リリアナと言う人
その晩、レルムはいつも通りに夜の見回りに向かっていた。そして、リリアナの部屋の庭園に足を向けると、扉の外からは小さく草を踏むような音が聞こえてくる。
「?」
不思議に思い、そっと扉を開いて音のする方へ目を向けて見る。するとそこには夜着を着て素足でダンスのステップを踏んでいるリリアナの後姿が見えた。
頼りない月明かりの下で、一人で真剣な表情をしながら日中に習ったばかりのダンスの足の運びを繰り返し練習している様子に、レルムはその場から動けなくなる。
あのダンスレッスンの後も、色々とモーデルにしごかれていたと言う話を聞いて、心身ともに疲れ果てているものだと思っていたのだが……。
――こんな時間まで……。
日中は練習から逃げ出すようなリリアナが、こうして一人練習に励んでいる姿を見て言葉もない。
レルムが見守っていることに気付かないほど集中しているリリアナが、短い声を上げて突然よろめきその場に倒れ込んでしまう。
「……!」
レルムは咄嗟に飛び出しそうになったが、リリアナはすぐに身を起こしたことで足を止めた。
彼女は座り込んだまま、頭を掻いて長いため息を吐く。
「……ちょっと休憩しよ」
リリアナはそう言いながら近くにあるベンチを振り返りよろめきながら立ち上がって座ると、何気なく空を見上げた。つられるように、レルムも空を見上げるとチカチカと瞬く星が見える。
何かを思い出すようにじっと空を見つめていたリリアナは、もう一度深いため息を吐いた。
「……こんな事で足引っ張ってたらダメだよね。前に進むって決めたんだから。ちゃんとこれから先を見ていかないと」
自分を励ますように呟くその言葉に、レルムはぴくっと反応を示した。
なぜか、彼女の言葉が胸に刺さる……。
「やらなきゃいけない事はたくさんあるんだし、とにかく頑張らないと!」
そう言うと、リリアナはベンチから立ち上がった。そしてヒールを履いているつもりで踵を上げながら、モーデルに言われた言葉を思い出しながら中庭の中を歩いてみた。
草を踏みしめながら歩き出すと、日中にヒールで痛めたのだろう。すぐにヨタヨタとした動きになり、足を止めて自分の足を持ち上げる。
「うわぁ……凄い靴擦れ……」
顔を歪めながらそう呟くと、足を下ろした。
「……見たら余計痛くなってきた。見なきゃ良かった~」
リリアナは痛みに顔を顰めながらなんとなく空に目をやる。
「ありゃ。気付いたらこんな時間。足も痛いし、今日はこの辺でやめとこ」
また明日も地獄のレッスンが待ってるし……と肩を落としながら、リリアナはベンチの傍に置いてあった靴を手に取り、階段を上って自分の部屋へと戻って行った。
レルムはそんな彼女に声をかけることもないまま、その背を見送る。
声をかけるタイミングを逃した、と言うよりも、声をかけることが憚られた。
彼女が一所懸命に何かをしている時、声をかけては集中力の妨げになることを知ったからだ。
――成長しようとしているリリアナ様の妨げをするのは違うからな。
何より、誰も知らない場所で頑張ろうとしているリリアナの努力は目を見張るものがある。
もしかしたら彼女は、いつもこうして人の目のないところで人一倍頑張っているのかもしれない。自分の気持ちに何度揺すぶられ、引っ張られても、正しく前を向こうとする。その姿勢は、今のレルムには酷く痛くて、そして心を動かされた。
「……私が彼女に学ばなければならない部分が多いな」
まさに、自分が仕えるに値する人物だと感じた。
――彼女の将来の為に、自分にできることは何でもしよう。
そう思うと、固く拳を握りしめた。
***
その日から二日後。再びペブリムとのダンスレッスンの日がやってきた。
このレッスンまでの間、毎晩のようにこっそりと練習に励んでいることは知っている。
相変わらず緊張したような面持ちでペブリムの前に立ったリリアナは、差し伸べた手におずおずとながら手を重ね、何とか基本の体制を取る。
「以前より、抵抗がないようですね」
素知らぬ顔でそう言うと、リリアナはピクッと肩を小さく弾ませた。
「そ、そうですか?」
リリアナはまだペブリムの顔をじっと見つめる勇気がないのか、僅かに視線をそらして照れながら呟く。
彼女は、自分の努力をひけらかすようなタイプではないようだ。
ペブリムは、自分の目で見たリリアナの印象に間違いはないと確信した。そして、ちらりとドレスの裾から覗いていたリリアナの足を見る。
「モーデル殿」
「はい、ペブリム様」
「今日のレッスンはやめておこう」
「え?」
この場にいた誰もが驚いたような顔を浮かべて見つめてくる。
せっかく組んだダンスの体制を崩し、戸惑うリリアナを見つめた。
「リリアナ様。その足ではできるものもできませんよ」
言われるままに、リリアナはギクッと顔を強張らせる。
見えないように処置をしたのかもしれないが、ヒールから見える部分の肌が熱を持っているかのようにほんのり赤く色付き、更に無意識にも足を僅かに浮かせる動作を見た。
「お怪我をされているのですか?」
モーデルが血相を変えてそう訊ねれば、リリアナは焦ったように首を横に振る。
「け、怪我って言うほどじゃなくって……」
「靴擦れをされています。今朝は無理をされずお休みをするよう申し上げたんですが……」
ドリーもいたたまれずそう申し出ると、リリアナは「言わないでって言ったのに!」と小声で呟いた。
「足の状態が落ち着いたら、また再開致しましょう」
ペブリムがそう言うと、リリアナの足の具合を見たモーデルも「そうですね」と頷いた。
「では、本日はダンスレッスンをお休みにして、座学に致しましょう」
「……え~」
座学と聞いた瞬間、リリアナの表情が露骨に嫌な顔を浮かべた。
落ち込むリリアナは椅子に座り、モーデルは別室で座学の用意をしてくると言って部屋を後にした。
「リリアナ様、お湯を持ってきますね」
そう言って、ドリーも部屋を後にする。
「リリアナ様……」
部屋に残ったペブリムは、隣で椅子に座っているリリアナに声をかけた。するとリリアナは不満そうな顔を浮かべながらちらりと見上げてきた。
「……お一人で練習されたのではありませんか?」
そう聞くと、リリアナはドキッとしたような顔をした。




