第38話「かつての手、いまの言葉」
翌朝。グレイスは中庭のベンチに腰掛け、空を見上げていた。
その手には、昨日リリが渡した小さな紙袋。中には、施設の利用者向けに用意された“手のリハビリ用の布玉”が入っている。
ノクがそっと近づいて声をかけた。
「おはようございます、グレイスさん。調子はいかがですか?」
「ん……まあな。気持ちは元気だが、手は昔ほどには動かん」
そう言いながらも、グレイスはゆっくりと布玉を握る。指がわずかに震えるが、その動きには“職人の癖”が残っていた。
「……やっぱり、手って、覚えてるもんですね」
ノクがぽつりと言うと、グレイスはふっと鼻を鳴らした。
「手だけじゃない。気持ちも、勝手に動くもんだ」
そのあと、グレイスはぽつりぽつりと語り始めた。
かつて工房を持ち、弟子たちに囲まれていた日々。
そして、最後の作品を仕上げた日——炉の熱に耐えきれず、火を封じた瞬間のこと。
「それでも……道具は今でも夢に出てくるんだ。鉄の匂いも、焼ける音もな」
「じゃあ、また握ってみませんか?」
ノクの言葉に、グレイスは目を細めた。
「握って、何になる?」
「……握るだけで、思い出せることがあるなら。それで十分だと思うんです」
しばらくの沈黙のあと、グレイスは小さく頷いた。
「……いいやつだな。あんた」
その日から、グレイスは毎朝、リハビリ用の布玉をゆっくりと握ることにした。
鉄ではない。だが、温もりがある。
今回は、グレイスさんの“かつての手”と“いまの居場所”を描きました。
職人だった彼の誇りや葛藤、そして再び自分と向き合う小さな一歩。
ノクとの会話がそれを自然に引き出す形になったのではと思います。
次回は、グレイスの“手”が誰かの背中を押す、小さなきっかけになります。どうぞお楽しみに。




