2 覚束ない船出
「うっそでしょ…」
机に広げられた惨劇を目にし、ミダは呟いた。
イノリはしおしおと小さくなる。
パンは焦げ、目玉焼きはぼそぼそ、ベーコンに至っては貴方は炭ですかと尋ねたくなってしまう有様。
「え、料理したことないの…?」
しょもしょもとイノリは一層小さくなった。
そう、料理などしたことが無かった。物心ついた頃には既にエンヴォルヴ家に引き取られていた為料理は「用意されているもの」だった。寮に入ってからも食堂があったし、自らの食を準備することなど、無かったのだ。
侯爵家にしがみつくことだけに必死になっていた人生、人としての機能の低さが露呈したようで、イノリは穴があったら入りたい心境だった。
潰れた風船のようになっているイノリの姿にミダは肩を竦め、フォークを手にした。
「いただきます」
目玉焼きだったかもしれない漆黒なものと、ベーコンだった気もするガチガチなものを、辛うじてパン?だと思われるものに乗せ、ばくりと頬張る。鼻に皺を寄せながらもしゃもしゃと咀嚼する。
「うん、美味しくない」
「すみません、ご無理なさらないで…」
「や、食べるよ。勿体無い」
イノリはびくりとする。決してミダの声が強かったからではない。
ミダに遮られなかったら自分は何と言おうとしていた?
「捨ててください」だ。
―ああ。
―俺はなんて、甘やかされていたのだろう。
自分は、普通の侯爵家子息が知ることなど無い苦渋を味わっていると思っていた。
だがどうだ。自分は、十二分に恵まれた環境で生きていた。
そして、もう侯爵家では無い。
―情けない。
イノリはミダを真似、目玉焼きとベーコンを乗せたパンを口に運んだ。
「さて。話をしようか」
苦い…と顔を顰めながら茶の入ったカップを置き、ミダは言った。
「僕はミダ・オラティオ。朝も言った通り、オリムに君のことを頼まれた」
イノリは無言で頷いた。
「オリムとの関係性は今は省く。まあ、あいつの甘いところは今に始まったことじゃ無いけどね。で、頼まれたとは何ぞやと。具体的に言うと、君の身の安全だよ」
「私の身の安全?」
「そう。侯爵家の後継者とか、家の評判とか、そういう次元の問題じゃない。分かるだろう?君のそれは、危険なものだ」
ミダは人差し指を下に向けた。イノリは思わず背筋を伸ばす。
どのような発動条件があるかは定かではないが、イノリの影にはきっと今もあれが潜んでいる。
ミダはそれを知っている。
「…分からないんです。これが何なのか、何故私に憑いているのか」
イノリは拳を握った。
そう、これは不運な事故だ。自分は偶々遭遇してしまったに過ぎない。
「もしかして、ミダさんはこれを消す方法をご存知なのですか?私は解放されるのでしょうか?」
ミダの片眉が微かに上がった。ゆっくりと彼は頬杖をつく。
「クソガキが」
思いもよらぬ単語が飛び出し、イノリは硬直した。
そんなイノリをミダは詰まらなそうに眺めながら言った。
「考えてみよう。危険な何かと同居しているお前を、どうして僕に預けたか。…簡単だよね。僕はお前が暴走しようと痛くも痒くもない」
ミダは指先を再び下に向けた。
「僕はそれ込みで、お前を圧倒出来る。何故なら僕はとても強いから。おまけに頭も良くてこんなに格好良い。…僕、凄くない?」
何処までが本気で、何処からが冗談だ?
イノリは必死に考えを巡らせる。
先ほどの、魔素を練ることなく火の微精霊を喚んだことから、ミダが規格外であることは間違いない。
となると――。
「僕はお前を制圧出来る。でも、その何かをお前と分けることが可能かは分からない。まだそれのことを何も知らないからね」
イノリは小さく頷いた。机の下、両手を握り締める。
「だから僕もお前も、それについて知ることが必要だ。分かるね?」
「…はい」
「因みに僕はオリムと違って優しくない。あいつはお前のことを信じていたが、僕にとっては無関係だ。妙なものを抱えた、見知らぬ子供に過ぎない」
「…はい」
じとりと背中が冷えていく。
「匿うことは了承した。でもその後の判断は僕に委ねるとオリムは言った。だから僕はそうすべきだと思った行動を選択するよ」
そうすべき。
つまり、ミダが不要と判断したら、イノリは危険物として処理されるということだろうか。
イノリは唇を噛んだ。
「私は、どうしたら…」
「知らないね」
ミダはばっさりとイノリの言葉を断ち切った。
「正直に言おう。僕は気が変わった。今のお前に全てを話しても、恐らく何も生まれない。想像以上にお前は思春期真っ只中のガキだ。いいかい?」
ミダの声に怒気は含まれていない。彼は冷静に、イノリを分析している。
「世界は教本通りに進まない。生まれた国から離れ、家柄も無くしたお前は、自分の目で耳で手で足で、出会って考えて選ぶ必要がある。その事すら自覚していない坊っちゃんに、答えを教える筈がない。第一、僕が見る世界がお前の正解とも限らない」
「……、」
下げてしまったイノリの視界に、指先が映る。
ゆっくりとミダは右手を前に差し出していた。
「だから、学びな。お前にとっての世界を。その手伝いは、してあげる」
この青年が何者なのか、頼って良いのか。
よく、分からない。
だが恐らく、今自分に出来ることは、この手を取ることだけだろう。
おずおずと、イノリはミダの手を握った。
「よろしく、お願いします…」
ん、とミダはからりと返事をした。
「そんじゃ先ずは片付けてもらおうかな」
伸びをしながら立ち上がったミダは、はっとしてイノリを振り返る。
「お前、皿すら洗えないとか、ないよね…?」
取り敢えず、自分がミダの中で役立たずという枠に入っていることは、痛感した。




