番外編:利用者視点「名前は出てこなくても」
春の陽だまりは、昔の記憶を呼び起こす。
ミケ婆さんは縁側で、膝掛けをかけて日向ぼっこをしていた。
手の中には、ほころびかけた毛糸の玉。
あたたかい風が吹いてくると、あの子の顔が浮かぶ。
名前は思い出せない。でも、やさしい声だった。
「ミケ婆さん、ここにいましたか」
そう声をかけてきたのは、リリだった。
エルフの耳が揺れて、春の日差しに映えていた。
「あんたは……あの、あの子かいね。名前は……なんじゃったかなぁ」
リリは少しだけ寂しそうに笑って、
「私はリリです。でも、思い出さなくても大丈夫ですよ」と言って、
そっと膝をついた。
「今日は風が気持ちいいですね。編み物、続きましょうか」
「うん、そうじゃな。風がね、あの子の声みたいで……」
口にしながら、ミケ婆さんはふと手を止めた。
(あれ、この手……だれかと、いっしょに編んでた気がする)
——思い出せない。
でも、あたたかい。
こうして寄り添ってくれる手が、あの頃の手と重なるような気がする。
ミケ婆さんは、リリの手のぬくもりを握りながらぽつりと呟いた。
「名前は出てこん。でも、嬉しいんよ」
それを聞いて、リリはそっと目を細めた。
「大丈夫です。覚えてなくても、私はミケさんを覚えてますから」
その午後、ミケ婆さんは編み物をしながら、いつのまにか眠ってしまった。
夢の中で、見えない誰かと並んで毛糸を巻いていた。
風が、やさしく頬を撫でていった。
——名前は消えても、ぬくもりは残る。
そんな春の昼下がりだった。




