第7話 予報士をクビにした事務所
ロープが、坑道の奥へ吸い込まれていく。
大河さんが、その端を両手で握り、足を踏ん張っている。
十三時四十四分。
美羽さんのカメラは、白く唸る坑道の口を映したまま動かない。
"神崎さん……"
"戻ってこい"
私は、気圧計の針を見る。
左に振れきっていた針が、ほんのわずかに、右へ戻り始めていた。
「嵐の勢いが、ピークを越えつつあります。坑道の中の風向きは、変わっていません。上から下へ、です」
ロープが、二回、強く引かれた。
『引け!』
大河さんの声と同時に、救助隊の人たちがロープに取りつく。
一歩、また一歩。
白い霧の中から、二つの影が現れた。
神崎さんが、熊谷さんの腕を肩に回して、支えるように歩いてくる。
熊谷さんの右足は、引きずられていた。でも、自分の足で立っている。
『……全員、帰りました』
美羽さんの声が、震えながら、そう言った。
コメント欄が、一瞬、止まった。
それから、見たことのない速さで流れ始める。
"うおおおお"
"全員生還"
"灯台かっこよすぎる"
"お姉さん、ありがとう"
私は、しばらく何も言えなかった。
カメラの前で、深く息を吐く。
それから、いつもの調子に戻す。
「第二十層の魔素嵐は、ピークを越えました。十五時ごろまでには収まる見込みです。第十九層以下への立ち入りは、組合の発表があるまで控えてください」
同接は、最高で二十一万人を記録していた。
◇
その夜、氷室さんが自分のアカウントに長い文章を載せた。
今日の配信で、コメント欄に「天気」「予報」「雨宮」などの言葉を表示しない設定をしていたのは、事務所の指示でした。
スポンサーの予報と違う情報が流れると困る、という理由でした。
僕も、それでいいと思っていました。
天気のお姉さんと呼ばれている雨宮さんは、この前まで、うちの事務所の専属予報士でした。
雨宮さんがいた五年間、うちのパーティーは魔素嵐で一度も遭難していません。
今日、僕たちを助けてくれたのは、雨宮さんの予報と、熊さんと、灯台の皆さんです。
投稿は、一晩で百万回以上表示された。
"クビにしたのかよ"
"NGワードで命綱切ってたってこと?"
"五年間遭難ゼロの予報士を切ってAIにした事務所"
切り抜きの題名は、どれも似たようなものだ。
【悲報】天気のお姉さん、アルファの事務所にクビにされていた
◇
日曜の夜。
私は、いつもの時間に、いつもの天気予報の配信を始める。
同接は、始まる前から三万人を超えている。
登録者の数は、もう見ないことにした。見ると、手が震えて予報が読めなくなる。
「こんばんは。ダンジョンの天気予報の時間です。まず、昨日の予報の答え合わせからお伝えします」
観測ノートを開く。
予報は、十三時から十四時のあいだ。実際の発生は、十三時六分。
臨時ニュースで言った「あと十分から十五分」は、ぎりぎりで当たった。
「発生の時刻は、予報の範囲に入っていました。ただ、嵐が大階段を上る速さは、私の見立てより少し速かったです。次に同じ形の嵐が来たときのために、記録に残しておきます」
"反省会するとこそこなの"
"三万人の前で答え合わせする予報士"
"それより事務所の話して"
"クビにした事務所、叩いていいよね?"
私は、少しだけ考えてから答える。
「ブレイヴラインには、今も潜っている探索者の方が、百人以上います。その人たちにも、明日の天気は必要です」
だから、私が話せるのは、天気のことだけだ。
「それでは、明日の各層の天気です。第三層は、朝のうち薄い魔霧。昼には晴れるでしょう」
"いつもの声だ"
"傘持ってけおじさん、今日も来たぞ"
◇
月曜の朝、ブレイヴラインの電話は、始業前から鳴り続けている。
「スポンサー三社、全部です。契約の見直しをしたいと」
部下の報告に、黒川は笑顔を作ろうとして、うまくいかない。
「大丈夫。今回のは、ソラミルの一時的な不具合なんだ。うちも被害者だよ。そう説明すれば、分かってもらえる」
午前十時、ブレイヴラインは声明を出した。
予報の誤りは、気象AIの一時的な不具合によるもの。
当社はソラミル社に対し、原因の究明を求める。
その一時間後、ソラミル社が声明を出した。
ブレイヴライン様にご利用いただいていたのは、契約前のお試し版です。
お試し版の利用規約には、第十五層より深い層の予報は参考値である旨を明記しております。
また、逆流型の魔素嵐は、国内の観測記録が一件しかなく、現在のソラミルでは予測の対象外です。
当社は、深層での攻略判断には、専門の予報士の併用を推奨しております。
"お試し版で二十層行ったの?"
"規約読んでない事務所"
"専門の予報士の併用を推奨"
黒川は、会議室のモニターの前で、しばらく動けない。
ホワイトボードの隅には、赤い字の予報が、まだ残っている。
◇
熊谷さんから電話があったのは、その日の夕方だった。
『足は、ひびが入っただけだ。しばらく杖だな』
「よかった……本当に、よかったです」
『しずくちゃん。あの坑道な、十四年前に、俺たちが掘ったんだ』
電話の向こうで、熊谷さんが少しだけ黙る。
『ダンジョンが出てきたばかりのころだ。予報士なんて、一人もいなかった。組合の誰かが、今日は晴れだろうと言った。それを信じて、深く潜った』
坑道の途中で、嵐に追いつかれた。
最後尾を歩いていた仲間が、戻ってこなかった。
熊谷さんは、それだけを短く話した。
『今日、同じ坑道を、今度は全員で上がってきた。……ありがとうな』
「お礼を言うのは、私のほうです。熊谷さんが走ってくれなかったら、アルファの皆さんは坑道に入っていませんでした」
熊谷さんは、低く笑った。
『予報は、当たって初めて誰かの役に立つ、だったか。じいさんの口癖』
「はい」
『今日のは、ちゃんと役に立った。覚えとけ』
電話を切ったあと、スマホに通知が二つ届いていた。
一つは、組合の救助隊の隊長から。
一度、組合の本部に来てもらえないか。今後のことで、相談したい。
もう一つは、神崎さんからだった。
坑道に入る前、雨宮さんの声が聞こえていました。風上に向かって歩けば、きれいな空気がある。だから、入れました。
明日、組合で、隊長と一緒にお待ちしています。
私は、画面の文字を、何度も読み返す。
二回目の配信のころから、ずっと見てくれていた人だ。
画面越しではない場所で、あの人に会うのは、明日が初めてになる。




