在り方 〜Noir〜
夕食後、俺はラルスに呼び出され、彼の部屋を訪れる事となった。
リミッタの作成があと少しで終わるので、正直迷惑だ。何の用か知らないが、さっさと解放してもらいたい。
「すまないな、呼び出して」
「いえ。2人で話したい内容、とは?」
社交辞令も何もかも要らないから早く話せと言外に告げると、ラルスはゆったりと笑う。
「まあ、これからについて、かな」
どうやら相手には、急ぐ気はさらさら無いらしい。今夜の睡眠は諦める。
……まあ、一応夜行性だから、負担はないが。
「元の世界では、未成年かな?」
そう言いながら、彼はボトルを取り出した。
「母国では未成年扱い、協会本部の国では成年扱いですね」
「お酒は?」
「付き合い程度なら」
ビジネス上、酒を飲みながら話をしたがる輩は多い。思考速度を落として話をしてどうする、と毎度思っていたが。
俺の返答を聞き、ラルスがボトルの栓を抜く。酒類独特の香りと、果実の香りが漂った。
用意されていたグラスに注がれるのは、紅い液体。香りといい色合いといい、赤ワインに違いないだろう。
……意識してやっているのか、あくまで自分が好きなのか。
答えは大体想像が付くので、それを問う事はせず、黙って自分の分を受け取る。毒物検査魔法の結果は、陰性。
「……流石に、少し気分が悪いかな」
「すみません、習慣なもので」
とはいえ、意識に昇る前に魔法を発動させたのは、少し妙だ。気を付けておくべきか。
「君も数奇な人生を送っているね。まあいい。とりあえず、今後を祈って、乾杯しよう」
習慣と聞いて何も詮索をしないのは、流石だろう。何を祈るのか今ひとつ分からないが、彼に応え、黙ってグラスを傾ける。
ラルスがワインに口を付けるのを待って、こちらも少し口に含む。中身も、赤ワインと全く同じ。
「こちらの世界で、これは何と呼ばれているのですか?」
「ヴァンだ。今朝妻が貸した本に無かったかね?」
「……さして描写が無かったもので」
貴族の飲む酒類としか書かれていなかったが、これは何の因果か。
ヴァン。vinと綴れば、俺達の魔法名と同じ言語で、ワインを意味する。ニンニクもまた、固有名詞が同じだった。
更に。
「……そうしていると、ようやくらしいと言うべきか。どうも君は、伝承とは大きくかけ離れているようだからね」
「…………紅い飲み物を好む、鏡に映らない、日光に弱い、銀の武器に弱い、ニンニクが苦手。他にも、血を飲む時に目の色が変わるとか、霧やコウモリに化けるとか、まあ伝承は数えきれませんがね」
言いつつラルスの様子を伺うが、一向に妙な顔をしない。
そう。こちらにも、元の世界と全く同じ伝承が存在する。吸血鬼に関する魔術書の記述内容も、ほぼ同じだ。
——どういうわけか、吸血鬼に関わる物は、元の世界と共通点が異様に多い。多すぎる。
「以前、俺達の世界からやってきた吸血鬼がいるのかもしれませんね。あるいは、吸血鬼の伝承に詳しい人間がやってきて、その知識を広めたか」
以前と言うには知識が新しい気もするが、世界渡りは時に時間軸が酷く狂う。過去のこの世界に来ていても、そう不思議ではない。
そう考えた刹那、直感に近い何かが俺の身を掠めたが、直ぐに消える。更にラルスが話しかけてきた為、何故そんなものがあったかさえも分からなくなってしまった。
「前者ならば、彼らだけが魔法についての知識が進んでいる理由が説明出来るな。それにしても、どうして君は、それらの「縛り」にかからないのだろう?」
伝承によって「そういう生き物」と認識されると、その生き物はその伝承にある程度従わざるを得ない。人の思いが化け物の存在に影響するという、興味深い一例だ。
だが俺は、吸血鬼の「伝承」に従う「弱点」をほとんど持たない。根本は同じな為、ラルスの術式には本能的な危険を感じたが、先ほど自分で挙げた伝承はほぼ適用されない。
彼にはそれが不思議なようだ。俺としても、前例の無い事だから、答えなど持ち合わせていない。
ただ、分からないわけではない。
「さあ。推測ならありますが」
「推測」
ラルスは、俺の言葉を繰り返す事で、続きを促す。
「いくつか要素はあるのでしょうが、おそらく1番大きな理由は、俺がそれらの伝承を誤りだと知っている事。絶対の「事実」は、時に古くから伝わる「口伝」を打ち破ります」
知識の力。それは、歴史を紐解けばいくらでも出てくる。元の世界が球形という「事実」を知る俺らは、過去の人々が告げた、平面説という「言葉」をあほらしいと言い切れるし、それを一切信じない。
同様に、奴らの伝承がばかばかしい程脚色されていると知っている俺は、他の連中がある程度は縛られるはずのものを、撥ね除ける事が出来る。
しかしラルスは、俺の推測自体よりも、伝承に関する俺の言葉に驚いた。
「誤り? そうなのか?」
「少なくとも、先程挙げた物はほぼ全て。ニンニクは苦手ですがね。嗅覚が鋭く臭いに負けるという事も一因ですが、どうも成分の相性が悪いらしい。それを言うならば大根の方が苦手そうですがね」
床や畳に付いた血痕を消すのに大根が役に立つというのは、それなりに知られた知識だ。
が、勿論ラルスがそれを知るはずもなく、表情に困惑が滲む。
「……すまない、少し付いて行けない」
「ああ、すみません。要するに、ニンニクが駄目な事は事実です。後、紅い飲み物を好むというのは、吸血衝動を抑える為のようですね。衝動のままに血を飲んでいたら、餌はあっという間に失血死してしまいますから。……いえ、俺は例外です。通常の食事も取っている分、飢えが少ない」
ラルスの顔色から察して、言い添える。ミアの父親としては、失血死という言葉は嫌か。
「大体、中世の食器は銀が多いというのに、銀が苦手なはずがない。奴らは時に人に紛れるというのに、食器が扱えないなどという間抜けなへまはしない」
「……確かに」
苦笑気味に頷く彼を見やり、再びグラスを傾ける。
「しかしそうなると、何が事実で何が間違っているのか、判断が難しいな。君はどうやって判断した?」
「この目で見て。後は、彼らを狩る事だけを生業にしている連中の知識を買いました」
男ならシャスール、女ならシャスーズと呼ばれる彼らは、吸血鬼だけを標的にし、吸血鬼だけを研究する。身に付ける魔法や魔術、術式も、吸血鬼を滅ぼす為のもののみ。
常日頃、吸血鬼とのみ剣を交える彼らの持つ知識は、最も事実に近い。その知識を良く買った。マスターにはそれは奪ったと言うのだと詰られたが、対価はきっちり渡しているのだ、買ったで正しい。
「君が、その職業を選ばなかった理由は?」
心底不思議そうに問われて、俺はグラスを掲げて見せた。
「俺が憎むのは吸血鬼だけではありません。俺にとって、全ての化け物はいてはならないモノ。奴らだけを狩る、狭窄的な視野を持つ彼らとは相容れません」
何せ彼らは、吸血鬼以外の化け物とは、人間を襲わない限り共存すべきだなどとほざいている。化け物の存在定義上、あれが人を襲わないはずもないのに。
返答を聞いて、ラルスの目からすっと熱が消えた。
「……成る程。君は鬼であると同時に、確かに魔法士なのだな」
感情の抑えられた言葉に、俺は苦笑してみせる。
「鬼の事もご存知でしたか。ええ、自覚はありませんでしたが、俺は骨の髄まで魔法士です。……そうでもなければ、嫌々とはいえ、幹部の座を受け容れはしなかったでしょう」
魔法士は化け物を祓い、奴らを滅する術を研究する。今も俺は、この世界の魔法理論について、新たな論文を書く段取りをしている。祓い屋であり、研究者である魔法士そのものだ。
それにしても、こちらに鬼の知識があるとは意外だった。元の世界でも、俺の母国にしか無かったというのに。
「君が化け物を否定すると、矛盾を生じるのでは?」
冷徹な目で問い詰める彼に、今度は余裕を持って応えられる。
「面白い事を仰る。ならば、思考や文化が異なるから、己の利益となるからと、同種のモノを否定する人間はどうなるのです?」
「……っ」
彼が本当に言葉に詰まったのは、これが初めてかもしれない。こうして、会話の主導権を確かに握って、自分にどれだけ余裕がなかったのか分かる。
全く、みっともない。
「生き物なんて、そんなものです。同族殺しも、矛盾も、どんなモノでも持ち合わせている。そんな堂々巡りに嵌まった俺も愚かでしたが、1度そこから抜け出した以上、また間違いを犯す俺に見えますか?」
「…………」
無言は、否定と取って良いだろう。そこまで侮られているとは思い難い。
「話を戻しましょうか。吸血鬼とは不死者の王。血を糧とする化け物。ヒト並みの知性を持ち、高い戦闘力を有する。並外れた腕力、鋭い牙と爪を持つ。治癒能力が高い。己の血を与える事でヒトを眷属としたり、餌と定めたヒトを隷従させたりする。ヒトから血を飲む時、ヒトは快楽を感じる。全ての吸血鬼に共通するのは、この程度でしょうね」
日光に弱いだの、暗示をかける力があるだの、限られた奴らのみが持つ特徴もあるが。
「あれほどの伝承が多いのは、それこそ奴らが強いからでしょう。複数の気付かぬ要因が重なって吸血鬼を退けられた時に、目立つ要因が原因と思い込む。藁にも縋りたい思いで、それを伝承として広げていく。良くある事です」
そう締めくくり、ワインで口を湿らせると、黙って聞いていたラルスは溜息をついた。
「君の切り替えの速さには驚くね。吸血鬼の話題が出るだけで嫌悪を示していたのは、つい昨日の事だというのに」
「頭では理解しても心が付いてこない、なんて事は俺にはありえませんから」
理性が全てを定める俺にとって、感情が理性と相反する事など、滅多に無い。その「滅多に」はここ最近確かに多かったが、それを処理してしまった以上、今更そう簡単にぶれはしないだろう。
はっきりと言い切った俺に、ラルスは複雑な表情で問いかけてくる。
「……その生き方を、後悔した事はないのか?」
後悔。その単語を、口の中で転がす。
後悔は、何度かした。つい最近で言えば、最初出会った時に吸血鬼を滅せなかった事。一番古い物で言えば——
「全てを失ったあの時に、後悔しましたから。手段を選んだが故に、何も手に入れられなかった自分を。だからこそ、心の底から手に入れたいと思ったものを、次こそは逃さない為に、1番血に塗れた、1番確実な道を選んだ。どうなるか分かっていて選んだものに、後悔などしません」
結局その決意も、たった1つの過ちで、全て失ってしまったが。
あの女が言うとおり神がいるというのならば、それはきっと、俺が願いを叶えるのが余程嫌なのだろう。
続きます。




