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第37話 崩れない日常

私は看板を指さし

「あそこです」


男性は表情をやわらげた。


「ああ、田所さんのそろばん教室か。

でも、あの教室は、とっくに閉めちゃったよ。

いつのことか、覚えてない。

10年以上前なのは確かだね」


「えええー、残念。

この辺に引っ越そうと思ってたけど、そろばん教室、なくなっちゃたんだあ」

と、オーバーに反応した。


「キミたちが、通うつもりだったの?」


「まさか!

将来、子どもができた時、そろばん教室に通わせようかなと思って。

いくら電卓の性能が上がっても、そろばんの速さには勝てないから。

そうかぁ、教室、なくなっちゃのかぁ。

クラスメイトの友達の叔母(おば)が通ったことがあって、いい先生だったと聞いたんで、見に来たんだけどダメだったかぁ」


チラッと隣を見たら、マモルくんが目を丸くしている。


「たしかに評判は良かったよ」


「ですよねー。

でも、なんでやめちゃったんだろう?」


「うーん。

知らないなぁ。

ボクは、田所さんとつきあいないから。

田所さんも、今は、近所づきあいしてないと思うよ」


「田所先生、家族はいないんですか?

家族もそろばんのプロってことは?」


「家族かぁ。

見たことないね。

そろばん教室をやっている頃は、子ども好きって評判だったけど、なんで結婚しなかったんだろ?」

と、首をかしげる。


「子ども好きなのにそろばん教室、やめちゃったんですか?

もったいないですね」


「あー。

そう言えば、母がなんか言ってたな。

もう、高齢なんで施設に入ってるんだけど…

母の世代だと、まだ近所づきあいってあったんだ。

母は、デイトレで儲けたんで教室を閉めたって言っていた。

あくまで近所のうわさだけど」


デイトレってなんだ?―


マモルくんが

「デイトレって、株取引のヤツですか?」

と質問してくれた。


「そうだよ。

若いのによく知ってるね。

ネットを使い、1日で何回も株の取り引きをして儲ける。

昔、流行ったんだ」


よく分からないので

「そろばん教室をやっているのに、ネットで取引できたんですか?」

と聞くと

「まぁ、そうだよねぇ」

と、男性は困ってしまった。


「日本時間の夜に開いている海外市場があります。

先物だと日本株でも夜に取引ができたはずです」


「へぇー。

そうなんだ。

キミ、賢いね。

キミたちの子どもは、そろばん教室に通わなくても十分賢いだろうね」

と、笑った。


隣のマモルくんは、目をクルクル回している。


「じゃあ、もう、そろばん教室の復活はなさそうですね」


「そうだね。

もう、メチャクチャな生活をしているから無理じゃない?

田所さん、昼夜は逆転してるは、食事は出前ばかり。

生活習慣がメチャクチャだよ」


昼夜逆転の生活?

…それなのに、毎日同じ時間に山に来る?


「昼夜逆転ですか?

自宅には、誰もいないみたいだけど」


「ええ、そうなの?

じゃあ、寝てるのか?

田所さんのこと、そろばん教室をやめた後のイメージしかないからなぁ。

今は、まったくかかわりがないし」


もういいか―


「うーん、じゃあやっぱり、そろばん教室の復活は難しそう。

残念だけど、しょうがないなぁー。

長々とありがとうございました」

と言って、聞き込みを終了した。


「早く移動しよう。

田所先生が帰ってくるかもしれない。

顔を見られたくないから」


「なんかマズいの?」


「明日から田所先生の尾行を始める」


「じゃあ、がんばって」


「二階堂くんも一緒に決まっているでしょ!

なにを遠慮しているの?

本格的に探偵っぽくなっていいでしょ?」


「ボクはアッシーだよね?

ボクは目立たない大衆車のオマケだよね?」


「…」


「都合が悪くなったら、黙っちゃったよ。

やっぱり、神馬(じんば)さんは神様じゃない。

異常な悪霊(あくりょう)だ」


――――

田所潤の尾行1日目―


8:30 自宅を徒歩で出発

8:40 入山口に到着・A道路を登りはじめる

9:00 公園に到着

9:02 公衆トイレに入る

9:05 自動販売機でペットボトルの水を買い、近くのベンチで飲む。

9:10 公園を出る

9:30 道路Aを下り、入山口に到着

9:40 自宅に徒歩で戻る


田所潤の尾行2日目―


なんと、1日目とまったく同じ!

1分のズレもない。


鷹宮探偵事務所・会議室―


マモルくんは、隣に座っている。

資料を同じ向きで見るという口実で。


マモルくんが

「さすがMrルーティン。

1分のズレもなく同じ行動をしている」

と、首を伸ばし、私のタブレットを覗き込みながら、驚いている。


「そんなMrマ(・)ジ(・)ルーティンが、なんでミオちゃん失踪の翌日、急に行動を変えたのか?

下山するのに道路Eを使った理由は?

道路Eも、先の入山口も、めぼしいモノは何もなかったのに」


タブレットを手元に寄せる。


ネットによると

公園から道路Aの入山口まで徒歩20分

公園から道路Eの入山口まで徒歩15分


たった徒歩5分の差。

何か意味があるとは思えない。

バスで自宅に帰ったとしても、道路Aを使うより、時間がかかってしまう。

バスは迂回ルートを通って、下春町《しもはるまち》3丁目公民館前に行くから。


「神馬さんの言う通り、田所先生の行動は怪しく見えるけど、失踪の翌日だから関係ないと思うよ」


「前日、道路Eに何か証拠を残したのを気づいたのかも。

だから、田所先生は険しい表情をしていた」


「うーん。

田所先生って、子ども好きだったんでしょ?

誘拐した目的は?」


「子ども好き―

どういう意味なのか。

考えたくないけど―」


意味を悟ったらしく、マモルくんが苦々しい表情をした。


「普通の意味で、こども好きだったんじゃない?」


「だとすると、田所先生は犯人じゃないよね。

ミオちゃんがあの家にいた気配がまったくない。

子ども好きが、4才児を1時間以上も放っておくとは思えない。

しかも毎日」


尾行のとき、さりげなく家をチェックしたが、やはりミオちゃんがいるとは思えなかった。


「たしかに、そろばん教室をやってたんだから、4才児から目を離したら危ないことくらい知っているはず。

だけど、うーん」


「じゃあ、金銭目的かもね。

警察が油断したころに、誘拐犯が動き出す。

二階堂くんが唱えた説」


前に作った紙を2人で見返す。


心桜ちゃん誘拐の原因

① 犯人の頭のネジが飛んでいる

② 犯人の父性・母性を刺激した(心桜ちゃんをかわいがっている?)

③ 犯人の金銭目的(油断させて身代金要求/株価を動かして利益を得る)


①は―考えたくない話。

②は―あの家で大切にされているとは思えない。

だから、最後の③を検討しよう。


「二階堂くんの話だと、デイトレってネットでやるんでしょ?

じゃあ、田所先生はネットでカラ売りってヤツもできるんじゃない?」


「あっ!

そういうことか!

警察が忘れた頃に、雄大さんを脅して株価の暴落を引き起こす。

この暴落を狙って、カラ売りを仕掛けぼろ儲け」


「お金目当ての誘拐なら、ミオちゃんをそんなに大切に扱わない可能性はある。

けど、あの家にミオちゃんがいる気配がない。

だとすると、他にアジトがあって、そこで仲間がミオちゃんを監禁してるのかも。

明日から、田所先生をもっと尾行するべきだね」


マモルくんは、いい顔をしない。


「うーん。

田所犯人説は、かなり強引だと思うけどなぁ。

それに尾行しても、同じ時刻に春桜山に行って、同じ時刻にあの家に帰って、ずっと引きこもってるだけでしょ」


そして、翌日―

マモルくんの予想は、半分当たり、半分外れる。

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