光
翌日。ペブリムは自室で書類の片づけをしていた。
すっかり溜まった書類の山に囲まれて黙々と捌いていたが、ふいに走らせていたペンが止まる。
長く書類に向かい続けると、体のあちこちが軋むように固くなってくる。
「少し休むか……」
ペンを置き、小さく息を吐くと椅子を引いて背後の大きな窓の傍に立った。
目の前には兵士たちが暮らす寮が見える。中庭では、各々鍛錬に励んでいたりと思い思いに過ごしている様子が見て取れた。
こうして見ていると、自分もほんの数年前まではあの兵士たちと何ら変わらない生活をしていたのを思い出す。当時総司令官だった父の下で鍛錬を欠かすことなかったあの当時は、リズリーとの結婚が決まって浮足立っていたようにも思う。
幼馴染で、同じ騎士の家柄。身分相応な結婚で、自分の両親も彼女の両親も文句をつけるところが一つもなかったに違いない。そこまでの道のりは容易だった。
『私レルムのお嫁さんになれることが、凄く嬉しいわ!』
リズリーは嬉しそうに笑っていた。
お転婆で素直で、女性でありながら剣術は冴えわたり男に決して引けを取らない腕を持った彼女のことを、レルムは心から尊敬し、愛していた。だから彼女が喜ぶように自分も喜んでいた。
何もかもが順調に進んでいたはずだったのに……。
「……」
ペブリムは、握っていたペンにぐっと力が籠った。
***
昼下がり、ペブリムは報告書をまとめたものをポルカの元に届けるため、部屋を訪ねた。
「失礼致します」
いつも通り声をかけて部屋へ入れば、昨日とは一変したポルカが座っていた。
ニコニコと見るからに上機嫌なポルカの様子に、ペブリムは不思議そうな顔を浮かべる。
「……陛下。何か良いことでも?」
報告書を手渡しながらそう訊ねると、ポルカは嬉しそうに微笑んだまま「分かる?」と嬉々として答えた。いつもよりも幼く見えるような喜び方をしながら、僅かに声高に答える。
「あの子が、私のことをお母さんって呼んでくれたのよ」
頬に手を当て、これ以上ないほどの喜びを噛みしめながら瞳を閉じ、感慨深いため息を吐く。
「こんな日がこんなにも早く来るなんて、誰が想像したかしら」
「殿下はこちらにいらしていたんでしょうか?」
「えぇ。さきほど。先日のロゼス王子のことについて話をしに来ていたのよ」
「さようでしたか。ロゼス殿下はリリアナ様をお気に召していらしたようですし、この様子でしたら婚姻を結ばれる日も近いのでしょう」
何食わぬ顔でそう答えたペブリムに対し、ポルカは驚いたように目を瞬くと困ったように笑った。
「……そうね。確かにロゼス王子はあの子をいたく気に入っていらしたわ。つい先ほど、そのロゼス王子から封書を頂いたばかりよ」
そう言いながらペブリムの前に手紙を差し出す。
ペブリムはその手紙を見つめ、薄く笑みを浮かべて頷き返した。差出人も、押されている印も間違いなくアシュベルト王国のもの。偽物だと疑う余地はない。
「ペブリム。あなたはいいの?」
「……私、ですか?」
「えぇ。あの子がロゼス王子の元へ嫁いでも、構わない?」
「……それは、私が口をはさむことではないかと」
そう答えれば、なぜかポルカはとても残念そうな顔を浮かべてため息を吐いた。
ペブリムにしてみれば、なぜ彼女がそんな顔をするのかが理解できない。王族同士の婚姻であればお互いの国にとって良い利益をもたらし、情勢に置いても今よりも強くなる。ましてやアシュベルト王国は海を渡った大きな港と街を抱えた巨大国家。海を隔てた先に、デルフォスの友好国ができることはこれ以上ない好機だと言える。
「十七年より前からマージとの交戦は続いています。今、デルフォスにとって友好国を作ることは最優先されるべき事項。それに、アシュベルト王国と言えばこの世界において二番目に大きな巨大国家です。その国とパイプが繋がることは、この国にとっても有益ではありませんか」
デルフォスとアシュベルトが婚姻と言う形でより強固に手を組んだとあれば、マージもそう簡単には手出しを出来なくなる。これをチャンスと言わずなんというのだろうか。
ペブリムがそう答えると、ポルカは「そうね。確かにそうだわ」と頷き返した。
「でもね、リリアナはそれを望んでいないのよ」
「なぜです? リリアナ様もロゼス王子を気にかけておいでのようでしたが……」
「……あの子にとって、初めてなんですって」
ペブリムは眉根を寄せる。
ポルカが何を言わんとしているのか、いまいち掴み切れず、怪訝な顔が露骨に出てしまう。
「……ペブリム。本当に気付いていないの?」
「気付くとは……」
「もう分かってるんでしょう?」
「……」
そう問われて、ペブリムはぐっと言葉を呑んだ。つまり、彼女が言いたいのはリリアナが抱えている感情の話だ。それが、自分に向いているということを言っている。
ペブリムは一度短く息を吐くと、ポルカから僅かに視線をそらした。
「……理解はしています。しかし、ただ私は他の人よりもリリアナ様に近かった……それだけです」
「……そうね。あなたは最初からあの子との距離が近くあったものね」
だからこそ、リリアナが抱えている感情も一時の世迷言でしかない。
そんなことよりも、今はまだ完全とは言えないこの国の立て直しを図るためにも、これ以上ない話を進めない方がどうかしている。
およそ、口にはできない言葉ではあるが、ペブリムはそう感じていた。
「今回の話はとてもいい話よ。将来の国のことを思えば、アシュベルトとの繋がりは喉から手が出るほど欲しい筋。だけど、私が今話をしているのはあなた個人の話をしているの」
「私個人と一国の話を秤にかけるのは、お門違いでは……」
「ペブリム……いいえ、レルム。あなたは気付いていないかもしれないけど、あの子と関わることであなたは少なくとも前よりもいい表情をするようになったわ。あの子は、あなたを救ってくれるかもしれない。私はこの国と同じように、あなたのことも心配しているのよ」
命令をすれば簡単だ。しかしそれをしないのは、ポルカの優しさなのかもしれない。
しかし、あまりにも問題の大きさが違い過ぎる。自分個人よりも国のことを最優先すべき事柄だと言うのは誰の目から見ても明らかだ。




