↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探索者事務所をクビになった気象予報士ですが、ダンジョンの天気予報配信がなぜか攻略組の命綱になっています  作者: ま
第四章 富士の足もと

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/50

第40話 富士の天気です




 次の日の朝、富士吉田の病院の窓から、富士山が見えた。

 前線が通ったあとの空は、冷たく澄んでいる。

 頭に、雲は一つもかかっていなかった。


 水野さんは、ベッドの上で、右の足首に白い包帯を巻いていた。

 ひねっただけで、骨は折れていない。

 夜のあいだ冷えたので、念のため一晩だけ泊まったのだという。



「ご迷惑を、おかけしました」



 水野さんは、ベッドの上で、深く頭を下げた。



「大河さんの背中は、測候所の荷揚げの若い衆より、ずっと頼もしかった」



 付き添ってくれた神崎さんが、壁際で小さく笑った。

 大河さんに、伝えておきます、と言う。


 私は、ベッドの横の椅子に座った。

 言いたいことは、昨夜のうちに、たくさん考えてあった。

 けれど、口から出たのは、一つだけだった。



「水野さん。観測は、帰ってくるまでが、観測です」



 水野さんは、目を丸くした。

 それから、ゆっくり笑った。



「晴之さんにも、山頂で、同じことを言われました。……やはり、似ていますね」




◇




 水野さんは、枕元の紙袋を、私のほうへ押した。

 中には、茶色の手帳が、ぎっしり詰まっていた。

 私が借りている一冊を足すと、ちょうど十四年分になる。

 それから、白い封筒が一通。


 表書きは、水野さんの字だった。

 雨宮晴之様。



「宛先が、もう無いのは分かっています。でも、カードには、右に振れたら手紙を書いてくれ、とあった。書かないわけには、いかない」


「読んでも、いいですか」


「そのために、渡すんです」



 封筒を開けた。

 便箋が、一枚だけ入っていた。



『晴之さん。針が右に振れたので、お手紙を書きます。



十四年、針は動きませんでした。毎朝、そう書きました。


あの晩、二十一時九分、右へ。低気圧の朝、四時二分、左へ。九時四十一分、赤い線。


あなたが言っていた、空がまっすぐなところを、初めて見ました。


富士の足もとに、のどがありました。


あなたの孫が、見つけました』


 最後の一行のところで、字が、少し滲んで見えた。

 私は、便箋を、元のように折った。



「お預かりします。祖父の、青い箱に入れます」


「お願いします。十四年、待たせてしまった」




◇




 夜の九時、組合の四階の放送部屋に戻った。

 モニターの片側に、甲府の気象台の会議室の窓が開いている。

 篠原さんが、背広のまま、少し緊張した顔で座っていた。



「こんばんは。全国のダンジョンの天気です」


「まず、昨日の、富士第零の答え合わせです」



 ノートを開く。



「富士第零が大きく吐き始めたのは、四時二分。予報は四時ごろでした。魔素霧が国道を越えたのは、五時三十四分。予報から、四分遅れました」


「寒冷前線が通って、吐くのが止まったのは、九時四十一分。皆さんにはお伝えしていませんでしたが、私はノートに、九時四十五分と書いていました。四分、早かった」



 "四分ずつ"

 "予報の外のことまで答え合わせしなくていいって"

 "いつもの"



「それから、一人、予報の外にいた方がいました。けがは、足首をひねっただけです。昨日の朝、閉鎖の柵の内側で起きたことは、私の予報が届かなかったところです」



 篠原さんが、画面の向こうで、口を開いた。



『気象台からも、一つ。昨日の河口湖の気圧の記録と、富士第零の針の記録は、十分ごとに並べて、気象台に残しました。地上の気圧と、地面の下の空の息を、同じ表に書いたのは、たぶん初めてです』



 篠原さんは、眼鏡を押し上げた。



『雨宮晴之さんの、山頂の記録の続きとして、残させていただきます』



 部屋の後ろで、杖の先が、床を一回叩いた。

 熊谷さんだった。



「じいさんの記録の続きか。……十五年かかって、やっと一本の線になったな」



 小さな声だったのに、マイクが拾った。

 コメント欄に、"熊さんいたのか" と流れた。


 私は、祖父の気圧計を、カメラの前に置いた。

 針は、てっぺんの真ん中の、赤い線のところで止まっている。



「この赤い線は、祖父が筆で引いたものです。子どものころ、何の線かと聞いたら、空がまっすぐなところ、と言われました」


「昨日、その意味が、やっと分かりました。地上の空と、地面の下の空が、どちらにも傾いていないところです。吸うのでも、吐くのでもない」


「祖父は、地上の空と地面の下の空が、いつか同じ一本の線の上に乗ると、知っていたのかもしれません。だから、気圧計の真ん中に、線を引いたんだと思います」



 "じいちゃん……"

 "空がまっすぐなところ、か"

 "富士の天気、これからも出してくれ"




◇




 放送を終えて、組合のビルを出た。

 駅までの道を、神崎さんと並んで歩く。


 空は、昨日の前線のあとで、よく晴れていた。

 ビルの間に、星が三つ、見えた。



「しずくさん。お疲れさまでした」


「……はい」



 信号が、赤に変わった。

 二人で、横断歩道の手前で止まる。


 言うなら、今だと思った。

 これは、予報ではない。見たとおりのことを、言うだけだ。



「蓮さん」



 神崎さんが、こちらを向いた。

 何も言わない。

 ただ、少しだけ、目が大きくなった。



「……ずっと、言いかけていました。冷気流の話じゃなくて」


「知っていました」



 神崎さんは、真面目な顔で言った。



「何回も言いかけて、そのたびに天気の話にしていました」


「数えていたんですか」


「観測していました」



 信号が、青に変わった。

 神崎さん、ではなく、蓮さんが、先に一歩を踏み出した。

 私は、少し遅れて、その隣に並んだ。




◇




 アパートに帰ると、隊長からメールが転送されてきていた。

 組合の窓口に、英語で届いたものだという。


 差出人は、カナダの、ニューファンドランドの岬の町に住む女性だった。

 引退した灯台守の、孫だと書いてある。



『祖父の灯台の、灯室の棚に、赤い線の入った気圧計がありました。裏に、アマミヤさんのカードがあります。祖父は、毎晩、灯台の日誌に針のことを書いていました』



 私は、机の前に座り直した。

 祖父の気圧計の針は、赤い線の上で、静かに止まっている。



『日誌によると、全国版の言う「あの晩」、針は右へ振れていました。日本の時刻に直すと、二十一時九分です』



 二十一時九分。

 富士吉田の針と、同じ。



『富士と同じ時刻です。でも、この岬の近くに、ダンジョンはありません』



 メールの最後の一行は、原文のまま、短く書かれていた。


 There is a cold wind coming out of the sea cave below the lighthouse.


 灯台の下の、海の洞窟から、冷たい風が吹いている。


 のどは、富士の足もとだけでは、なかった。





↓第4章の番外編「動かず」(水野視点。十四年、針を見続けた人の話)

https://note.com/wise_turtle184/n/n44efee8e3d92?app_launch=false

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。