苦くて甘い思い出
ペブリムが目を覚ますと、部屋の中には医者と侍女がいた。
「目が覚めましたかな?」
「……」
「薬が良く効いたようで、今は解熱されておりますよ」
まだぼんやりとして軽い頭痛もあるが、体はずいぶんと軽くなっている。
医師が次の薬を用意している間に、侍女の一人がトレーを持って床頭台の上にそれを置いた。
「ペブリム様。王女殿下の指示でお食事をお持ち致しました」
「……リリアナ様の?」
「はい。病み上がりのお食事は軽いものを、とご指導くださいました」
ペブリムは医師に支えられながら体を起こすと、トレーの上にあるのはニンジンと卵のリゾットだった。それを見た瞬間、驚いたように僅かに目を見開く。
庶民的だが、空腹の胃にはとても優しいのをペブリムは知っている。そして脳裏を過るのは、近頃あまり思い出すこともなくなった過去のことだった。
『体調が優れない時は、これが一番よ』
昔、リズリーが心配して作ってくれたのを覚えている。
その時と同じものをまた目にするとは、思ってもみなかった。
「召し上がりますか?」
「……あぁ、ありがとう」
侍女に礼を言うと、嬉しそうに微笑み頭を下げて席を外す。医師も、持ってきていた診察道具を鞄の中に収めると、ペブリムを振り返り笑みを浮かべて頷いた。
「しっかり召し上がって、療養されてください。また明日伺わせていただきます」
「感謝する」
部屋に誰もいなくなると、ペブリムはもう一度まだ温かなリゾットに目を向けた。
ベッドサイドに腰を掛けて器を手に取れば、じんわりと手のひらから伝わる温もりと、ほんのりと立ち昇るバターとコンソメの香りが鼻先を掠める。
――懐かしいな……。
一般的に知られるポピュラーな病み上がりのための食事だと言うのに、ペブリムには酷く懐かしくて僅かに胸が詰まった。
本当に僅かな期間だったが、リズリーと共に暮らしていた頃のことを思い出す。
当時、父の下で一般兵として修業をしていた時は、毎日の厳しい訓練で疲れ果てて食欲を無くして帰宅していた。そんな時、度々これが食卓に上ったのを覚えている。
『どんなに疲れて、食欲がなくてもちゃんと食べないと』
まるで母親のようだと思ったこともある。それでも、手ずから作ってくれたものを無下にするわけにもいかず、出されたものは口にした。
その一つ一つがまるで昨日のように鮮明に蘇るなど、ここしばらくはなかった。
今となっては甘くて苦い思い出だった。
「……」
ペブリムはスプーンでそれを掬い口に運ぶ。
口当たりも胃にも優しい味付けも、本当によく似ている。
どこで作られたものも同じだと思うのに、どうしても思い出すのは昔のことばかりだった。
空いたスプーンを皿に戻し、ペブリムは僅かに視線を下げた。
スプーンの柄を握っていた手に僅かな力が入る。
「……君は、どうして……あんな選択を選んだんだ」
それを問う相手はここにはいない。
ペブリムは何気なく庶務机の引き出しを見つめる。そこには、当時彼女が綴り置いた手紙が今も眠っている。
何枚にも綴られた彼女の想いが分からないわけじゃない。だから目にする度に胸が痛み、苦しくなる。
それでも、どうすることもできなかった。どうしてやることもできなかった……。
あの時の自分は若くて、あまりにも未熟で、目の前のことに必死だったから。
袂を分かってから数年。その数年の間に何度も敵として再会した。再会する度に、彼女の残忍さはエスカレートしていっているのを目の当たりにすると、罪悪感で胸が痛み続ける。
――私、あなたが憎くて仕方がないの……。
手紙の一部分が思い出される。
憎むなら、そのまま憎み続けてくれてよかった。でも、敵対しているはずの国へ自ら身を堕とすような真似はしてほしくなかった。この国にいてくれれば、守ることもできたのに……。
ペブリムは深いため息を一つ吐く。
「……今更」
自分の身に刻まれた深い傷に手を当てる。
躊躇いも何もなく振り下ろされたリズリーの剣は、容赦なかった。
彼女は本気だ。その本気に向き合えないまま、躊躇い続けている自分の未熟さゆえに深手を負った。それゆえに、この国が攻め入られる可能性が高いことを分かっているはずなのに……怯んでしまった。
「……私はまだ未熟だ。あの時から何も変わっていない」
自信を無くしているわけではないが、未熟だという自分の言葉に苦い顔を浮かべる。
『良いかレルム。騎士たるもの強くあらねばならない。誰よりも前に立ち、何があろうとも、正々堂々としていなければならない。揺らいでいては、お前を慕い付いてくる者はいないと思え』
父から教わった騎士としての極意を、まだ身に刻み切れてはいない。
ペブリムはリゾットに再び口を付け、薬を飲むとゆっくり立ち上がり、服に袖を通した。
***
「……あれ?」
ドリーと共にペブリムの部屋へ向かおうとしていたリリアナが、中庭の人影に気付いて顔を上げた。
そこには木刀を手に立っているペブリムの姿がある。それを見た瞬間、リリアナの顔色はサッと青ざめ、着ていたドレスの裾をたくし上げると何も言わず中庭に向かって走り出した。
「リ、リリアナ様!?」
突然のことに驚いたドリーが、慌てて後を追いかける。
「ペブリムさん! 何してるんですか!?」
突然現れたリリアナの姿に、汗を流していたペブリムが驚いたように振り返った。
リリアナは狼狽えた表情をして、肩で息を吐きながら目の前まで駆けこんでくる。そしてすぐさま、ペブリムの体の様子を見るように視線を動かした。
「リリアナ様……」
「昨日の今日ですよ!? 傷だって塞がり切ってないのに!」
困惑するペブリムに対し、リリアナは怒ったような顔をしてみせた。
「お医者さんは絶対安静って言ってませんでした? 熱だって下がったばかりだって聞きましたよ!」
「……いえ、私なら大丈夫です」
「大丈夫って言うのは、傷が完全に完治してから言って下さい! 説得力ありませんから!」
リリアナはペブリムから木刀を取り上げてしまう。そして部屋へ送り戻そうとペブリムの背中をぐいぐいと押し始めた。
「リ、リリアナ様……」
「いいから、まずは部屋に戻りましょう!」
ペブリムはそれ以上何も言えず、リリアナに背を押されるまま部屋へと戻った。




