↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探索者事務所をクビになった気象予報士ですが、ダンジョンの天気予報配信がなぜか攻略組の命綱になっています  作者: ま
第五章 七つの針

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
47/50

第47話 吹き抜け




 朝の空は、雲一つなかった。

 駅から組合まで歩くあいだ、風はほとんど吹いていない。

 街路樹の葉が、一枚も揺れていなかった。


 篠原さんの言ったとおりの、ただの行楽日和だ。

 地面の下では、今日、世界でいちばん大きな風が吹く。


 放送部屋に着くと、早瀬さんは、もうノートパソコンを三台並べていた。

 全国版は、昼から流し続ける。

 画面の地図の上に、世界のダンジョンの、地上へ上がった人の数が、少しずつ増えていく。




◇




 昼を過ぎると、各地から知らせが届き始めた。


 富良野の北見さんは、自分の配信で、最後のパーティーが上がったと伝えてきた。

 チリでは、ルシアさんの声で、ダンジョンの入口の門が閉まった。

 アイスランドは、まだ夜明け前だ。それでも、ヨウンナさんは起きていて、台所のテーブルの気圧計を見ていた。


 上がらない人も、いた。

 上の層なら平気だろう、という書き込みが、コメント欄に何度も流れた。



「三時から、灯台が下ります」



 隊長が、無線を手に、部屋の隅に立った。

 救助隊は朝から深い層を、灯台は三時から上の層を、残っている人がいないか見て回る。

 上がってくるのは、十八時半。最後の最後だ。


 美羽さんの配信の窓が、画面の端に開いた。



『灯台、いってきます!』



 蓮さんが、カメラの向こうで、短く手を挙げた。




◇




 四時半を過ぎたころ、美羽さんの配信から、知らない声が聞こえた。

 第四層の、細い通路の奥だった。


 大学の探索サークルの三人組が、まだ苔の写真を撮っていた。

 上の層なら平気だと思った、と、一人が気まずそうに言った。



『一緒に、上がりましょう』



 蓮さんは、それだけ言った。

 怒らなかった。

 三人の荷物を、大河さんが半分持った。


 灯台の歩みが、三人の分だけ、ゆっくりになった。




◇




 五時四十分。

 祖父の気圧計の針が、すうっと左へ寄った。


 予報より、早い。

 私は、画面の端のクレアさんの窓を見た。



『岬の気圧が、この一時間で五ヘクトパスカル下がった。低気圧が、また予報より深まっています』



 早瀬さんが、差の線を引き直す。

 線の先が、さっきより、ぐっと手前で跳ね上がった。


 私は、マイクの前に座り直した。



「予報を、修正します」



 声が、震えないように。

 同接三人の夜から、ずっと、そうしてきたように。



「吹き抜けの始まりは、六時二十分ごろに早まります。まだダンジョンの中にいる方は、今すぐ、いちばん近い上り階段へ。階段の途中で風が来たら、段に伏せて、手を離さないでください」



 美羽さんの配信の向こうで、蓮さんが、こちらを見た気がした。

 灯台は、まだ第三層にいる。




◇




 六時二十二分。

 祖父の針が、大きく、左へ振れた。


 第二十一層の階段の下のカメラが、一瞬で、白く濁った。

 音が、カメラのマイクを叩き割るように鳴っている。

 風だ。苔のない暗い層を、何かが、ものすごい速さで通り抜けていく。


 美羽さんの配信の画面も、大きく揺れた。



『来ました! 蓮さん、風!』



 第三層から第二層への、上り階段の途中だった。

 下の段から、風が、髪を逆立てるように吹き上げてくる。


 蓮さんが、何か叫んだ。

 灯台の四人と、三人組が、いっせいに段に伏せた。


 私は、マイクの前で、針から目を離さなかった。

 ここは、まだ浅い層だ。

 風は、これから、少しずつ強くなる。今がいちばん弱い。



「蓮さん。今なら、上がれます。這ってでも、上へ」



 声が届いたのかどうか、分からなかった。

 画面の中で、蓮さんの手が、三人組の一人の腕をつかんだ。

 大河さんが、もう一人の背中を押した。悠真さんが、いちばん上で、手を伸ばしている。




◇




 六時四十分。

 美羽さんの配信の画面が、急に明るくなった。

 地上の、街の明かりだった。



『……全員、地上です』



 蓮さんの声は、息が切れていた。

 隊長が、無線を下ろして、長い息を吐いた。


 私は、机の下で、自分の膝を強く握っていた。

 手を離すと、指が、少し震えていた。


 三十分ほどして、放送部屋のドアが開いた。

 蓮さんだった。

 髪が、風に逆立てられたまま、あちこちを向いている。



「戻りました」


「……おかえりなさい」



 ほかに言うことは、たくさんあったはずだった。

 でも、出てきたのは、それだけだった。


 蓮さんは、私の机の上の気圧計を見て、それから、私の手を見た。

 まだ震えている指に、何も言わずに、自販機の温かい缶を一本、握らせた。



「針から、目を離さないでください。俺は、後ろにいます」



 蓮さんは、部屋の後ろの、熊谷さんの隣の椅子に座った。

 熊谷さんが、何も言わずに、杖を少しずらして場所を空けた。




◇




 岬の窓に、モーラさんの顔が映ったのは、八時を過ぎたころだった。

 向こうは、嵐の朝だ。

 灯室の丸い窓に、雨が、横から叩きつけている。



『洞窟が、吐いています』



 モーラさんは、カメラを窓の外へ向けた。


 崖の根元の、海の洞窟の口から、白いものが流れ出していた。

 かすかに、光っている。苔の色だ。

 光る霧は、暴風に引きちぎられて、何本もの筋になりながら、入り江の上を、港のほうへ流れていく。


 港には、船が、ぎっしり並んでいた。

 一隻も、海に出ていない。


 灯台の明かりが、回るたびに、光る霧の筋を照らした。

 ショーンさんが、窓のそばの椅子で、日誌に何かを書きつけていた。




◇




 夜の十一時を過ぎると、吹き抜けは、いちばん強くなった。


 富士の麓の渡辺さんから、短いメールが届いた。

 遊歩道の入口は閉めてある。朝まで、村の消防団が、国道沿いの駐車場で見張りをしている、と。


 富士吉田の窓では、水野さんの柱の針が、右に振れ切っていた。

 富士の口が、吸っている。

 東京の祖父の針は、左に振れ切っている。地面の下を、風が通っている。


 同じ風を、二台の針が、反対の言葉で書いていた。


 零時半を過ぎて、クレアさんが、低気圧の中心が岬の南を抜けたと知らせてきた。

 寒冷前線が、岬に近づいている。


 一時五十分。

 祖父の針が、ほんのわずかに、右へ戻り始めた。


 机の上の一台と、画面の窓の中の五台。

 六台の針が、そろって、赤い線のほうへ動き出していた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。