2 重ねる/撓む
「微精霊を喚ぶことは誰でも可能とされている。だが、魔素の扱い次第で結果は大きく異なる」
実習をする際に使用することが多い此処、ベルクの庭で生徒達は座って教師の言葉を聞いている。
今更驚く内容ではない。この学校、言ってしまえばこの国の民ならば読み聞かされた絵本のように知っていることだ。
だが目の前の教師、ユング・グアンダは度々繰り返し生徒に伝える。慢心を防ぎ、正しく最大の成長を願うが故に。
堅苦しいところが一部の生徒からは煙たがられているが、イノリは彼のことが嫌いではなかった。
「微精霊は5つの要素に分類される。地、水、火、風そして、光。強く調和出来る微精霊は各個人の性質と無関係ではない」
黒いローブを翻し、歩みながらユングは語る。
「生活の礎たる大地と等しき地の微精霊は”安定“を司る。液、固、気へと絶えず姿を変える水の微精霊は”受容”を。命を繋ぐ熱を興す火の微精霊は”情熱”を。あらゆるものを運び、紡ぐ風の微精霊は”交流”を。そして行くべき道を照らす光の微精霊は”真識”を――。自らの性質と近しい微精霊は喚びやすく、また強く応える。よって微精霊を扱うには、己を知ることが不可欠となる」
イノリは自分の掌にそっと目を落とす。ぐ、ぱ、と閉じては開いてみる。
「己が内の不足を知り、研鑽を積む。微精霊はその一つの指標だ。諸君は15の齢を超えている。自ら微精霊を喚ぶ資格を持つ、即ち大人として認められた存在だ」
ここでユングはぴたりと足を止めた。金の刺繍が施されたローブの裾が、彼の動きに従う。
「必ず心に刻みなさい。”精霊は鏡である”と。正しき手にのみ、正しく微精霊は応える。――諸君に期待している。では各自、始め」
はい、という返事の後、一斉に生徒は各々の目の前に置かれた試験管台に向き直る。台には5つの太めの試験管が設置されていた。それぞれの中には土、麻、水、葉、そして一番右は空の試験管。
イノリは軽く肩を回し、そっと目を閉じる。
ふう、と息を吐いた。
臍の奥、斜め下に意識を集中する。
躰の内部世界、その一点。
滲み出るように小さな熱を灯す。
その熱が霧散してしまわないよう、球体に成形する。
慎重に熱球をじわりと上昇させていく。
やがて熱球は胸の中央に到達すると肋骨に、背骨に溶けて広がっていく。
躰の温度が高まっていく。
全身の皮膚の表面、薄皮一枚分浮いたあたりに熱膜が張られる感覚。
イノリはゆっくりと目を開き、足の裏の感覚を研ぎ澄ます。
1…2、3…4、5678、9、10本すべての足指と意識を接続すると、靴の中で足が浮いたように感じる。
「…おいで」
イノリは左端の試験管に向かい、微かに声をかけた。
試験管の中で、ふわりと何かが揺らめく。底に入れられていた少量の土が沸騰する素振りを見せたかと思うと、試験管一杯まで土が増加した。
イノリは隣の試験管に視線を移す。
肚の中、海を想像する。
ゆらりゆらりと揺れる波は止まることを知らない。
際限なく、満たしていく。
きらりと光った後、試験管の中の水が底の方から優しく渦を巻いた。
そして右から二番目の試験管を見る。
両の掌を開く。
世界と接触していることを意識する。
まるで掌で呼吸をするように、世界を吸い、自身に巡らす。
次第に試験管の中に入っていた葉がふわりと浮き、散る花弁のように踊った。
中央の試験管。
胸の奥、火種を探す。
胸の中心から熱線を送るイメージで試験管を見据える。
中央の試験管に入っている麻が微かに震え、一部が黒ずんだ。
細い煙が一筋立ち昇り――。
「――っっはあっっ……!!」
そこでイノリは弾かれたように肩で息をした。麻からは火は起こらず、煙はすぐに収束した。
膝に手をつき、呼吸を整える。俯いているイノリの視野に靴が映った。
顔を上げるとユングがすぐ近くに来ていた。
「火の微精霊はあと一歩だな。だが、この年齢で既に3つを喚ぶことが出来ているのは素晴らしい」
「すげえなあ」
社交辞令という性能を搭載していないシィマが、素直に感嘆する。
「俺なんか風の微精霊がやっとこさなんだけど。コツ教えろー」
ばかやろ、とばかりにイノリは鼻に皺を寄せた顔をシィマに向けた。
「シィマ・カスタマオン。先程私が話した内容は覚えているか?」
ほらもう!とイノリは内心頭を抱えた。しかしシィマはびくともしない。
「勿論です、ユング先生!”精霊は鏡である”、つまり召喚の道程は一つとして同じではありません!私の甘さから来る発言をしてしまいました、申し訳ございません!」
真っ直ぐな瞳でユングを見ながら、シィマはいけしゃあしゃあと反省を述べた。
ユングは深い溜息をつく。
「表面ではなく、自身の底と会話出来るよう学ぶといい」
はい!という明朗な反応に半分、というか9割方呆れつつも、ユングは頷き離れていった。
くるりとイノリに向き直ったシィマはあっけらかんと言葉を投げる。
「へい、アドバイスプリーズ」
「俺いつかお前の舌数えるわ」
イノリは頭を振った。
そもそもアドバイスなど、出来る立場ではない。
火の微精霊は遠からず喚ぶことに成功するだろう。だが、光の微精霊においては現状皆目見当もつかない。
イノリは、自身を微精霊の世界へ接続する心象風景を構築することで召喚を行っている。下半身、肚、腕、胸ときたら頭という予感はするのだが、繋がれる予感がしなかった。
足りない。
これじゃ、足りない。
ズキ、と頭の奥が軋む。
それを無視し、笑いながらシィマと会話を続けた。
「後無しのくせに」
そんな呟きが、耳に届く。
何故聞きたくない言葉程、零さずに見つけてしまうのだろう。
精神が肉体から抜け出してしまったように、世界が遠くに感じる。
あらゆる痛みの面を伏せ、イノリは笑っていた。




