4 青い実り
もうすっかり夜になってしまった。
プネアルマ学府の寮は消灯時間になると門を閉ざす。個人の思考の成長を促進する狙いから自由度は高いとは言え、貴族の子息令嬢を預かる学府は管理面でも勿論杜撰ではない。閉ざされた寮棟にバレずに忍び込むことは不可能なことから、出来ればそれまでに戻りたいが…。
今イノリが考えていることを実行するなら、恐らく間に合わないだろう。
森の入り口にイノリは立っていた。
ピノのロケットは大きくはないが、銀製であり鎖に繋がれている為多少の重さはある。それを空中で掴むとなると、小鳥より大きいとみていいだろう。
光るものを集める習性を持つ、カトルという黒い鳥がいる。成鳥であればそれなりの大きさとなる類の鳥だ。幼い頃、自分の黒い羽を華やかにしたいから光るものを集めるのだ、という物語を聞いたことがあった。実際にはカトルはそれらを身に付けるのではなく、ただ巣に持ち帰り闇の中で光る擬似的な目として威嚇に使い雛を守っていたのだが。
学舎から離れたこの森は鬱蒼としており、カトルの巣作りの条件に合致していると思えた。
――後無しが。
バジーの言葉が蘇る。
それを振り払うように、ふ、と息を吐きイノリは森の中に足を踏み入れた。
別世界に迷い込んだように、一瞬で空気が変わる。
イノリが招かれざる客であるか、誘われた迷いびとであるか、森が窺っているようだ。
夜の森に入ることは当然禁じられていた。この森には猛獣がいる訳ではない筈だが、それでも闇の中では何が起こるか分からない。
イノリはこくりと唾を飲み込んだ。
周囲に眼を凝らす。生い茂る枝の隙間、光るものがないか、探す。
なるべく足音を立てないよう、慎重にイノリは森の奥に進んでいく。
帰り道を見失ってしまっては元も子もない。イノリは一旦立ち止まり、眼を閉じ息を整えた。
自身の足と、大地の境目を意識する。そっと目を開き後ろを確認した。
進んで来た道を記すように、ぽつりぽつりと地の微精霊が光っている。
これで一旦大丈夫だろう。
イノリは再び進み出した。
イノリ・エンヴォルヴをプネアルマ学府の教師陣は「優秀」と評価している。
それは間違いではない。教本という柵に囲まれた土地では、彼は聡い。
ただ柵の外の世界ではイノリはまだ少年でしかなかった。
微精霊を感知できるのは、人間だけではない。
むしろ自然と密に共存している存在こそ、人よりも長けていて当然なのだ。
宙を見つめる猫のように、雨の前に鳴く蛙のように。
自然の中で生きる命が不意な動きをした微精霊に気がつくことは、それこそ自然なことなのだった。
チカ、と視界の隅で何かが瞬いた。
イノリはその方向に眼を凝らす。
幾つもの枝の先、何処だ、何処だ――?
チカ、とまた一瞬光る。
巣の中で眠るカトルの雛の動きによって月光を反射したのか、その位置をイノリは確実に捉える。
よし。
無言のままイノリはその木の根元まで進み、半眼を閉じ両掌を開いた。
ひんやりとした夜の森の空気。その世界と掌を繋げる。
ふわり、と一つの風が巻き起こり、それは巣の中を優しく掬い上げた。
銀のロケットがゆっくりとイノリの手の中に降りてくる。
とす、とその重みを感じた時、イノリは堪らず息を吐いた。
「…や、ったぁ……」
ぐ、とロケットを握り締める。
これでピノは家族の思い出を失くさずに済む。
頭の中に浮かんだ笑顔のピノ。ピノは家族に囲まれている。しかしそれはすぐにイノリの家族の姿に移り変わった。
思わず、イノリの体は竦んだ。
――大丈夫、大丈夫。
ピノの宝物は取り返した。
そして、地と風の微精霊は着実に扱えるようになっている。火の微精霊も、喚ぶことに慣れれば同等に扱うことは可能となるだろう。
――俺は、無意味じゃない。
無価値じゃ、ない。
ロケットをポケットに入れ、イノリは自らを奮い立たせた。
帰路に就こうと振り返り、そして―――。
周囲の気配が変わっていた。
いや違う。それは正しく夜の森の姿なのだろう。
文字で、絵で、噂話で知るものではなく、実体として目の前に現れた明らかな、危険。
微かな唸り声。
生臭い匂い。
踏み締める足音。
地の微精霊が灯る辿ってきた道の奥から、幾つもの獣の目が獲物であるイノリを見ていた。




