第3話 臨時ニュースをお伝えします
朝の七時。
私は、昨夜の配信のコメント欄に、固定の書き込みを残した。
【予報修正】第八層の魔霧は、本日の昼過ぎ、十三時前後に前倒しとなる見込みです。第八層への立ち入りは、午前中で切り上げてください。
それから、神崎さんのアカウントに直接メッセージを送る。
返事はない。
ダンジョンの中では、地上の通信はほとんど届かない。
届くのは、探索者の配信の回線だけだ。
灯台の四人は、朝の六時にはもう潜っているはずだ。
私は、机の上の魔素計と気圧計を並べて、ノートにデータを書き写していく。
針は、一時間ごとに少しずつ左へ傾いていく。
霧は、確実に近づいている。
◇
十一時半。
神崎さんたちのパーティーが、探索の様子を配信していることに気づいたのは、美羽という名前の回復役の方のアカウントからだった。
昨夜の配信にも、コメントをくれていた人だ。
【灯台】第八層・採集回【のんびり】
同接は、四十人ほど。
画面の中では、四人が薄暗い通路を慎重に進んでいる。石壁に生えた光る苔が、ぼんやりと足元を照らしていた。
私は、画面に顔を近づける。
苔の色が、灰色にくすんでいる。
天井から垂れる水滴が、大きい。
そして、通路の奥が、ほんのわずかに白く霞み始めている。
予想より、さらに早い。
私は、自分の配信を開いた。
タイトルを打ち込む手が、少しだけ震える。
【臨時ニュース】第八層 魔霧の急接近について
「臨時ニュースをお伝えします」
同接の数字が、みるみる増えていく。
昨夜の配信を見ていた人たちに、通知が届いたのだ。
"臨時ニュース!?"
"何があった"
"第八層って灯台が今潜ってるとこじゃない?"
「新宿第一ダンジョン第八層に、濃い魔霧が急速に近づいています。発生は、およそ三十分後。霧が出ると、視界は一メートル以下になり、方向感覚を失います。第八層にいる皆さんは、今すぐ撤収を始めてください」
"灯台の配信にこれ貼ってくる"
"俺も行く"
"急げ"
視聴者たちが、次々と動き始めた。
◇
灯台の配信のコメント欄が、一気に流れ始める。
"天気のお姉さんが臨時ニュースやってる!"
"八層に霧が来る! すぐ出ろ!"
"三十分後だって"
画面の中で、神崎さんが足を止めた。
ポケットから携帯端末を取り出し、コメントを読んでいる。
『……予報が、前倒しになったってことか』
神崎さんの声が、配信を通して聞こえてくる。
顔を上げた神崎さんの向こうで、通路の奥の白い霞が、さっきよりも濃くなっていた。
『撤収する。大河、先頭。来た道を戻るぞ』
四人が、走り始める。
私は、自分の配信の画面に、灯台の配信の映像を並べて映した。
カメラに向かって、できるだけ落ち着いた声で話す。
「灯台の皆さん。聞こえていたら、そのまま聞いてください。霧は、北東の通路から流れ込んでいます。来た道は北東寄りなので、途中で霧に追いつかれます」
"お姉さんの声、灯台に届いてる?"
"コメントで流す!"
"文字にして貼るわ"
視聴者の誰かが、私の言葉を文字に起こして、灯台のコメント欄に流してくれる。
画面の中で、神崎さんが立ち止まった。
「霧は、冷たい空気と一緒に、低いところへ流れます。高いところへ逃げてください。第八層の南側に、上りの階段があるはずです。北東とは逆方向。風上です」
"南の上り階段! 風上!"
"お姉さんが南へ行けって"
神崎さんが、一瞬だけ迷う。
南側の通路は、まだ誰も踏んでいない、地図の薄い区域だ。
『蓮、来た道のほうが確実だろ。南は罠の情報もないぞ』
大河さんの声が、配信越しに聞こえる。もっともな意見だ。知らない道を霧の中で進むのは、それだけで危険が倍になる。
斥候役の悠真さんが、黙って神崎さんの顔を見ている。美羽さんは、地図の端末を握りしめたまま動かない。
四人の判断を決めるのは、リーダーの神崎さんだ。
画面越しに、私は祈るような気持ちで待つ。
私にできるのは、空を読むところまでだ。そこから先を選ぶのは、潜っている人たち自身なのだから。
神崎さんは、目を閉じて、一度だけ深く息を吸った。
それから、頷いた。
『南だ。美羽、地図を出してくれ』
◇
十二時十分。
灯台の配信の画面が、白く霞み始める。
カメラのレンズに、細かい水滴がついていく。
"やばいやばいやばい"
"画面真っ白になってきた"
"がんばれ"
「大丈夫です。霧の先端が来ても、すぐには濃くなりません。今は、足元の苔の光を目印にしてください。光が強いほうが、魔素の薄い、つまり霧の流れてこないほうです」
"苔の光を見ろって!"
"光の強い方へ"
画面の中で、神崎さんがしゃがみ込み、足元の苔を確かめる。
右側の壁の苔が、わずかに明るい。
『右だ。光の強いほうへ』
四人が、右の通路へ曲がる。
私は、灯台の映像から目を離さない。
通路の天井。
壁の苔。
レンズについた水滴の粒の大きさ。
霧の流れを、読む。
「その先、二つ目の分かれ道を左です。左の通路のほうが、天井が高い。霧は低いところに溜まります」
"二つ目を左!"
"天井高い方"
同接の数字が、いつのまにか四桁になっていた。
灯台の配信の同接も、跳ね上がっている。
二つの配信を、何千人もの人が、息を詰めて見守っている。
◇
十二時三十四分。
灯台の配信の画面に、石造りの上り階段が映った。
『……あった』
神崎さんの、かすれた声。
『階段だ。上るぞ』
四人が、階段を駆け上がっていく。
一段上るごとに、画面の白い霞が薄くなっていく。
第七層の踊り場に出たところで、四人はその場に座り込んだ。
振り返ったカメラの向こう、第八層へ続く階段の下は、もう真っ白な霧に沈んでいた。
"出たあああああ!"
"よかった!!"
"泣いた"
"お姉さんすげえ"
"灯台も判断早かった"
コメント欄が、祝福の言葉で埋まっていく。
私は、椅子の背もたれに体を預けた。手のひらが、汗でびっしょりだった。
気づけば、机の上のペンを握りしめすぎて、指の形がくっきりと赤く残っている。
事務所にいたころは、予報を出したら、それで終わりだった。嵐が来る時刻を伝え、撤収の判断はパーティーに任せる。結果を知るのは、翌日の報告書を読んでからだ。
目の前で、予報が誰かの足を動かすのを見たのは、初めてだった。
画面の中で、神崎さんが、ゆっくりとカメラのほうを向く。
『……天気予報の、雨宮さん。聞こえているかどうか分かりませんが』
息を整えて、神崎さんは深く頭を下げた。
『ありがとうございました。灯台は、全員無事です』
◇
臨時ニュースの配信を終えたとき、同接の最高は二千百人を超えていた。
登録者の数は、昨日の五十人から、四千人になっている。
通知が鳴りやまない。
SNSのトレンドの欄に、見慣れない言葉が並んでいた。
#天気のお姉さん
#ダンジョン天気予報
私は、スマホを伏せて、机の上の気圧計を見る。
針は、少しずつ右に戻り始めていた。
第八層の霧は、夕方には抜けるだろう。
「……よかった」
小さく呟いて、ようやく少しだけ笑えた。
◇
同じころ。
ブレイヴラインの事務所の会議室で、黒川マネージャーは、部下が差し出したタブレットを覗き込んでいた。
画面には、臨時ニュースの配信の切り抜き動画が映っている。
再生数は、すでに五十万を超えていた。
「……この雨宮って」
黒川さんは、動画の中の女性の顔を、じっと見つめる。
地味なカーディガン。手描きの図。祖父の形見だという、古い気圧計。
「この前うちがクビにした、予報士だよね」




