秘密特訓
それから数日。
靴擦れが治るまでの間、リリアナはみっちりとモーデルによって座学を仕込まれ、だいぶストレスを溜めているようだった。
隙あらば逃げ出そうとするリリアナの様子を何度も目撃したが、その度にドリーやモーデル自身に連れ戻されたり、ペブリムが見つけた時にはペブリムが連れ戻すこともしばしばあった。
やがて、お披露目パーティまであと一週間と迫る頃になり、ようやく足の調子が戻ったリリアナはこの日、ふてくされたような顔でバルコニーで頬杖をついて一人文句を呟いている。
「座学も大事なのは分かってるけどさ……これ見よがしにいろいろ詰め込まなくても良くない? 村にいた時に調剤室に閉じ込められた時みたい」
話す相手もない独り言の不満が止まらない。
夜のバルコニーで文句を漏らしていたリリアナは、大きく伸びをして脱力と共に深いため息を吐き、首が凝っているのか何度も動かした。
「あぁ~体が鈍ってる。座ってばっかりだったからなぁ……。頭の中に色んな情報が入り過ぎて、ダンスのステップも忘れちゃったかも」
そう呟いた時、ちょうどリリアナの足の調子が戻ったことを聞いたレルムが、バルコニーへ続く階段を登ったところだった。
「忘れてしまいましたか?」
聞こうと思ったわけではなかったが聞こえてきた言葉に応えると、リリアナは弾かれたようにレルムを振り返った。
「レ、レルムさん!?」
「もし忘れたのでしたら、また一からレッスンをしましょうか?」
リリアナの前に立つと、こちらを見上げてくる彼女の顔がむくれた顔から途端に期待や不安が入り混じる驚きの顔になった。
「パーティまであと一週間ほどです。あまり時間はありませんが……。王女殿下であれば問題はないかと」
真面目な顔でそう伝えると、途端にリリアナの顔に少しずつ熱を帯び始めた。
パッと見上げていた視線を外して顔を俯ける。
「ぜ、全部忘れたわけじゃないとは、思うんですよね」
「……そうですか。では、復習をしてみましょう」
「い、今ここで?」
「えぇ」
レルムはにっこりと微笑み、手を差し伸べる。
リリアナは視界を忙しなく彷徨わせながら、おずおずと手を持ち上げてその手を取った。
何という事はない。昼間のレッスン同様に預けられた手をやんわりと握り返し、リリアナの腰に手を回す。だが、彼女は一番最初の頃に戻ったように体全体に力を入れて立ち、動きがぎくしゃくしたものになっていた。
まるで石像を相手にしているかのような感覚になってしまう。
レルムは困ったように笑いながら、リリアナに声をかけた。
「リリアナ様、体の力を抜いてください」
レルムがそう伝えるものの、力は一向に抜ける気配がない。むしろ、更に固さを増してしまったように感じる。視線は下がったままで、レルムから見ればリリアナの頭しか見えない。
「視線を上げて……」
静かに伝えれば、リリアナはぎこちない動きで顔を上げようとする。だが、上がり切らずにまた視線が下に下がってしまった。
――これではレッスンにならない……。
レルムが困り果てていると、リリアナは震える声で口を開いた。
「……ぺ、ペブリムさんの時と、ち、違い過ぎて……」
手の大きさや体躯の大きさ。女性と男性では大きく違って当然ではある。
「それは確かにそうだと思います。ですが、今後、パーティの場でリリアナ様のお相手をさせて頂くのは、女性ではなく男性ですよ?」
「そ、そうなんですけど……」
「私で慣れて頂いた方が、問題はないかと思いますが……」
するとリリアナはますます顔を俯けてしまう。
「レ、レルムさんだと、な、慣れないような気がします……」
「……」
顔を俯けたまま耳まで真っ赤になっているリリアナに、レルムは浅い息を吐き一度手を解いた。同時に、リリアナの体に柔らかさが戻ったように見えた。
――お披露目パーティでは他国の王族の方々もいらっしゃる。それに、今後のことを思えば、このままではリリアナ様だけでなく、陛下にも影響が出る。
そう思うと、レルムの表情が一段厳しくなった。
「殿下」
レルムは落ち着いた声でリリアナに声をかけると、彼女はぴくっと肩を震わせ僅かに顔を上げて視線を投げかけてくる。
「もし、私で難しいようであれば、別の者を手配いたします」
「え……」
「ここで、あなたに恥をかかせるような真似はしたくありません。一週間後のパーティで必ず踊るわけではありませんが、やはり今後のことを考えると……」
「あ、あの! ご、ごめんなさい。違うんです!」
リリアナは困惑した様子で顔を上げ、慌ててレルムの袖を掴んだ。
「その……あたしが、なんか意識し過ぎちゃってるだけなんです! レルムさんとは、村を出る時から一緒だったけど、一緒じゃなかったし……」
「……」
「えっと、つまり、他の人じゃなくてレルムさんがいいんです! が、頑張りますから!」
袖を握る手に力が入っている。赤らんだ顔は変わらず、緊張からか指先が微かに震えていた。
レルムはそんなリリアナを見つめ、短く息を吸い込む。
「承知致しました」
頑張ると言ったリリアナの言葉を信じるしかない。
レルムが答えると、リリアナは表情に僅かに明るさを帯びて顔を上げてきた。
「では……顔はそのまま、私を見ていてください」
そう言うと、レルムはリリアナの手を取り、そっと腰に手を回す。一瞬、リリアナの体が反応し僅かに体に力が入ったが、先ほどよりもまだ体の固さは感じられない。
ふと、そんな彼女に視線を向ければ、湯気が出そうなほど真っ赤に顔を染め上げ、口を真一文字に引き結んだリリアナの顔が見える。
「……殿下、息をしてください」
「……っ!」
顔を上げることに必死になっているリリアナの姿は、小刻みに震えていた。




