4 その痛みは誰のもの
少し高い位置に設置されている窓から光が射し込んでいる。
イノリはそれを何故か「わざとらしい」と感じてしまった。
光が射し込む、明るい空間にすることで澱などない振りをするように。そんな狡さを感じ、胸がざわついた。
女性とミダ、イノリは別の部屋に移動していた。
―まるで告解室だ。
イノリはそう思う。
「お名前を」
ミダが女性に言葉をかけた。そしてイノリはああ、と確信する。
この紗は相貌を隠すだけでなく、声色も変える効果があるのだ。
ミダの声が見知らぬ音になり、イノリは益々、足元が不安定なものになっていく気がした。
「…ナナミ・サルスベラです」
女性が掠れた声で答える。疲れきった様子から、50代程の印象を受けていたが、もしかしたらもっと若いのかもしれない。
乾燥した手で彼女は自らを抱いた。まるで、防御を固めるように。
「サルスベラさん」
ミダは頷き、彼女の名を呼んだ。
「…よく、頑張りましたね」
数秒、ナナミは止まっていた。次第にミダの言葉が乾いた体に染み渡ったのか、ゆっくりとこちらを見る。
「…え……?」
「どんなに、お辛かったことでしょう」
「…、っ…」
表面張力で体内に押し込めていた苦しみが、決壊していくのが分かる。
ナナミが口を覆う。小刻みに肩が震えていた。
「…よろしければ、お話をお聞かせください」
ミダであってミダでないその声に、ナナミは数度、頷いた。
口を開き始めたナナミを見て、イノリは思う。
「我々は資格を得たのだ」と。
その線引きをイノリは知っていた。何故なら、自身もそうしていたのだから。
エンヴォルヴ家に引き取られ、しかし後無しとなってしまった自らの境遇。その苦しみを、イノリはシィマにすらほぼ打ち明けていなかった。
その理由。
どうせ分からないから、だ。
辛い境遇に陥った者は、時にその痛みを高い位置に飾ってしまう。それを見る資格を有するのは「優しい人間」ではない。「その痛みを知っている人間」だけだ。
何故か。
慰められたいのではない。どうせ解決しないのだから。
慈悲で包まれたくはない。決して弱者では無いのだから。
逃げ出したいその苦しみを、しかし部外者に分析されたくはない。
その絡み合った感情を、イノリは知っていた。
―ああ。
あの頃の自分を客観視したイノリは、もう一つのことに気が付く。
―シィマは、ずっと待ってくれていたんだ。
普段はおちゃらけている友人が、実は思慮深い少年であることを知っていたのに。シィマはイノリの傷に踏み込まず、自分に話してくれる時をそっと待っていたのだ。彼の隣が、あんなにも心地良かった理由が今になってはっきりと分かる。
―元気かな。
少しスキンシップ過多な友人を思い浮かべる。
猛烈に、会いたくなった。
「母は、女手一つで私を育ててくれました」
ナナミの言葉でイノリは現実に引き戻された。
「父は会ったことすらありません。母が身籠ったことを知り、捨てたのでしょう。身分が違う女との、気楽な遊びだったのかもしれません」
ミダはそっと頷くことで、先を促した。
「生活は決して楽ではありませんでしたが、幸せ、だったと思います。母は食堂で働き、懸命に私を育ててくれました。いつも、笑っている人でした」
ナナミはぽつりぽつりと自分の人生を紐解く。
その目はどこか遠くを見ているようだ。
ナナミは思い出の海に浸る。
小さな頃、母の仕事が終わるのを食堂で待っていたこと。
大人用の椅子は大きく、地に着かない足をぶらぶらさせていたこと。
寝台に運んでもらうのが好きで、わざと違うところで寝ていたこと。
厨房の中、額の汗を拭うときも。
腕に抱かれながら薄目で見上げたときも。
母は笑っていた。
「それが、5年前…病に罹っていることがわかりました」
もしかしたら…!
イノリは思った。
あの精霊鉱の効果は、癒しなのだろうか。
ナナミの母を、救えるということか。
イノリは紗幕越しに、ミダに視線を送った。
しかしミダは真っ直ぐにナナミを見つめたまま、イノリの視線には答えなかった。
ナナミは絞り出すような音で、続ける。
「…全てが、徐々に崩れていきました」




