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探索者事務所をクビになった気象予報士ですが、ダンジョンの天気予報配信がなぜか攻略組の命綱になっています  作者: ま
第三章 世界の天気です

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第25話 ガラスの筒




「雨宮さん、久しぶりだね」



 組合の一階のロビーで、黒川さんが立ち上がった。

 前と同じ、感じのいい笑顔だ。

 スーツの襟に、広告代理店の小さなバッジが付いている。


 隣で、隊長が腕を組んでいた。

 朝いちばんに、私を呼びに来たのは隊長だ。



「告知、見てくれたかな。新しい層の、世界同時の生中継」


「見ました」


「単刀直入に言うね。気象監修に、雨宮さんの名前も並べてほしいんだ。ストラトスと、雨宮さん。AIと予報士の、ダブル予報」



 ダブル予報。

 前に、同じ言葉を、同じ人から聞いた。



「中継は、延期できますか」


「日程は動かせない。スポンサーと、世界六か所の中継枠が決まってる」


「なら、名前はお貸しできません」



 黒川さんの笑顔が、少しだけ固くなった。



「ストラトスは、快晴だって言ってるんだよね。数字も、ちゃんと出てる」


「ストラトスは、魔素の空を見ています。新しい層にあるのは、地上の空です。魔素の数字には、出ません」


「じゃあ、雨宮さんの予報は?」


「まだ、出せません。出せるようになったら、全国版で読みます。中継を見る人にも、見ない人にも、同じように」



 黒川さんは、しばらく私を見ていた。

 それから、ふっと息を吐いた。



「僕もね、あれから少しは勉強したんだよ。苔の色の話とか」


「……」


「でも、数字は待ってくれない。じゃあ、また」



 黒川さんの背中を、目で追う。

 あの日も、黒川さんは笑顔だった。

 予報は数字にならない、と言ったときも。


 悪い人ではないのだと思う。

 ただ、数字の出るほうを、まっすぐ見てしまう人なのだ。

 見ていない空にも、数字があれば「快晴」と書けてしまう。


 黒川さんが自動ドアの向こうに消えると、隊長が口を開いた。



「さっき、上で決まった。解禁は、予定どおりの日の正午だ」


「調査の結果は」


「明かりと、帰り道の印を置けば入っていい、という条件を付けた。それしか付けられなかった」



 隊長は、苦い顔をした。



「止めるのは、あんたの予報だけだ」




◇




 夕方の五時、放送部屋で、ヨウンナさんと動画の通話をつないだ。

 向こうは、朝の八時だ。


 画面に、白い髪を短く切った女の人が映った。

 台所の窓の外に、低い灰色の空が見える。

 テーブルの上に、私のと同じ気圧計が置いてある。



「はじめまして、シズク」



 翻訳の字幕が、少し遅れて画面の下に出る。

 声は、思っていたより低くて、温かかった。


 隣の椅子には、早瀬さんが座っている。

 ノートパソコンに、四つの針の記録を並べていた。

 東京、レイキャビク、サンティアゴ。それから、スイスの定点カメラの映像から、早瀬さんが読み取った針の動き。



「四つとも、震え方が同じです」



 早瀬さんが、画面を指した。



「右へ少し、左へ少し。始まったのは、みんな、新しい階段が開いた次の日から。右に寄る時間が、日ごとに少しずつ長くなっています」



 ヨウンナさんが、ゆっくりうなずいた。



「新しい層が、自分で息をし始めた。私は、そう思います」



 ヨウンナさんは、テーブルの上の気圧計を、指で軽く二回叩いた。

 祖父と、同じ癖だった。



「その叩き方……」


「アマミヤさんに教わりました。三十年以上前、日本の山の観測所の集まりで」



 ヨウンナさんは、少し笑った。



「みんなで山道を歩いたとき、彼だけ、ずっと空を見て遅れていました。雲の名前を、一つずつ手帳に書いて。私が待っていると、『空は待ってくれますが、雲は待ってくれません』と言いました」



 祖父の言いそうなことだった。

 画面越しに、二人で少し笑った。




◇




「シズク。裏ぶたを、開けたことはありますか」


「一度だけ。祖父の字を見つけたときに」


「私は、ありません。アマミヤさんの手紙に、開けるなと書いてありました」



 ヨウンナさんは、小さなドライバーを持ち上げた。



「でも、今日は、二人で開けましょう」



 私も、鞄からドライバーを出した。

 画面の向こうと、こちらで、同時にねじを回す。


 裏ぶたを外す。

 歯車と、細い銅線と、小さなガラスの筒。

 前に見たときと、同じだ。


 ヨウンナさんが、筒をそっと傾けた。



「筒の下に、紙が巻いてあります。日本語です。読めません」



 私も、自分の筒を傾けた。

 前に見たときは、気づかなかった。

 筒の下側に、細く切った紙が巻きつけてある。


 祖父の、鉛筆の字だった。


 新宿第一 第一層 苔


 筒の中に、茶色く乾いた、小さなかけらが入っている。

 枯れた葉のように見えていたものが、苔だった。



「……苔です。新宿第一の、第一層の苔」



 字幕が出るのを待って、ヨウンナさんが目を閉じた。



「だから、私の針は、ダンジョンのそばでしか動かなかったのですね」



 銅線は、筒に何重にも巻かれて、針の軸のほうへ伸びている。

 苔は、魔素の流れを感じる。

 祖父は、その苔の感じたものを、針に伝える仕掛けを作ったのだ。


 苔のない層で、この針が震えていた理由が、やっと分かった。

 苔は、無かったのではない。

 私が、首から下げて、持って入っていた。



「十四年も前の、苔……」



 早瀬さんが、かすれた声で言った。



「乾いても、まだ、感じているんですね」




◇




 通話を切ったあと、私は、しばらく筒を見ていた。

 祖父が第一層で苔を摘んだのは、たぶん、出現の年だ。

 まだ、ダンジョンの中に何があるのか、誰も知らなかったころ。


 裏ぶたを閉めて、窓の外を見る。

 西の空が、きれいに晴れていた。

 昨日の夜、地上の天気図で見たとおりだ。高気圧が、ゆっくり東へ進んでくる。


 明日は、関東も、静岡も、一日よく晴れる。

 風も弱い。


 スマホを出して、神崎さんに打った。


 晴れの日を、見つけました。

 明日です。


 返事は、すぐに来た。


 行きましょう。どこがいいですか。


 私は、机の上の気圧計を見た。

 筒の中の、祖父の苔。

 祖父が、毎朝、縁側から見ていた山。


 富士山が、見たいです。

 そう打って、送った。




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何も学ばんな黒川…
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