第1話 予報は、外れません
「明日、第十二層は午後二時ごろから魔素嵐。降魔確率は八十パーセントです。探索の予定は、午前中で切り上げてください」
会議室のホワイトボードの前で、私はいつものように予報を読み上げる。
長机の向こうで、黒川マネージャーが頬杖をついたまま欠伸をかみ殺した。
先月、広告代理店から引き抜かれてきた人だ。
細身のスーツに、手首で光る高そうな時計。ダンジョンの中に一度も入ったことがないのは、革靴の底を見れば分かる。
「で、それって何円になるの?」
「……はい?」
「雨宮さんの予報。それで、うちの事務所にいくら入るのって聞いてるの」
私は、手元の観測データの束を握りしめる。
ここは大手探索者事務所「ブレイヴライン」。所属する探索者は百人を超え、看板パーティーの「アルファ」はダンジョン攻略配信で同時接続数万人を集める。
そして私、雨宮しずくは、この事務所の専属気象予報士だ。
十五年前、世界中にダンジョンが現れた。
地下へと続く石造りの迷宮。モンスターと罠と、地上には存在しない資源。
そして、地上とはまるで違う「天気」。
ダンジョンの中には風が吹き、霧が立ち、嵐が起きる。
なかでも怖いのが、魔素嵐だ。魔力の濃い空気が渦を巻き、視界と方向感覚を根こそぎ奪っていく。巻き込まれたモンスターは凶暴化し、探索者は出口を見失う。
ダンジョンでの遭難事故の、六割がこの魔素嵐によるものだと言われている。
その嵐を、前もって読む。
それが、ダンジョン気象予報士の仕事だ。
「予報そのものは、売り物ではありません。でも、嵐を避けられれば、探索者の皆さんの装備も、命も守れます。五年間、うちの所属パーティーで魔素嵐による遭難はゼロです」
「うん、それはすごいと思うよ。でもね」
黒川さんは、タブレットをくるりと回してこちらに向ける。
画面には、見慣れないロゴが映っている。
青い空の円に、白い稲妻。
「ダンジョン気象AI。来月から、うちはこれと契約する。各層の魔素計のデータを自動で解析して、予報を出してくれるんだって。月額制で、雨宮さんのお給料の三分の一」
「それは……」
「数字の取れない天気予報に、正社員の枠は割けないんだよ。悪いけど、今月いっぱいでお願いできるかな。有給が残ってるでしょ。明日からは消化してもらっていいから」
黒川さんは、にこりと笑う。
笑顔だけは、とても感じのいい人だ。
◇
荷物をまとめるのに、三十分もかからない。
五年分の観測ノートが十二冊。
予報用の魔素計が二台。
そして、祖父の形見のアネロイド気圧計。
真鍮の縁に、細かな傷がたくさんついている。
祖父は昔、富士山の測候所で気象の観測をしていた人だ。私が予報士を目指したのも、この気圧計の針が動くのを、小さいころから飽きずに眺めていたからだった。
「しずくちゃん、本当に辞めちゃうのかい」
廊下で声をかけてきたのは、ベテラン探索者の熊谷さんだった。
五十を過ぎても現役で潜り続けている、事務所で一番古い人だ。
「辞めるというか、辞めさせられるというか」
「あの若いのは、何も分かっちゃいないんだよ。嵐の日に俺らが無事に帰ってこられるのは、誰のおかげだと思ってるんだか」
「ありがとうございます。でも、AIの予報も、きっと精度は上がっていきますから」
本心だ。
技術は進歩する。いつか、私の仕事は機械に置き換わるのかもしれない。
ただ、一つだけ気がかりなことがある。
私は事務所のホワイトボードの前に戻り、赤いマーカーを取った。
明日の予報を、大きく書いておく。
明日 十四時ごろ 第十二層 魔素嵐。
降魔確率八十パーセント。
午前中で撤収を。
「……それ、誰が見るんだよ」
通りがかった男が、鼻で笑う。
アルファのリーダー、氷室さんだ。明るく染めた髪に、配信映えのする派手な装備。
「ソラミルのお試し版だと、明日の十二層は晴れだってさ。雨宮さんの予報、最近外れてばっかじゃない?」
「一度も外れていません」
「はいはい」
氷室さんは、手をひらひらと振って歩き去る。
私はマーカーの蓋を閉めて、ホワイトボードに一礼した。
五年間、お世話になりました。
◇
外に出ると、地上は小雨だった。
予報どおりだ。
傘を差して駅まで歩きながら、私は明日からのことを考える。
貯金は、半年くらいなら持つ。
ダンジョン気象予報士を雇っている事務所は、全国でも数えるほどしかない。ソラミルのようなAIが広まれば、その数はもっと減るだろう。
アパートに帰り着くと、机の上に祖父の気圧計を置いた。
窓の外では、西の空の雲が、少しずつ切れ始めている。
地上の天気は、明日には回復するだろう。
地下の天気は、違う。
明日の十四時、第十二層は荒れる。
魔素計の値も、苔の色の変わり方も、先週から同じ兆しを示している。五年間見てきた中でも、かなり大きな嵐になるはずだ。
あのホワイトボードを、誰か見てくれるだろうか。
「……見てくれる人が、いればいいんだけど」
ふと、机の隅に置きっぱなしのスマホに目が止まる。
学生時代の友人に勧められて、一度だけ作ったまま放置している配信用のアカウント。
ダンジョン配信は、今や一大産業だ。
探索者は攻略の様子を配信し、視聴者は投げ銭で応援する。事務所の稼ぎ頭であるアルファも、ほとんどの収入を配信から得ている。
でも、天気予報を配信している人は、見たことがない。
私は、しばらくスマホを見つめた。
それから、観測ノートを開き、魔素計のデータを書き写し、原稿を三枚にまとめる。
夜の九時。
配信のタイトルを、一文字ずつ打ち込んでいく。
【ダンジョン天気予報】明日の各層の天気です
配信開始のボタンを押す。
◇
画面の右上の数字は、「1」。
私自身の端末の分だ。
カメラの前で、背筋を伸ばす。
事務所の会議室でやっていたのと、同じように。
「こんばんは。ダンジョン気象予報士の雨宮しずくです。明日の、各地のダンジョンの天気をお伝えします」
数字が、「2」に変わる。
"天気予報?"
初めてのコメントだった。
「まずは関東の主要ダンジョンから。新宿第一ダンジョン、第一層から第五層までは穏やかな一日となりそうです。第六層以降、夕方にかけて魔霧が出やすくなります。視界が悪くなりますので、ロープの準備をお勧めします」
数字が、「3」に変わる。
"ダンジョンの天気ってこと?"
"声がニュースの人だ"
"なにこれ新ジャンル"
「そして、明日もっとも注意が必要なのが、こちらです」
私は、手描きの層別の図をカメラに向けた。
「第十二層。午後二時ごろから、局地的に強い魔素嵐となるでしょう。降魔確率は八十パーセント。探索のご予定がある方は、午前中のうちに撤収してください。繰り返します。第十二層、十四時以降は、立ち入らないでください」
"けっこう具体的だな"
"外れたらどうすんの"
"とりあえず見とく"
同接三人。
たぶん、三人とも暇つぶしだ。
それでもいい。
一人でも、嵐を避けてくれるなら。
「以上、明日のダンジョンの天気でした。どうか皆さん、無事に帰ってきてください。雨宮しずくでした」
配信を切る。
部屋が、急に静かになった。
同接の最高は三人。
コメントは六件。
投げ銭は、もちろんゼロ。
私はベッドに倒れ込んで、天井を見上げた。
「……何やってるんだろ、私」
◇
翌日の午後。
私はハローワークの待合室で、番号札を握っていた。
壁の時計が、十四時を指す。
手元のスマホが、ぶるりと震えた。
ニュースアプリの通知だった。
【速報】新宿第一ダンジョン第十二層で大規模な魔素嵐 探索者多数と連絡取れず
息が止まる。
震える指で、通知を開く。
記事によれば、嵐は十四時の少し前に発生した。第十二層にいた探索者は十数名。そのうちの何人かは、ついさっき、無事に地上へ戻ったという。
昨日の配信のアーカイブに、新しいコメントが一件、ついていた。
"当たってる……"
その一分後に、もう一件。
"午前中で撤収しました。ありがとうございました"
私はスマホを握りしめたまま、待合室の椅子の上で、しばらく動けなかった。




