第2-24話
極上の料理を前にして尚、索然と放たれた言葉にエルテミスは思わず固まってしまう。
「あ、……申し訳ございません。不躾でございましたね」
親密でもない相手からの繊細な話題に気分を害したと判断したエルテミスはそう謝罪した。
だがアーノルドはエルテミスの予想に反し、怒りではなく呆れたようにため息を吐いているだけであった。
「いつまでそれを続けるつもりだ?」
「それ……とは?」
エルテミスはアーノルドが何を言っているのか理解できず、微笑みはそのままに困惑げに眉を顰めていた。
そんなエルテミスにアーノルドは再度ため息を吐いた。
「その態度、それにその話し方だ。いいかげん気持ち悪いぞ。貴様、普段はその話し方ではないだろう」
「それは……当然、商談の際には相手への礼を——」
「礼を尽くすか?」
アーノルドは小馬鹿にするように鼻で笑い、エルテミスをジロリと睨め上げた。
「尽くすつもりもない見せかけの礼などいらん。気付いていないとでも思っていたか? 茶番は終わりだと言ったであろう」
「茶番、ですか……?」
エルテミスの顔には尚も当惑している様子がありありとわかる表情が浮かんでいる。
思わず守りたくなるような、なんとも庇護欲をそそるような表情だ。
「そ、そんなつもりは——」
「探り合いもお互い飽きてきただろう。私も最初はなかなか楽しめたが——もういい」
アーノルドがぞんざいにそう言うと、部屋に沈黙が落ちる。
エルテミスは困惑げだった目を愉しげに細め、張り付けたような微笑みをそのままにクスクスと静かに笑い始めた。
抑えきれないエルテミスの失笑だけがシンとしたこの部屋に響き渡る。
笑いを抑え、顔をあげたその表情は微笑んでいることは変わらないが明らかに蔑みとも取れるような尊大さが見て取れるものになっていた。
「——そうですか? 私は先ほどもいまも——ずっと愉しいですよ?」
その言葉からエルテミスが向ける笑みの種類が変わる。
あの時パラクが見たような獲物を逃さないような絡みつくような笑み。
「それに私は茶番だなんて思っていませんでしたよ? 貴方という美味しそうな小狼を——失礼」
思わず口から出た失言といった風態であるが、その表情はジュルリとでも聞こえてきそうなどこかゾクゾクと恍惚なるものを垣間見せていた。
少なくともこの年齢の少女が他人に見せていい表情ではないだろう。
「それが貴様の本性か?」
「あら、お恥ずかしい。私ばかり丸裸にされたみたいで……」
恥ずかしいなどという言葉とは裏腹に、その顔には羞恥など微塵も浮かんでおらず、あるのはただただ法悦に満ちた笑みだけ。
そして嘲るように目を細め、口元の笑みを隠すかのように手を当て、愉快げにクスクスと笑っていた。
「貴方ももう少し見せてくれてもいいのですよ? わかる、ということも面白くはないですが、わからなさすぎるというのもまた歯痒く辛いものです。良い男性というものは女性に少しは弱みを見せるものですよ? 女性にばかり恥ずかしい想いをさせるというのも、たしか……栄えある貴族の一員としてよろしくはないのではなかったですか?」
「戯言を……」
どこかの誰かがそうとでも言ったのか、疑問顔でそう問いかけてきたエルテミスにアーノルドは心底くだらなさそうにそう吐き捨てた。
「そもそも隠すつもりならもっと上手く隠すことだな。剥がすまでもなく、その仮面が剥がれ落ちていたぞ? それで恥ずかしいなどとは興醒めもいいところだ」
エルテミスはそんな言葉にも愉快げにクスクスと笑っている。
「それは失礼致しました。やはり慣れないことをするものではないですね。仮面など普段は被る必要もないものですもの。戯れが過ぎましたか? ……ですが、礼を尽くすという気持ちは本物でしたのよ? そうでなければ私が手ずからここまでの歓待など致しませんもの」
ありがたいでしょう?、と恩着せがましく言っていることがありありと分かる表情。
隠すつもりもなさそうな上からの態度。
それを見れば確かに先ほどまでのは見かけだけでも礼を尽くしていたと言えるだろう。
「しかし見縊られたものだな。この程度の料理で私の態度が緩むと思っていたとは」
「あら、バレていましたの? それについては謝罪させていただきますわ。貴方の環境を思えば、このクラスの料理など食べたことがないと思っていましたの。見る限り予想は外れ、満足していただけたようではなく残念ではございますが……」
テーブルに残る料理を一瞥して本当に残念そうな表情を浮かべるエルテミスであるが、すぐに一人クスリと含み笑いをし、その絡みつくような瞳をアーノルドへと向けてくる。
「それに警戒心が強いであろう貴方のために本来今日来る予定だった他のお客様にもご遠慮いただいたのよ? 流石に従業員まではどうしようもなかったけれど……、これでも配慮はしたつもりでしてよ? それに、料理の持つ魔力というもの本物でしたでしょう? こんな料理一つでも惑わされる者は大勢いますの。粗暴な者であろうとも、凶漢であろうとも、本当に美味なる料理を前にすれば大人しくなるのですもの」
ある意味馬鹿にするようなその言葉を悪びれる様子もなくそう言い放ったエルテミスにコルドー達の表情が僅かに険しくなる。
だが当のアーノルドはクツクツと笑っていた。
「……あら、何か可笑しなことでも言ったかしら?」
「いやなに。貴様が気にする必要はない。それと、先程貴様は、『貴方も』、と言ったな」
そう言われたエルテミスは一瞬何のことかわからず困惑げに表情を曇らせた。
「貴様と一緒にするな。私は今まで一度たりともこの髪色で苦労したことなどないぞ」
少しの笑みを浮かべながらそう言われたエルテミスは刹那、顔に張り付いていた微笑みが消え、睨んでいるとも取れる鋭い目付きでアーノルドを見据えてくる。
その話題は演技でもなくエルテミスの地雷に他ならなかったのだろう。
今までで一番素に近い態度を見せたエルテミスにアーノルドは愉快げに少しばかり笑みを浮かべ鼻で嗤う。
だがエルテミスはすぐに平静を取り戻していた。
「大変だな。そうも取り繕わなければならないとは」
「お気遣いありがとうございます。ですが、お気遣いくださるのであれば先ほどの言葉も心の内にしまっていて下さるのが紳士というものですよ?」
その態度と言葉からはもはや怒りを微塵も感じさせはしないが、それでもまだその瞳の奥底に宿す鋭さは消しきれていない。
「それに人間というのはそういうものでしょう? 皆、何かしらの仮面を被って過ごすもの。内なる衝動を隠し、世に適応して生きていく。自由気ままにやりたいようにやっているだけでは全てを手に入れることなどできないのですよ? 時には仮面を被り、言いたくないことを言ってでも、最終的には欲しいものを欲しいままに手に入れる。それこそがこの世界で上手く生きていくコツですよ?」
まるで優しく諭すかのようにそう言うエルテミスにアーノルドは思わず失笑してしまう。
「それは貴様の理であって私の理ではないな。……それで?」
「……それで、とは?」
エルテミスはアーノルドの言葉の意味がわからず小首を傾げる。
「要件はなんだと言ったであろう。まだ貴様のくだらぬ戯言しか聞かされておらんぞ?」
「あら、まだ私の要件を聞いてくださるだなんて……つくづくわからない人ね」
これまでは抑えていたある意味妖艶とも言える笑みをアーノルドへと向けてくるエルテミス。
だがそれも一瞬、先程までの商談用の笑みへと切り替える。
「それではお言葉に甘えましょう。今回来ていただいたのは商談のため」
「はっ……予想に違わずか」
警告ではなく商談ということはアーノルドが魔道具師であるということがバレてどうこうの話ではない。
アーノルドがここまで席を立たずこの場に居た理由はヴァレンヌ家がどういった家なのかをエルテミスから探り、直接見るため。
そして“条件”次第では相手の要求を呑んでやってもよいと考えていたからだ。
エルテミスも相手を視る目には自信があったようであるが、アーノルドもまた相手を視るのは得意であった。
それゆえエルテミスがアーノルドを探ろうとしていることなど最初からわかっていた。
敢えてそれに乗ってやったのはアーノルドもまたエルテミスのことを見定めるため。
「予想に違わずですか……。予想されていたとは驚きです。お聞きにでもなったということかしら? それともそれだけ“視野”が広いということかしら? その上でここに来ていただいたということは商談に前向きだと考えてもよろしいので?」
アーノルドはその言葉に僅かに眉をピクリと動かす。
「……まずはそっちの要望を話せ。明確な言葉もなしに語る商談など、商人にとっては忌避すべきことなのであろう?」
「そうですね。商人にとって言葉とはある意味金よりも重いもの。言葉一つで信用も信頼も、また金も命も得るも失うも自由ですもの」
エルテミスは凄艶に微笑む。
「……その迂遠な物言いは貴様の性か? 御託はいいと何度も言ったはずだぞ。商人とはもっと簡潔に物事を済ますものだと思っていたのだがな。まぁ……、そもそも貴様が商人というのも本当かどうか測りかねるがな」
「あら、失礼。ですが“気になる”殿方の前では饒舌になるのも仕方ないでしょう? 会話を楽しみたいという乙女心を察してこそ一人前の男になれましてよ?」
「はっ、それこそ戯言だな。この私に貴様如きの機微を察せと? 大きく出たものだな。それは商人の職分であって私のすべきことではない。それに私もお前もまだガキに過ぎぬ齢であろう。色恋に現を抜かすような歳でもないであろうに。そのような戯言に耳を傾けるとでも思ったか?」
“色恋”という言葉。
これまでの会話から思い描くアーノルドから出るにしては少しばかり違和感がある言葉にエルテミスの目が僅かに細まる。
黒髪というデメリットを差し引いてでも魅せるエルテミスが磨いてきた美は商談において一種の武器としても機能するまでになっている。
同年代の子供であれば、エルテミスに子供らしさも兼ね備えた妖艶な笑みを向けられれば耐えきれず赤らむものであるが、アーノルドには全くもって効果がなかった。
武の力にしか興味がなく、そういったことに無縁だと思っていただけにまさかそのようなことを言われるだなんて思ってもいなかった。
だがエルテミスはそれも自分の理解できていないアーノルドの側面としてすぐにその違和感を頭の片隅に追いやる。
「見解の相違ですわね。幼いからこそ磨きをかけるのです。貴方がいま……いえ、もっと前からその腕を磨いているのも同じことでしょう? 幼き頃から鍛えるからこそ精通することができるのです。武と色事、それらを分ける理由などありませんでしょう? それと私はたしかに魔道具師ではありますが、商人でもあります。売るのは任せるにしても、売る相手くらいは自身で選んでこそでしょう?」
それらの言葉対してアーノルドは何も言うことはなかった。
いや、元より何を言われようとも反論する気などなかったのだ。
他人の考えなどどうでもいいがゆえに。
しかしエルテミスは反論でもしてくると思っていただけに拍子抜けであった。
だがアーノルドのその双眸は尚も鋭くエルテミスを貫いている。
エルテミスはそんなアーノルドを見て、更に不機嫌になっているのだと思ったようで、残念そうにため息を吐いた。
「名残惜しいですが、これ以上気分を害すのも得策ではないですね。本題に入りましょう」
エルテミスはそう言うと改めて姿勢を正し、場に相応しい真面目な表情でアーノルドを見据えてきた。
「私の要望は二つ、その黒剣と後ろに控えているパラク様を——私にくださいませ」
そう言ったエルテミスはここ一番の破顔を見せた。
これまでずっと商談を切り出さなかったのはエルテミス自身であるくせに、まるでずっと言わせてもらえなかったことをやっと言えたとでも言わんばかりの喜びが表情に出ている。
その言葉にピクリと動いたのはパラクであった。
対してアーノルドは微動だにせず、表情一つ動かしていない。
そんな二人を見て、エルテミスは意味深とも満足げとも取れる笑みを浮かべながらアーノルドに流し目を送ってきている。
「——で?」
言葉ではくださいなどと言っていたが、当然その意味が無償でなどとはアーノルドも思っていない。
それに先ほどからエルテミスがアーノルドを刺激して感情を引き出そうとしていることも分かっている。
エルテミスは乗ってこなかったアーノルドに若干残念そうな表情を浮かべるが、それもまたどうでもいいのかすぐに機嫌良さげに口を開く。
「私が差し出すものは、代金として現金五○兆ドラ、私の作製した魔道具の販売権のうちの一割。そして瑣末なものですが、この国にいる間の優待をお約束します。したいこと、行きたい研究室など私の権限でできることならば何でも、何度でも叶えることをお約束いたします。星による入場、入店制限など全て失くせますよ?」
アーノルドの持つ星六では所謂高級店は入れないところも多い。
レストランだけでなく、武具店、道具店、装飾店、宝石店等、貴族にとってその格に見合った店に入店できないのだ。
アーノルドにとってそれは正直どうでもいいが、この国の最大級の蔵書数を誇る書帙塔と呼ばれる塔の重要書籍が多くある上階への立ち入りが出来ないというのも少しばかり悩みの種でもあった。
エルテミスはアーノルドが上階に行きたいということを知っているのだろう。
一度配下を向かわせ、断られているのだからその情報を持っていること事態は驚くことでもない。
商談の前に相手の望むものを探ることなど当たり前ではあるのだから。
とはいえ、情報を探ったということを面と向かって告げられるというのもまた不愉快ではある。
普通の商人ならば交渉相手の機嫌を損ねないように遠回しに言うなりなんらかの対策をするのであろうが、そこはヴァレンヌ家だからといったところなのだろう。
エルテミスは畳み掛けるように更に言葉を続ける。
「それと学院での厄介ごとなども全て私が受け持ちますし、それにお望みでしたら二週間前に貴方が起こした出来事の件も、その憂いを取り払うこともして差し上げましてよ? 他にも何かございましたら、その辺りのすり合わせは応相談となりますが……」
エルテミスの護衛の男がゴクリと唾を飲んだのがわかる。
如何に素晴らしい名剣とはいえ、たかが剣一本とおまけの護衛一人。
断る理由など与えないほどの一手。
並大抵の者ならば最初の条件だけで簡単に首を縦に振るだろう。
言った側も断られるなど微塵も思わないほどの破格の代価だ。
だがエルテミスは表情こそ変えぬが訝しむ。
アーノルドはともかく、後ろにいるアーノルドの護衛達も表情を変えていなかったからだ。
魔道具の販売権という目に見えぬものならば商人ではないアーノルド達にはどれほどの大金を生むものなのか想像も出来ないであろうからその反応にも納得がいく。
だが五十兆ドラなどという大金、剣一本に対して支払うにはむしろ不釣り合いなほどの金額に一切の反応を見せないだなんて明らかに不自然であった。
現実味がなさ過ぎて固まっているだけかと思い盗み見るも、拍子抜けするほど自然体である。
エルテミスはどういうことかと思案する。
「それで? 一人ずつやるのか?」
その言葉が耳に入ったことで一旦思考を隅に追いやり、エルテミスは訝しげな視線をアーノルドへと向ける。
「一人ずつというのは……?」
「ん? 私に関する代価は聞いたが、パラクへの交渉はしなくていいのか? 後で聞くのもめんどうだ。この場で先にしていいぞ?」
アーノルドからすれば臣下自身のことは臣下自身が決めることが当然であるが、世間一般では従者の権利は主人が持つものというのが常識だ。
それゆえエルテミスとしては先ほど提示した代価にはパラクも当然含んでいた。
それでも尚余りあるほどの代価だと確信しているのだから。
だからこそ当然エルテミスの後ろに控える男はアーノルドのその言葉に不快げに表情を崩していた。
だが当のエルテミスはアーノルドの言葉に厭わしい気持ちはなく、感心とも驚嘆とも取れる吐息を漏らす。
(言葉で揺さぶる小細工を弄してくるだなんて思ってもいなかったわ。見かけによらず随分策士なのね。それとも流している情報でそう思わせないように仕向けているのかしら? ここまで情報と実物のイメージが違う人物もそうはいないわね。視れば大体理解できると思っていたのがそもそも慢心かしら。あの皇帝ですら視れたからと油断していたわ。イメージに引っ張られすぎたわね)
アーノルドの情報はどれも暴虐を尽くしたものばかりであった。
気に入らぬことがあれば武力によって解決する。
だからこそエルテミスはその武力を極力振るわせないように交渉すればあとはどうにかなると考えていた。
駆け引きなどと面倒なことはしないだろうと。
エルテミスが試験に関する情報を入手出来ていればそれもまた違ったのであろうが、試験の結果については流石のエルテミスであれ容易に閲覧することは出来ない。
試験について知れたのはボルネイという試験官とのいざこざがあったことと何らかの普段とは違う会議が行われ、その議題の中心がアーノルドだったということだけだ。
(それにここ一年あまりの情報だけが一切ないというのも不自然ね)
ここ一年はアーノルドは魔道具研究でほとんど表に出ていないため情報がないのも当然なのであるが、それを知らぬエルテミスからすればその空白の一年はただ不気味であった。
(たった一年で性格が変わるほどの何かがあったという可能性もあるでしょうけど、その可能性は限りなく低いでしょうね。それならば、やっと少しは尻尾を出したということかしら。でも……、今回は完敗ね。それでも得られた情報に比べればたかが従者一人の値段なんて知れているわ。まぁいいでしょう)
「うふふ、さっきまでの意趣返しといったところかしら?」
責めるようにそう言うが、少しばかり視えてきたアーノルドの姿にエルテミスは愉しげな笑みを隠しきれてはいなかった。
(まったく……私相手にここまで強気に出れるとは流石はダンケルノ公爵家の者、といったところかしらね。にしても、やっぱり相手をやり込めないと気が済まないのは貴族の性なのかしら? それとも男としての矜持というやつかしらね。とはいえ、この程度で今後も良好な関係を築けるのならば安いものね。私は矜持よりも益を取れれば十分よ)
エルテミスは微笑みすら浮かべて護衛の男から一枚の紙を受け取り、それをアーノルドに差し向けた。
「十億ドラまでは自由に引き出せる小切手よ。好きな額を書いてちょうだい」
余裕綽々、自信満々の笑みを向ける。
この世界で金融ギルドあるところならばどこでも使える小切手。
流石に兆ともなれば容易に引き出せぬであろうが、億程度ならば主要な街の金融ギルドを使えばそのまま持っていき引き出すこともできるだろう。
かく言うアーノルドも持ち金の半分程度はそこに入れている。
アーノルドはその小切手をくだらなさそうに一瞥し、パラクへと視線を送った。
エルテミスはその視線の意味がわからず一瞬呆けたような表情を浮かべる。
するとパラクが一歩前に歩み出て口を開く。
「申し訳ありませんがお断り致します」
一切の躊躇いなく、小切手を一瞥することもなくバッサリとそう断じた。
「っ……⁈」
エルテミスはその予想外の言葉を聞き、バッと視線をパラクに向けて思わず声を上げかけてしまう。
従者一人に十億も払うなど普通ならばありえない。
この国の闇オークションでも騎士級など一人数百から数千万あれば余裕で買えるのだ。
他国でも十億もいかないことは調べ済みだ。
だからこそチェックメイトの一手として出したものだった。
この交渉をチマチマと駆け引きする気などないがゆえに。
随分と強欲ね、とアーノルドに向ける視線が僅かに細くなる。
(でもこのエルテミス・ヴァレンヌを甘く見てもらっては困るわ。欲しいものは何が何でも手に入れる。それがどれだけ高価なものであっても、たとえこの世界であっても)
エルテミスは護衛の男に目配せし、次の紙を受け取る。
「百億ドラまで自由にできる小切手よ」
今度は二枚。
それぞれアーノルドとパラクがいるテーブルの前に置かれる。
どう?、とでも言わんばかりに自信満々に小首を傾げアーノルドへと尊大に微笑んだ。
だがアーノルドは我関せずを貫き、もはや微動だにせず腕を組んでいるだけだ。
「——申し訳ありませんがお断りします」
当然答えたのはパラクである。
尚も毅然として刹那の躊躇いもなくパラクはそう断じていた。
流石に困惑げに眉を顰めてアーノルドを見遣るエルテミスに、パラクは少しばかり遠慮がちに再度その口を開く。
「……この場で発言する無礼をお許しください。ですが、言っておかなければなりません。ヴァレンヌ様、お金で私の忠誠心が揺らぐなどと思わないでいただきたい。申し訳ございませんが、そこまでにしていただけますか?」
パラクが若干の怒りを滲ませてそう言い放った。
エルテミスは思わずキョトンとした表情を浮かべ、パラクの方へ訝しげな視線を向けてしまう。
エルテミスはいま言われた言葉の意味が理解できなかったのだ。
エルテミスからすれば全ては金。
第一に金、第二に金、第三に金。
金があれば大抵のものは手に入る。
忠誠心などという曖昧なものなど金の前には無力も同然。
それがエルテミスにとっての常識。
これまでも、幾度もその言葉を口にした凡夫共を戯れも兼ねて意味もなく買ってきた。
どれだけ強がろうとも十億を超えれば誰もが金の前に跪く。
何せ十億もあれば平民ならばもはや一生遊んで暮らせる額だ。
貴族にとっても端金とはいえない額だ。
たかが従者一人渡すだけで手に入るのならば嬉々として、もしくは渋々であろうと渡す額だ。
無二の親友であろうとも、どれだけ重用している者であろうとも、それぞれに大金を差し出せばその心が揺れ動く。
金は人の心を魅せる魔性なるもの。
ネズミの如く更に追い込み追い込んでやれば、もはや逃げ場もなくなるというもの。
チェックメイトだ。
所詮誰も彼も金によって動いているに過ぎない。
騎士も聖職者さえも、忠義などという目に見えぬものに縋ってなどいないのだとエルテミスは確信している。
主人に裏切られたような顔をする騎士も、騎士に裏切られたような顔をする主人も、エルテミスにとってはくだらない寸劇を見ているようであった。
だがそのくだらない寸劇も時には無聊を慰める。
中には金に揺るがされぬ者もいるにはいたが、その苦悩や葛藤を見るのもまた一興で楽しめた。
その愉悦を味わいたく欲している者ならば、逆にここで交渉を打ち切り相手に後悔を与えるのもありだろう。
その時に見せる表情でエルテミスは満足できるのだから。
だがパラクはそんな気持ちで欲しているわけでもない。
助けてもらってから以降、幾夜もパラクのことを考え眠りについた。
手に入る日が待ち遠しく、それを想う日が積み上がるごとにその所有欲もまた膨れ上がっていく。
それゆえもはや諦めるという選択肢はエルテミスの中にはなかった。
エルテミスはパラクの言葉もアーノルドに言わされているだけだろうと判断し、若干の苛立ちと不満さを覗かせながらパラクから視線を戻す。
すると、アーノルドの金色に輝く無機質ともいえる眼がエルテミスを射抜いていた。
睨まれているわけでもないのに思わず、うっ、とたじろいでしまう。
「終わりか?」
そう問われたエルテミスは逡巡した。
額を上げることはしようと思えばまだまだ出来る。
エルテミスにとって億単位などまだ端金に過ぎないのだから。
だがこのままアーノルドの思うままに事を運ばせるというのも少しばかり癪であった。
商人としても、ヴァレンヌ家としても。
どうすべきかと考えた一瞬の間にアーノルドが先に口を開く。
「ならばこちらの交渉に戻ろうか」
「お、お待ちくだ——」
「金が五○兆ドラに、貴様の魔道具の販売権の一割……だったか。最初に提示してくるのがその程度とは笑わせてくれる。舐めているのか?」
「なっ⁈」
その不遜な物言いにエルテミスも思わず驚きの声をあげてしまう。
吊り上げてくることは予想の範疇ではあったが、ここまで全てを否定されるなど考えてもいなかった。
エルテミスは心の底から激情のような何かが込み上げてき、それに身を任せるかのように口を開く。
「た、確かにその剣に使われている材料や製作者のことを考えれば値がつけられないであろうこともわかりますがっ‼︎ これほどの……ッ⁉︎」
——らしくない。
いくら思った反応と違ったからといってここまで取り乱すなどありえない。
その思考がエルテミスの言葉を止めた。
チラッと指に嵌められた精神操作防止の魔道具を見る。
まだ世にも出していない、特定の条件下で自動的に発動する反応型を実現させた自作の魔道具だ。
だが動作した形跡はなかった。
ならば、自分がアーノルドの言葉に乗せられたということか。
しかしその思考もすぐに振り払う。
いくらなんでもそこまで落ちぶれてなどいないと。
エルテミスは自身の感情を落ち着かせるために一息吐き、もはや体裁など気にしないほど無表情にジロリと鋭い視線をアーノルドへと向けた。
「……強欲は身を滅ぼしますよ?」
「ほう、貴様がそれを言うか。この私の剣を欲し、臣下までもを欲する貴様は強欲ではないとでも?」
エルテミスは微笑みを浮かべるだけでそれに対して何も言いはしなかった。
まるで聞くに値しないとでも言うかのような態度である。
「まぁいい。だが生憎と私は金も貴様の魔道具の販売の権利とやらも興味がない」
アーノルドにとっても五○兆ドラというのは端金ではないし、一割とはいえ、いや、一割もの魔道具の販売権があれば平民ならばそれだけで生活をすることが容易なだけの金が定期的に入ってくるだろう。
だがアーノルドにとってもはや金はそれほど重要ではないし、そもそも魔道具の販売権など的外れもいいところ。
「……何か他に欲しいものがあるということかしら?」
「頭の回転は悪くないようだな」
エルテミスはその言葉を受けても冷笑しているかのような澄ました表情を浮かべている。
「——神言文字。当然知っているだろう?」
「っ⁈」
だがアーノルドのその一言でエルテミスの澄ました表情も崩れ去った。
これまでも魔道具開発の秘密を話せだの教えろだの言ってきた者達はいた。
もちろん中には聞き齧りでもしたのか、国に秘めていた研究の成果か、拙い神言文字の知識を披露し、もっと知りたければと神言文字の秘密と交換だと恥知らずにも要求してきた者もいた。
当然いまそのような者達は不幸な運命を辿っている。
だがまさかアーノルドからその言葉が出てくるとは思わなかった。
いや、おかしくはないのだ。
ダンケルノといえば武力の高さが注目されがちであるが、何においても負けることが許されないとされることをエルテミスは知っている。
だからこそアーノルドがそれすら学んでいたとしても不思議ではない。
だがそれでもそれをアーノルドがそれを口にする疑問は残る。
学んでいようとも“理解”などできようはずもないのだ。
所詮学んだというだけ。
なにゆえ神言文字を欲するのか。
エルテミスは訝しむような表情を必死に抑えてアーノルドへと問いかける。
「神言文字の解読方法を教えろ……と? 再度言いましょうか。強欲が過ぎるのではないですか? その剣一本が……本気で釣り合っているとお考えですか?」
「はっ、それを決めるのは貴様ではない。物の価値というものはその持ち主が決めるものだ。私の剣の価値を貴様の一存で下げるでない」
「なるほど。確かに貴方の言うことも一理あるかもしれませんね……」
エルテミスは愁然とした面持ちでそう言い、僅かに微笑んだ。
「——ですがそれは違います」
だがエルテミスは毅然とした声色でそれが違うと断じる。
「物の価値を決めるのは持ち主ではなくより力ある者です。たとえ同じ商品であろうとも、無名の商人ならば買い叩かれる物でも、力ある商人ならばそれを適正、いえ、適正以上の価格で売ることも出来ます。当然買うこともまた然りです」
それが絶対などとは思っていないのであろうが、少なくともエルテミスの中でそれが覆ることなどないと力強い瞳が雄弁に語っていた。
「ほう……。その理でいくのならば貴様はこの私が力無き者だと思っているということになるが?」
アーノルドの僅かに険とした気配を漂わせた言葉をエルテミスは受け流すかのようにクスリと笑い、その顔に微笑みを戻す。
「まさか、滅相もありません。誤解を与えてしまったのなら申し訳ございませんが……、それでも我が家宝、秘伝を教えろなどとは、いくら何でもその剣一本と釣り合うなど——本気でそう思っているわけではありませんでしょう?」
顔は微笑んでいるが、その目は明らかに蔑みとも嘲笑とも言えるものを孕んでいる。
遠回しに、そう思っているのならばお前の頭は大丈夫かとでも言っているのだろう。
だがアーノルドに怒りはなく、煩わしそうに吐息を漏らすだけであった。
「知ったことか。条件が合わぬのならば貴様がこの交渉を諦めればいいだけの話。何もこの話は私から持ちかけたわけではない。よもや、私が貴様に阿るとでも思っていたか?」
そう言われたエルテミスは思わず目尻を一度ひくつかせる。
別に阿ると思っていたわけではないが、それでも心の奥底でアーノルドもまた他と同じと見做していたことを否定することはできなかった。
自分があの剣を欲したからには最終的にはアーノルドが譲歩するだろうと。
自身を過大評価しているわけではないが、それでも自分の価値はわかっている。
いまこの世界で有数の価値ある人間。
それがエルテミス・ヴァレンヌだ。
魔道具の歴史を変えたと言われるヴェレンヌ家の先祖であるラーメルイ女史以来の天才と称され、齢一二歳にして既に数多の魔道具を生み出してきた。
いま指に嵌めている新型の魔道具を公表すればその価値は更に上がるだろう。
対してアーノルドは貴族ではあるが、どこまでいこうと娼婦の子であることには変わりない。
ダンケルノ公爵家でも一人だけ別邸で過ごさせられていたことからも、蔑まれ、迫害されているであろうことは容易に想像できた。
となれば、アーノルドが公爵になるためには強力な後ろ盾が必須。
貴族社会では武力だけではどうにもならないのは必定だ。
なる前にしろ、なった後にしろ強力な後ろ盾というものは役に立つ。
それに後ろ盾とまではいかなくともそうした者との繋がりはアーノルドにとってプラスになることはあれマイナスになることはない。
だからこそエルテミスはアーノルドを怒らせさえしなければ良い関係が築けると思っていた。
しかしエルテミスも流石にいまのアーノルドからは読み取れた。
そんな可能性は皆無だと。
ここでエルテミスがこの交渉を止めると言えばアーノルドは今後エルテミスと良好な関係を作れるというメリットを全て捨てて簡単に去っていくだろうと。
自身に縋ってくるような姿が一切想像できなかった。
しかし意外にも状況を変える言葉を放ったのはアーノルドの方であった。
「——だが、私もそこまで強欲ではない。一つ貴様の勘違いを正そう。何も読み方を教えろなどとは言っておらん。貴様らが扱う神言文字、それを見せるだけでいい」
アーノルドにとって黒剣もまた重要なものではあるが、それでも代わりはある。
それゆえ、今回この国にきた目的である神言文字の入手とならば交渉材料として差し出すくらいはしても良いと考えていた。
エルテミスはその言葉に思わず黙り込む。
アーノルドから差し出された譲歩。
だが勘違いしてはいない。
先ほどの言葉がエルテミスへの阿りからきたものではないと。
(神言文字は家門の秘伝に当たるもの。見ただけで解読など絶対に出来はしないけれど……、絶対なんてものは存在しない。まだ一つしか販売していないからまぐれのものかもしれないけれど、現に第二の魔道具師が出てきている……)
数ヶ月前にタモール商会というところが一つの魔道具を販売してから一向に次の魔道具が販売される気配がない。
魔道具の製作というものは確かに簡単ではない。
求める効果だけでなく商品としての価値もなければ結局のところ売れないのだから。
もちろん情報漏洩などを気にして作っている人員が少ないため販売までに商品の備蓄を増やしているから次の販売が遅れているということも考えられる。
だが、ヴァレンヌ家の見解としては、たまたま何らかの神具を手に入れ、それを真似て造っただけというものだった。
エルテミスもその考えには賛同していた。
魔道具に関する知識においてはヴァレンヌ家がこの世界で一番だと豪語出来る。
だが今回出てきた魔道具はマナの貯蓄が出来るという、人類が何度も挑み敗れた敗戦の歴史を覆すものだった。
それゆえに世間は注目し、エルテミスらも暖房機からそれを解明しようとして苦渋を嘗めた。
先祖代々マナの貯蓄が出来る魔道具の発明は常に研究され、未だに解決されていない問題。
それをぽっとでの魔道具師ごときに解決など出来ようはずもないという考えがどうしても根底にある。
だからこその神具の解体という結論。
それは誰しもが思いつくが、その希少価値ゆえに誰も試したことがない禁断の手法。
ただ真似ただけかはたまた技術的な何かを得たのかはわからない。
とはいえ、模倣であれそれを成し遂げたということは素直に称賛に値するとエルテミスは考えている。
これまでエルフの武具の量産が出来ていないのは、マナの蓄積という問題が解決出来なかったからだ。
真似るだけではどうしても貯めることが出来ないからこそ量産することができなかった。
エルテミスの父はプライドが邪魔をしているのかそれほど重要視していないようだが、エルテミスはその技術の確立だけでも掛け値なしに評価に値すると思っている。
それは神具だから出来たのだとしても変わらない。
神具とエルフの武具でマナを貯める仕組みが違うのであればそれも当然の話。
だがそれだけならば次の魔道具が販売されることはないためヴァレンヌ家としては脅威たりえない。
模倣しか出来ない者に新しい物を生み出すことはできないからだ。
だからこそタモール商会としてはその技術をエサにラードルフ商会に接触せざるをえないと踏んでいる。
マナの蓄積という技術は持ち、暖房機しか作れないタモール商会と、マナの蓄積という技術は持たないが数多の魔道具を生み出す知識を持つヴァレンヌ家。
優位性はまだヴァレンヌ家の方が圧倒的に高い。
それゆえ特段ヴァレンヌ家としては件の魔道具師を探すようなことはしてはいない。
最低限の情報を集めるに留めている。
だがエルテミスとしては少しばかり違った。
もし本当に神具を解体したのだとしたら神具とエルフの武具でマナの貯蔵の仕組みが違うのかなど製作者に話を聞いてみたい。
当然容易に教えてくれるはずもないであろうが、エルテミスはそれでも尚独自に探していた。
神具を手に入れることと、製作者から聞き出すことでは後者の方が圧倒的に簡単だからだ。
とはいえ、その肝心の製作者の影が一ミリたりともまだ見えていない。
そんな中、神言文字について言及してくる目の前の少年。
ただの馬鹿ならば神言文字に言及してこようとも身の程を弁えない馬鹿だからの一言で片付けられる。
だがアーノルドが教育を受けているのであれば尚の事、神言文字など見るだけ無駄だということを知っているはず。
到底あの剣を差し出す対価になるなど思うはずもない。
たとえ馬鹿だとしてもあのような条件で交渉をしてきはしないだろう。
これまでの態度からもアーノルドが神言文字を欲するメリットが思い当たらない。
だがここ一年間不自然なほど情報がないアーノルド。
その間に出てきた暖房機という魔道具。
馬鹿馬鹿しい妄想の類であると頭を振るうが、それでも結びついたからには完全に消し去ることもできない。
アーノルドが件の商会に関わっているという可能性。
「それを知ってどうするのですか? 神言文字は見るだけでどうにかなるような文字ではありません。これまで幾人の研究者達が挑み、それに——」
「そんなことは知っている」
「ならば——」
「そんなことにまで口出しされる謂れはないぞ? 貴様が考えるべきは、この黒剣と貴様の家門が持つ神言文字、それらが互いの中で釣り合いが取れるかどうかであろう。貴様は要望を述べ、私もそれに対する要望を出した。これ以上語る必要があるか?」
より訝しみ問い質そうとしたエルテミスの言葉を遮るようにアーノルドは鋭い言葉を被せた。
そう言われたエルテミスはこれ以上は危ないかと、商人としての顔つきに戻り、一瞬だけ思案する。
「……もう一度確認いたしますが、神言文字は見るだけでその意味を教えろというわけではないのですね?」
「ああ、見るだけで十分だ。なにも貴様らのまとめたものを根こそぎ貰おうなどとは思っていない。それに貴様の言うとおり、見ただけで解読できるものでもないのだろう? どこまで調べたかは知らないが、この黒剣は貴様が値付けしたように凄まじい額の値が付く代物だ。むしろ私としては破格の交渉をしてやっていると思うがな」
言ってみれば、どこぞの国宝級の代物と人によってはゴミにしかならないようなもので交渉をしようとしているのだ。
それも手に入れるのではなく、ただ見るだけ。
もしアーノルドにお抱えの研究者がいるのだとしても膨大な数がある神言文字全てを記憶しておくには限度がある。
確かに破格の交渉ではあろう。
だが気が進まない。
エルテミスとて頭では神言文字を只人が見ることに意味がないことはわかっている。
あれは“理解”して扱うものではないのだから。
見られたところで、それを研究者に知らされたところで何にもならないことを理解している。
だが商人として培っていきた勘か、はたまた単純に家門の秘伝に関わる秘部を見せることへの抵抗感からか、素直に頷くことができない。
それに家門に伝わる言葉もある。
“『神意同書』は来る時来るまで、主と世子以外の誰にも触れさせること勿かれ”
肝心の“来る時”というのがまだ正式に継承されたわけではないエルテミスにはいつかはわからないが、少なくとも今ではないだろうことはわかる。
「その黒剣に……、パラク様を付けてくれるといったサービスはございませんの?」
エルテミスは心の中では既に答えは出ているであろうに、諦めきれないのか自嘲するかのような笑みを浮かべそう問うてくる。
だがその言葉を受けたアーノルドの表情は剣呑としたものへと変わっていった。
「……一つ、貴様に忠告しておこう。パラクを物のように扱うのはやめろ。極めて不愉快だ」
「あら、申し訳——」
「貴様はパラクの所有権が私にでもあると思っているのだろうが勘違いも甚だしい。人の権利はそいつ自身が持つものだ」
「……貴方は普通の貴族とは違った考えを持っているのですね。……本当によくわからない人ね。貴方という人が見えてこないわ?」
「小娘ごときが私を推し量ろうなど。貴様が私のことを理解する必要などない」
「小娘って……、私の方が年上なのだけれど?」
「ふん、そんなことはどうでもいいわ」
心底どうでもよさそうにそう言ったアーノルドをエルテミスは興味深げに観察していた。
そして愉しげにため息一つ吐き、困ったように眉を顰める。
「とはいえ、私も我が家門の家宝をおいそれを見せることなんて出来ないわ? 交渉は決裂かしら」
「そうだな。こちらは最大限譲歩した。そっちが折れる気がないのならば決裂だろう」
「残念だわ? せっかく“良い”関係を築けると思ったのだけど」
「はっ、その良いってのは貴様にとってではないのか?」
「あら、それがどうかしたかしら?」
悪びれる様子もなく笑みを浮かべるエルテミスにアーノルドはくだらなさそうに鼻を鳴らした。
「……ふん、ならばもうここに用はないな」
アーノルドはそう言うと席を立った。
去り行くアーノルドに対してエルテミスが、一つ、と声を出す。
「一つ忠告しておいてあげるわ。私の交渉を断った人間は何故だか不幸になるの。不慮の事故にあったり、暴漢に襲われたり、大事なものを無くしてしまったり、ね。行方不明になったり命を落とした人間までいるわ。気をつけてね?」
妖美な笑みを浮かべているエルテミスに対してアーノルドが忌々しげともいえる表情でギラリと歯を見せる。
「脅しのつもりか?」
「まさか、貴方を脅すほど命知らずじゃなくてよ?」
「ならば私からも一つ忠告しておいてやろう。私の邪魔をするものは誰であろうとも排除する。せいぜい貴様も気をつけることだな」
「うふふ、それならば心配しなくても大丈夫そうだわ? 私は貴方を邪魔するつもりなんてないもの」
そのエルテミスの様子は本心から自身には関係ないものと割り切っているようであった。
「今回は交渉決裂で終わってしまったけれど、また招待を受けてくれると嬉しいわ? 同じ学院にいるのだもの。たまにはお茶会など如何かしら? 良い関係を築きたいというのも本心でしてよ。私と良い関係を築いておけば貴方にとっても良いことになると思うわよ?」
そう言うと、エルテミスは妖艶に微笑みながら手をヒラヒラと振る。
アーノルドは不快げに鼻を鳴らし、エルテミスを一瞥するとそのまま部屋を辞した。




