第三十六話 別れ
「どっちにするか、決めたかい?」
「そうだな、確かにこの金髪もいいが、実習で腹の中まで見飽きたし、こいつを見ると嫌な教授の顔を思い出すんだよ」
「ハハハハハ、そりゃさんざん絞られてるからね。明日の諮問もあるしねー」
「てことで、せっかくだから、自分は赤髪の方を選ぶぜ!
金髪程じゃないけど、そっちも十分可愛いしな。やっぱり人間の女は駄目だ!」
「よし、決めたなら、早いとこやっちまえ!」
遂に生贄選びの儀式は終わり、乱暴な足音がこちらに向かってくる。
あたしはガチガチ歯を鳴らし、夢でありますように、夢でありますようにと祈るも、一向に目覚める気配はなかった。
野獣の蹄はついそこまで迫っているのに、あたしは皮を剥がれた子羊のように、祭壇の上で寝転がっているのみだった。
せめて痛くありませんように……!
「ケイ!」
その時、聞きなれた頼もしい声が雷鳴のように空気をつんざいた。
二つの足音が、ネジが切れたロボットのようにぴたっと止まる。
あたしも思わず瞼を開けて、愛しい相棒の方に向き直った。
「こ、こいつら、動くぞ!」
「そ、そんなバカな! 今まで話を聞いていたっていうのか!?」
二人の愚か者が動揺しているうちに、ディーは即座に手元のリモコンを構えると、なんと眼にもとまらぬ速さで、あたし以外のありとあらゆる方向に向けて、ボタンを連打しだした。
「や、やめろ!」
「ケイ、パス!」
ようやく硬直が解けて、ディーのリモコンを奪い取ろうとした二人だったが、ディーはすかさずあたしにリモコンを投げつける。
危うくキャッチしたあたしは、室内が瞬時に様変わりしたのに気付き、怖気だった。もちろん白衣の二人も同様に。
「うぎゃあぁあぁあぁああああぁぁぁぁぁぁ!」
「ひえええええええええ!」
室内の20体余りの解剖途中のムラージュ全てが蠢き、もがき、のた打ち回っていた。
あるものは、「いぃいぃいいいい」と声にならない呻き声をあげながら、解剖台をゆっくり這いずり回り、腹腔から内臓や汚物を撒き散らしていた。
切り開かれた青ざめた皮膚が旗のように揺れ、血管や神経に、部位を特定するため巻きつけてある赤色や黄色の糸が動くたびにひらひらと棚引く。
あるものは、空っぽになった左下腹部を今にも外れそうな右手で押さえ、取り外された自分の腎臓を求めるかのように、左手を虚空に突き出していた。
剥き出しになった四肢の健が半月の光の下で蒼白く光る。
突如何の説明もなく感覚が戻って苦痛にうめく彼らは、まさに墓場から蘇ったゾンビそのものだった。
「おげぇぇえええええぇえええええ!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
医学生二人は恐慌状態に陥っていた。
解剖台と解剖台の間の狭い通路を我先にと出口に向かおうとするが、なかなかうまく前に進めない。
解剖屑が入っているバケツに蹴躓き、転び、解剖道具の箱に体が当たってメスやゾンデをあたりに撒き散らし、耐え切れず床に嘔吐し、パニック状態は加速度的に悪化していった。
「ケイ、今のうちだよ、早く逃げて!」
混乱の極みの真っただ中で、ディーの叫び声が聞こえる。
「ディー、あんたも一緒に逃げるのよ!」
あたしはディーの姿を必死に目で探すも、地獄さながらのゾンビの群れの中では、彼女の金髪は嵐の灯台よりもたよりなく、弱い月光だけではその煌めきを発見することは至難の業だった。
「ボクも後から必ず行く! だから君は、そのリモコンを持って先に行って! それがなければこの騒ぎを収めるのは困難なはずだよ!」
さすがディー、こんな時でも状況を冷静に分析している。でも……。
「でも、あんた、足を怪我したままじゃないの!」
「そんなのなんとかなるって! 早く! やつら、もう起き上がりかけてる!」
ディーの懸命の叱咤が、海嘯のようなムラージュのうめき声の大合唱に飲み込まれ、消えかけている。
あたしは迷える心を振り払い、決心した。きっと彼女なら何とかなるはず!
「分かった! 待ち合わせ場所はどこ、ディー!?」
「海辺で会おう! ボクも絶対後から行く! だから決してここに戻ってくるなよ!」
「うんっ!」
それが、あたしたち……ケイとディーが交わした最後の会話だった。




