手紙
その日の晩。
レルムは夜の見回りのため、ランプを手に部屋を出る。暗く、長い廊下を歩く足音だけが響く中、異常がないかどうかを丁寧に見て回った。
兵士たちが生活をする兵士塔へ向かい、塔の頂上まで登れば一気に視界が広がり、強い風に髪が煽られて思わず目を眇める。
「北の様子はどうか?」
塔の上で双眼鏡を手に、周りを見ていた兵士に声をかける。
「現在のところ、目立った動きは見られません」
「要塞の方は?」
「一週間前から大きく変わった様子はないそうです。むしろ、少し動きが緩やかになっているようにも見えるとの情報があります」
「緩やか?」
「はい。ただ、現在それ以上の視察団からの連絡がまだなく、これ以上のことは申し上げられないのですが……」
レルムは顎に手をやり、考え込む。
自分が倒れて一週間。この一週間はデルフォスの軍が手弱になっていた時期でもあったが、マージからの追撃が無かったことも不可解だった。
――リズリー……何を考えている?
今の彼女ならば、こちらにできた隙を見逃すことはなく国に攻め入ってくることは容易だ。しかしそれをしてこない。更に言うならば、やはり、命まで取らなかった中途半端な攻撃にもただ謎が深まる一方だった。
レルムは塔の縁に手を着き、バタバタと風に煽られながら、遠く点々と見える灯りを見つめる。
――私の覚悟が、決まらないからか?
着いていた手を固く握りしめた。
『あなたはあの時から心を頑なに閉じてしまっているけれど、職務だけが全てだとは思いません。職務に没頭する事であの時の事を忘れ、次へ進めないと言うのは違うと思うの』
怪我で臥せっていた時に、自分の全てを見てきたポルカの言葉が頭を掠める。その言葉が、妙にレルムの胸に居座っていた。
ここを乗り越えなければ先へは進めない。それを示唆するポルカの言葉……。
『覚悟のない人を相手にしなきゃならないなんて……興が削がれたわ』
吐き捨てるように発したリズリーの言葉が、追い打ちをかけてくる。
――そんなもの、そう簡単に持てるものか。そんな単純な問題じゃない……。
レルムはぐっと口を引き結び、やがて深いため息を吐いた。そして、まるで逃れるように視線をそらした。
「何か変化があれば、すぐ報告してくれ」
「了解しました」
レルムはそう言うと、再び塔を降りていく。
長い螺旋階段を降りている間、レルムの表情はとても硬かった。
兵士塔を離れ、リリアナやポルカのいる部屋の階を見て回る。中庭もくまなく見て回り、やがてリリアナの部屋の下に位置する小さな庭園へとやってきた。
リリアナの部屋に設置されたバルコニーの階段から、降りてこれるように造られたこの庭園は、死角になりやすい部分がある。
「……異常はなし、だな」
レルムは一通り見て回り、他へ移動しようとした際、頭上にあるバルコニーから足音が聞こえてきた。
時間で言えば真夜中。いつもなら寝静まって静まり返っている時間だと言うのに、人の足音が聞こえてきたことでレルムの警戒心が一気に跳ね上がる。
――何者だ?
腰に佩いた剣に手を掛け、用心深く上を見上げながら一歩一歩、階段を踏みしめて登っていく。
バルコニーで影になっていた庭園から、一気に月明かりに照らされ視界が開いた先には、夜着を着たリリアナの姿があった。
「……」
暗い夜に、月明かりに照らされて靡く黒髪が、絹糸のように風に泳いでいる。何やら思い詰めたようにバルコニーの手すりに手を掛け、南の方角を見つめているリリアナの姿が、意図せずやけにレルムの印象に残った。
「……王女殿下」
「!」
思わず声をかけると、リリアナは一瞬ビクッと肩を震わせてこちらを振り返った。
月明かりのせいか、昼間見た元気のあるリリアナとは対照的に青白く、顔色があまりよくないように見える。
「あ……レルムさん」
レルムの表情を見た瞬間、リリアナの顔に安堵の色が見えた。
何かあったのかと、周りの警戒を怠ることなくリリアナのそばに歩み寄った。
「こんな夜中に、どうされたんですか?」
そう訊ねれば、リリアナは少し居心地が悪そうに視線をそらした。
「……夢を、見たんです」
「夢?」
「それが、昼間の疲れのせいか、あんまりいい夢じゃなかったんですよね」
リリアナは困ったように頭に手をやりながら笑ってみせた。
「……なんか、村のこと、思い出しちゃって。大丈夫だって分かってるけど、夢じゃゲーリも倒れてたから、なんか落ち着かないというか」
「……」
レルムから視線をそらし、自分がきた南の方角へと再び目を向ける。
ここから見えるのは、越えてきた国境の森だけ。その森の先を見つめながら、手すりに肘をついて小さくため息を吐いた。
「良く考えたら、ここに来てから何の連絡も取ってないなぁ。今どうなってて、ゲーリはどうしてるんだろう……」
彼女にも、抱えている闇がある。
それでも、リリアナがいつも明るく振る舞えているのは、彼女が持つ純粋な素直さなのかもしれない。
レルムはギュッと拳を握りしめると、どこか寂しそうなリリアナを見つめた。
「……手紙を、書いてみてはいかがですか?」
そう伝えると、リリアナはパッとこちらを振り返ってくる。
「出してもいいんですか?」
「もちろんです。その方がきっと、ゲーリ殿も喜んでくれるはずですよ」
薄く微笑みながらそう言うと、リリアナの表情に一気に明るさが戻る。
「そうですよね! そっか、出して良いんだ!」
「……」
リリアナが嬉しそうに微笑む姿とは裏腹に、レルムの胸の奥にはチクチクとした痛みが生まれた。
――あの時、無理にでも手紙を出していたら、少しは状況が違っていたかもしれない。
今更そう思ったところでどうなるわけでもないのに、と、虚しさだけが残った。




