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第22話 手遅れなんかじゃない

サンシャイン60ビル20階―


広いフロアだが―。


「誰もいない。

夜だし、みんな帰ったんじゃない?」


「ご冗談を。

いくら大手と言っても、電気をつけっぱなしにするほど鷹宮(たかみや)探偵事務所は大企業じゃないよ」


ハンカチで手を拭きながら、スーツを着た男性が歩いて来た。

たしかあの人は―


「ああ、四谷さん」


「あれ?

神馬(じんば)さんに…たしか二階堂さんだったよね。

こんな時間にどうしたの?」


鷹宮探偵事務所の最古参で、年齢不詳の人物―


「私たちの生まれる前のことで、分からないことがあるんです。

誰かに相談したくて」


「私でいいの?」


「お願いできますか?」


四谷さんは自席に座り

「他に誰もいないから、空いてる椅子に座りな」

と言ってくれた。


「2004年の話なんですが」


「ああ、おじさんが山で遭難した?」


「はい。

ましろさんとかまっしろさまって知ってますか?」


「埼玉の?」


「そうです。

2004年、登山未経験者が、ましろさんやまっしろさまのことを知りたい。

その人は、どうすればいいですか?」


「そりゃ、山に詳しい人を探して、その人に聞くだろうね。

2004年じゃ、ネットに大した情報が出てるか分からないし」


「ネットでは無理ですか?」


「ブログすら、まだそんなに流行ってなかったと思うよ。

2ch(にちゃんねる)という巨大掲示板が流行ったくらいかなぁ。

ただ2chは、悪い意味でも話題になったからね」


「悪い?」


「たとえば、登山について質問する。

でも2chには、平気でデタラメな回答をするヤツもいる。

登山でニセ情報は危険だが、そんなのお構いなしでね」


―ヒドいいたずらをする人って、いるんですよ。人命に関わるような―


「周りに聞く人がいない、ネットも当てにできない。

この場合は?」


「本で調べるしかないね。

だけど、ネットで調べれば、どの本に知りたい情報が載っているか分かる時代じゃない。

自分で書店に行って探す。

または、図書館で探す。

どっちにしても、目的の本を見つけるのは、かなり難しかった」


「となると、詳しい人を探して聞くしかないですね」


「うん」


「ありがとうございました。

私たちは帰ります」


「もういいの?

私はまだ、帰れないんだよ…」

とグチる四谷さんを残して、オフィスを後にする。


エレベーターを待っていると、神馬さんがブツブツ言っている。


「私って、ほんとうにバカ。

ケータイ電話すら嫌っている行夫さんが、ネットを使いこなせるわけないじゃない。

分かっていたのに。

分かってたから、登山にくわしい人を聞いて回ってたのに。

自分の思考が矛盾しているのに、まったく気づかなかった」


ああ、だから池田さんにこだわっていたのか―


「じゃあ、行くよ」


「夜だよ、帰るよ」


「だから、帰るの!

二階堂くんって、気が利かないよねぇ。

こういう時は、家まで送っていくよって言わないとダメ―って教えたじゃない!

まさかあのメモ、捨てっちゃったの?」


ちょうどエレベーターが来たので、とっさにエレベーターへ逃げ込んだ。


――――

モノがない殺風景な部屋―安藤食品の一室。


幸恵(さちえ)さんがドアの正面に座ったので、ボクたちはドアに背を向け座る。


「人づてに頼みましたが、池田さんには断られました。

申し訳ありません」


「もう、安藤食品には関わりたくない感じですか?」


「というより…」


幸恵さんが、言いにくそうにしている。

だが、意を決したようで

「病気をわずらい、かなり体調が悪いみたいです。

はっきり言って、余命もわずか―。

複数の方が池田さんの病状について、同じことを言ってるので事実だと思います」


さすがに神馬さんも、困惑している。

だが、意外にも粘った。


「もう1度だけ、池田さんに会えるようお願いできないでしょうか?

これが最後のお願いです」


電話では、―非常に重要なお願い―と言っていた。

言葉のアヤではなく、池田さんに会うことが本当に非常に重要なのだろうか?


「最後…

ああ、そろそろ調査費用も底をつきますよね」


「たとえ調査費用が青天井でも、池田さんとの会談が最後です。

池田さんに会えなければ、もう打つ手がないので」


今度は、幸恵さんが困惑している。


「では、池田さんにこう伝えてください。

探(・)偵(・)事(・)務(・)所(・)に(・)も(・)時(・)間(・)に(・)限(・)り(・)が(・)あ(・)る(・)。

今(・)回(・)を(・)逃(・)せ(・)ば(・)、行(・)夫(・)さ(・)ん(・)の(・)件(・)で(・)私(・)た(・)ち(・)に(・)会(・)う(・)チ(・)ャ(・)ン(・)ス(・)は(・)2(・)度(・)と(・)な(・)い(・)でしょう」


池田さんが断っているのに、ずいぶんと偉そうな伝言だな。

怒らせるのでは?


「わかりました。

これが最後の調査ということで―」


引き受けてくれた。

幸恵さんにも、思うところがあるのだろうか―


神馬さんに怒られた

―なんで今になって、旦那さんを探そうと思った?―

というバカな質問。


幸恵さんの答えを思い出す。


―私も80才到達が見え始め、死について考えるようになりました。

悔いを残さないで死にたい。

結果はどうなるかわからないけど、死ぬ前にやるべきことをやっておこう。

そう思ったんです―


――――

死相(しそう)―

文字でしか知らなかったが、眼前の男性を見て、はじめて本当の意味を知った。


だが、もっとも驚いたのは、やせ細り目が窪んだ男性自身ではない。

男性が案内した部屋のほうだった。

外からは見ただけでは、かなり古く小さいけど普通の一軒家。

だが、部屋に入ったらすぐに、その異様さに気づく。


なんと、細長く切った黒い紙が、部屋一面、隙間なく貼られている。

窓にまでビッシリ貼り付けてあるので、外から光が入って来ない。


ボクらは自然と目を合わせた。


邪教・まっくろさま―


「悪いが、このあと来客があるので、そんなに時間は取れないよ」


2枚の名刺が置かれたテーブルを挟み、池田さんはこう言った。


余命短い病人に来客?

ボクたちの話を早く切り上げるためのウソかもしれない。


「社長にも言ったけど、行夫専務の遭難について、なにも覚えてないよ」


「社長とは幸恵さんのことですか?」


「ああ、そうだよ。

定年後、ずっと交流がなかったのに、社長じきじきが電話してきて、頼まれたんでね」


え?

幸恵さん本人が、電話してきたの?―


「では、栄吉さんから幸恵さんに社長が交代したときのことは、覚えてますか?」


「いや、はっきり覚えてないが…」


窪んで引っ込んでいるのに、目が揺らいでるのがはっきりわかった。


「次の社長が誰になるか気になりませんでした?

うちの探偵事務所でも社長が交代するってなれば、私は気になりますよ。

だって新社長の経営方針によって、自分のポジションが大きく変わるかもしれないですから」


池田さんは、何も答えない。


「次の社長が気にならないって、水口さんみたいな若い社員くらいでしょう」


「水口?」


「あら、覚えてませんか?

庶務課の水口さん」


「ああ、あの水口さんか」


「今、庶務課長になったそうです」


「彼女、庶務課長になったのか。

私と違い、出世したもんだ」


「幸恵さんが社長になったから、水口さんは出世できたと思いますか?」


「私は庶務とは無縁だから、分からないよ

でも、なんで水口さんの話なの?」


「わかりませんか?」


池田さんは、また何も答えない。

ボクは目のやり場に困り、テーブルに視線を逃す。

名刺の横に、灰皿が置いてある。

ミステリー小説なら凶器になりそうな立派な灰皿だが、たばこを取り出す様子はない。


「水口さんが、教えてくれたんです。

池田さんが登山にくわしいって。

だから、探偵の浅知恵としてこう考えました。

行夫さんはあなたにましろさんについて相談した―

どうでしょうか?」


「ありませんね」


断言だった。


「ましろさんについて、行夫さんから相談は受けてない。

行夫さんが山で遭難した時のことも覚えてない。

栄吉さんから幸恵さんに社長が交代した時も記憶にない。

これでよろしいでしょうか?」


「ああ、そうだよ」


完全な拒絶―


「父と母は、私が子供のころに亡くなりました。

くわしくは言いませんが、自分の人生を振り返ることができない死に方でした。

つまり、後悔すらできない最期だった―」


いきなり話が飛んでビックリした。

池田さんも驚いた表情をしている。


「運命の分岐点―

いいネーミングですね。

私には、大した人生経験がありません。

でも―人生は、選択の連続だ―ということくらいは、分かります。

そして、運命の分岐点と呼ぶべき、大きな選択を迫られる場面もあります。

この時、選択という行動でしか、人生を歩むことができません」


神馬さんと初めて口をきいた日。

あのカフェで―行動が大切―と神馬さんはボクに言った。


「なるほど…

だが、あなたたちも、きっと聞いていることでしょう。

私の余命が短いことを。

だから、もう手遅れなんだよ」


「私の父と母は、人生の最後で運命の分岐点に立つことができなかった。

でも、池田さんは、今、運命の分岐点に立っている、立つことができている。

どこが手遅れなんですか?」


神馬さんが、池田さんに大きな選択を迫っている。

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