第2話 同接三人の天気予報
その朝、神崎蓮は、新宿第一ダンジョン第十二層の入口で腕を組んでいた。
「で、美羽。その天気予報ってのは、どこの誰がやってるんだ」
「知らない人です。昨日の夜、たまたまおすすめに出てきて」
回復役の美羽が、スマホの画面をこちらに向ける。
昨夜の配信のアーカイブだ。再生数は、たったの七。
画面の中で、地味なカーディガンを着た女性が、手描きの図を掲げて淡々と話している。
『第十二層。午後二時ごろから、局地的に強い魔素嵐となるでしょう。降魔確率は八十パーセント』
「八十パーって、ずいぶん強気だな」
槍使いの大河が、鼻で笑った。
「組合の魔素計じゃ、今日の十二層は穏やかって出てたぞ。今話題のソラミルとかいうAIも、晴れだって」
「でも、なんか、この人の言い方、嘘っぽくないんですよね」
美羽は、画面の女性の手元を指さす。
「ほら、この図。魔素計の数値の横に、苔の色とか、天井の水滴の量とかまで書いてあるんです。適当に言ってる人は、こんなの書かないと思う」
蓮は、画面を覗き込む。
確かに、図は細かい。
第十二層の地形の特徴。三日前からの魔素計の推移。北側の通路の苔が、黄緑から灰色に変わり始めていること。
蓮は、先週この層を歩いたときのことを思い出す。
北側の通路。言われてみれば、苔の色がくすんでいたような気がする。
蓮たちのパーティー「灯台」は、四人組の中堅パーティーだ。派手な戦果はないが、そのかわり、一度も仲間を失ったことがない。
それが、リーダーである蓮の唯一の誇りだった。
四人の役割ははっきりしている。槍の大河が前に立ち、斥候の悠真が罠を探し、美羽が傷を癒やし、蓮が全体を見て引き際を決める。
名前の由来は、蓮の父親が港町の灯台守だったことだ。暗い海で、船を港へ帰すための明かり。仲間を必ず地上へ帰す、という意味を込めて、蓮がつけた。
配信もしている。けれど同接はいつも五十人前後で、投げ銭で装備代がまかなえる月は少ない。
大手事務所のアルファのように、深層を派手に攻略して何万人も集める配信とは、まるで別の世界だ。
「……今日の探索、昼までに切り上げる」
「えっ、マジで?」
「採集の目標は、午前中でもぎりぎり届く。もし何もなければ、損するのは半日だけだ」
大河は不満そうに頭をかいたが、それ以上は何も言わなかった。
この慎重さのおかげで生き残ってきたことを、全員が知っている。
◇
昼の十二時半。
灯台の四人は、予定より早く地上に戻る。
十三時五十分。
ダンジョン管理組合の休憩所で、遅い昼食をとっている。
十四時。
休憩所の壁の大型モニターが、けたたましい警報音を鳴らした。
【第十二層 大規模魔素嵐発生 立入禁止】
蓮の手から、割り箸が落ちる。
休憩所が騒然となった。
組合の職員が走り回り、救助隊の招集が始まる。第十二層に残っていたパーティーの名前が、次々とモニターに映し出されていく。
「……おい」
大河が、青ざめた顔で呟く。
「俺ら、あのまま潜ってたら」
「言うな」
蓮は、落ちた割り箸を拾う。
指先が、かすかに震えている。
美羽が、小さな声で言った。
「……当たりましたね」
警報の鳴りやまない休憩所で、蓮は、昨夜のアーカイブを開き、コメント欄に一行だけ書き込んだ。
午前中で撤収しました。ありがとうございました。
◇
雨宮しずくは、アパートの床に正座して、スマホの画面を見つめていた。
昨夜のアーカイブの再生数は、二百四十を超えている。
コメントは、三十件。
"マジで当たってるじゃん"
"ニュース見てから来た"
"まぐれでしょ"
"十四時ジャストは怖すぎる"
"午前中で撤収しました。ありがとうございました"
最後のコメントを、何度も読み返す。
ハローワークからの帰り道、ニュースの続報を見た。
第十二層の嵐に巻き込まれたパーティーは、全員が救助された。怪我人は出たけれど、命を落とした人はいない。
それだけで、胸の奥がゆるむ。
祖父の気圧計の前に、ノートを広げる。
祖父は、よく言っていた。
予報は、当たって初めて、誰かの役に立つ。
外れたら、ちゃんと謝る。
それを毎日、続けるんだ。
「……毎日、か」
私は、配信のスケジュール欄を開く。
毎晩、九時。
明日の各層の天気を、十五分だけ。
それなら、できる。
予報を出すのは、五年間、毎日やってきたことだから。
◇
その日の午後、私は予報の精度を確かめるために、魔素計のログを朝から晩まで見直した。
十二層の嵐の発生は、予報より二分早い十三時五十八分。規模は、五年間の記録の中でも三番目に大きい。予報としては合格点だけれど、二分のずれは、深層では命取りになることもある。
ノートの余白に、ずれの原因になりそうな数値を書き出していく。気づけば、夕方になっていた。
二回目の配信を始めると、画面右上の数字は、すぐに二桁になった。
「こんばんは。ダンジョン気象予報士の雨宮しずくです。まずは、昨日の予報の振り返りから」
"きたきた"
"本物だ"
"昨日の予報の人?"
"声が落ち着く"
同接、三十八。
昨日の十倍以上だ。
「昨日お伝えした第十二層の魔素嵐は、十三時五十八分に発生しました。予報より、二分早かったことになります。巻き込まれた皆さん全員が、無事に救助されたそうです。本当に、よかったです」
"ほんとによかった"
"なんで分かったの?"
"まぐれじゃないなら理屈を教えてくれ"
「理屈、ですね」
私は、昨日の手描きの図をもう一度カメラに向ける。
「魔素嵐の前には、いくつか決まった兆しがあります。一つは、魔素計の針の揺れ方。数値の大きさよりも、揺れの細かさを見ます。二つ目は、苔の色です。ダンジョンの苔は魔素の濃さに敏感で、嵐の三日ほど前から、黄緑が灰色にくすんでいきます。三つ目は、天井の結露。嵐の半日前になると、水滴の粒が急に大きくなります」
"へえー"
"苔の色とか初めて聞いた"
"元山岳部だけど、山の観天望気と同じ発想だな"
"観天望気って何"
"雲とか風で天気を読むやつ"
元山岳部さんのコメントに、少しだけ嬉しくなる。
「そうです。山の天気を空の様子から読むのと、考え方は同じです。私はこれを、祖父に習いました」
それから、明日と明後日の予報を読み上げていく。
第三層、穏やか。
第五層、夕方から弱い重力雨。
第八層、明後日の昼ごろから、濃い魔霧の恐れ。
コメントが、また一つ流れてきた。
"灯台の神崎です。昨日はありがとうございました。明日、第八層に潜る予定です。霧が出始めるのは、明後日で間違いないでしょうか"
灯台。
昨日の、撤収しましたのコメントの人だ。
「神崎さん、ご無事で何よりでした。現時点のデータでは、第八層の魔霧は明後日の正午ごろからです。明日の探索でしたら、夕方までに撤収すれば影響はないと思います。ただ」
私は、手元の魔素計の記録を見直す。
ほんの少しだけ、気になる揺れがある。
「予報が変わった場合は、すぐにお知らせします。明日の昼ごろ、もう一度データを確認させてください」
"了解です。昼に配信を確認します"
同接の最高は、五十二人。
配信を終えると、投げ銭の通知が一件だけ届いていた。
三百円。
名前の欄には、「傘持ってけおじさん」とあった。
◇
深夜二時。
喉が渇いて目を覚ました私は、台所で水を一杯飲む。
部屋に戻る途中、机の上の祖父の気圧計が目に入った。
足が止まる。
針が、寝る前よりも、はっきりと左に振れていた。
地上の気圧ではない。
この気圧計は、地下と連動させた魔素計のそばに置くと、魔素の流れにも反応する。祖父が改造したものだ。
慌てて魔素計のログを開く。
第八層の数値が、夜のうちに、ありえない速さで上がっている。
「……早すぎる」
明後日の正午のはずだった魔霧が、動いている。
この速さなら、霧が第八層を覆うのは明日の昼過ぎ。
神崎さんたちが、ちょうど潜っている時間だ。




