魔法 〜Rouge〜
夕食時、フージュは降りてこなかった。事情はミアに聞いたけれど、それでも心配だ。
「脳の使い過ぎで寝込んでいるだけだ。今までにも何度かやったが、1度も深刻な事態になった事は無い。いちいち騒ぐな」
彼女は本当に大丈夫なのかとノワールに聞くと、これまた素っ気ない返答が返ってくる。
「何度もって……。普通に教えてあげれば良いじゃないか」
「そう思うなら、お前が教えればどうだ。あの理解力と記憶力の欠如した生き物を相手にしていれば、とにかく頭に詰め込みたくもなる」
冷たいというよりもどうでも良さそうな物言いに、彼は本当にフージュの事さえ興味が無いのだと、改めて思い知った。
「……まあ、フージュがそれで納得しているのなら、それで良いけど」
けれど、彼がフージュの世話役としての役目を放棄しているわけではない。寧ろしっかり面倒を見ているようだから、僕から何か言うわけにもいかない。大人しく引き下がった。
「ノワール、リミッタはどうなったのですか?」
僕の話が途切れたタイミングを見計らって、ミアがそう尋ねる。ノワールは面倒くさげに視線を向けて、さらりと答えた。
「まだ出来ていない。今夜中には完成するし、明日にはお前達に確認を頼む」
相変わらず、仕事が早い。僕達の世界では未だ不可能とされている研究命題も、彼の手にかかれば1日で仕上がる作業でしかないらしい。
「聞き忘れていましたが。編入試験の予定日は?」
ノワールの質問に、母上がにこりと笑った。
「ノワールでも聞き忘れなんてあるのね。1週間後よ」
「そうですか」
母上のからかいにはなんの反応も示さず、ノワールは視線を下げた。何事か考えている彼に、遠慮がちに尋ねる。
「……あのさ、ノワール。今日ミアに、君が全ての学習範囲を学び終えたと聞いたのだけれど」
「そうだが」
それがどうした、という相槌さえ省略するノワールに、ちょっと迷いながら聞いてみた。
「良ければ、僕達に教えられる範囲で、ノワールの世界の魔法を教えてくれないか? 魔術とか術式とか、聞き覚えの無い言葉が多いから、気になってたんだ」
その瞬間、食事の場が静まりかえる。
最初どうしてそうなったのか分からなかったけれど、それがノワールの発する威圧の空気のせいだと気付いて、どきりとした。
「あ、えっと、無理なら別に良いよ」
慌ててそう言うと、ノワールは深く溜息を漏らす。
「お前は、もう少し次期侯爵としての自覚を持て」
先程父上に、侯爵となる為の勉強を始めると意思表明した矢先にそう言われ、少しへこんだ。
「……ごめん」
「どうせ何が拙いのか、理解していないだろう。……侯爵」
ちらりと呆れた目を僕に向けた後、ノワールは父上に視線で何事か訴える。それを受けた父上は、やや微妙な表情を浮かべた後、使用人達に視線を向けた。
「少し内輪の話をする。席を外してくれ」
「畏まりました」
頭を下げて去って行く彼らを見て、ようやく何が拙かったのかを悟る。
「……すみません」
「ヴィル、何が拙かったのかしら?」
母上が微笑みを浮かべて問いかけてきた。恥ずかしさに身を縮めながら、答える。
「使用人の前で、ノワールの秘密の1部を軽々しく口にした事です」
古参の使用人は事情を知っているが、他の人達はそうではない。いつも近くにいる彼らを当たり前に思いすぎて、その事を気遣うのを忘れていた。
「今まで俺達がいる場所に、事情を知らない彼らがいる事はありませんでした。ですが、今夜は違う。フウがいないからですか?」
ノワールの疑問に、父上は苦笑いして首を振る。
「答えが分かっているのならば、見逃してくれないかな」
「甘いですね」
言い切って、ノワールは片手を振った。部屋に結界が敷かれる。
「まあ彼らも使用人である以上、情報漏洩は職業倫理に反します。滅多な事では広がらないでしょうが、念の為に」
そう付け加え、ノワールが語り始めた。
「あまり詳しく話すと夜が更けますので、簡潔にいきます。
魔法は魔力を燃料に現象を引き起こすもの、魔術は魔力で世界の理に干渉して現象を書き換えるもの、術式は複数の魔法や魔術を1つのものとして発動させるものです」
「……全然分かんない」
ユハナが呟く。それを聞いて、ノワールが眉根を寄せた。けれど、苛ついているわけでは無さそうだ。
「魔法は魔力自体が火や水になり、魔術は魔力によって世界に火や水が生じている状態を作り出す。術式はそれらの組み合わせだ。これでいいか」
「……うん、何となく」
ユハナの為に、言葉を選んでくれていたらしい。後で親にでも聞けとか言わない辺り、親切だ。フージュに教えるので慣れているのだろうか。
「基本、魔法に詠唱は要りません。自分の魔力の形を変えるだけですから、イメージだけで事足ります。詠唱や魔法具は、イメージを現実にするのを手伝う為のものです。
対して魔術は、世界の情報を書き換えます。人間如きに世界の情報に干渉など出来る筈がないので、魔法陣を使って干渉しています。
術式は、言葉の力に頼ります。複数の魔法、魔術を扱う以上、無詠唱は流石に厳しい。長い方が確実性が高いですが、別に単語を並べ立てるだけでも出来ます。ここに魔法、魔術の練度がそのまま現れる事になりますね」
「魔法と魔術を、同時に術式に組み込む事は?」
父上の問いかけに、ノワールは少し考えて答えた。
「基本的に不可能です。ただ、世の中には術式を専門に扱う人間がいます。術師と呼ばれますが、彼らは魔法と魔術の境界線が酷く曖昧で、どちらとも付かない術式を使います。術式に関して、独特の感覚を持っているのでしょうね」
「私達の魔法は、これらが混同されているのよね?」
眉根を寄せ、母上が確認する。ノワールは肩をすくめた。
「ええ。通常、魔法と魔術を混同するととんでもない事故が起こるものですが……よくもまあこれだけの魔法を見つけ出したと思いますよ。おそらく、こちらの世界の方が、人々のイメージを世界が反映させやすいのでしょう。出来ると信じる力が魔法の成功を左右する、と教えられませんでしたか?」
「その通りよ」
「だからこそ、目に見える形の魔法が多く、理論を無視したものが多い。属性魔法が多く、無属性魔法が少ないのはその為でしょう」
その奇妙な単語に、首を捻る。
「無属性魔法? 全ての魔法が、いずれかの属性だろう?」
そう聞くと、ノワールは目を眇めた。
「ならば聞くが。転移魔法はどの属性だ」
「…………」
言われてみれば、ちょっと思い付かない。
「強いて言うなら、闇属性っぽいけれど」
「だったら、フウに使えるわけがないだろう」
「そうか」
つまり、転移魔法のようにどこにも分類出来ない魔法が無属性って事か。
「魔力属性とこちらの世界で呼ぶものを、俺達は魔法特性と呼ぶ。この意味が分かりますか」
その問いかけに、父上が息を呑んだ。
「……まさか、属性の縛りは魔法にしか無い、という事か?」
「その通りです。確かにひとの魔力には癖がある。魔力をそのまま変換する魔法では、その癖が明確に現れます。だからこそ、扱える魔法は限られてきます。
ですが、魔術はあくまで、世界に現象を引き起こさせるだけ。これに、魔力の癖は関係ありません。無属性魔法を扱う時と同様、魔力という一種の力が鍵となる」
魔力が力だというのは、僕達にとっては新鮮な話だ。だけど、彼の魔力が魔道具を壊すのを見た以上、納得出来る。
「属性に分類されるものが、無属性として誰でも扱える事もありますが。水属性と言われる治癒魔法、あとは結界などですね。そもそも、結界は無属性です。属性魔法による結界は、無属性魔法に属性を付与させているだけですよ」
そこでノワールは、我に返ったような顔で口を閉じた。少し間を置いて、頭を下げる。
「……すみません、少し余計な事を言いました。忘れて下さい」
それを見た父上が、曖昧な表情を浮かべた。
「君は、本当に……いや、いい。つまり、フージュは火と水の属性を持つが、魔術を使えば風などを起こせるという事だな?」
「その通りです。例外は上位属性。ご存知のように、光や闇の属性持ちは他属性の魔法を扱えます。更に……」
そこで言葉を止め、少し悩んでから続ける。
「……光属性の魔術は誰にでも扱えますが、闇属性の魔術は闇の属性持ちにしか扱えません」
「どうして?」
驚きの声は、母上。父上やミアも声を上げこそしなくても、同じように疑問を顔に浮かべている。僕もそうだろう。
「基本人間は、光に属する生物です。闇を嫌い、光の中で生きる。その分、光への魔力の親和性が高いのでしょうね。光や闇は世界の根源に近い為、親和性が無い限り使えません。この世界で馴染みやすく言えば、光に生きる事を神が望んでいるからこそ、神は光の力を人間に与えた、とでもなるのでしょう」
……ノワールの口から神という言葉が出るのは、凄まじく違和感があった。
母上もそう思ったのか、その表現には一切触れずに話を進める。
「闇は光と対極の存在だから、扱えないのね」
「ええ。同様の理由で、闇属性の人間は、光属性の魔術を使えません」
「成る程……」
少し考えるようにして、母上が頷く。それを確認して、ノワールは周囲を見回した。
「こんなものでしょうか?」
「もうひとつ宜しいでしょうか」
ミアが小さく手を挙げている。ノワールが頷くのを確認して、ミアが躊躇いがちに尋ねた。
「その、対極の魔力を持つ私の血を取り込んで、ノワールに影響は無いのでしょうか?」
部屋の空気が、一気に緊張する。それを感じたのか、ノワールが溜息をついた。
「打ち消し合おうとする力は0ではない、と言っておく。が、ミア程度の魔力では、実害は無い」
その答えに、ミアが少しむっとした表情を浮かべる。
「程度、ですか」
「俺の100分の1以下の魔力で張り合う気か」
「ひゃく……」
絶句する僕らを見て、ノワールは目を眇めた。
「今更でしょうに。魔術を複合させる術式をいくらでも使えますよ、俺は」
そういえば、と何かを思い出したらしく、ノワールは続けた。
「複数の魔術や魔法を使う時、必ず術式にするかというと、そうでもありません。結果を確認しながら魔術を使いたい時は、1つずつ魔法や魔術を発動します。複合によって一定の目的を果たす、という場合には術式が便利ですが。結果を予測するのは、割と難しいですからね」
その「難しい」予測を、父上との戦い、それもかなり切羽詰まった状況で使ったのは誰だったか。
そう苦情を漏らすと、ノワールはどうでも良さそうに答える。
「慣れだ。何度も使っていれば、予測ではなく記憶だろうが」
「そういう事か」
確かに、魔法を使うのも、最初は必死でイメージするけれど、慣れてくるとあまり考えずに使える。そういう違いだろう。
「それから、吸血鬼の話題が出たからって露骨に緊張しないで下さい。第三者から見て、相当不自然ですよ」
ノワールの指摘に、母上が不満そうに言い返した。
「貴方の反応が気になっているだけよ。緊張じゃなくて、気を遣っているの」
「その結果素性がばれたら、元も子もないでしょうに」
そう返し、ノワールは父上に目を向ける。
「他に聞きたい事は?」
「……今のところは。リミッタを付けた上で、君達に何が出来るかは、しっかり確認させてもらうが」
「一応、教科書や魔術書を読んで、使っては拙い魔法は全て把握しています」
そう言うと、ミアが切実な声を出した。
「ノワール、普通人間は、書物で読んだだけで全ての魔法は使えません」
それを聞いて、ノワールは目を見開く。少し間を置いて、頷いた。
「そうか、それは考えていなかったな。教科書に載っていたとしても、それを全て扱えるとなると不自然か」
「……貴方時々、びっくりするようなところで常識が抜け落ちるのね」
母上の疲れたような口調には注意を払わず、ノワールは父上に視線を戻す。
「では、明日からはその点の確認も。こればかりは、書物ではどうしようもありませんし」
「ああ。では、今日はここまでだな」
その言葉に頷き、ノワールが結界を解除する。同時に父上が使用人に入室許可を与えた。
それ以上特別な会話もなく、夕食は終わった。




