1 新しい目覚め
暫し、イノリは己の境遇を忘れ青年に魅入ってしまった。
細い体躯。白銀の髪。空色の瞳。
それはまるで美術品のように、完璧な美だった。
長い睫毛に縁取られた瞳が瞬きをする。
そこで彼に見詰められていることに気が付き、イノリは我に返った。
「あの、あなたは…」
青年はこてんと頭を傾けて言った。
「んー、何て言うのがいいかねえ。オリムとは昔馴染みなんだ。あいつから君のことを頼まれてね」
長閑な返答に、質問をすることが場違いのような感覚に陥ってくる。
「ここは…?」
「僕の家。ちなみに、テルニタではないよ。リルカの外れ」
リルカとはテルニタの周辺国だ。
国外に出た?
何故…?
「貴方が、」
「ミダね」
「ミダ、さんが、私を引き取ってくださった、と…?」
「あー、ひとつ勘違いをしているだろうから訂正しよう」
ミダは人差し指を立てて言った。
「君は捨てられたんじゃない。寧ろ、逆だね」
「…どういう、」
ミダは溜め息をつき、髪をくしゃりとした。
「若いとせっかちだねえ。僕はさあ、忙しいところをオリムに無理矢理頼み込まれたのよ。んで!長距離を一生懸命移動したの。つまりね、ちょっと休みたいわけなんだけど」
「あ。すみません…」
「君も眠れてないんでしょ?風呂入って、先ずは休みな」
ミダは家の扉を開け、誘った。
「ここは大丈夫だから」
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深い海に沈んでいるような浮遊感。
次の瞬間、突然イノリの意識は浮上した。
ばっと目を開き、数秒の混乱を経て、理解する。
ここは自室ではない。エンヴォルヴ家ではない。テルニタではない。
リルカにある、ミダという青年の家だ。
ゆっくりと上半身を起こし、頭を振る。
あの後、ミダはさくさくと風呂に湯を張りイノリを突っ込み、「僕の服だけどいいでしょ」と柔らかい素材の服を用意してくれ、「ここが部屋。はいおやすみー」と寝台に押し込んだ。
温まった身体は疲労を思い出したのか、ずぶりと眠りに落ちてしまったようだ。
ぺた、と床に足をつける。ひんやりとしていると思ったのに、床は木の凹凸と共に不思議な温もりをイノリに与える。
寝台の下に室内履きと思われる靴が揃えられていた。この家では外靴で室内を歩かないということかもしれない。それに足を通し、イノリは家主がいると思われる階下に降りていった。
「ん、おはよ」
ミダは机の上に草花を広げ、何やら選別をしているようだった。
ひょいと顔をあげ、イノリに挨拶をする。
しかし、窓の外の様子からおそらくもう昼頃だろう。寝ろと言われたとはいえ、イノリは少し恥ずかしくなった。
「あ、あの…」
先ずするべきことは何だ?謝意を伝えることか?状況を聞き出すことか?それとも――。
その時花の香りがイノリの鼻腔を擽る。途端に体が反応してしまったのか、イノリの腹が盛大に音を鳴らした。
「あっ…」
イノリは赤くなり腹を押さえる。ミダはうんうんと頷き、口を開いた。
「だよね。僕もお腹すいた。お昼にしようか」
すみません、とイノリは小さくなる。そんな彼にミダは続けた。
「はい、じゃよろしく」
「え…?」
「ん?もしかして僕が作ると思ったの?すごいねえ、貴族って」
既に赤くなっていたイノリの頬は更にカッと熱を持った。考えが至らなかった人としての羞恥と、誇りを傷付けられたということよりも無意識に貴族然としてしまった、自分への羞恥。
「…すみません」
「キッチンはあっち」
ミダはイノリの左後ろを指し示す。イノリは無言でそちらに向かった。
「僕パン2枚焼いてー。あと目玉焼きはしっかり焼いて。ベーコンも2枚。お茶はー、今日は紫の瓶の茶葉で淹れて」
のんびりとした速度だが、いきなりの注文の羅列にイノリは慌ててしまう。卵とベーコンを見つけ出し、フライパンも続けて準備する。そこでイノリは意外なものを見つけた。
火の精石。
精石とは、精霊鉱と呼ばれる石から精製されるものだ。属性に適応した微精霊の効力を持続させることが可能で、テルニタでは決して安価ではないことから一般家庭ではまだ流通しているとは言えない。
イノリはそっとミダを振り返る。
「ん?」
視線に気付き、ミダは何気なく反応を返す。
イノリはまだ火の微精霊を喚べない。それ以前に、微精霊を喚ぶことは決して簡単ではないし、万が一の暴発の恐れだってある。
それをこんな室内で?冗談じゃない。
「あの、マッチとかお借りしてもいいですか」
微精霊とは自然界に存在するもの。つまり、人的に起こした火でも微精霊は宿っており、精石に宿すことは出来る。というか、普通はそう使うはずだ。
しかし―――。
「灯れ」
ミダは机に座ったまま言った。先程イノリに「おはよ」と言った時と、何ら変わらぬ音で。
ふ、と精石に火が灯る。
イノリは息を飲んだ。
構えることなく、精石を見詰めるでもなく、そんな芸当が出来るものなのか。
再びミダを振り返ろうとしたが、イノリに生まれた緊張などどこ吹く風、美しい青年は催促をした。
「僕はお腹が空きました。自分のもちゃんと作ってね」
あ、はい。と、イノリはとりあえず昼食作りを再開した。




