5 蜘蛛の糸を舐める
色々なものが、俺の足を引っ張っている。
ただの食料品店の倅だった彼は、毎日齷齪働く父を見て育った。
ペコペコと客には頭を下げ、ヘラヘラと業者には媚びを売り。
浅ましい。
それが彼の、父に対する評価だった。
―俺はあんな奴とは違う。這い上がってやる。
幸い彼は良い目と良い耳、強い執念を持ち合わせていた。
己の才を振るう場所、希望を叶える舞台として、商会を選択した。
流行をいち早く掴み、隠れた名品を探し出し。
燃え滾る我欲を綺麗に包み隠し、彼は瞬く間に頭角を現していった。
ラクロワ商会が決して白くはないことを、やがて彼は見抜く。
気づいた当初こそ多少は震えた。
それが何だ?
俺達は夢を売っているのだ。
騙された、など烏滸がましいにも程がある。
そう、彼に向かって言葉を吐いた人物は誰だったか。
恐らくその人はとうに良心を売り捌いていたのだろう。
その人の指や腕で光る装飾品こそが、勝者の証だと、彼は疑わなかった。
ボグワーが領主となってからは、更に順風満帆な日々だった。
綺麗に髪を撫で付け、糊の効いた服に身を包み。
颯爽と街を歩く自分が、彼は心底誇らしかった。
転落はある日突然起こる。
商会内部の腐った偽善者が、告発したのだ。
それだけなら逃げようはあった。彼はまだ、商会の責を負うまで昇りつめてはいなかったのだから。
しかし、爛れた連中は妙に鼻が効くことがある。
幾つかの契約書にて、担当者として彼の署名があった。
危険の分散を画策し、彼はまんまと利用されていたのだ。
知らぬ存ぜぬを突き通し、筆跡鑑定から別物と判定され投獄は免れたものの、尋問が終了した頃には世間の彼を見る目は決定していた。そもそもラクロワ商会の人間がその業界で返り咲くことなど、到底不可能なのだ。
失業。
短い単語だけが、彼の人生に残った。
色々なものが、俺の足を引っ張っている。
ツエンは毎日、土に塗れている。
汗臭い男に囲まれ、低俗な会話に耳が汚れ、少ない賃金を懐に埃だらけで帰路につく。
何故俺が。
何故俺が。
何故俺が。
気が狂いそうだった。
どこから間違った?どの選択を失敗した?
あんなに嘲った父よりも、今は下になっていることが許せなかった。
ある日、建設現場に少年が現れた。
一目で庶民ではないことが分かった。
―金持ちの社会勉強か?巫山戯やがって。
少年の白い手首が。柔らかそうな髪が。
―気に食わねえ。
ツエンは無意識に少年を目で追っており、そんな自分がまた腹立たしかった。
鬱屈とした数日を過ごし、就業時間が終われば誰よりも早く現場を立ち去るようになった。
しかし、今日は水筒を持ち帰り忘れてしまったことに気がつき、ツエンは苛々しながら現場に戻った。
どうでもいい、安物の水筒だ。だが、今はこんな安物でも買い直す出費は惜しい。
隅に取り残されている埃だらけの水筒が、ツエンの目には酷く惨めに映った。
舌打ちをしながら拾い上げた時、誰かが残っているのに気が付く。
親方と、少年。
やがて親方は帰っていく。少年は何故か立ち去らず、暫く立ち竦んでいた。
―阿呆らしい。俺には関係ねえ。
踵を返そうとしたツエンはしかし、急に動き出した少年に思わず足をとめる。
手洗い用の樽に隠れ、じっと観察をする。
土を掻き分けていた少年は、何かを掴み、掲げる。
ツエンは目利きだった。
商会では様々な名品、珍品を扱っていた。
そう、市場に出回ることのない、希少性の高いものも彼は知っている。
――おいおいおい、あれは――――。
少年の手の内にあるものを、見間違える筈は無かった。
神出鬼没の貴重な資源。
容易には手に入らぬ、泡沫の存在。
―――精霊鉱だ。
ツエンは嗤った。
いやらしい三日月型の目は、暗く沈んでいた。




