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ダンス・ウィズ・ア・シャドウ  作者: 森大洋
救いの手の後先
18/31

2 幕は上がっていた

イノリは絶賛大混乱中だった。

揺れる馬車の中、目の前にはミダが座っている。

だが、いつもの姿とは大きく異なっていた。柔らかい素材の軽装を好むミダは今、白地に金の刺繍が施されたローブに身を包んでいる。イノリはそれが何だか知っていた。

ルキア教の神官の法衣。

それだけではない。

ミダは顔に薄い紗を纏っていた。

紗幕の神官。

その存在の噂を聞いたことがある。

祭事や儀式など、表舞台に彼等の姿はない。枢機卿の補佐として存在し、派閥の誕生を拒み滅私の表明としてその面を隠すのだ、と。

実在するのか、将又魅力的な謎としての産物か、曖昧だった存在が今、目の前にいる。

何と、ミダがそれだった、と?

更に言うと、イノリ自身も同じ格好をさせられていた。


――なな、何故…―――??


イノリは少しでも脳内を整理しようと、昨日の嵐のような来訪者、リガレ・ヤフタギーの言葉を思い出していた。





「仕事じゃよ」

リガレはそう告げた。

ミダは溜息をつき、髪をくしゃりとした。

「いつ?」

「明日正午、道を繋げる」

はあい、とミダは返事をした。

「折角だ、坊も連れて行くが良い」

「はあ?」

ミダはイノリを見る。イノリはそこで坊とは自分を指しているのだとようやく気づいた。

「いや、早いでしょ」

「阿呆。真綿に包み蜜でも運ぶ気かえ?軟弱な経験のみでは軟弱な男にしか育たん。儂は屈強な者が好きじゃ」

「ババアの嗜好なんて知らんって。…場所は?」

「モンゾじゃな」

んー、とミダは暫く宙空を睨んでいたが、やがてひらりと手を振った。

「了解」


その後大層知的な会話を繰り広げ、リガレは去って行った。

そして翌日、てっきり馬に乗り移動すると思っていたイノリは度肝を抜かれることになる。

家の裏手、ほんの少し離れた場所にある、何の変哲もない苔むす岩にミダは向かった。

まるで道を聞かれた際「左に曲がればすぐだよ」と伝える程度に何気ない仕草で、人差し指を動かす。

ふい、とその岩は陽炎のように消えた。

「は」

思わずイノリは声を漏らす。

更に、岩があった地面には複雑な陣が浮き出ていた。

「ええ…?」

「ほら、行くよ」

事態に追いつけていないイノリの背を押し、ミダは陣に入る。

すると地面から陣が光と共に立ち昇り、二人を覆った。


ぱちり。


ほんの一度の瞬きだ。

瞼を開いたイノリの目の前に現れたのは、見知らぬ部屋の景色だった。

もう、何が何だか分からないです。

お手上げ状態のイノリを気にする素振りも見せず、ミダは慣れた足取りで部屋の奥に設置されているクローゼットに向かった。

「イノリ。着替えて」

あれよあれよ流されて、魂が抜けかけているイノリの着替えが終わったのを確認した後、ミダは部屋に置いてあるハンドベルを鳴らした。


リン―――


あまりにも澄んだ音というのは、冷たく感じるのだな。

若干現実逃避のようなことを考えていた時「イノリ」とミダがそっと耳元で言った。

「お前は黙っていていい。僕の後ろをついてきて」

紗幕を捲り、真剣な目で話すミダの言葉に、イノリは頷くことが精一杯だった。





この紗は多少翳りはするが、視界が塞がれることはない。ただ、イノリからはミダの表情は全く分からない。明らかに、他者から存在を断定されない為の装飾だ。

馬車の中、背筋を伸ばして座る紗幕の神官、ミダ・オラティオをイノリは改めて見つめる。

普段のミダはふにゃんとしていたり、へろんとしていたりする事が多いので早くも忘れがちだが、神聖な法衣に身を包み、面を紗幕で隠し、凛とした佇まいのミダが発する気配は只者では無かった。美醜は覆われて分からない筈なのに、圧倒される程の確固たる美しさを放っている。


――俺は、もしかしてとんでもない人と一緒に過ごしているのだろうか。


半ばぼんやりとしながらイノリは思う。

やはり、ミダと言う存在は普通ではない。

そのあまりに人間らしい性格な為、突き詰めるのが馬鹿らしくなってしまうこと屡々だが、外見だけでなく規格外な能力、他国貴族との個人的な繋がり、更にはルキア教という巨大宗教の秘された部分に属す、なんて。


――益々、何で俺を引き取ってくれているのかが分からない。


イノリの影に潜む、ロイの危険性は理解している。冷静になった今、ロイと同体となってしまったイノリをオリムが逃がしてくれたということも飲み込めていた。そして、ミダは友人の頼みを了承してくれたのだ、と。

だが、果たして紗幕の神官という位置に居ながら、友情だけでイノリを匿うだろうか?

何か、辻褄が合わない。

ミダという人物に騙されているとは思っていない。

しかし――。


――俺は、このままここに居ていいのか?


ぞわり。

透明な蛇が、イノリの背中を舐め上げる。

今までは世界の蚊帳の外に追いやられてしまうことが怖かった。

しかし、自覚が無いまま役が宛てがわれ、気が付いた時には舞台の上だなんて。

そんなことは、ない、よな――?



きゅ、と拳を握った時、彼等を運ぶ馬車が静かに停止した。





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