奇襲 〜Noir〜
この世界では、歴史と宗教はほぼ同義だ。
太古の世界の統治や人の始原については、教会の出す教義書に載っているものそのままが歴史として記載されており、それに疑問を持って研究するのは御法度らしい。例によって、教会の人間が行う分には問題が無いようだが。
おまけに大抵が神絶対論で、大抵が神や聖人が悪を祓っただの罪人を裁いただのと、内容が一辺倒だ。故郷の神話は人間らしさの強い記述が多く、おそらくある程度はかつての君主達をそのまま記したのだろうという信頼性が存在するが、これではでっち上げとしか思えない。
挙げ句の果てに魔王討伐なんて話まであるらしい。大方強力な魔物が暴走したか竜族辺りが脳筋ぶりを発揮したかだろうが、それをこうも伝説調にされると、どこぞの童話でも聞かされているような気分になってくる。
歴史学の講義をうんざりと聞き流しながらも、頭の中で内容を簡潔に纏めた文書を作成していく。俺の予想が外れなければ、そのうちマスターがその手の仕事を持ってくる筈だ。その際に大量の仕事をこなさずに済むよう、今のうちにある程度の情報整理と考察をしておく。
だが、魔法に関連する論議はともかく、この胡散臭い話には……考察する程の興味が沸かない。
幹部によってはこういう神話から研究要素を見つけ出す者もいるが、基本魔法と魔物にしか興味の無い俺としては、無難に情報を纏めて魔術的意義を幾つか拾い上げる程度しか行う気力が起きない。それすらも面倒だが。
嫌でもせねばならない立場に内心嘆息しつつも、頭の中の報告書草案を完成させた丁度その時、授業終了を示すチャイムが鳴った。それを聞いた教諭が講義を打ち切り、休憩時間となる。
途端騒がしくなるクラスを尻目に、鞄を手にさっさと教室を離れる。次は薬学で、実習だ。クラスは煩くてとても魔術書を読めたものではないと昨日1日で知り、実習の時はさっさと移動する事に決めている。
「ノワール」
声をかけられて振り返ると、ミアが小走りに駆け寄ってくる所だった。
「何だ」
「移動するのが目に入りましたので、一緒に」
何故と問うても、どうせそうしたい気分だという返事しか返ってこないだろう。直ぐに断ろうとして、脳裏にある可能性が過ぎる。
もしここで事が起こるならば、今朝から続く件もそういう事となる。どちらか判断しかねていた所だ、丁度良いからミアを餌に誘ってみるか。
一瞬でそう判断し、断ろうと開いていた口から別の言葉を吐き出す。
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
前に向き直り歩き出す俺に追いつき、ミアは隣を歩き始める。ただ歩くだけでは警戒されるかもしれないと気付き、話題代わりに質問をぶつけた。
「薬学の実習は、材料は学校側が用意しているのか?」
ミアとヴィルヘルムが用意した学用品には、道具や道具の管理に必要な薬草はあれど、魔法薬自体の材料はなかった。魔法薬の材料は高価なものが多いから、学生全員分を賄うとなると相当な額に上ると思うのだが。
「はい。何でも、非常勤講師のドクトル先生が個人的に贔屓にしている所から格安で仕入れていらっしゃるとか。学生に負担をかけない為と、学院がお金を出しています」
「王立学院ならではの仕組み、か」
学問の費用は個人か国かのどちらかが負担する。この学院は王立だから、公費から補助金が出ている。それを用いて材料を購入するとは気前の良い話だ。
「魔法具に補助金が出ない事を考えると、祓魔師よりも魔法使いが重用されるのか?」
「この国ではややその傾向が強いですね。冒険者も比較的多いので、祓魔師でなくともある程度の魔物討伐は可能なのですよ」
戦闘よりも研究重視か。保護なく生き残れる冒険者がいるならば、魔法の才能を持つ貴重な人間は死地へ赴くより安全な場所で研究していてくれ、と。
「……戦争のない世界だから尚更か。これ程魔法が発展していて戦1つ無いのも珍しいが」
戦があれば研究よりも戦闘要員、この学院もより実戦の授業に力を入れているだろう。魔法が秘匿されてもいないこの世界で、魔法大戦が起こらないのも不思議な話だが。
「ああ、それは——」
何かを答えようとしたミアを、腕を掴んで引き寄せる。間一髪、先程まで彼女がいた場所にバケツが落下してきた。大量の水が撒き散らされる。
空気の壁で水飛沫を弾き、上方に目を向ける。丁度階段を降りきったばかりの俺達目掛けて、上の階から落としたのだろう。あれだけの重量があると、直撃すればただの怪我では済まされないのだが。
「これは……」
固い声に視線を落とせば、声と同じく固い表情で目の前の惨状を見るミア。明らかに自分が狙われた状況で、まあ平静を保てている方だろう。
今朝教室に入る時、小さな火の玉が飛んできた。極小のそれは傷付ける程のものではないが、火である以上無傷とは行かない。防いだそれは、俺と言うよりも隣にいたヴィルヘルムを狙っているように見えた。
その後も続いた小さな嫌がらせは、やはりヴィルヘルムを狙っていた。そのせいで授業中作業に集中しきれず、気が散ったものだ。
ヴィルヘルム個人が狙いの可能性もあり判断を保留にしていた所で、ミアを狙った攻撃。俺の周囲に居る人間を狙っていると見ていいだろう。
今のように事が起こってから方向を確認して下手人が目に入った事はないが、侯爵家子息であるヴィルヘルムやミアを害そうとしている時点で犯人はほぼ疑いようがない。
「十中八九フォルテとその賛同者なのだろうが……幼稚だな」
正面からやり合えないなら不意打ち。その考え方自体は俺にとっても自然なものだが、中途半端過ぎる。殺気を感じないから殺意は無いのだろうが、無自覚に命に関わる嫌がらせをしているのだから言葉も無い。
水を蒸発させて再び歩き出すと、ミアが問いを投げ掛けてくる。
「どういう意図があるのでしょうか?」
「お前らを庇って怪我するのを狙っているのだろう。直接攻撃は禁止されているが、この程度ならばそれに引っかからない」
姑息な、とは思わない。それもまた作戦の1つだろう。
ただ、中途半端な手出しをされるのは煩わしい。攻撃するのか嫌がらせで止めるのか、どちらかにしてくれないだろうか。
「そのような方法をとるという事は……先生方の目が怖いのでしょうか」
そこでミアの呟きが耳に入り、納得する。成る程、教員に目を付けられては困るという打算は忘れていた。あくまで悪戯か事故に見せかけたい訳だ。
「……まあ、どうでもいいな」
然程気にする必要も無いだろう。先程のように目の前で襲われていない限りは自己防衛に任せる。「四家」の子息にこうもあからさまに攻撃されている俺と共に行動しようという酔狂な学生など、パーヴォラ家の3人と、せいぜいエマとベンくらいだろう。警告さえすれば何とかする筈だ。
そう結論づけた上での言葉だったのだが、ミアは不満が残るらしい。
「良いのですか? このまま何もしなかったらエスカレートするのでは……」
「その時はその時だ。飽きるかもしれないし、酷くなるかもしれない。そんな気まぐれな嫌がらせにいちいち付き合う義理はない」
そう言って、目的の教室の扉を開ける。2人ずつ座る机がずらりと並び、それぞれに薬草が置かれていた。
「随分と早く来たね」
教室の前、教卓と思しき大きな机に、薬学教諭のドクトル・ダーヴィットが立っていた。学院長とはまた違った穏やかさで話しかけてくる。
「おはようございます、ドクトル先生」
ミアが頭を下げつつ挨拶する。それに倣って、軽く頭を下げた。
「おはよう。まだ半分以上休憩時間が残っておるのに、随分とやる気があるんじゃのう」
皺の刻まれた顔に親しげな笑みを浮かべてミアに挨拶を返し、その深紫の瞳を俺に向ける。
「じゃが、もう少しクラスの子達と交流する時間をとった方が良いのではないのかね、ノワール」
「余り会話は得意でないもので」
他者と平和ボケした会話をしているとテンポが合わないし、何より疲れる。人は大抵、会話の中で多くの感情を押し隠しているものだ。それが分かった上で平然と無難な会話を続けるのは、いくら俺でも面倒になってくる。
「そんな事では将来働く時に困るよ。少しずつでも練習しなさい」
苦笑して忠告してくるのは、教師としては当然の事だ。俺が既にこのスタンスでも何の問題の無い立場を獲得している事など、この人は知らない。寧ろ、これ程恐怖を覚えながらも立場を忘れないのは褒められるべきだろう。
「努力します」
とはいえこちらに譲歩する理由も無い訳で、お決まりの言葉で茶を濁す。言葉からそれを察したかは分からないが、ドクトル教諭もそれ以上言わなかった。
「好きな席へお座り。今なら選び放題だ」
言葉に促され、後ろの隅の席を選ぶ。堂々と後ろを選ぶのが非礼だとは分かっているが、前に座ってクラスの連中に白い目を向けられる趣味は無いし、何よりこれは隣に座るフウの為だ。
「ミア、隣に座るな」
「え?」
当然のように隣に腰を下ろそうとしていたミアが、目を見張った。その目に浮かぶ不服げな色を読み取って、付け加える。
「他意は無い。単に、この実習はフウが隣でなければならないだけだ」
「はあ……?」
不思議そうに首を傾げながらも、ミアは隣の机を選ぶ。
ドクトル教諭の視線も感じたが、どうせ後十数分もすれば分かる。無視して鞄から魔術書を取り出した。




