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探索者事務所をクビになった気象予報士ですが、ダンジョンの天気予報配信がなぜか攻略組の命綱になっています  作者: ま
第二章「右に振れる針」

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19/22

第19話 答え合わせ



 夕方の六時を過ぎても、放送部屋の電話は鳴りやまなかった。


 最初は、北見さんだった。



『雨宮さん。うちの一番下の層の奥に、階段がある。昨日までは、壁だったところだ』



 次は、秩父。それから、阿蘇、仙台、松江。

 どの予報士も、同じことを言う。

 いちばん深い層の奥に、昨日までなかった下り階段が開いている。


 ホワイトボードの全国の地図に、赤いペンで印を付けていく。

 七時には、ほとんどのダンジョンに印が付く。

 印の付いたダンジョンに、例外は、一つもない。


 全国のダンジョンが、同じ日に、一層ずつ深くなった。


 上の層の報告も、同じように揃っている。

 白かった苔が、夕方から少しずつ黄緑に戻り始めている。天井には、結露の粒が、また付き始めた。

 吐き出された魔素が、上の層まで戻ってきたのだ。白い凪は、終わった。


 組合の発表を、私が読み上げる。

 新しい層には、当面、誰も入らないこと。

 今度も、「お願い」の形だった。

 けれど、新しい階段を下りたいと言う人は、どのダンジョンにもほとんどいなかった。


 熊谷さんは、壁ぎわで杖に顎を乗せて、地図を見ている。



「十四年潜って、層が増えたのは初めてだ」


「十五年前は、どうだったんですか」


「最初の年は、毎日のように層が増えた、と聞いてる。俺が潜り始めた頃には、もう二十層まであった。それからは、一度も増えてねえ」



 ダンジョンは、最初から深かったわけではない。

 出現した年に、少しずつ開いていった。

 そして、十四年間、止まっていた。


 でも、なぜ開くのかは、誰も知らない。




◇




 九時、全国版の赤いランプが点いた。


 同接の数字は、始まる前から三十万を超えている。

 隣には、早瀬さんが座っている。今日も、灰色のパーカーだ。



「こんばんは。全国のダンジョンの天気です。まず、答え合わせをします」



 この番組は、いつも答え合わせから始める。

 今日も、それは変えない。



「一昨日、吐き出しの始まりは、今日の午前十一時、前後一時間とお伝えしました。実際に始まったのは、十時五十八分です」



 全国版で伝えたのは、十一時、前後一時間。

 吸い終わりの時刻から、私が読み直した真ん中は、十一時十二分だった。

 十四分、早かったことになる。



「幅の中には入りました。でも、吸い終わりの時刻から読み直した真ん中から、十四分ずれています。平らになってから吐くまでを、二つの例から十四時間と読みましたが、今日は十三時間四十六分でした。すみませんでした」



 私は、頭を下げる。

 隣で、早瀬さんも頭を下げている。



「解析を担当した早瀬です。私の線も、同じだけずれていました。それから、会社のトップページに、今朝まで九十九パーセントを出していたことも、お詫びします」



 "十四分で謝るのか"

 "全国版の最初の日は十分で謝ってた"

 "この人たちの予報で、今日一人も死んでないんだが"

 "だから信用できるんだよ"


 "元山岳部:例が三つになった。次はもっと当たる"


 元山岳部さんの言うとおりだ。

 四年前と、あの土曜日と、今日。

 例は、三つになった。

 三つあれば、次は、少しだけ真ん中に近づける。



「もう一つ、予報できなかったことがあります」



 私は、全国の地図を画面に出す。

 赤い印で埋まった、全国のダンジョン。



「全国のダンジョンが、今日、一層ずつ深くなりました。吐き出しのあとに層が増えることは、私は予報できませんでした。なぜ増えたのかも、今は、分かりません。分かったら、この番組でお伝えします」



 分からない、と、また言った。

 白い苔の夜ほど、怖くはない。


 配信を切ったあと、早瀬さんが、パソコンを閉じながら言った。



「次の版には、苔と結露の観測を入れます。各地の予報士さんの数字を、名前付きで。会社に、そう約束させました」



 AIが予報士に取って代わるのではなく、予報士の目を、AIが借りる。

 黒川さんが言った形とは、並べ方が逆だ。


 熊谷さんが、杖をついて立ち上がる。



「しずくちゃん。謝り方が、じいさんに似てきたな」



 熊谷さんは、祖父に会ったことがない。

 私の口から、祖父の口癖を聞いていただけだ。

 それでも、なぜか、そのとおりだと思えた。




◇




 アパートに帰ったのは、十一時過ぎだった。


 灯台の四人は、夕方、地上に戻ってから一度だけ放送部屋に顔を出して、先に帰った。

 誰も、ほとんど口をきかなかった。美羽さんだけが、ドアの前で振り返って、小さく手を振る。

 神崎さんは、何か言いかけて、やめたように見えた。


 机の上に、祖父の気圧計を置く。

 針は、真ん中で止まっている。


 その横に、母に頼んで借りてきた、地上の天気のノートの最後の一冊。

 出現の前の晩の、最後のページを開く。


 二十二時。気圧、急に上がる。近くに高気圧なし。

 二十三時。まだ上がる。富士の上でも同じだと、昔の同僚から電話。

 空が、地面の下へ押し込まれていくようだ。


 何度も読んだ一行だ。

 祖父らしくない、詩みたいな書き方だと思っていた。


 子どもの頃、御殿場の家の縁側で、祖父と富士山を見ていたことがある。

 笠雲がかかると、祖父は必ず洗濯物を取り込んだ。

 なんで分かるの、と訊くと、祖父は笑って言った。見たとおりに書いておけば、空はいつか答えてくれる、と。


 でも、祖父は、観測員だった。

 見たものしか、書かない人だった。


 あの晩、ダンジョンは空を吸った。

 地上の空気を、地面の下へ吸い込んだ。

 吸い込まれた空気は、どこへ行ったのか。

 ペンを持つ手が、止まる。


 ダンジョンの中には、天気がある。

 風が吹き、霧が流れ、嵐が来る。

 地面の下なのに、空と同じように。

 十五年間、それが当たり前だった。


 あそこにあるのは、押し込まれた空なのだ。


 息を吸って、空を押し込む。

 押し込まれた空のぶんだけ、地面の下に、場所が開く。

 十五年前の晩に、最初の層が開いた。

 そして今日、ダンジョンは溜めた息を吐き出して、もう一層、開いた。


 祖父は、あの晩、一回だけそれを見た。

 私は、今日、二回目を見た。


 観測ノートの新しいページに、今日の日付を書く。

 その下に、祖父のように、見たものだけを書いていく。

 十時五十八分、針が左へ。十五時過ぎ、真ん中へ。全国で、一層ずつ深くなる。


 最後に、一行だけ、自分の考えを書き足す。

 吸ったものは、いつか吐く。吐いたあと、ダンジョンは深くなる。


 スマホが震えた。

 神崎さんからのメッセージだ。


 明日、地上は晴れますか。


 窓を開けると、夜の風が、少しだけ冷たい。

 西の空に、雲はない。星が、よく見える。


 私は、天気予報士の顔で、返事を打った。

 晴れます、と。



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