第17話 全国一斉、撤収のお知らせ
九時ちょうど、放送部屋の赤いランプが点く。
同接の数字は、始まる前から二十万を超えている。
部屋の奥に、灯台の四人が並んで座っている。
私が呼んだわけではない。九時前に、神崎さんが三人を呼んだらしい。
美羽さんが、小さく両手を握ってみせる。
画面を、左右に分けた。
左に、ソラミル新版の予報。全国的に晴れ、魔素安定度九十九パーセント。
右に、私の予報。
その下に、名前を二つ並べる。ソラミル社 開発部 早瀬。組合 予報士 雨宮。
隣の椅子で、早瀬さんが背筋を伸ばしている。
灰色のパーカーのままだ。着替える時間はなかった。
「こんばんは。全国のダンジョンの天気です。今夜は、いつもと順番を変えて、先に大事なお知らせをします」
息を吸う。
祖父の気圧計の針は、今も右に振れている。
「明後日の午前十一時、前後一時間。全国のダンジョンで、深い層から上へ、魔素が吐き出されるおそれがあります。逆流型の嵐です。規模は分かりません」
"は?"
"全国で?"
"明後日って、クレストダイブの日じゃん"
"ソラミルの人が隣にいる"
根拠も、全部話した。
一週間前から、ダンジョンが息を吸っていたこと。
吸い終わってから吐くまでの時間は、二つの例から出したこと。
二例では、本当は予報に使える数ではないこと。
早瀬さんが、マイクに顔を寄せる。
「ソラミルの解析を担当している早瀬です。会社の予報は、九十九パーセントのままです。上の層だけを見れば、それは間違っていません。でも、深い層の数字は、私も雨宮さんと同じように読みます。外れたら、私も謝ります」
コメントの流れが、一瞬、止まったように見えた。
◇
ここからは、私ひとりでは読まない。
今日一日で集まった、全国の煙突の地図。
それを、それぞれのダンジョンの予報士に、電話で、自分の声で読んでもらう。
『富良野ダンジョン、予報士の北見です』
最初は、北見さんだった。
電話越しの声が、少しだけ震えている。
『明後日、朝九時までに、第五層より下から上がってください。十時からは、一層の北の縦穴と、三層の古い井戸のそばに近づかないでください。……十年やってきて、こんなにたくさんの人に予報を読むのは、初めてです』
秩父、阿蘇、仙台、松江。
名前と、ダンジョンの名前と、煙突の場所と、撤収の時刻。
声の高さも、訛りも、一人ずつ違う。
ずっと一人で予報を出してきた人たちだ。
外れても、誰にも言えなかった人たちだ。
その人たちが、今夜は、同じ時刻を、同じ画面で読んでいる。
"うちの地元の予報士、初めて声聞いた"
"全員同じ時刻言ってる"
"これ、全国一斉の撤収だ"
"傘持ってけおじさん:みんな、上に上がれ"
最後に、新宿第一を私が読んだ。
煙突は三本。第一層の北のいちばん太い穴、東の区域、南の古い水路の脇。
大階段には、明後日の十時から近づかないこと。
熊谷さんが、壁ぎわで杖に体を預けて、黙ってうなずいていた。
◇
次の日、全国のダンジョンの入口に、組合の貼り紙が出た。
明日、第五層より深くへの立ち入りを控えてください。
やはり、「お願い」だ。
組合には、それしか出せない。
それでも、深い層の予約は、昼までに九割が取り消された。
昼過ぎに、新宿第一の入口まで行ってみた。
改札のような受付の前で、貼り紙を読んで引き返すパーティーがいる。装備を担いだまま、入口の脇で配信のアーカイブを見返している人たちもいる。
若い四人組の一人が、私に気づいて駆け寄ってきた。
明日、第八層まで行くつもりだったのだという。
「上だけにします。十時までに出ます」
それだけ言って、仲間のところへ戻っていく。
私は、その背中に頭を下げた。
残りの一割のことは、考えないようにしても、頭から離れない。
記録を狙う人、予約を取り消せない人、組合の貼り紙を読まない人。
全員を上に上げることは、予報にはできない。
クレストダイブだけは、声明を出した。
予定どおり決行します。最新AIの予報は、魔素安定度九十九パーセントです。
ソラミルのトップページは、まだ変わっていない。
早瀬さんは、朝から会社に呼ばれたまま、連絡がない。
夕方の六時、画面の端で、別の配信が始まった。
アルファの、氷室さんだ。
新宿第一の第三層。
約束どおり、上の層にいる。
白い苔の前に、四人が並んで立っていた。
『今日は、コメント欄のNGワードを、全部外しました』
明るい髪の氷室さんが、カメラをまっすぐ見る。
『天気。予報。雨宮。魔素嵐。この前まで、俺たちの配信では言えなかった言葉です。今日は、俺の口で言います』
同接の数字が、みるみる増えていく。
数万人が、氷室さんの声を聞いている。
『明日、十一時。前後一時間。深い層から、嵐が吐き出されるかもしれない。雨宮さんの予報です。俺たちは、二十層で一度、その人の予報を笑った。熊さんに助けられて、やっと帰ってこられた』
氷室さんは、少しだけ言葉を切った。
『クレストダイブの皆さん。俺たちも、あの日、九十パーセントを超える数字を信じてました。行かないでください。行くなら、せめて十時までに大階段から離れてください』
放送部屋で、熊谷さんが、小さく鼻を鳴らした。
「……あの馬鹿。ちゃんと言えるじゃねえか」
◇
その夜の全国版は、九時から始まった。
答え合わせから入る。
昨日の予報に、まだ答えは出ていない。
だから、今日の数字だけを、そのまま読んだ。
深い層の魔素の上がり方は、今日も鈍っている。
明日の朝までに平らになるのか、それとも、もっと早いのか。
九時十二分。
机の真ん中で、祖父の気圧計の針が、かすかに動いた。
右に振れたまま、三日動かなかった針が。
ゆっくりと、真ん中へ戻っていく。
吸い終わったのだ。
早瀬さんの線と、ほとんど同じ時刻に。
祖父から譲られてから、この針は、嵐の前に左へ振れるだけだった。三日前に初めて右へ振れて、今、真ん中にいる。
次に動くときは、左だ。祖父の手紙の言葉が、頭の中で繰り返される。吸ったものは、いつか吐く。
"針戻った?"
"真ん中にある"
"時刻どおりじゃん"
"当たってほしくない予報が当たっていく"
私は、マイクに向かって、それをそのまま伝えた。
声が震えないように、祖父の口癖を、心の中で一度だけ唱える。
クレストダイブの告知には、新しい一行が足されていた。
明朝六時、潜行開始。
針が、真ん中で止まる。
ここから、十四時間。




