘れて下さい」
グラスの中身を一気に煽る。酒が回ったのだろうか。こんな人間に、本心を語るとは。
「話は以上ですか?」
今のうちに、話を切り上げるべきだ。妙な事まで口走りかねない。それは、俺にとっても彼にとっても、避けるべき事。
そう判断して切り上げようとした俺に、ラルスは首を振った。
「もうひとつだけ」
「……分かりました」
渋々頷く。会話の主導権を握って見せたところで、結局は彼の方が立場が上なのだ。
そんな俺を真っ直ぐ見つめて、彼は奇妙な事を言い出した。
「ノワール。どうやら君は、私の身分を正しく理解しているようだな」
「一応俺の世界にも、貴族階級は存在しましたので。それが?」
肯定し、続きを促すと、ラルスは苦笑を浮かべる。
「君は、魔法を扱う者達を束ねる側だろう? 私は侯爵だが、そう畏まらなくて良いぞ」
「……言葉遣い、態度からして、既に畏まっているとは言い難いかと」
俺の身分は平民。路上で生活した事すらある身だ。身分差から言って、最低限の礼儀を守る必要がある。
魔法士が依頼を受ける場合、相手が貴族ならば、相応の振る舞いを求められる。そのあまりの面倒さに、貴族からの依頼は可能な限り避けていた。
出逢った時点で敵対関係だった為、多少いい加減な態度になっているが、咎めるどころか畏まるなとは。この世界の身分制度は、そこまで緩いのだろうか。
「私と妻は、ピエール氏から君達のこちらの世界での保護権を預かった。いつまでも依頼人を相手にするような態度は、何とかならないものかな」
「……そんな事をしたのですか、あれは」
俺達に対するマスターの「保護」というのは、そう生やさしいものではない。この家の人間には、荷が重いどころか不可能だ。何を考えているのだ、あのじじいは。
「ああ。君たちの居場所を確保するためには、私の立場や人脈が必要だから、と」
「ああ、成る程。そういう事ですか」
「社会的保護」の意味か。侯爵家に拾われたのは、確かに運が良かったのだろう。なんの後ろ盾もない俺達が学校に通えるのは、間違いなく彼が後見に立っているからだ。それでも、俺達を「保護」しきれるのか、不安は残るのだが。
それに。
こことは異なる世界の存在、俺の現状、フウの事情。
どれも、魔法士協会で第一級の秘匿情報にあたる。それの大半を知る彼らを守る為に、自身の——<世界の道化>の権限を、一部譲渡したか。
多少嫌な予感はするが、確かに最善の判断だろう。
「というわけで、私達は曲がりなりにも身内なのだよ」
「ええまあ、納得はしましたが」
今更どこを矯正しろというのか。好き放題振る舞ってきた、という認識しかないのだが。
物言いから察したのか、ラルスは言葉を重ねる。
「フージュはあまり意識していないだろうが、君は私達から情報を得る際、必ずそれと等分の情報、あるいは技術を提供してきている。私達が手にして良い範囲を常に見計らいつつな。もし釣り合わなければ、借りとして認識する。どう見ても仕事上の関係にしか感じないのだが?」
言いたい事は何となく分かった。要するに、身内なのだから無条件に与えられるものくらい素直に受け取っておけ、という事か。
が。
「……失礼を承知で伺いますが、」
「敬語は必要無い」
「…………曲がりなりにも侯爵ですよね?」
言葉の途中に口を挟まれ、一応言葉を選ぼうとしていた努力を忘れてしまった。
「貴族が、何の対価も無しに何かを受け取る事など、あってはならないでしょうに」
対価無しのやりとりは、必ず双方に傷が付く。ある程度の力を持つ魔法士ならば、当然の常識だ。だからこそ、依頼を受ける際には、相応しい報酬を要求する。知己の間柄だろうが身内だろうが、一切譲歩しない。それこそが誠意だと、知っているからだ。
そこまではっきりとした「魔法」の知識がなくとも、侯爵として長年生きていけば、それくらい経験則で学んでいなければおかしい。
その事を指摘するも、ラルスの態度は変わらない。
「では聞こう。親は子供を育てる。成人した子供は、親を扶養するという「対価」を払わなければならないのかな?」
「…………」
「答えは否。子供は、親によって命を与えられる。そこに存在するのは、子を欲する親の意思のみ。生まれたくないと思っても、強制的に産み落とされる。ならば、勝手に命を生み出した「対価」として、親は子供を育てなければならない」
随分と極論だが、確かに間違いではない。「対価」ではないと思うが。
「親が子を思って為す事を、子は借りなどと思う必要は無い。感謝の意を示したいと思い、行動するのは自由だがね。それを強制は出来ない。
君も同じだ。保護権を受け継いだ以上、ここで生きていくのに必要な物を与えるのは、こちらの仕事。いちいち対価は必要無い」
「……お言葉ですが。それは、人の命1つ産み落とした「責任」によって生じる「義務」です。既に仕事を得ていた俺達を、貴方の子供達と同じ扱いで、というわけにもいきません」
第一、俺の親などかなり前に死んだ。今更親に甘える子供を演じろと言われても、気味が悪いだけだ。
「俺達の身元の保証、衣食住の確保までしてもらって、更に学校に行く為の準備を全てお膳立てされる気はありません」
そう宣言すると、ラルスはゆっくりと首を振る。
「……君のそれは、我々を拒絶するものだと、気付いているのか?」
「出会って数日の人間を信頼する程、俺は甘くありません。貴方が俺を信用しているのは、元の世界との縁がほぼ断ち切られているから、俺が貴方達に害を為す可能性は無いから。ですが、貴方には力があり、守るものも仕えるものも存在する。無条件に信用する事は出来ません」
娘よりも国と領地を選べる彼は、貴族として素晴らしい人間であると同時に、完全には信用出来ない人間だ。
「つまり、君はまだ、私たちが敵か味方か判断しかねているという事だね」
「当然でしょう。貴方に出会って、まだ2日。俺はまだ、貴方の事をほとんど知らない。それは、貴方が1番分かっているでしょうに」
俺が今まで見てきた彼は、ほとんどが「ミアとヴィルヘルムの父親」としての顔だ。数度「領主」としての顔も見たが、彼にとって1番意味を持つであろう「侯爵」「枢機院」としての顔は一切見ていない。
それこそが彼の最も重要な顔であり、実力を示す顔。それを見ていない現状では、警戒する事しか出来ない。
まあ、それでも。
「……ご心配なさらずとも、貴方の娘が餌である以上、俺が貴方がたと敵対する事はありません。それに、「父親」として、「領主」としての貴方は認めていますし、それなりに信用していますよ」
国の害になれば直ぐに切り捨てられるだろうが、裏を返せば、国の害にならない限り彼はこちらを守るだろうという、確かな保証。その程度は既に認めている。
彼にその器がなければ、マスターが俺達を託しはしない。
「……そうか」
俺の言葉にほっと息を吐き出す彼を見て、とりあえず満足したようだと見て取る。それを見て、疑問が湧き上がった。
——何故、俺の信頼が欲しい? 何に利用する気だ?
その気になれば、彼は俺達をいくらでも利用出来る。俺が闇の属性だと知っているのだ、邪魔者を消すのも利益を得るのも思いのまま。弱みを握っている以上、依頼ではなく脅迫して従わせる事すら出来るのだ。俺が彼を信頼すれば、更に使いやすくなるだろう。
彼はそんな事をしない、という判断は、まだ出来ない。だからこそ、脅しや示威目的以外では貴族の利になる魔法は見せていない。それでも、ある程度の予測は付いているはずなのだ。
——目的を直接聞くわけにはいかない。
聞いても答えないだろうし、余計な警戒を招きかねない。
——今はまだ、彼の動きを探る事も出来ない。
何しろ、情報が足りない。今駆け引きをしてしまっては、こちらが明らかに不利だ。
————ならば、従わせ、聞き出せば良い。
「ノワール、どうした?」
急に黙り込んだ俺を不審に思ったのだろう、ラルスが訝しげに名を呼んだ。黙って首を振り、何でもないと伝える。同時に、自分の中に湧き上がったものを打ち消した。
オーティのように魔法で情報を暴露させるのは容易い。だが、それは魔法士にとって禁忌の魔法だ。罪人から情報を得る時以外、一切許されていない。今更禁忌の1つや2つ、破ったところでどうなるわけでもないだろうが、それだけのリスクを冒してまで彼を警戒する理由は無い。不要な博打は避けるべきだ。
そう言い聞かせ、ラルスに視線を向ける。そして、馬鹿正直に聞いた。
「何故そうまでして、俺の信用が欲しいのです? 何が目的ですか?」
向こうが隠すなら、こちらも隠すまで。こちらの考えが丸わかりの質問をして、油断を招くくらいで丁度良い。
——手段を選ばなければ、侯爵家を潰すくらい、訳ないのだ。
「……少し、こちらの善意も受け取って欲しいものだね」
返答は、間接的なもの。困ったような顔をする彼に、思わず聞き返した。
「善意、ですか?」
あからさまな疑いの声に、ラルスは肩をすくめる。
「安心したまえ、私は君を手札として利用する気は無い。ここでの君は、あくまで学生だ。学生を政治に巻き込む程、私は落ちぶれていない」
「……しかし」
「保護対象である君に、闇属性の魔法などに頼らずとも、私は私の目的を果たす。……君は少し、私を侮っていないかな」
落ちぶれるも何も、使えるものは何でも使ってこそ政治家だろうと指摘しかけた俺は、続く彼の言葉に怒りを感じ、口を噤んだ。
貴族のプライド、か。成る程、それは考えていなかった。子供に頼らずとも手はある、そういう事か。
それに。
「……闇属性の魔法に頼る事を選ばない、ですか。珍しい人だ」
「何のリスクも負わずに誰かに仇なす、などという事を繰り返せば、いつか自分に返ってくる。そこまでしてまで欲しい権力なんて、ありはしないよ。それに、君を利用するという事は、娘を利用されても文句を言えないという事。それは嫌だからな」
この返答は、予想外に俺の警戒心をほどいた。
彼が魔法のリスクを正しく理解している事、俺の為というよりは、自身の娘を守る為に、俺を利用したくないという理由。下手な綺麗事よりも、余程説得力がある。
「分かりました、その点に関しては信じておきましょう」
「他に、君を利用する点などあるかね?」
「闇の属性の人間を保護しているという事実は、既に利用し放題でしょうに」
「余計な駆け引きが増えるだけだよ。あらぬ懸念を抱いて、攻撃してくる貴族もいるだろうからね」
「それも利用の1部に入るでしょう。上がその噂に気付けば、さぞかし喜ぶでしょうね」
交わされる会話は、もはや軽口に近い。政治家として最低限の利用以外はあり得ないと分かっているからこそ、全て口に出す。彼の動きを牽制する狙いもあるが、もはや駆け引きの体を成していない。
「まあ、それくらいは諦めてくれ。君との接触は防ぐ」
「王に命令されれば防ぎようが無いでしょう」
「……手厳しいね」
苦笑を浮かべ、ラルスは立ち上がった。気付けば、ワインのボトルは空になっている。俺のグラスにも何度か注がれたが、彼自身、結構飲んだのではないだろうか。
「さて、長い事引き留めて悪かった。リミッタの作成が残っているのだろう?」
唐突とも言える別れの言葉。互いに、現状で可能な限りの収穫を得たと理解しているからこそのタイミングだ。
彼が何故俺の信頼を得たいのかは分からないが、今夜の会話に不快な点は無く、彼にそこまでの危険性はないと思われる。
不必要な警戒は、あらぬ疑いを呼び寄せる。ある程度の信用を見せた方が、今後の為だろう。
「ええ、まあ。ですが、意義のある時間を過ごせたので、さほど気にしていません」
「そう言ってもらえると嬉しいね。では、また明日」
「はい」
馴れ合いはごめんだが、こういう会話は悪くない。そう思いつつ、彼の部屋を後にした。




