アシュベルト王国の王子、ロゼス
数え切れないほど大勢の人々から祝いの言葉が降り注ぐ。その度にリリアナはただ、例に習ってニコニコと微笑んでいるばかりだった。
「……っ」
背筋を正したまま長時間、こうして微笑んだまま座っているのもなかなか厳しい。
もう微笑んでいる笑顔が仮面のようにさえ思え、すぐにでも捨ててしまいたいような衝動に駆られてしまう。それでも、挨拶に来る人の波はまだ途切れる気配もない。
レルムはちらりと横目でリリアナの様子を窺い見た。
挨拶が始まってから少しも変わらない姿勢と笑み。気丈にふるまっているが、体が僅かに震えている。疲労が溜まり始めているようだった。
――どこかで良い頃合いを見計らわなければな。
リリアナが無理なくこの場から引けるタイミングが、どこかにあるはず。
「ポルカ王妃様。王女殿下の回復、心からお喜び申し上げます」
「ありがとうございます」
リリアナの視線が僅かに動き、隣にいるポルカを見る。ポルカは慣れた様子で平然と受け答えをして自然な笑みを浮かべていた。そしてポルカに挨拶を終えた人々は、皆必ずリリアナの前に立ち止まり、一言二言必ず声をかけていく。
「リリアナ王女様。お会いできて光栄でございます」
「……っ」
うっかり返事を返したくなるも、リリアナはぐっと口を閉ざした。「返事を返すとボロが出る可能性があるので、今回はただ黙って微笑んでいてください」と言う事前にモーデルからの指示を貰っている。
リリアナは言われた通りににこやかに会釈をすると、満足そうに立ち去っていく者達がほとんどだった。そして、挨拶を終えた人々は各々、用意された食事に手を付け談笑している。
そんな彼らをどこか恨めしそうに見つめるリリアナの前に、最後の挨拶をしにきた二人の男性が立ち止まり、そちらへ視線を向ける。
「お初にお目にかかります、リリアナ様。この度こうして相まみえましたこと、大変光栄に思います」
「……」
「私は西大陸より参りましたアシュベルト王国が執事、ランバートと申します。そしてこちらがアシュベルト王国の第一王子であるロゼス殿下であらせられます」
ランバートに促されて隣に立っていたロゼスは、にこやかに笑みを浮かべながらその場に片膝を着いて頭を下げた。
「お初にお目にかかります、リリアナ王女。遠くから見ても分かるほど、可憐なお方だと感じました。以後お見知りおきを……」
長い金髪を後ろでひとまとめにし、見目麗しい端正な顔立ちのロゼスを見て、リリアナは無意識にも小さく息を吐く。同時に、彼の物言いにリリアナは反射的にカーッと顔が赤らんだ。
ぎこちなくも笑顔を忘れずに小さく会釈をすると、ロゼスは嬉しそうに目を細める。
「あなたにお会いできて本当に光栄です。また、近いうちにお会いしましょう」
ロゼスは恭しく頭を下げると、ランバート共にリリアナの前から立ち去っていった。
レルムは最後まで何事もなく挨拶が終わったことに安堵して、静かに深く息を吐いた。
「あの、さっきの言葉、何なんだろう……?」
リリアナは意味深に言葉を残していったロゼスの事が妙に引っかかって仕方がないのか、思わずそう呟いていた。他とは違う会話に、疑問を抱かずにはいられなかったのだろう。
それを見ていたポルカはくすっと笑う。
「ふふ……。ロゼス王子に見初められたかしら」
「へ?」
隣に座っていたポルカがそっと身を寄せてそう言葉を呟くと、リリアナは目を瞬いた。しかし、その意味が分かると、落ち着き始めた熱がこみ上げてまたしてもカーッと顔が赤らんでくる。
「み、み、みそ、見初められたって……!」
クスクスといたずらっ子のように笑うポルカを前に、リリアナは真っ赤になったまま口をパクパクさせていた。そして恥ずかし気に視線を下げた。
「……」
このタイミングで、レルムはポルカに近づき身を低くして小声で話しかける。それを聞いたポルカは小さく頷き返すと近くにいた大臣に声をかけると、大臣は前を向いて口を開いた。
「では、これで王妃様と王女様は退場されます。皆様、この後はごゆるりとお過ごし下さい」
それを合図に再びリリアナの隣にレルムが立ち、来た時と同じように腕に手を絡ませる。
「とてもご立派でした」
そう言って微笑むレルムをリリアナは見上げ、恥ずかしそうに僅かに視線を下げた。
「あ、ありがとうございます……」
再び階段を登りながら、リリアナは背中に視線を感じ肩越しにチラリと後ろを窺い見る。
レルムもそれにつられるように視線を送ると、こちらを見ているロゼスと視線が合った。
ロゼスはにこやかに微笑みながら手を振ってくるが、その瞬間リリアナは思わず前を向いてしまった。
「……どうされましたか?」
「い、いえ、べ、別に」
レルムに訊ねられて咄嗟にそう答え、胸元に手を当てて僅かに顔を俯ける。レルムはその反応に「……なるほど」と納得をしてしまう。
彼女に対して他の国の王子が好意を持ったなら、これ以上におめでたいことはないだろう。そうなるべくしてなる、当然の摂理だ。しかし、当のリリアナは不思議そうに自分の胸に手を当て、しきりに首を傾げている。そしてもう一度、チラリと隣を歩くレルムを見上げてきた。それに気付いたレルムがやんわりと微笑み返せば、再びリリアナは慌てて視線をそらした。
大広間から戻ってくると、リリアナがほっと息を吐くのと同時に、レルムは戻って来るのをカーテンの裏側で待っていたドリーの前で腕を解いた。
「殿下。とてもご立派でした。私はこれで失礼致します。あとはお部屋でゆっくりとお休み下さい」
「あ……」
レルムは一礼した後、踵を返した。同時に、思わずリリアナの声が漏れるとレルムはもう一度彼女を振り返る。
「どうされました?」
「あ……えと、ご、ごめんなさい、なんでもないです」
レルムは笑みを浮かべ、再びリリアナに背を向けて歩き出した。
遠退いていく彼の背中を、リリアナは呆然としたように見つめる。
「リリアナ様。お部屋へ戻りましょう」
そんなリリアナの元に、ドリーが声をかける。するとリリアナは彼女を振り返り、困惑したような顔を浮かべた。
「ドリー。あたし……気づいちゃった」
「?」
「……あたし、レルムさんのこと、好きなんだ」
ポツリと呟いて、リリアナは一人カーッと顔を赤らめた。
仲間として好きだったことは幾らでもある。だが、特定の人物に特定の感情を持って好きだと思ったことはこれまでなかった。だから、ロゼスが自分に好意を抱いているかもしれないと、知られるのが嫌だと感じていた。
リリアナが自分の感情を理解していた時、レルムの元に駆けてくる兵士の姿があった。
「レルム様!」
レルムが足を止めてそちらを振り返ると、兵士はレルムにこそっと何かを報告する。その報告に、レルムは目を僅かに見開き、険しい表情を見せた。




