第26話「昔語りと、ほんの少しの涙」
食堂の一角。長テーブルの上にはお茶と温かいスープ、そして焼きたての小さなパンが並べられていた。神田と職員たちは、朝の見守りを終えた後、利用者たちをゆっくりとテーブルに誘導していく。
今日は“昔話の会”。あえて特別なレクリエーションは用意せず、利用者一人ひとりが「思い出すこと」に集中できるよう配慮された時間だ。
神田は椅子に座りながら語りかける。
「皆さん、子どものころの話や、若かったころの思い出ってありますか? よかったら少しずつ聞かせてほしいんです」
最初は誰も口を開こうとしなかった。
けれど、ふと、ミケ婆さんがぽつりとつぶやいた。
「……昔、お祭りで娘と並んでリンゴ飴を食べたの。あの子、小さな口で一生懸命でね……」
その一言で、空気がゆるむ。横にいたドワーフの爺さんが「わしもな、若いころは鍛冶屋でよ」と続き、獣人のご婦人が「戦争が終わった日、村中が泣いて喜んだ」と語り出した。
言葉の端々には、曖昧な記憶もある。けれど、語るその表情には、確かに“気持ち”があった。
神田は耳を傾けながら、何度もうなずき、時に笑い、時に目を伏せた。
すると、ある高齢の利用者がぽつりと漏らした。
「忘れても……誰かが覚えてくれてるって、いいもんだな」
神田は、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
「はい。だから僕たちは、忘れたくないと思います」
その日の“昔話の会”は、涙と笑いが混じり合った、静かな時間となった。
今回のエピソードは、介護の現場でもよくある“回想法”のような雰囲気を意識して書きました。
過去の記憶を呼び起こすことで、本人のアイデンティティや感情が活性化されることは多く、何気ない語りがその人の支えになる瞬間があります。
異世界という場所でも、記憶の温もりや、誰かと過ごした時間のぬくもりは変わらない。そう思いながら執筆しました。
物語としてはとても静かな展開でしたが、“誰かの気持ちに寄り添う”という点では、とても大切な一話だったと思っています。




