第49話 答え合わせ
昼過ぎまで、組合の仮眠室で眠った。
目を覚ますと、枕元に、私のカーディガンが、きちんと畳んで置いてあった。
放送部屋に戻ると、早瀬さんが、世界中から届いた知らせをまとめていた。
どの国からも、同じ言葉が並んでいる。
怪我人、なし。
「第二十一層の階段の下の投光器が、二台、倒れていました。それと、誰かが置き忘れたテントが一張り、第二十層の大広間の端まで飛ばされていたそうです」
「人は」
「いません。みんな、上にいましたから」
早瀬さんは、そう言ってから、少しだけ笑った。
「被害の報告が、投光器とテントだけです。こんなの、初めて見ました」
美羽さんからも、メッセージが届いていた。
昨日の三人組から、灯台の配信に、長いお礼の書き込みがあったという。
階段で伏せたとき、上から伸びてきた手が、いちばん怖くなかった。
そう書いてあった、と。
悠真さんは、それを読んで、何も言わずに、もう一度最初から読み直していたそうだ。
◇
二十一時。
放送部屋の画面に、窓が並んだ。
篠原さんと、クレアさん。世界の予報士たち。岬の灯室。富士吉田の居間。
私は、いつものように、答え合わせから始めた。
「昨日の予報の、答え合わせです」
吹き始めの予報は、十九時ごろ。
実際は、十八時二十二分。
「最初に出した予報は、三十八分、遅すぎました。夕方に六時二十分ごろと直しましたが、まだダンジョンにいた方には、時間が足りなかったと思います。申し訳ありませんでした」
頭を下げた。
顔を上げると、コメント欄が、少しざわついていた。
"いや、直したの吹く四十分前だぞ"
"三人組、上がれたのそれのおかげだろ"
"謝るところが、相変わらずだな"
いちばん強かったのは、二十三時から零時半。予報どおり。
針が赤い線に乗ったのは、二時十四分。予報は、二時ごろ。
富士第零のまわりの霧は、膝の高さで、朝の七時ごろに消えた。
岬の船は、一隻も、海に出ていなかった。
クレアさんが、窓の中で、マグカップを持ち上げた。
『岬の霧は、港の上に、六時間。そのあいだ、海の上には、誰もいませんでした。私の出した霧の注意報の、理由の欄は、まだ空いたままです』
富士吉田の窓では、水野さんが、手帳を開いて見せてくれた。
二十三時、針、右に振れ切る。二時十四分、赤い線。
その下に、小さな字で、晴之さんへ二通目、と書き足してあった。
◇
答え合わせが終わると、コメント欄に、別の言葉が流れ始めた。
"で、結局、何も起きなかったよな"
"行楽日和に一日潜れなかっただけ"
"大げさだったんじゃないの"
それを、別の誰かが、すぐに打ち返していく。
"起きなかったのは、全員上にいたからだろ"
"テント一張りが二十層の端まで飛んでるんだが"
"人が乗ってたらと思うとぞっとする"
私は、どちらにも、何も言わなかった。
言うべきことは、答え合わせの中に、全部入っている。
部屋の後ろで、蓮さんが、スマホの画面を見て、ふっと笑うのが見えた。
◇
「もう一つ、お伝えすることがあります」
早瀬さんが、第二十一層のカメラの映像を、画面に出した。
真っ暗な床に、白っぽい光が、点々と灯っている。
「新しい層の苔が、一晩で育って、光り始めました。アイスランドの新しい層でも、同じだそうです」
ヨウンナさんの窓で、ヨウンナさんが、写真を一枚掲げた。
杉と雨の匂いのする層の床にも、同じ光が散らばっている。
「苔があれば、苔の色で、空が読めます。新しい層の天気も、これからは、ほかの層と同じように予報できます」
部屋の後ろで、熊谷さんが、杖の先で床を一回叩いた。
それが、熊谷さんの拍手だということを、私はもう知っている。
◇
最後に、篠原さんが、少し硬い声で言った。
「気象台と組合で、話を始めています。のどの予報を、どういう形で、正式に出していくか」
「はい」
「雨宮さん。気象台の側で、その仕事をしてみる気は、ありませんか」
コメント欄が、一瞬、止まった。
私は、机の上の祖父の気圧計を見た。
針は、赤い線のまわりで、小さく震えている。
二つの口が、また、静かに息をし始めている。
「ありがとうございます。でも、私は、毎晩九時に、ここで予報を読みます」
篠原さんは、少しだけ目を細めた。
「そう言われる気がしていました。……では、二つの予報で」
「はい。気圧の時刻は、気象台。そこから先は、私です」
◇
「最後に、分からないことを、お伝えします」
富士の口と、岬の口が、なぜ十四年閉じていたのか。
なぜ、あの晩、同じ分に開いたのか。
これから先、また閉じることがあるのか。
「分かりません」
熊谷さんが、部屋の後ろで、小さく鼻を鳴らした。
ひと月前、白い苔の夜に、同じことを言った。
あの夜、熊谷さんは、分からないときに分からないと言えるのは才能だ、と言ってくれた。
「分からないので、毎晩、観測します。世界の七台の針と、二つの口と、世界中の苔で。明日の夜も、九時に、ここで」
締めの言葉を言って、配信を切った。
◇
帰りの廊下で、蓮さんが、さっきのスマホの画面を見せてくれた。
短いメッセージが、一行だけ。
『港、異状なし。いい夜だった』
「父です。灯台の日誌と、同じ書き方なんです」
蓮さんは、照れくさそうに、スマホをしまった。
船が港に着いても、誰もお礼を言わない。
それでいい、と言った人の、一行だった。
「しずくさん」
エレベーターの前で、蓮さんが立ち止まった。
「次の休み、北の港に、来てくれませんか」
「北の港」
「父が、会いたいと言っています。……天気のお姉さんに、ではなくて」
蓮さんは、少しだけ言葉を探してから、続けた。
「俺の、大事な人に」




