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探索者事務所をクビになった気象予報士ですが、ダンジョンの天気予報配信がなぜか攻略組の命綱になっています  作者: ま
第二章「右に振れる針」

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20/22

第20話 晴れ、ところにより恋



 朝の六時。窓の外に、雲はひとつもない。


 パソコンで、地上の天気図を開く。

 日本の上に、大きな移動性高気圧が乗っている。等圧線の間隔は広く、風は弱い。

 関東地方は、一日を通して晴れ。明日の夕方から、西から雲が広がる。


 テレビの天気予報と同じ言い方で、頭の中で読み上げてみる。


 机の上で、祖父の気圧計の針は、真ん中に静かに止まっている。

 左にも、右にも振れない。

 ダンジョンは今、吸ってもいないし、吐いてもいない。


 ゆうべ、隊長から連絡があった。

 今日は全国のダンジョンで、組合が新しい層の入口に柵を立てる。探索は、上の層だけにしてもらう。

 全国版は、いつもどおり夜の九時から。それまで、私の仕事はない。


 スマホが震える。美羽さんからだ。


 おはようございます! 蓮さん、たぶん朝から三回くらい、空を見てました。


 続けて、もう一通。


 今日は灯台もお休みです。いってらっしゃい!


 どこへ行くのか、私はまだ聞いていない。




◇




 九時ちょうどに、白いワゴンがアパートの前に停まる。

 運転席の神崎さんは、いつもの探索用の上着ではなく、紺のシャツを着ていた。



「晴れましたね」


「晴れると、言いましたから」



 ワゴンは首都高を抜けて、南へ走る。

 御殿場へ行ったときとは、違う道だ。

 横浜を過ぎると、窓の外に、ときどき海が光る。



「どこへ行くんですか」


「灯台です」



 神崎さんは、前を向いたまま言う。



「父のいた灯台は、遠い北の港なので。いちばん近い灯台にしました」



 三浦半島の先の、小さな灯台だった。

 白い塔が、岬の崖の上に立っている。

 今はもう人はいなくて、明かりは自動で点くのだと、入口の案内板に書いてある。


 螺旋の階段を上りきると、海が全部、見えた。

 空は、どこまでも青い。

 水平線の上に、白い巻雲が、刷毛で掃いたように何本か流れている。



「予報を、お願いします」



 神崎さんが言う。

 私は少しだけ笑って、空に向き直る。



「本日の三浦半島は、高気圧に覆われて、一日を通して晴れるでしょう。沖に見えている筋のような雲は、天気が下り坂に向かうときの最初の雲です。明日の夕方からは雲が広がりやすくなりますので、お出かけの際は、折りたたみの傘があると安心です」


「傘持ってけおじさんが、喜びますね」



 二人で、少し笑う。


 風が、頬に当たる。

 潮の匂いがする。湿り気の少ない、乾いた風だ。

 ダンジョンの中の風とは、匂いが違う。ここには苔も、結露も、魔素もない。


 ——本当に、違うのだろうか。


 ゆうべ観測ノートに書いた一行が、頭から離れない。



「神崎さん。まだ誰にも話していないことが、あるんです」



 神崎さんが、私のほうを向く。

 私は手すりをつかんだまま、話し始める。


 祖父のノートの、最後の一行。空が、地面の下へ押し込まれていくようだ。

 祖父は、見たとおりにしか書かない人だった。だから、あれは、たとえではないのかもしれない。

 ダンジョンに天気があるのは、そこにあるのが、押し込まれた地上の空だから。


 空を吸い込んだぶんだけ、地面の下に、場所が開く。

 十五年前の晩に、最初の層が開いた。

 昨日、溜めた息を吐いて、もう一層開いた。


 話し終えると、喉がからからだった。

 神崎さんは、しばらく黙っていた。それから、ゆっくりと空を見上げる。



「……じゃあ、俺たちは十五年、ずっと地上の空の中を歩いてたんですね」



 その言い方がなんだかおかしくて、私は少しだけ笑う。

 笑ったら、胸のつかえが、ふっと軽くなった。



「全国版で、話しますか」


「まだです」



 私は、首を振る。



「一回目は、祖父が見ました。二回目は、私が見ました。でも、二回で決めたら、祖父に叱られます。三回目を見るまでは、観測ノートにだけ書いておきます」


「三回目は、いつですか」


「分かりません」



 言ってから、自分で少し驚く。

 この一週間、何度この言葉を言っただろう。

 でも今は、言うのが怖くない。



「父も、同じことを言いそうです」



 神崎さんが、手すりに腕をのせる。



「灯台が自動になってからも、父は日誌を付けていました。誰も読まないのにって、母はあきれていた。でも父は、いつか誰かが読むかもしれないからって」


「祖父のノートも、ずっと、押し入れの奥にありました」


「雨宮さんが、読みました」



 神崎さんが、私を見る。



「雨宮さんの読みを、最初に聞けてよかった」



 顔が熱い。

 今日は、縦穴の風のせいにはできない。




◇




 灯台を下りて、岬の先のベンチに座る。

 来る途中のコンビニで買ったおにぎりを、二人で食べる。

 神崎さんは、自動販売機で缶のお茶を二本買ってきた。温かいほうだ。


 海の上を、カモメが風に乗って滑っていく。

 羽ばたかなくても、空気の流れだけで、ずっと同じ高さにいられるらしい。

 あの鳥たちは、私よりずっと上手に、風を読んでいる。


 一時過ぎに、岬を出た。

 駐車場で、ワゴンの鍵を出しながら、神崎さんが言う。



「次の休みも、晴れますか」


「週間予報は、まだ出していません」


「じゃあ、出たら教えてください。晴れの日に、合わせます」



 私は、少しだけ考えてから答える。



「……晴れの日を、探しておきます」



 帰りの車の中で、頭の中の天気予報が、勝手に続きを読み上げる。

 本日の関東地方は、晴れ。

 ところにより——。


 その先は、まだ予報に書けない。

 一回しか観測していないことは、予報にならない。

 祖父が、そう言っていた。


 助手席の窓から、西の空を見る。

 富士山が、小さく、くっきりと見えた。笠雲は、かかっていない。




◇




 夜の八時。組合の四階の放送部屋に入る。

 全国版の準備をしていると、パソコンに、見慣れないメールが一通届いていた。

 英語だ。差出人の名前の後ろに、アイスランド、とある。


 翻訳にかけて、読む。


 日本の全国版を、毎日見ています。私は、レイキャビクの近くのダンジョンの、ただ一人の予報士です。

 昨日、こちらのダンジョンでも、いちばん深い層の奥に、新しい階段が開きました。

 五日前には、三分ほど揺れました。現地時間の、昼の十二時二十分過ぎです。


 日本時間に、直す。

 夜の九時二十分過ぎ。

 全国版の最中に、地図が揺れた、あの時刻だ。


 メールの最後の一行は、翻訳にかけるまでもなかった。

 短い英文だった。


 Our needle swung right, too.


 こちらの針も、右に振れた。


 机の上の、祖父の気圧計を見る。

 針は、真ん中で静かに止まっている。


 あの晩、地面の下へ押し込まれた空は、日本の空だけではなかった。




↓第2章の番外編「小さな字」(早瀬視点。トップページが変わるまでの一晩)

https://note.com/wise_turtle184/n/n0864dc14127a

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