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第21話 親切な人は存在したのか

―13番 お困りです課―と書かれた吊り下げ看板。

その真下で、麗しき女性がお困りになっているのだから、吊り下げ看板は正しい。

もちろん―お困りなのは神馬さんではなく、神馬さんにボコボコにされてる女性職員だ。


北山市役所の窓口で、神馬(じんば)さんの苦情が止まらない。


「ですから、並山(なみやま)の看板、分かりにくいですよ。

ましろさまのお稲荷さんに行こうとして、左に行っちゃいました。

大きな岩があって、その隣は細い道で、ものすごく危険」

と、早口でまくし立てる。


カウンター越しの女性職員は、ボクらと同じくらいの年齢。

その女性職員が悪いわけじゃないし、ボクもクレーマー扱いされかねない。


「でも、ボクはまっすぐだって言ったし、普通はまっすぐ行くと思うよ」


「万が一普通じゃないことが起きたら危険だって、話をしてるのよ!」

と、怒りがボクに飛び火した。


神馬さんの言ってることも正しい。

100件・200件あれば、そんなバカなってこともありえる―


「北山市は、山道の表示ってどこでもあんなにひどいんですか?」


麗しき女性職員が、言葉に詰まっている。


「ちょっとよろしいでしょうか?」

と、女性職員の後ろから声がした。


顔を上に向けると、高橋さんのような好々爺(こうこうや)が立っている。


「もしよろしければ、私が変わりましょうか?」


「上司の(かた)ですか?」


「いや、もう肩書はなくなってしまいまして…

定年後の再雇用ですから」


神馬さんが、少し笑ったように見えた。


「分かりました。よろしくお願いします」


「ああ、後ろに下がっていいよ」


好々爺が椅子に座り

「どのようなご用件でしょうか?」


神馬さんが、女性職員に話したことを説明し、

「北山市は山道の案内をちゃんとやってるのか―これを確認したいんです。

他もこんな感じなんですか?」

と付け加えた。


「ええと…

たとえば、冬禁山(とうきんざん)では、〇や×と書いてある看板を設置してます」


「運命の分岐点ですか?」


「よくご存じで」


「あれ?

運命の分岐点は、矢印が書いてある看板をロープで木にくくってるはずですが」


すっとぼけてる―


「そうでしたっけ?

ちょっとお時間をいただけますか?」


「ええ、どうぞ」


男性職員は、電話を取り、3ケタの番号を押した。

内線だろう。


「お困りです課の中西です。

お疲れ様です。

ちょっと確認したいんだけど、今、大丈夫ですか?

めんどくさいので、通称で言うけど、冬禁山(とうきんざん)のことでお聞きしたい。

運命の分岐点について。

うん、そこの案内のことなんだけど。

木に看板をくくりつけて案内しているの?

え?

昔は、そうだったの?」


隣の神馬さんは、満足そうにうなずいた。


「昔っていつ?

分からない?

古すぎてデータベースにない?」


神馬さんは、表情を曇らせる。


「資料の保存期間は?

永年保存?

ってことは、どこかに保存されているんだよね?

ああ、地下倉庫か。

じゃあ、時間がかかっちゃうね。

ちなみにどこ?

3-Cブロックね。

ああ、忙しいところ、ありがとう。

助かったよ」


「お若いのによくご存じですね。

昔は、おっしゃった通り、看板を木に括り付けてたそうです」


「いつ看板が変わったのか、分かりますか?」


「資料を探さないといけないので、時間がかかります。

お待ちになりますか?」


「ええ、お待ちします」


「分かりました」

と言い、男性職員は小走りで奥に行った。


「ね、うまくいったでしょ?

話の分かる人がちゃんと出て来た」


「神馬さん、怒ってたんじゃないの?」


「まさか!

あの女性、なにも悪いことしてないし」


「だったら最初から、“話の分かる人を出してください”ってお願いすれば良かったのに」


「二階堂くんも人がいいねぇ。

すんなり変わってくれないよ。

市民の要求でいちいち対応職員を変えてたら、北山市役所の窓口はパンクしちゃうよ。

だから誘導したの」


そんなこんなで、15分が経過――


「お待たせしました」

と大きなファイルを持って戻って来た。


年齢を考えると、かなり重たかったはず。

申し訳なく思ってしまう。


「えーと…

平成16年って西暦何年だ?」

と、1枚の紙を取り出した。

西暦・和暦早見表とある。


「2004年4月16日ですね」


2004年!?

偶然だろうが、行夫(いくお)さんが失踪した年とは―


「なにか看板を変えなきゃいけない理由が、あったのでしょうか?」


「うーん、どうでしょうねぇ」


男性職員は資料に目を通している。


「問題があったみたいですねぇ。

平成16年、って同じ2004年だ。

2004年1月21日・埼玉県警山岳救助隊・隊員より情報提供。

看板はちゃんと木に結んであるが、ロープに切れた跡があるので注意されたし―とあります」


ちょっと待て!

行夫さんの失踪が1月17日、警察への届出が1月19日―ってことは、北山市に情報提供したのは、行夫さんを捜索した隊員だろう。


「ロープが切れたって、どういうことでしょうか?」


「うーん、この1文しか書いてませんねぇ」


「1月下旬に情報提供があって、4月には看板を設置ですか?

役所にしては、かなり対応が早いですね」


「たしかに。

2月~3月が議会の予算審議だから、急いで予算を確保したのか?

ん?

この添田(そえだ)って、もしかしてあの添田君か?

ちょっと待ってもらえますか?」


「ええ、どうぞ」


また電話を取り、3ケタの番号を押した。


「お困りです課の中西です。

添田さんをお願いします。

ああ、忙しいところ悪いね。

そう、今、お困りです課なんだよ。

で、ちょっと聞きたいことがあって。

平成16年、つまり2004年、ましろさまの看板についてなんだけど。

ああ、やっぱり添田君が担当だったか。

で、冬禁山(とうきんざん)の看板。

そう、そう。

運命の分岐点の。

え?

2004年なのに、覚えてるの?」


神馬さんの顔がパッと明るくなった。


「え?

それ、どういう意味?

…」


男性の表情が急に曇った。


「…

意見が割れたの?

ああ、そういう事もあり得るから急いで予算を確保したのね。

ありがとう」


男性職員が電話を置く。


「山岳救助隊が、ロープに切れた跡があるのを見つけた。

これはさっき言ったけど、ちょっと気になることがありまして。

ある隊員が“ロープが切れたじゃなくて、誰かがロープを切った”って主張した」


誰かがロープを切った?


「ヒドいいたずらをする人って、いるんですよ。

人命に関わるような。

市役所のお手洗いをつまらせる―こんないたずらは、かわいいモノです」


男性職員は、軽く笑う。

その表情は好々爺。


「で、ロープに話を戻します。

登山ナイフのようなもので切った―と、主張する隊員がいた。

だけど、自然に切れたと主張する隊員もいた」


「つまり、専門家でも意見が割れたんですね?」


「そうです。

だが、自然に切れたと主張する隊員も、このロープは登山ナイフで切ることができることは認めたそうです」


「その看板は木に結んであったんですよね?」


「ええ、ちゃんと結んであったそうですよ。

地面に落ちた看板を親切な人が見つけて、木に結んでくれた―

当時は、そう判断した。

でも、親切な人がいなかったらかなり危険です。

だから、今の看板を急いで設置した」


「非常に参考になりました。

ありがとうございます」


「もうよろしいですか?」


神馬さんは

「はい。

そして、あの女性の(かた)には謝っておいてください」

なんて殊勝なことを言うと、バッと椅子から立ち、歩き出す。


ボクも慌てて

「ありがとうございました」

と言い、神馬さんを追いかける。


ボクが追いつくと、神馬さんが言った。


「縦割り行政って言ったら、厳しすぎるかな。

警察でも、山岳救助隊じゃ犯罪の可能性は考えないわよね」


「犯罪なの!?」


「二階堂くん、言葉は正確に理解して。

犯罪じゃなく、犯罪の可能性と言ったの」


「可能性があるの?」


「さぁ、なんとも。

でも、そんな親切な人、実在したのかしら?」


神馬さんが、小さくつぶやいた。


「ただの遭難じゃないかもしれない」


市役所の自動ドアが開いた。

夕暮れの空が視界に入ってきた。


「まだ誰か残ってる、きっと。

急ごう」


え?

まだボクを引きずりまわすの?


「どこへ?」


鷹宮(たかみや)探偵事務所だよ」

と答えた神馬さんの顔が、はじめて名探偵のように見えた。

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