↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探索者事務所をクビになった気象予報士ですが、ダンジョンの天気予報配信がなぜか攻略組の命綱になっています  作者: ま
第五章 七つの針

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/50

第50話 明日の天気です




 北の空港に降りると、風の匂いが違った。

 冷たくて、少しだけ塩辛い。

 海が近いのだと、目を閉じていても分かる。


 蓮さんは、借りた車のハンドルを握って、海沿いの道を北へ走った。

 車線を変える前に、鏡を二回見る。

 知らない土地の道でも、それは同じだった。



「緊張してますか」


「少しだけ」


「俺もです。父に、人を紹介するのは、初めてなので」



 膝の上には、祖父の気圧計と、新しいノートが一冊。

 ノートは、空港の売店で買った。表紙は、まだ真っ白だ。




◇




 港町は、坂の下に、小さく固まっていた。

 港の入口の、突き出た岬の先に、白い灯台が立っている。


 蓮さんのお父さんは、灯台の下の、古い官舎の前で待っていた。

 背が高い。蓮さんより、少しだけ低い。

 海の風に何十年も当たってきた顔に、蓮さんと同じ目があった。



「遠いところを、ようこそ」



 お父さんは、それだけ言って、深く頭を下げた。

 私も、同じだけ頭を下げた。

 顔を上げると、二人とも、まだ下げたままだった。



「……父さん」


「ああ」



 蓮さんに言われて、お父さんは、ようやく顔を上げた。

 照れたように、灯台のほうを見る。



「上がりますか。鍵は、まだ預かっているので」




◇




 灯台の中の螺旋階段を、三人で上った。

 灯室は、岬の灯台と同じように、丸い窓に囲まれていた。

 大きなレンズが、昼の光を集めて、静かに光っている。


 窓際の机に、分厚い帳面が積んであった。

 灯台の日誌だ。

 お父さんは、いちばん上の一冊を開いて、私のほうへ向けた。


 一日に一行ずつ、港の天気と、風と、波。

 その行の終わりに、ひと月ほど前から、別の字が書き足してあった。


 東京の予報士、第六層、苔の色、白。

 東京の予報士、富士の足もと、のど。

 東京の予報士、吹き抜け。


 そして、三日前の行。


 港、異状なし。いい夜だった。



「毎晩、見ていました」



 お父さんは、日誌の上に、大きな手を置いた。



「船が港に着いても、誰も灯台守に礼は言わない。それでいいと、ずっと思ってきた。……でも、あなたの予報には、毎晩、礼を言っていました。画面の前で、一人で」



 私は、何も言えなかった。

 ただ、帳面の、細い字の列を見ていた。


 誰も読まないのに、いつか誰かが読むかもしれないから。

 そう言って書き続けた字を、今、私が読んでいる。




◇




 お父さんが、昼の支度をすると言って、先に下りていった。

 灯室には、私と蓮さんだけが残った。


 窓の外に、海が広がっていた。

 空は、高い。

 沖のほうに、薄い巻雲が、筋のように流れている。



「明日の夕方から、少し崩れます。巻雲は、低気圧の先触れなので」


「明日は、晴れないんですか」


「明日の昼までは、晴れます」



 蓮さんは、笑った。

 それから、窓の外を見たまま、静かに言った。



「しずくさん。これから先の予報を、ずっと、隣で聞かせてもらえませんか」



 波の音が、下から上がってきた。

 灯台のレンズが、窓の光を、ゆっくり集めている。



「毎晩の全国版も、地上の天気も。外れた日の、答え合わせも。……隣で」



 私は、膝の上の気圧計を、両手で抱えた。


 針は、赤い線の上で、止まっている。

 この港の近くに、ダンジョンはない。

 それでも、私には、針が少しだけ震えたように見えた。



「……予報を、出します」


「はい」


「晴れ。ところにより、ずっと、隣」



 言ってから、顔が熱くなった。

 蓮さんは、しばらく黙っていた。

 それから、私の手の上に、自分の手を重ねた。



「観測、していきます。ずっと」




◇




 お昼は、お父さんの作った魚の汁だった。

 食べ終わるころ、スマホに、二通のメッセージが届いた。


 一通は、岬のモーラさんから。

 祖父の手紙を、今朝、日本の御殿場の住所へ、航空便で出しました。

 宛名は、カードに書いてあったとおりに。


 もう一通は、母から。

 カナダから手紙が来たら、青い箱に入れておくわね。

 それと、蓮さんに、よろしく。


 蓮さんのお父さんが、汁の椀を置いて、ぽつりと言った。



「御殿場の、おじいさんにも、会ってみたかった」


「祖父も、カナダの岬の灯台に、行ってみたいと言っていたそうです。結局、行けなかったけど」


「なら」



 お父さんは、窓の外の灯台を見上げた。



「あなたが、来てくれた」




◇




 夜の九時。

 官舎の居間の座卓に、組合から借りた持ち運びの機材を並べた。

 画面の向こうの放送部屋では、早瀬さんと熊谷さんが、いつもの場所にいる。


 蓮さんと、お父さんは、部屋の隅に並んで座った。

 同じ姿勢で、同じように、腕を組んでいる。



「こんばんは。全国のダンジョンの天気です」



 各地の予報士の名前を、一人ずつ読んだ。

 世界の予報士の窓も、一つずつ開いた。

 新しい層の苔の色も、二つの口の差の線も、全部、いつもどおりに読んだ。


 最後に、答え合わせをした。

 昨日の予報は、当たった。

 それでも、少しだけずれたところを、正直に言った。


 コメント欄は、最初から、配信の背景の話でもちきりだった。


  "後ろの障子と座卓、どこ?"

  "灯台の官舎らしい、北の"

  "灯台って、そういう"

  "今夜は天気の話をしろ、天気の"


 画面の向こうの放送部屋で、熊谷さんが、杖に顎を乗せたまま言った。



『いい港だな。風の音が、正直だ』




◇




 配信を切ってから、空港で買ったノートを開いた。

 祖父の地上のノートの、続きにするつもりだった。


 一行目に、何を書くか、ずっと考えていた。

 祖父のノートは、いつも、日付と天気と、気圧から始まっていた。

 私も、そうすることにした。


 北の港。晴れ。西の弱い風。

 沖に巻雲。明日の夕方から、崩れる。

 祖父の針、赤い線。


 そこまで書いて、ペンが止まった。

 隣から、蓮さんが、そっと覗き込んでいる。



「最後の行は、何て書くんですか」


「明日の予報です」



 祖父は、ノートの最後に、いつも明日の空を書いていた。

 外れたら、次の日に、自分で謝った。


 私は、ペンを持ち直した。

 明日の朝の、この港の空を、頭の中で、もう一度だけ読む。

 それから、書いた。


 明日、晴れのち、くもり。ところにより、恋。

 予報は、外れません。





↓第5章の番外編「十五本目」(岬の灯台守の孫・モーラ視点。海の向こうの、もう一つの灯台の話)

https://note.com/wise_turtle184/n/n8aae8bc59d5c?app_launch=false

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。