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第七話

 舞踏会のあと、貴族たちは公務の場にシエロがアルバを護衛として連れてくるのをあからさまに嫌がるようになった。父から話を聞いたユーリウスによると、皇帝がアルバをシエロの婚約者候補として留意し、シエロにヒートがきた暁には正式な番として認めると宣言したために、元老院側が反発しているのだという。


 元老院からの意見を無視するわけにもいかず、アルバはしばらくの間、この状況を面白がった父に連れ回される羽目になっていた。皇太子の護衛としては拒否されていても、皇帝の護衛としては拒否されていない。父が言葉遊びのような無茶苦茶を押し通したのは、自分の決定に雑念が挟まれたことに腹を立てたからだろう。それにシエロが父の公務に同行する際には結局のところアルバが傍にいることになる。この皇帝の策略に元老院は苦々しさを隠さず、皇帝の護衛にこそ相応しくないと文句が出る始末だ。


 いくら文句が出ようとも、父はそれを物ともせず平然とした面を貫いているという。シエロはその間、アルバと顔を合わせることはあっても、言葉を交わすタイミングを失っていた。夜中は流石に自分の部屋へと戻ってきているようだが、疲れている様子を見ると自分の相手をさせる気にはなれなかった。


 そんな中ふたりだけの茶会の席で、ユーリウスがアルバの噂を教えてくれた。なんでもヴィクターと話していたときに、シエロには絶対に言うなと釘を刺された話だという。


「それは僕に言ってはいけないやつじゃあないのか?」


 内容が気になりつつ、形骸的に咎めるような声を出した。双子はふたりでひとつなのだから、片割れに言うなと口止めしたところで必ず筒抜けになる。ユーリウスがにやりと口端を吊り上げて、ここだけの話だと声を潜めた。


「お前も知っておいた方がいいと僕が判断した。それに異を唱える権利はヴィーにはない」

「変なところで僕に似ているな、ユーリ」

「同じ遺伝子を持っているから当然だろう。お前は僕で、僕はお前なんだと言うことを忘れるなよ、シエロ。僕が知っていることはお前も知っているべきだ」


 なかなか内容を話そうとしないのは、そうは言っても口止めされたことを明かそうとしていることへの呵責だろう。ヴィクターが言うなと釘を刺したのなら、それは本当にシエロの耳には入れておきたくない話なのだ。

 シエロは紅茶を飲んで、甘い菓子を口にした。そうしているうちに、ユーリウスの話す準備が整う。


「シエロ皇太子殿下が元奴隷を番に選んだらしいという噂が広まって、遂に東の国まで届いたらしい。そしてヴィーの元に確認の手紙が届いた。アルバの名前を冠する、東の端の国からだ。なにか心当たりがあるんじゃないか?」


 突然水を向けられて、シエロは以前アルバから聞いた彼の生い立ちを思い出した。アルバから調べなくていいと言われたので、シエロはそれを誰にも話さず胸にしまっていたのだ。あの国には居場所がないと突き放した彼には、探し出してもらえなかった絶望に打ちひしがれた過去があったのかもしれない。それを今更探し出す理由は、いったいなんのためなのだろう。


「アルバは裕福な家の出のようだ。幼い頃に賊に襲われて、奴隷として売り飛ばされたと言っていた」

「聞いて驚くなよ、シエロ。十年前にとある大公家の当主夫婦と嫡男が賊に襲われて行方不明となっている。その行方不明の大公子がアルバではないかと、その大公家の執事と名乗る男が言っているらしい。なんでも大公家は弟が継いでいるが、ラントス王国の王子が伴侶のアルファを探している。もしアルバが本物の大公子であるのならその王子の伴侶にしたいそうだ。大公家にはほかに差し出せるアルファがいなんだろう」


 それでは本当にアルバは裕福な家の子だったのか、というのが、ユーリウスの言葉に覚えた第一印象だった。続いて大公の嫡男でありながら都合の良いアルファとして扱われようとしていることに腹が立ち、彼が他の誰かに宛がわれようとしている事実に心が悲鳴を上げる。


 今のシエロはアルバと満足に過ごせていないことが重なって、気持ちが少々不安定になっていた。あの日初めてアルバに触れてもらえた悦びをまだ身体が鮮明に覚えていて、時折無性に彼に触れてほしくなる。それがヒートの前触れなのかと思って期待しても、中々そのときは訪れない。アルバの気持ちは確実にシエロの方へ向いてくれているはずなのに、それでもヒートが訪れないことに不安が募っている。きっとまだアルバの気持ちが伴っていないだけだと思いながら、もし、別の理由があったらどうしようと怖い。


 もし、アルバの運命が他の誰かだったら、と考えるだけでも怖いのだ。


 その不安に追い打ちをかけるようなユーリウスの話に、いろんな感情がごちゃ混ぜになってしまった。上手く言葉を返せないシエロの代わりに、ユーリウスがアルバのことをなんだと思っているのだと憤慨してくれた。


「もしアルバが大公と血の繋がりがなくとも、毛並みのいいアルファである以上そうだと言い張るだろうな。王子に輿入れするのと、帝国の皇太子の番になるのと、どちらが利益になるか考えているに違いないよ。まったく、僕のシエロの番を奪おうなんていい度胸しているな」


 ふん、とユーリウスが鼻を鳴らす。本来ならシエロが感じて当然の怒りを、そっくりそのまま代弁してくれているのは流石双子と言えよう。それでシエロは一端落ち着きを取り戻して、アルバが離れていく可能性について考えることができた。アルバが大公家に戻りたいと望む可能性はどれくらいあるだろう?


「僕に隠し通そうとしていた理由は?」

「まだ確定した話ではないし、折角アルバの気持ちがお前に向いたタイミングに水を差したくなかったんだ。それに、アルバのことになるとすぐ不安になるだろう?」

「アルバには?」

「ヴィーから聞いているはずだ。お前に言わなかったのは口止めされていたからだろう。本当に大公子となれば、お前の番としては申し分がない。うるさいことを言っている元老院を黙らせることもできるぞ」


 それはどうだろうと思ったが、シエロのために冗談めかしてくれたユーリウスに水を差すつもりはなかった。アルバが高貴な身分の出であっても、元奴隷だという事実は覆らない。むしろ大公子という身分に返り咲くのなら、東の国へ帰った方がずっと暮らしやすい。悲劇のヒーローとして迎えられるだろうし、王子の伴侶という椅子だって用意されている。アルファとして番になるよう求められるのなら、シエロだってその王子だって代わりはしない。

 そう気づいてしまった、自分の考えに大分打ちのめされた。


「お前のせいでどんどん不安になってきた」

「僕のアルバは渡さない、と宣言すればいいじゃないか」

「それができたら苦労はしない」


 アルバと出逢った頃の傲慢さが今のシエロに欠片でもあったなら、絶対に渡してなるものかと対抗心を燃やしていただろう。けれど今のシエロでは、アルバのしあわせをひたすらに願ってしまうのだ。シエロのわがままで自由を奪ってしまった自覚があるからこそ、彼に選ぶ権利を持って欲しい。アルバに出逢って、シエロは大切な相手のしあわせを願うことを知った。アルバの人生を背負う覚悟はできていても、そこにアルバの気持ちが伴っているかはわからない。だから今はあの国に居場所はないと言った、アルバの言葉を信じることしかできなかった。


「僕が口を滑らせたと言って、アルバに聞いてみたらどうだ?あの男のことだ、変な隠し方はしないだろう」

「それで国に帰りたいと言われたら?」

「僕はアルバがお前以外を選ぶとは思えないな。お前がどう思っているか知らないがな、シエロ。お前たちはそれはそれはお似合いに見えるよ。それに、父さまに番として認めて欲しいと言い出したことを忘れたのか?」


 ユーリウスに指摘されて、忘れていないと首を振った。そうだ、あのときアルバはシエロを襲った男に対して、殺したいほどの感情を抱いてくれたのだ。それにシエロなら悪くないと言って、彼の方から触れてくれた。いくらシエロがアルバの気持ちが見えないからと言って、彼の行動を否定してしまう権利はない。


 ふつふつと俄かな自信が湧いてきて、シエロは勢いよく立ち上がった。この勢いのまま、アルバを問い詰めてすっきりしてしまいたい。もし彼がすべてを知った上でシエロの傍を選んでくれたなら、もう不安になることはやめにする。

 そう決める。


「ありがとう、ユーリ。お前のお陰で自信が戻ってきた」

「それでこそお前だよ、シエロ。アルバを探しに行くのか?」

「ああ、この時間なら丁度会議が終わるころだろう。僕の護衛を返してもらってくる」

「急に頼もしいな。念のため僕の護衛を連れていくか?」

「王宮の中で僕を襲う馬鹿はいないだろう」


 それもそうかとユーリウスが笑ったので、シエロはひとりで皇子宮を出た。普段はアルバや他の護衛と共に歩く道のりを早足で駆け抜けていく。通りすがる使用人たちになにごとかと振り向かれたが、かかる声に反応することはしなかった。

 廊下の先を曲がれば会議室だというところで、向こう側からアルバが歩いてくるのが見た。近くに父の姿はなく、ひとりでこちらへと向かってくる。不意打ちの遭遇に胸を打たれて、思わず高らかにその名を呼んでしまった。驚いたようにこちらを見る顔に、頬が弛むのを抑えきれない。


「シエロ! ひとりでなにをしている? 護衛はどうしたんだ」

「お前を探していたんだ。僕の護衛を返してもらいに来た」

「誰かに物陰に連れ込まれたらどうするつもりだったんだ。城内とはいえ、貴族なら誰でも入ることができるんだぞ」


 心配してくれているとわかってはいても、アルバが重苦しい溜息を吐くのへ、シエロはつい唇を尖らせた。久々に交わした会話が説教とは色気がなさすぎる。それにアルバがそんな顔をしても駄目だと言って、シエロは鼻を柔く摘ままれた。まさかそんなことをされるとは思いも寄らなかったけれど、その擽ったさに笑みが零れた。胸が淡く高鳴って、アルバが傍にいる喜びに震えていた。


 それで、随分と彼の存在に飢えていたのだと知る。


「僕の鼻が潰れたらどうするつもりだ?」


 摘ままれた鼻を抑えてわざとらしく痛がるふりをすれば、呆れたように鼻で笑われた。それから皇子宮まで送ると言って、戻るようにと促される。まだ会議中と見えて辺りには貴族らしき姿は見えなかったが、どうやらアルバはシエロを誰にも逢わせたくはないようだった。まるで貴族であれば誰しもが、シエロのうなじを狙っているような態度だ。


「そんなに心配しなくとも大丈夫だ。ここは城内だし、そこここにいろんな人間の目がある。警備だって行き届いている」

「そうだとしても、心配するくらいは許してくれ。ライアー子爵がいないときはカリオンがついているはずじゃなかったか?」


 アルバがいない間、シエロの護衛はライアー子爵が勤めてくれていた。いかせんライアー子爵は父の側近としての執務で忙しいので、大々的な公務でない限りはカリオンが代わりを務めてくれていた。ベータである上に気心が知れていて安心だと、シエロから申し出たためだ。


「今日は公務がなかったし、さっきまでユーリウスと一緒にいたんだ。護衛を貸すと言われたけど、外に出るわけじゃあるまいし、大丈夫だと断った」


 シエロの言い分にアルバは渋々納得してくれたようだった。アルバは父から暇を出されてシエロの元へと戻るところだったという。なんでも元老院や他の貴族たちが、これ以上はアルバの面を拝んでいられないと音を上げたらしい。


「それじゃあ、僕の護衛に戻るのか?」

「いや、とりあえず今日のところは陛下の方が折れたんだろう。俺を取り戻しに来たと言ったが、陛下に打診するなら明日の方がいい。今日は議論が進まなくて、大分ご機嫌が斜めのようだから」

「父さまがそうなるのは珍しいな。余程元老院の輩が食い下がっていると見える」


 頭を抱える父の姿を思い浮かべて、シエロはその気苦労を申し訳なく思った。けれど父が選んでそうしてくれていることへの感謝の方が大きい。皇帝としての立場なら、シエロの相手はアルバではない方が都合がいい。力のある貴族の息子かはたまた周辺国の王子を番として宛がった方が明らかな国益に繋がるからだ。


 それでも父はシエロのためを想って、アルバのことを認めさせようと努力してくれている。大切な息子が選んだ相手なのだから、どうにか結んでやりたいと考えてくれているのだ。その気持ちに報いるためにも、シエロはアルバを諦めるわけにはいかなかった。


「あまりに陛下が頑ななので、元老院側もかなり口調が荒くなっている。正直、俺のことを悪く言われるのは構わない。だが、お前のことを悪く言われるは我慢ならない」

「別に悪口なら言われ慣れているさ。僕こそ、お前のことを悪く言われるのは気に入らないな。結局のところ、僕がアルバ以外の男に興味がないことをみんなわかっているんだ。それを認めたくないだけで」

「他の男に目移りされたら困る」


 溜息と共に吐き出されたその言葉に、心を鷲掴みにされてしまった。その言葉を噛み締めながら、そうだなと答えるのが精一杯だった。どうしてアルバを探しに来たのか、当初の目的を忘れてしまいそうになる。さっきまでうじうじとユーリウス相手に管を巻いて、不安になっていた自分が馬鹿みたいだ。


「僕だって、アルバに他の相手がいたら困る」

「お前の他に誰がいるって言うんだ?俺はお前とは違うんだ、シエロ。俺がいいなんて言う物好きはお前くらいだ」

「そんなことはない。ラントス王国の王子の伴侶にと打診があったんだろう」


 何気なく会話の流れで言ったつもりが、随分と硬い声になってしまった。問い正しに来たはずの勢いは削がれていたから、変な緊張が出たのかもしれない。立ち止まったアルバに、どうして知っているのだと言いたげな目を向けられる。それからその犯人に思い当たったように嘆息した。


「さてはユーリウスさまに聞いたんだな?」

「僕たちの間に口止めなどあってないようなものだからな。どうして言ってくれなかったんだ?」


 シエロの問いに、アルバが辺りを警戒した。皇子宮までの道に使用人の姿は見えない。それでも彼が声を潜めたのは、誰かに聞かれる面倒を起こしたくはないからだろう。これ以上無駄に噂の種を増やしたくはないのかもしれない。


「これはまだ公になっていない内々の話だ。それにもし俺が大公子であったとしても、顔も知らない男と番になるつもりはない。だから言わなかった。お前に余計な心配をかけたくなかったからだ」

「僕はお前が国に戻った方がとやかく言われずに暮らせるんじゃないかと思ったんだ。でも、僕はアルバを誰にも渡したくはない。僕はわがままだな」

「それは随分とかわいいわがままだな。俺はあの国に戻りたいと思ったことはない。それに戻ったところで、俺は覚えてもいない弟とやらにいいように使われるだけだ」

「僕と共にいる限り、ずっと文句を言われ続けるかもしれないぞ?」

「あれは俺に対する僻みだ。お前に選ばれなかった男たちのやっかみに過ぎない。俺を陥れるような噂も色々とお前の耳に届いていると思うが、お前はただ目の前の俺の言うことだけ信じればいい。俺は誰に国に帰れと言われようが、どんな地位や名誉を差し出されようが、絶対にお前を選ぶと決めている」


 そこまで言われると、シエロはもう笑うしかなかった。すきだと言われたわけでもないのに、選んでもらえた喜びに心が震えている。アルバはシエロの不安を取り除けるように、言葉を選んでくれたのだろう。けれどその言葉に嘘はない。アルバの真っ直ぐな瞳を向けられていれば、よくわかる。


「シエロ、俺がお前の傍を離れることはない。だから不安にならなくていい。この状況もいずれ、お前と番になるまでの辛抱だ」

「もし、ヒートがこなかったら?」

「気長に待てばいい。俺がずっと傍にいるから」


 伸びてきたアルバの手がシエロの髪を撫でてくれた。撫で慣れていない、やや乱暴な手つきになんだか泣きそうになって、シエロは無理くり笑みを取り繕った。アルバの気持ちがシエロの方へ向いてくれているのに、どうしてヒートがこないのか。心の準備が整ったら、身体の準備も整うはずだ。それでもヒートがこないのは、もしかして。

 シエロはアルバに促されて再び皇子宮へと戻りながら、胸の内に押し込め続けた不安を見て見ぬふりをすることしかできなかった。




 アルバを伴うことに許可を出したのは、意外なことにフィンレーだった。正式に謝罪がしたいと申し出ている手前、アルバを外せとは言い出せなかったのかもしれないが、彼の性格を考える限りその可能性は少なそうだった。それにユーリウスとヴィクターの同席を望んだのにもなにか訳がありそうだった。


 フィンレーは応接間のソファに座り、開口第一にシエロとアルバへの非礼を詫びた。彼が深々と頭を下げる様子を見たのはこれが初めてだ。思わず面食らったシエロはユーリウスと顔を見合わせて、それからつい噴き出してしまった。フィンレーの誠意を笑うのは失礼だとわかりつつ、頭を下げる姿があまりにも似合わなかったからだ。


「おい、人がこうやって頭を下げるのに笑うやつがあるか?」


 頭を下げたまま反論してくるところは、相変わらずのフィンレーだ。こういう気心が知れた仲だからこそ、シエロの婚約者候補としてつけ上がらせてしまったのかもしれない。


「頭を下げることを覚えたようだな」


 ユーリウスが笑いを怺えながらそう言って、フィンレーに顔を上げさせた。少々の不服さが表情に出ているのは、悪いとは思っていながらも頭を下げることに慣れていないせいだろう。アルバに出逢うまで、シエロもフィンレーと同じだった。この自分が誰に謝ったり、懇願したりすることすら考えたことがなかったのだ。そのことに唐突に気づいたシエロは、フィンレーに立てていた腹がすっかり落ち着いていることに気づいた。あのときの彼は別に、シエロを怒らせよとしたわけではない。ただシエロの捉え方が変わったから、あんな風に腹が立った。

 それに、今更になって気づく。


「正直、俺のどの態度がシエロの癪に障ったのかわからなかった。だが、舞踏会の日、お前が伯爵家の令息に噛まれそうになったのを目の当たりにして、俺がやろうとしていたのはあれと同じことだと気づいた。想い人がいるお前を無理矢理番にして、不幸にすることだと」

「お前の謝罪は受け入れるよ、フィンレー。だが、あの場にいたのなら僕がアルバを選んだことは知っているな?」

「それは今や全国民が知るところだろう。正直、今でも俺の方がお前に相応しいと思っているよ。それに運命の相手だとは感じなくとも、俺はお前のことを幼い頃から想い続けてきたんだ。それをぽっと出の、奴隷上がりの男に奪われた悔しさは知っていて欲しい。俺を振ってその男を選んだんだ、しあわせになってもらわなきゃ困る」


 ひと息にそう言ったフィンレーが、悔しさ紛れに目の前の紅茶を煽った。正直なところ、フィンレーからの好意を知らなかったと言うと嘘になる。それでもそれはあくまでも、婚約者候補の延長上の好意だと認識していた。まさか恋心故にシエロの伴侶になろうと躍起になっていたとは思わなかったので、シエロはなんと答えたらよいか言葉に詰まる。しかもここには恋敵のアルバがいるのだ。


「それは残念だったな、フィンレー。だがお前と同じような気持ちを抱いている男は五万といるだろうな」


 答えられないシエロの代わりに、ユーリウスがフィンレーの言葉を受けてくれた。シエロは皇太子と立場に加え、大変見目麗しい見た目を伴っていることもあって、勝手な好意に晒される機会がとても多かった。シエロが望めば、おそらく大半の男がその前に跪く。アルバだけがシエロに最初からは靡かず、口説き落とそうと躍起にさせた男なのだった。


「わかっている。俺はあれを見て、自分の過ちに気づいたが、他の貴族たちはまったく逆のことを考えているぞ、シエロ。貴族たちはお前の判断に反感を抱いている。皇太子の伴侶に元奴隷は認められない。自分たちの息子が誰も選ばれなかったことに腹を立てているんだ」

「それは想定の範囲内だ。それでも僕はアルバを選んだ。僕を廃位にしたいのなら、喜んでユーリウスに皇太子を譲るつもりだ」

「そう簡単な話じゃない。貴族たちはお前の首を狙っている」

「なんだ、僕を殺そうとでも画策しているのか?」

「そうじゃない。ここ最近、貴族たちがアルバの帯同を拒んでいるだろう。元老院が他の貴族たちに指示を出して同調するように圧力をかけているんだ。アルバが傍にいなければ、お前のことはより狙いやすくなる。お前の運命の相手が不在のとき、ヒートが起きたらどうなる? その場にいたアルファが運命の相手だと錯覚させることができるだろう。それを狙っているんだ。そうしてその場に居合わせた幸運な貴族の誰かが、お前のうなじを噛んでしまえばいい」

「そんなこと、許されるはずがないだろう!」


 シエロの代わりに怒りの声を上げたのはユーリウスだった。勢い余って立ち上がる彼に、フィンレーが俺の考えていることではないと慌てて弁明する。もしフィンレーが同じことを考えていたなら、わざわざシエロたちに手の内を明かすことはしないだろう。だからこれは彼からの、親切からの忠告だ。


 シエロはその様子を唖然として眺めながら、この前アルバに護衛をつけていなかったことに苦言を呈されたことを思い出した。彼の方を振り向くと、険しい表情でシエロを見返してくる。おそらくはこのことを誰からか聞いて、アルバは承知していたのだろう。だからあのとき、あんな風に怒ったのだ。城の中だろうと、元老院側に近しい貴族であれば誰でも出入りすることはできる。もしシエロがヒートを起こしたときに適齢期のアルファが傍にいて、うなじを噛まれてしまったら一大事だ。


 そう思い当たってぞっとした。全身の血が引いて、俄かに気分が悪くなる。震え出しそうな両手を握り合わせて、大丈夫だと自分に言い聞かせる。そうならないために、フィンレーが警告してくれているのだから。


「シエロ、大丈夫か?」


 いつの間にか膝をついたアルバに顔を覗き込まれていた。シエロだけに届くくらいの声音で呼びかけられたのは、親し気な口調がフィンレーに漏れたら面倒だからだろう。そっと手を握ってくれる優しさが、冷えた身体へ染み渡るようだった。この力強い手に守ってもらえているのだから、なにも怖いものなどない。そう信じたいのに、どうしても恐怖は足下から忍び寄ってくるのだった。


「シエロ、気分が悪いのか? 怖がらせるようなことを言ってすまない」


 シエロの様子に気づいたのか、フィンレーがそう気遣ってくれた。そんな一面が彼にもあったのかと驚いて、少し気分が和らぐ。ユーリウスがその場を和ませるように、フィンレーのせいだろうとわざとらしく詰るので、シエロの心は更に軽くなった。今や周りが敵だらけでも、孤軍奮闘しているわけではないのだと、三人が教えてくれる。


「いや、教えてくれて助かった。なにも知らないままでは、危険な目に遭うところだった」

「どうにかしてその男の傍を離れない方がいい。陛下は元老院の画策に気づいていらっしゃる。それでその男を自らの護衛に充て、公務の際はシエロと同じ場所にいられるようにしていたんだ。今後、シエロの公務には無駄に令息たちがついてくるだろうな。誰もがみな、お前の伴侶になりたくてたまらないんだ」


 盛大な溜息を吐いたフィンレーが、俺はお前たちの味方だからなと真剣な眼差しを寄越した。さっき同じ口でシエロへの焦がれを吐き出したくせに、その気持ちはもうシエロの元へはないらしい。


 しかしフィンレーが味方でいてくれることほど心強いものはなかった。この計画を先導しているのはダリル侯爵に違いなく、だからこそフィンレーは事細かにすべてを知ることができたのだろう。父親に反旗を翻して無事で済むはずはない。だが彼ならば、きっと上手くやってのけるだろう。性格に少々難があっても、抜け目のない有能な男であることには変わりはないのだ。


 それからヴィクターを交えての作戦会議に入った。皇太子としての公務を取りやめて皇子宮に籠っているわけにもいかない。ヴィクターはすべて承知の上で、フィンレーがこちら側についたことに驚いていた。どうやら真っ先にシエロの伴侶の座を取り戻しに行くと考えていたようで、それに憤慨するフィンレーの様子は大変可笑しかった。


「あの様子を目の当たりにして、自分も噛んでしまえばいいなんて考える方がどうかしているだろう!? 俺は流石にそこまで人でなしじゃない。幼馴染のくせに俺を疑うなんて酷いだろ、ヴィクター」

「ここ最近のシエロに対する執着が度を越していたんだから仕方がないだろう。それにダリル侯爵が先導に立って貴族たちを煽っているじゃないか。アルバでなければ誰でもいいと言っているようなものだぞ」

「父は俺が婚約者候補から外されたことに大変お怒りなんだ。俺をシエロと結婚させるためだけに熱心に育ててきたからな。それを元奴隷に奪われたことが更に腹立たしいのだろう。俺が意のままにならないから、他の候補者を探しているんだ。おそらく、シエロのヒートに立ち会えたものを養子にでも迎えるつもりなんじゃないか?」

「ダリル侯爵ならやりかねないと僕も思う。最近の侯爵は父さまに対して随分と生意気な口をきくんだ。まるで自分が国を治めているような言い草だ」


 ユーリウスがふたりの会話に割って入ると、フィンレーがその言い草に鼻白んだ。流石に国政会議の場までは帯同を許されていないので、父親の不遜な態度を把握してはいなかったのだろう。気まずそうな顔をするのがまたおかしくて、シエロはつい笑いそうになってしまった。自分のために皆が心を砕いてくれているというのに、不謹慎だと思ってどうにか怺える。


「おい、お前のためにみんな考えているんだぞ」


 その様子に気づかれたのか、アルバに溜息を零された。それに小さく謝って、シエロは気を引き締める。どうしてもこういうとき、本来の楽観的な性格が顔を出してしまう。もちろん、身の危険を不安に思ってはいる。けれど守ろうとしてくれている人間が周りに多ければ多いほど、誰かがどうにかしてくれるだろうと考える癖が出る。


「シエロ、ヒートがくる予兆はないのか?」


 突然フィンレーにそう話を振られて、びくりと肩が反応した。ある程度事情を知るユーリウスとヴィクターが顔を見合わせるのがわかったが、シエロが言及するまで口を噤んでいるつもりらしい。シエロはないと簡潔に答えて、それ以上はなにも言えなかった。哀しいことに、本当になにもない。


「そもそもどうしてヒートがこないんだ? その男と出逢ってどれくらいが経つ?」

「なんだ、フィンレー。僕の感覚を疑うのか?」

「お前がその男をすきなことは重々承知だ。だがヒートがこれだけこないのなら、万が一の場合もあるだろう? もし他のアルファが原因でヒートが引き起こされたりしたら、」

「その可能性はありません。シエロさまはまだ身体の準備が整っていないだけだと思います」


 フィンレーの言葉を遮ったのはアルバだった。思わず凝視したその顔には、シエロにだけわかる微かな笑みが浮かんでいる。まるで本当に、その言葉通りに確信を得ているようにも見えた。


 フィンレーが少々むっとして、どうしてわかるのだと噛みついた。それにアルバは飄々としたまま、わかりますよと答える。


「シエロさまからは甘い香りがしますから」

「香り? シエロからそんな香りを感じたことは一度もないが」

「俺は出逢ったときからずっと感じています。それが段々と強く香ってくる。その香りは俺にしかわからない」

「それがお前のシエロの運命だという証拠だとでも言いたいのか」

「俺にもわかりませんが、おそらくそうなのでしょう」


 フィンレーが悔しそうに黙るのへ、ユーリウスとヴィクターが怺えきれずに噴き出した。馬鹿にしていたアルバにやり込められてぐうの音も出ない彼がおかしいのだろう。


 一方シエロはアルバの言葉を噛み締めて、ヒートがこない不安が和らいでいくのを感じていた。アルバがそう言ってくれるのなら、それがきっと真実なのだ。それにシエロはヒートがくるのを未だ漠然と恐れていた。自我を忘れてアルファを求めてしまう本能を、アルバに見られて軽蔑されるのが怖い。


「アルバ、それは本当か?」

「嘘を言ってどうする。この前の気長に待てばいいと言っただろう?」


 声のトーンが僅かに和らいで、アルバがシエロにだけ微かな笑みを向けてくれた。それだけでシエロの心は浮足立って、なにもかもが大丈夫だと思えてしまう。そんな様子のシエロを見て、フィンレーがまた苦々し気な顔をした。口ではふたりを応援すると言っておきながら、心はまだすべてを割り切れてはいないのかもしれない。


「アルバの話を信用するとしても、出逢ってしまっている以上はいつ何時ヒートが訪れるとも限らない。シエロを守るにはやはりアルバを傍に置いておく必要があるな」


 ヴィクターがひとつ咳払いをしてから、話を元の場所へと戻した。それで甘やかな気分になっていたシエロも、我に返って再び気持ちを引き締める。誰かよい案はないか? とヴィクターに見回された面々が、思い悩むように目をそらした。シエロにはユーリウスに公務を変わってもらうという漠然とした対策があるにはあるが、ユーリウスにはユーリウスの護衛がついている。もう長らく変わっていないので、護衛の顔でシエロとユーリウスを見分ける者が出る始末だ。


「恐れながら」


 そこでアルバが提案の声を上げた。ヴィクターが言葉の先を促すように頷いたのを確認してから、アルバが先を続ける。


「俺がユーリウスさまの護衛になるのはいかがでしょう? それで、シエロさまがユーリウスさまのふりをなさればいいのです」

「おい、いくら顔が同じでもそうそう簡単に入れ替われやしないだろう」


 ふたりが時折完璧に入れ替わっていることを知らないフィンレーに、シエロは笑わないようどうにか平然を装った。ユーリウスとヴィクターもシエロと同じ様子だったが、ユーリウスはにこやかな笑みでおかしさを上手く誤魔化していた。いい考えだと思うぞ! とアルバを褒めて、早速手配しようと言ってくれる。


「ユーリウス、本気で言っているのか?」

「ああ、僕たちのどちらかなんて誰も気にしないさ。僕がちょっと、貴族の令息たちからベタベタされるのを我慢すればいいんだろう?」


 冗談めかしてそう笑うユーリウスに、ヴィクターが少々渋い顔を向けた。ふたりが恋人同士であると知っているシエロだけがその表情の意味を悟っている。申し訳ないとは思いつつ、シエロもいい考えだと思った。アルバはふたりが入れ替われることを知っている上、その秘密を暴いたたったひとりの男なのだ。


「この男の言うことを真に受けるのか? 絶対どこかでボロが出るに決まっている」

「俺はシエロさまがユーリウスさまのふりをなさるところを見たことがあります。その際は誰も気づいておられないようでしたが」


 なおも食い下がるフィンレーはアルバの言葉を受けて渋々ながら折れた。


「まぁ、俺はこれからシエロの公務の場に居合わせる率が高くなるだろう。ユーリウスのボロが出そうになったらフォローしてやる」

「ああ、それは心強いな! よろしく頼むよ」


 ユーリウスがにこやかにそう言うのへ、フィンレーがどうにかプライドを保つように笑った。フィンレーだって過去、双子が入れ替わっている場に同席しているはずなのに、彼自身がまったく気づいていなかったことに思い当たってはいないらしい。それを知ったら彼の高いプライドがへし折れてしまうとわかっているので、誰もがそっと口を噤んでやることにした。


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