交渉 〜Rouge〜
何も言わずに僕の提案を受け入れてくれたノワールを目の前にして、静かに息を吸い込む。緊張しているからか、酷く口が渇いていた。
「話とは何だ?」
淡々と聞かれて、僕は頷く。
「……分からない事が、多くて。考えても分からないから、直接聞く事にした」
「何を聞きたい」
間髪入れず、鋭い声が聞き返した。唾を飲み込んで、はっきりと答える。
「ノワールが何をしたいのかが、分からない」
ノワールの目が眇められた。構わず続ける。
「ノワールがフウに指示しているのは、学院で慣れる事。普通に学生として学院で学ばせたいんだって分かる。さっきもそう言ってたし。けど、ノワールは違うだろ?」
集団で行動する事に馴染もうとしている訳でも、授業に気を取られている訳でもない。制限が多すぎると言いながらも、さして強い不満は見えない。
「僕達が頼む事を叶えるばかりで、ノワールが何をしたいのかが見えてこないんだ」
「俺が学院に通うのは、この世界で魔法を行使する法的な資格を得る為。だからある程度この世界に合わせるし、お前達の要求はそれに関わるものだから叶える。俺は自分の為に動いているのであって、お前達の為に動いてはいない」
「……うん。それも分かってる。だから、尚更分からないんだ」
僕の曖昧な言葉に、ノワールは少し苛立つ様子を見せた。僕に問う声も、少し低くなる。
「何が言いたい。はっきり言え」
ここから先を問うのは、少し怖い。それでも覚悟を決めて、彼を真っ直ぐ見返した。
「ノワールは自分の為に動いているって何度も言うけど、今君のしている事の中で、君の為になっている事があるとは思えない。……最初に会った時の方がまだ、目的を持って動いているように見えた」
途端、ノワールの視線が鋭いものになる。息が詰まりそうな圧迫感を感じたけど、負けじと見返した。
混乱して暴走したあの時期の方が分かるだなんて、僕自身も意味が分からない。けれど、あの時の彼の方が目的がはっきりしていたし、行動もそれにそぐうものだった。
けれど今は、違う。集落での事件をもみ消して、学院で居場所も手に入れて。当座の目的を果たした今、彼は何をしようとしているのか。時折見せる行動の端々に意思を感じるのに、それが何か全く分からない。
「君が何をしようとしても、口出し出来る立場にないのは分かってる。それでも、君が餌にしているのは僕の妹なんだ。だからこそ、何がしたいのか分からないのが怖い。それにミアが巻き込まれる可能性は、とても高いから」
声が小さくなりそうなのを必死で押さえて言う。僕にとって、これはとても大事な事だ。
今僕は、父上からパーヴォラ家の跡継ぎとして必要な事を教わっている。その中で、これから家族を守るのは僕なんだと自覚した。その為に必要なのは、状況を理解して動く事。
今僕が知る中で1番何を考えているのか分からず、そして行動力のあるノワールを放置する事は、だから出来ない。
しばらく黙って僕の目を見つめていたノワールは、少し眉を上げた。
「……成程。考える頭がない訳ではなかったか」
「そうじゃなかったら、父上がミアの件の対応を任せる訳がないだろ」
ちょっとむっとして言い返す。僕だって今までも最低限の教えは受けていた。この国のルールも政情も許される範囲で教えてもらっていたし、学院でも情報集めはきちんとしている。そういう情報を正しく使ってミアを守ってきたのは僕だ。その矜恃はある。
「……その件に関しては俺は何も言わない。侯爵の考えも分からない訳ではないからな」
そういって肩をすくめるノワールが気になったけど、これに食い付いたら多分答えはもらえない。だから今はじっと我慢して、答えを待つ。さっき、父上がそうしたように。
それを見てまた肩をすくめたノワールは、片手を顎に当てた。考えるような眼差しのまま、ゆっくり口を開く。
「ヴィルヘルム。要望は理解したし、その理由も納得出来る。……だが何故お前は、俺が要望に応えると確信している?」
「……え?」
思わず息を呑んでしまった僕から目を逸らさず、ノワールは続けた。
「行動の目的が分からないという事は、目的に気付かれないように動いているという可能性に、お前は気付いているのか? それを正面から聞いた所で、答えが返ってこないとは思わないのか?」
「それは……」
「今お前がしている事は、他者に面と向かって「何を企んでいるのか」と聞いているようなものだ。一体何人の人間が、それに正直に答えるだろうな。そして、それに俺は入ると思うのか」
聞かれてようやく気付いたその恥ずかしさに、僕は咄嗟に俯く。
彼の言う通り、僕はどうして答えがもらえると思ったのだろう。尋ねさえすれば何でも答えてもらえるだなんて、そんな筈がない事位、知っているのに。
俯いた僕にノワールは何も言わない。帰る事を期待しているのか、それとも、更に追い打ちをかけるタイミングを計っているのか。
……違う。
その時はっと気付いた。咄嗟に顔を上げた先、ノワールは何も言わないまま僕を見つめている。
——そう、まるで、僕の返答を待っているかのように。
「……ノワールが何もかも答えてくれるとは思わない、けど」
「けど?」
静かに繰り返された言葉に、推測が正しいと確信した。
「きっと、僕に言っても問題無い事なら、教えてくれる」
こうして部屋で僕の話に応じてくれた時点で、ノワールはある程度僕に教えてくれるつもりだった筈だ。僕が話したい内容くらい、彼にはお見通しだっただろうから。
「例えば?」
果たして否定も肯定もせずにそれだけを聞かれ、必死で考えを巡らせる。
僕の辿々しい思考がもたらす疑問とノワールの答え。端的で曖昧な言葉が、ただ部屋を流れていった。
「……図書館に行って、何を調べていたの?」
「精霊に関する魔術書を。この世界についての理解はまだ甘い」
「……この世界について知るのは、ノワールの興味?」
「それもある」
「それも? 他に何かあるの?」
「今は言えない」
「いつ言えるの? ミアに関係がある事?」
「言えるかどうかも不明だ。マスターが来ればはっきりするが。ミアに関係はあると言えばあるが、お前が思うようなものではない」
「……単独行動を取るのは何故?」
「闇属性だからだ」
「周りに忌避されるから? それとも何か理由が?」
「現在この世界にいる闇属性の人間はSランクだが、国に管理されていない」
「どういう意味?」
「まだ不定だ」
「……これからどうするの?」
「この世界について更に調べると同時に、依頼を受けて資金を稼ぐ」
「何の為に?」
「動く為に」
「……何をするつもりなの?」
「お前が知る必要は無い」
ノワールが立ち上がった。僕に背を向け、机へと向かう。
「タイムリミットだ。あとは考えろ」
これ以上は何も言わない。そんな意思を示す彼に、僕はもう1つだけ聞いた。
「……どうして、教えてくれたの?」
「……その答えも持たずに結論に達したか。疾と同じか、全く……」
低い声で落とされた独り言はほとんど聞こえず。僕が聞き返すより先に、ノワールは肩越しに僕に視線を向けて言った。
「お前の父親から資金を借りる対価として、お前ら2人の教育に少し手を貸す事を求められた。利子代わりだ、フウ程に教えるつもりはないが、この程度なら構わない。それだけだ」
それ以上何も言わずに机に腰を下ろしたノワールに、僕はただ頭を下げて、静かに部屋を出た。




