第18話 呼気
朝の六時、クレストダイブの配信が始まった。
新宿第一の入口で、揃いの黒い装備の五人が手を振っている。
同接は、一万と少し。
画面の端の告知には、今も「最新AIの魔素安定度99%」の文字がある。
私は、放送部屋の机で、祖父の気圧計を見ていた。
針は、真ん中で止まったままだ。
今日の全国版は、朝から流し続ける。
組合が、特別に枠をくれた。
隊長は救助隊と一緒に、もう新宿第一に入っている。
七時、美羽さんの配信が始まった。
画面の中で、神崎さんが短く報告する。
灯台と救助隊は、煙突から遠い南の階段を使って、第十九層の西の端まで下りた。
あの土曜日、熊谷さんたちが旧坑道から出てきた、あの出口だ。
地上の電話は、ダンジョンの中には届かない。今日は、美羽さんの配信が、私たちと灯台をつなぐ糸になる。
部屋の隅で、熊谷さんが杖を膝に立てて座っている。
右足は、まだ治りきっていない。
だから今日は、ここにいる。
「坑道の中は、俺がいちばん知ってる。ここから言う」
九時。
全国の予報士から、撤収の報告が届き始めた。
富良野、全員地上へ。秩父、第五層より上に残るのは二組。阿蘇、深層の予約はゼロ。
ボードの名前に、一つずつ丸が付いていく。
十時。
ソラミルのトップページが、急に変わった。
深い層は、警戒。
九十九パーセントの文字が消えている。
下の小さな字に、「解析担当 早瀬」とあった。
少しして、早瀬さんから、短いメッセージが届いた。
一晩かかりました。遅くなって、すみません。
会社を説き伏せるのに、一晩。
あの人も、自分の名前を出して、会社の中で予報を読んでいたのだ。
私は、ありがとうございます、とだけ返した。
◇
十時四十分、クレストダイブが第十九層の北に着いた。
大階段の上だ。
予定より少し早い。正午に第二十層で配信を始めるなら、ここで時間を稼ぐ理由はない。
"大階段だけはやめろ"
"お姉さんの予報見てないのか"
"十時から大階段に近づくなって言ってただろ"
"ソラミルももう警戒に変わってるぞ"
リーダーの男の人が、コメントを読み上げて笑った。
『ご心配ありがとうございます。見てください、ここまでモンスターにほとんど会っていません。AIは九十九パーセントです』
トップページが変わったというコメントも、あの人は読み飛ばした。
ダンジョンの中からは、確かめる方法がない。
五人が、大階段を下り始める。
『雨宮さん』
美羽さんの画面の中で、神崎さんが言った。
『出口で待っています。坑道に入ったら、こっちから声をかけます』
私は、全国版のマイクに向かった。
名指しはしない。
でも、今、大階段にいる人たちに届くように、はっきりと読む。
「新宿第一、第十九層から第二十層の大階段は、これから嵐の通り道になります。今、階段にいる方は、上ではなく、下へ。下りきったら、大広間の西の端、旧坑道へ入ってください」
十時五十八分。
机の上で、針が動く。
真ん中から、左へ。
ゆっくりではない。弾かれたように、大きく。
熊谷さんが、杖をついて立ち上がった。
「来たか」
全国の魔素計の地図が、下から赤く染まっていく。
深い層から、上の層へ。
煙突の形に、細く、まっすぐ。
「吐き出しが始まりました。全国のダンジョンで、逆流型の嵐です。煙突の縦穴から離れてください」
ダンジョンが、息を吐いている。
あの揺れの夜から吸い込んだぶんを、一度に。
◇
クレストダイブの画面が、揺れた。
大階段の下から、白い風が吹き上がってくる。
あの土曜日と同じ色だ。音が、配信のマイクを押しつぶして割れる。
画面の中の五人が、階段の途中で立ちすくむ。
リーダーが、上へ戻ろうと振り返る。
"上はだめ!下!"
"下りきって西!"
"熊さんの坑道!"
カメラを持った若い女の人が、コメント欄を見て叫ぶ。
『下です! 西の坑道!』
五人が、階段を駆け下りる。
白い渦が、その背中のすぐ上を、上へ上へと昇っていく。
煙突の中心は、階段の真ん中だ。端を下りれば、渦の外に出られる。
大広間を、西へ走る。
苔が黄緑に明るい、細い入口。
細い坑道には、上からきれいな空気が流れ込む。
熊谷さんが、画面を睨んだまま言う。
「中ほどで、右の道は落石でふさがってる。左の低い横穴だ。這って行け」
私はその言葉を、そのまま読んだ。
コメント欄に、同じ言葉が何十も流れる。
カメラの女の人が、それを読み上げる。
画面が暗くなる。
岩の天井が、すぐ頭の上にある。
荒い息と、膝を擦る音だけが聞こえる。
"がんばれ"
"左の穴、這って"
"あと少し"
"灯台が出口にいるぞ"
放送部屋の誰も、口をきかない。
私は、机の縁を両手でつかんでいた。
予報は、当てるためだけのものではない。当たったあとに、人が帰ってくるためのものだ。
画面の奥に、小さな明かりが揺れた。
苔の光ではない。懐中電灯の、白い光だ。
十一時二十分。
美羽さんの配信から、神崎さんの声がした。
『出口に、光が見えました。……五人とも、います』
熊谷さんが、長く息を吐いた。
杖を握る手の甲に、血管が浮いていた。
美羽さんの画面に、坑道から這い出してくる五人が映る。
黒い装備は、膝から下が泥だらけだった。
リーダーの男の人は、しばらく地面に手をついたまま動かなかった。
それから顔を上げて、美羽さんのカメラに向かって、深く頭を下げた。
カメラを持っていた女の人は、泣いていた。
全国の報告は、昼を過ぎても途切れない。
秩父の第四層、煙突のそばで二組。仙台の第九層で二組。
どこでも、その土地の予報士が、自分の声で出口を読む。
救助隊と、地元の探索者が、煙突から遠い道で迎えに行く。
『秩父、二組とも第三層に上がりました。煙突から離れてます』
『仙台です。第九層の二組、東の階段で上へ。あと二層』
電話越しの声は、どれも枯れていた。
私は、一つずつ復唱して、地図に丸を付けた。
三時過ぎ、全国の地図から、赤い色が引いていく。
祖父の気圧計の針が、真ん中へ戻る。
探索者は、全員、地上に帰った。
今日、嵐で命を落とした人は、一人もいない。
コメント欄が、「おかえり」の四文字で埋まっていく。
四時、美羽さんの配信に、隊長が映った。
救助隊が、誰も残っていないか、旧坑道を抜けて第二十層の大広間を見回ってきたのだという。
『雨宮さん。大広間の東の窪地の底に、階段がある』
声が、少しかすれていた。
『昨日までは、なかった。下へ続いてる』




