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【書籍化】公爵家の三男に転生したので今度こそ間違えない 〜黯然の愚者が征く己の正道譚〜  作者: 虚妄公
トライデント魔導王国編

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第2-25話

 アーノルドが去ってから数分もしないうち。


「あら、(じい)。早いわね」


 エルテミスは忽然と現れた老人に対してニコリと微笑んだ。


「当然でございます。……待っている間、爺は気が気ではありませんでしたぞ。この爺の寿命を縮めるようなことはどうかお控えください」


 杖をつく老人は頭を下げながらそう懇願する。


 そしてその老身をエルテミスの後ろに立つ女性へと向ける。


「バリング様。お嬢様をお守りいただきありがとうございました」


「ん……。仕事だから別にいい……」


 エルテミスもアーリの方へと振り返り、うずうずした様子で尋ねる。


「如何でしたか? 彼らの評価は」


「んー……、貴女が欲しがっていたパラクという少年は大したことないね。貴女がそこまで欲しがるような腕には見えなかった」


「うふふ、彼には護衛としての腕を期待しているわけではないもの。そこは別に良いのよ」


「そう……。それから女の護衛もそれより下。大男も……、一筋縄ではいかないだろうけどやって負ける気はない……かな」


「そうですか。それが貴女の評価ですか?」


「そう。私の評価」

 それを聞いたエルテミスの笑みが深まる。


「——ただ、あの少年。あの黒髪の少年が一番不気味だった」


「えっ?」


 再度振り向きアーリを見るも、その瞳はエルテミスを映してはいなかった。


 過去を思い馳せるかのように虚空を写しているようで些か不気味ですらあった。


「“私”が手を出すなって。私では手に余るって。私はそうは思わなかったけど……。それが“私”の評価」


 エルテミスはその言葉を聞いたことで神妙に表情を曇らせる。


「……じゃあ、これで依頼事項も全て終わったし帰るよ。戦いにならなかったのはちょっと残念だったかな……。貴女からすれば予定通りなんだろうけど。また何かあったら呼んでね。ああでも、あっちも気がついていたとは思うよ? それじゃあ金は振り込んどおいてね」


 ヒラヒラと気怠げに手を振り去っていくアーリに対してエルテミスは深々と一礼した。


「爺はどう思う?」


「爺にはそれほどあの少年が脅威とは思いませなんだ。しかしながら……アーリ・バリング様もまた奇異にして怪奇なお方。あのお方がああ言うのであればやはりいま以上に注意は必要かと。少なくとも武力による抑圧は最終手段にすべきでしょう」


「そうね……」


 深刻そうな表情でそう呟いたエルテミスであるが、そのまま爺の方へ甘えるかのような上目遣いを送る。


「ねぇ、あのアーノルド君も私のものにしては……ダメかしら?」


 そう言いながら可愛らしく首を傾げてみせる。


 それに対して爺があたふたと慌て出す。


「お、おやめください! いくら何でもそれだけはおやめください! ダンケルノに直接手を出してはいけません! あれらは我々であっても安易に手出しするのが憚れる一門です。決して、決して一族の者を手に入れようなどとは思いませぬように!」


「そう、残念ね……。あの私を見据える鋭い目が甘い目に変わるのを見てみたかったのだけど……うふふ、想像しただけでも昂ってくるわ?」


 恍惚な表情を浮かべるエルテミスに爺と呼ばれる者があわあわとしていた。


 しかしその表情もすぐに引っ込め、真面目なものへと戻す。


「……でも爺の言うようにやめておきましょう」


「それがよろしいかと」


 エルテミスが諦めたことで爺は安堵したように息を吐いた。


「それで、今日の商談は如何でしたか?」


「悪くなかったわ。どの道一度で上手くいくだなんて思っていなかったもの。むしろ交渉まで辿り着けただけでも成果としては十分でしょう。あまり“理解”は出来なかったけど……それでも案外どうにかなりそうね」


「それはようございました」


「パラク君は必ず手に入れるわ。パラク君の困ったような顔。怒った顔。凛々しい顔。どれも良かったわ? もう私のもの。私だけのものよ。うふふ」


 ここまでまるで居ないものとして扱われる護衛の男は妖艶に微笑みを浮かべるエルテミスに少しばかり引いたような表情を浮かべていたが、爺は満足そうな表情でただ見ているだけだった。


「ああ……、それと少し調べて欲しいことがあるのだけれど」


 エルテミスは何かを思い出したかのように爺に対して指示を出す。


「アーノルド・ダンケルノとタモール商会の関係。どんな些細なことでもいいわ。情報を集めておいて。それとここ一年何をしていたかも改めて調べなおさせて」


「承知致しました。……しかし、件の商会との関係性が何か見えたのですか?」


「いいえ。でも、くだらない妄想の域を出ない仮説だけれど……調べてみる価値くらいはありそうね。ゴブリンをつついて龍を出すような真似はしたくないけれど……、あまり深追いはするなとも伝えておいて」


 エルテミスとて商人としての一線を弁えている。


 貴族と取引をする以上危険察知能力や回避能力は必須レベルだ。


 今回の件はエルテミスの耳元で僅かに警鐘が鳴っているが、それでもまだまだ遠く遠い場所でのこと。


 扱いを間違えさえしなければまだ問題ないと確信しているような笑みを浮かべていた。


 ――∇∇――


「……」


 店を出た後の帰り道、パラクが何やら言いたげにしているのを見かねたアーノルドが口を開く。


「気にするな。それにお前が私の元を離れないと選択するのであれば、私もお前の主人としてお前を守るくらいはしてやる」


「アーノルド様……」


 パラクが申し訳なさそうに、だが守ってやると言われたのが嬉しいのか笑みを浮かべないようにか口元をヒクヒクとさせている。


 アーノルドはそんなパラクにため息を吐く。


「ただ……軽率な行動は控えておけ。面倒ごとはできるだけ持ち込むな」


 アーノルドにそう言われ、申し訳なさそうに項垂れるパラクを一瞥したコルドーが控えめに口を開く。


「アーノルド様、差し出がましいとは思いますが、あまり敵を増やしすぎるのは……」


 ハイルという皇族に連なる者を殺したことでアルトティア帝国を、ボルネイを殺したことでアノッソファミリーを、そして七帝家の中でも力を持つヴァレンヌ家を。


 同時に敵に回すには少しばかり手に余る。


 いまはクレマンもおらず、不平不満は言いつつも最終的にはアーノルドを守っていくれそうなマードリーもいない。


 コルドーもまたあの二人の境地に辿り着けていればこんな心配せずに済んだであろうと愁嘆するが、コルドーは未だに大騎士級のままだ。


 アーノルド以上になにも成長出来ていない。


 大騎士級で自身の『能力』を手に入れ、その次の段階である超越騎士級という人外への道。


 ヴォルフとの戦いで初めて体験し、クレマンという身近にもその領域に立つ者がいるという幸運に恵まれた状態。


 にも関わらず、コルドーは剣術の腕前を除けば未だに五年前とさして変わっていない。


 仕方ないとは思いつつも、仕方ないなどで済ませるわけにもいかないのだ。


 そしてその心配と焦りがここ最近言動に出てしまっているのだ。


 アーノルドはそんなコルドーの心情を見透かしたかのように鼻で笑って、嘲るような笑みを浮かべる。


「なんだ。一年と少し戦場から離れたからと、この程度で臆しするようになったか、コルドーよ」


 だがコルドーはそれでも尚、真剣な表情でアーノルドを見据えていた。


 それはそれだけ本気でアーノルドを心配しているということなのだろう。


 だからこそアーノルドもまたムッと表情を真剣なものに変えて答える。


「……心配するな。敵は全て殺す。それで問題ない」


 まるで自身の誓いを再確認するかのように険しい声色で放たれたそれにコルドーはそれ以上何も言いはしなかった。


「お前もそう心配ばかりするな。焦る気持ちは分からんでもないが、為すべきことを為しておけ」


 アーノルドは少ししてリリーの方へと振り向いた。


「どうだ、残念だったか?」


 何がと言われなくてもその向けられる瞳から何が残念であったかありありとわかる。


 戦いにならなくて残念だったかと。


「いえ……、私にはまだ早かったでしょう」


 それはリリーの本心からの言葉であった。


 事実あの場で戦闘になったとき、リリーは自身が適切に動けるイメージが湧かなかった。


 だがそれを経験したことでまた視点が変わったのも事実。


 護衛として動く、自身の命を優先して動く。


 その差異は実際にその場に立たなければ中々体感できないものだった。


 それゆえ今回の件は無駄ではなかったと確信していた。


「まぁ相手が悪かったな。あの男はともかく女の方はな。むしろ思っていたよりは普通の者を連れてきていたが……。奴の言う通り、こちらの警戒心に配慮してということだろうが、こちらに手の内を見せないという意味も込められているだろう」


 エルテミスの護衛があの程度であった時点でエルテミスが武力行使を視野に入れているわけではないのはわかった。


 あの部屋はある意味袋小路であるからもちろんエルテミスがその気になればいくらでも増援を遣すことはできるだろうが、部屋そのものに仕掛けなどは見当たらなかったためその前にエルテミスを殺れるだろう。


 相手がそこまでの危険を冒してまで武力行使に来るメリットはあの状況にはない。


 それよりも気になるのはあの後ろにいた女であった。


「コルドー、お前はどう思った」


「得体が知れないというのが素直な感想です。あのようなおんなは初めて見ました。一見何でもなさそうであるのに……なぜか全身の穴という穴が開くようなブワッとした怖気のようなものを終始感じました」


「同意見だな。とはいえ、クレマン達のような雰囲気ともまた違う。気にはなるな。調べられるか?」


 クレマンや父親といったある種、人外の領域に足を踏み入れている者ほどの圧は感じなかったが、それとはまた違う何かを感じていた。


「この国の情報屋を使いましょう」


「ならばリリー、交渉は任せた。動きたくてうずうずしているのならば丁度いいだろう。ああ、ランと一緒にしたければ好きにしていいし、パラクやコルドー、手すきの諜報員達も連れて行きたければ好きにしろ。その辺の采配も含めてお前に任せる。忠告しとくのならば情報屋だからと甘く見るなよ」


 指名されたリリーはわずかに驚いた表情をしたが、すぐに引き締め神妙に頷いた。


 少しばかり危険はあるが、パラクやコルドーより令嬢としての教育を受けているゆえか言葉の扱いが上手であった。


 それゆえ海千山千の情報屋とのやり取りはコルドー達よりもリリーに任せる方が良い結果を生むだろう。


 それに良い結果でなくても問題はない。


「しかしアーノルド様。もしヴァレンヌ嬢があの条件を呑めば本当にその剣を渡したのですか?」


 コルドーが懐疑的な声色でそう尋ねてくる。


「ああ。それがどうかしたか?」


「いえ……」


「でも……そうなるとガルドフィン様が怒りそうですね」


 コルドーはアーノルドの返答に意外そうに口ごもり、それまで黙っていたパラクが苦笑しながらそう言う。


 アーノルドもその怒った様をありありと想像でき、嫌そうにため息を吐いた。


「まぁそれは甘んじて受け入れるしかあるまい。そもそもこれの所有権は私にあるのだからどうしようとも文句を言われる筋合いもないのだがな」


 ガルドフィンはこの黒剣を造った者の一人で、ドワーフ王国の国王だ。


 手入れのために絶対に持ってこいと何度も念を押してき、行かなければそれこそ国を出てまで押しかけてこん勢いであった。


 剣が完成した当初は買い取るとまで言い張り、国庫にまで手をつけようとして国の者達に押さえつけられていたのは傍から見れば滑稽でもあったがアーノルド達にとっては笑えないほどの気迫に満ちていた。


 ドワーフは造ることや造ったものへの執着はあれ、所有欲といったものは薄いため

 それほどまでアーノルドの黒剣を気に入ったということだったのだろう。


「しかし……思っていた要件とは違っていましたね」


 どちらが良かったということはない。


 どちらも厄介ごとには違いないのだから。


「向こうも諦めてはいないご様子でしたが、今後の対処は如何致しますか?」


 交渉が決裂した。


 だからこの件については終了などといった雰囲気では明らかになかった。


 少なくともパラクへの執着の視線はリリーですら感じ取れるほどあからさまとも言えるものであった。


 これまで全てを手に入れてきたであろう生粋のお嬢様が自らの欲しいものを諦めるとは思えなかった。


「まぁそれはこちらも同じことだ。交渉で済めばそれに越したことはなかったが、やはりそう易々と切り札を天秤の上には乗せないな」


 皮肉げに笑うアーノルドとは対照的に、コルドーが唸るような声を出す。


「しかし最後に言っていたことも気になりますね。たしか『黒猫』という通名を付けられているといった情報がありましたね」


 いまほとんどの諜報員が出払っており、少しの者達しかいないため満足に情報を集められていなかったのであるが、その者達が集めてきたエルテミスの情報の中の一つにあった『黒猫』という異名。


 猫というよりは蛇のような目つきであったが、容姿だけを見れば然もありなんかとコルドー達は当初思っていた。


 だが実際に接してみて抱いた感想は違う。


「それも可愛らしさの表現かと思っていましたが、『陋劣な黒猫』という意味だったのでしょうか」


「ああ、童話の『宴常の猫』の中に出てくるあの黒猫のことですか」


 リリーが懐かしむかのような声色でそう言い、対してパラクはピンときていなさそうであった。


「なんですか? その……『宴常の猫』って」


 一人だけ知らないことが恥ずかしいのか控えめにそう言うパラクにコルドーは優しげな視線を向ける。


「あまり出回っていない童話だから知らぬのも無理はない。むしろリリーがよく知って……いや、元とはいえ貴族なのだから知っていても不思議ではないか」


 貴族などのお金持ちならば持っていることもあるだろうが、平民が買うには知名度も人気もない本である。


 黒猫の登場自体は全体を通して微々たるものであるが、奸悪にして陋劣なる黒猫は善良な振りをしながら周りを不幸に貶めていく。


 周りはその外面の良さに騙され、知らず知らずのうちにどんどん傷ついていくが最終的には全ての悪事が暴かれ猫達の平穏な日常へと戻っていくというもの。


 そもそもこの黒猫の話自体、途中にある間話といったような扱いで、主軸とはまた違うのだ。


 他の物語に比べ、かなり浮いており、全体の纏まりが悪くなっている。


 黒猫を主軸にするなり、もしくはそれ自体ない方が良かったという、なんとも軸がブレている作品ゆえにあまり浸透していない。


「へ〜、そんな童話があるんですね。ということは、やっぱりさっきの言葉はアーノルド様への警告ということですかね。そんな通り名がつくってことはその悪行も皆が知るようなこととということですよね。彼女自身が邪魔をしないという言葉も捉えようによっては誰かにやらせるということですかね。自分の手は汚さず、ただ命令するだけという……」


 所詮それも憶測の域を出ておらず明確な答えを返せる者はいない。


「はやくシーザーが戻ってくればいいのだが……。もう三週間……いったい何をしておる」


 コルドーはそう吐き捨てるように悪態をつくが、その裏には心配があることが誰の目にも明らかであった。


 いまシーザー達には三つのグループに分けて別件で情報を集めさせているためこの国にはいない。


 数人はアーノルドの元に残っているが、やはり手が足りていない。


 本来ならばもうシーザー達が戻ってきても良い頃であるのだが、未だに誰一人として戻らないというのは少々異常事態と言えるだろう。


「まぁいい。誰が何を企もうと、私がすべきことに変化はないのだから。邪魔するものは全て排除するだけだ」


 ――∇∇――


 学院に入学してから早一ヶ月。


 受講する講義も決まり、ここで各々の生徒は自身の専攻を決めることになる。


 とはいえ、一年生の間は単純に二択だ。


 学道か武道かというだけ。


 全員が全員、武を学ぶためにこの学院に入っているわけではない。


 だがこの学院には星詠戦という学生同士の謂わば決闘制度がある。


 決闘の内容は生徒それぞれが自由に決められるとはいえ、当然の如く学問中心の者と武術中心の者ではどう足掻いても公平性を保てない。


 それゆえ星詠戦は基本的に同じ専攻の者としか戦えないと定められている。


 正確には別専攻の者達には絶対的な拒否権が設けられている。


 一度拒否したのならば、それから学年が変わるまでの間は星詠戦をその者に申し込む権利を失うことになる。


 つまりは申し込まれた側が申し込まない限り星詠戦が行われることはないというもの。


 で、肝心のアーノルドが選んだのがどちらかと言うと、学道であった。


 とはいえ当然の選択である。


 アーノルドがこの学院に来た目的は武の向上ではなく、知識の収集の方が比重が重い。


 次のステップに進むための悟り。


 たかが二年の停滞ゆえにまだ戦闘の中にそれがないと断じるには早いが、アーノルドの中には何かがポッカリと空いたような感触がある。


 まるでいままで見えていた道が突然途絶えたような空虚な感覚。


 そしてそれを埋めるのはここにあるのだという直感めいたもの。


 もちろん学道を選んだからと、武術の講義が受けられないなどということはないし、単位を取るためには必然的に取る必要も出てくるだろう。


 唯一の欠点としては武に関する倍率が高い講義に当たりにくいということだろうが、アーノルドはここで武そのものを学ぶ気はあまりないため問題ない。


 それに武道を選べばそれこそ面倒ごとになりそうなことはわかっている。


 この一ヶ月学院の至る所で見た生徒間で横行している差別的な扱い。


 基本的に星詠戦は賭けるものこそ両者の合意の上で行われるが、同じ専攻同士ならば挑まれれば逃げるという選択肢は与えられない。


 とはいえ、もちろん強い者がただ弱い者をいたぶるというのも本意ではないため、下のクラスに挑める回数は定められており、一応のバランスは取られている。


 だがそれでも例年それによって退学に追い込まれる生徒が後を絶たないし、教師が基本的に介在しないため裏道のような抜け穴がどれだけ作られようとも基本的には放置されている。


 武道でなければそれらすべての面倒ごとも避けられる。


 ただ拒否すれば終わりだ。


 もちろんやろうと思えばここに属する生徒程度アーノルドならば簡単に片付けられるであろうが、そんなわかりきったことに時間を取られることすら煩わしい。


 いま一年生は全体的にザワザワと騒がしくなっている。


 その理由は単純だ。


 サークルが活発に勧誘を始めたからだ。


 部下という名の下僕を探す者達や少しでも良いサークルに入って学院での生活を快適なものにしようと四苦八苦する者達。


 所属するサークルによって今後の学院生活が大きく変わることは周知の事実となっているため、講義をそっちのけでサークル活動に勤しむ者すらいる始末だ。


 サークルの数は大小多くあるが、いま主要とされるサークルは五つある。


 中等部三年であるアルトティア帝国の第四皇子サクソン・アルトティア率いる他国の貴族達が中心に固まっている帝苑サークル。


 エルテミス・ヴァレンヌが率いる国籍に囚われず選ばれた優秀な者達だけが所属することを許されるコヤンサークル。


 この国の過激派の者達が所属する、謂わば多くの者達を退学に追い込む原因となるヒエナサークル。


 七帝家のライル・ラングラーが率いるが、基本的には助け合うだけで比較的温厚な者が属しているアサドサークル。


 そしてこの国の者でもない三年の平民が率いるにもかかわらず、貴族と平民が織り混ざっている花陵サークル。


 この五つのどれかに属すことを生徒達は夢見て自身をサークルに売り込んでいるのだ。


 最も属しやすいのは花陵サークルだ。


 虐げられている者達の救済を掲げるこのサークルならば大抵の者は受け入れてくれる。


 だがまだ創設されて二年。


 人数が多いだけで、サークルの力としては五つの中では最も低いとされている。


 それゆえ、虐げられることを覚悟してでも他のサークルを望む者はいる。


 何せたった数年耐えるだけでそこからの人生が格段に良くなるというのであればそれを選ぶ者がいるのも当然だ。


 選ぶサークルによって今後の自分の学院生活を大きく変えるのだ。


 慎重になるのも仕方ないだろう。


 それにどのサークルに入ろうが在学している内に力をつければいいと考えている者も多いし、これまで周囲に比べて優秀であったがゆえに自惚れているような者も多い。


 それに加え花陵サークルもいまや別の側面も強くなってきており、当初ほど誰もが入りやすいといった風潮も消えていっている。


「にしても、アーノルドが学道を専攻するとはな〜。ぜってぇ武道の方だと思ったのによ〜」


 一ヶ月が経過したことで改めて説明があると、前回と同じ教室に集まっているわけであるが、久しぶりであるにも関わらずカーボはまるで長年の親友かのようにアーノルドへと話しかけてきていた。


「でもなんで武道じゃねぇんだ? 学道なんてめんどくさくて俺はぜってぇ無理だぜ」


 見るからに勉強はダメそうなカーボにパラクは苦笑いを浮かべ、アーノルドは煩わしそうに周囲を見渡し口を開く。


「……リーンのやつは一緒じゃないのか?」


 ここ数分カーボ一人で喋っていたのであるが、保護者的な存在であるリーンの姿がどこにも見えなかった。


 肝心のカーボはやっと喋ったアーノルドに嬉しそうにするかと思いきや、予想に反して困ったように空笑いを浮かべていた。


「ん……まぁ、ちょっとサークルの集まりがあるとかでよ……」


 カーボのどこか煮え切らない様子にパラクが口を挟む。


「おや、もうリーン嬢はサークルを決めたのですか?」


 前見たリーンとカーボの様子からして二人は同じところに属すると思っていたが、一人だけが集まりに参加しているということは別のサークルに入ったということなのかと。


 だがカーボは苦笑いを浮かべながら小さく首を振った。


「いや、決めたってわけじゃねぇんだ。……それよりよ、どうせアーノルドはどこのサークルにも入らないんだろう?」


 その話を続けたくないのか矛先をアーノルドへと向けてくる。


「……当然だ」


「なぁ、なら俺たちでサークルを作らねぇか? なんなら入ってくれるだけでもいいんだ。俺とリーンとアーノルドと……。作るのに最低五人いるけど……、あと二人良さそうなやつ探してよ……」


「興味がないな」


 サークルに入るメリットというのは存在するが、そのどれもが基本的にアーノルドには興味がないものにすぎない。


「まぁだよなー……」


 カーボも答えなどわかっていたようで机に突っ伏してため息と吐いていた。


 そんな中、前の扉がガラガラと開き、リーンが静かに教室に入ってくる。


「おーい、リーン……」


 すぐそれに気がついたカーボが両手を上げリーンに大声で呼びかけるがその声は掠れるように消えていった。


 そしてガタっと勢いよく立ち上がり教室内だというのに風の如く駆けていった。


 今まで見た中で最も早い動作と言ってもいいかもしれないほどだ。


「おい! その顔どうした⁉︎ 誰にやられた⁈」


 リーンの顔にはあざのような、明らかに殴られた痕がくっきりと残っていた。


 カーボの教室中に響き渡るような大声に誰もがリーンに注目するが、それも一瞬、すぐに各々気まずように目を逸らしていた。


 厄介ごとに巻き込まれたくなんてないということだろう。


 特抜生のクラスとはいえシュヴァリエに変わりない。


 それを他の者はこの一ヶ月でよーく理解したのだろう。


「あはは、なんでもないから……。ちょっと転んでぶつけちゃっただけ」


 リーンはカーボを心配させないようにか明るく笑みを浮かべてそう言うが、顔の表情を変えるだけでも痛むのか少しばかり顔が引き攣っていた。


 それを見て悲痛な表情を浮かべたカーボはギリっと奥歯を噛む。


「な、なんでもないってことはないだろう⁉︎ あいつらか? あいつらなんだな⁈ あの野郎共ッ‼︎ リーンに手を上げるなんて、ぜってぇ許さねぇ‼︎」


 そう言い駆け出して行こうとするカーボの袖をリーンは力強く掴んで止めた。


「ダメ。いまは、ダメ。問題を起こさないで」


 リーンは苦々しい顔を浮かべながら懇願するかのようにそう言った。


 泣くのを我慢しているかのようなその顔を見たカーボはその顔を悲痛に歪め、そして怒りを滲ませながらも体に入っている力を抜いて息を吐いた。


「……わかった。でもとりあえず治療室に行くぞ!」


「でも、もうそろそろ集合時間だし……」


「そんなことはどうでもいいだろ‼︎ おい、アーノルド‼︎ 悪いがここで聞いたこと、後で教えてくれ‼︎」


 カーボは前の方から後ろにいるアーノルドに向かって大声でそう叫ぶ。


 流石にそれにはパラクも苦笑いを浮かべていた。


 アーノルドは特に返事もしていないが、カーボはそんなことはお構いなしに教室を出て行こうとする。


 ちょうどその時、教師が教室へと入ってきた。


「ん? お前達どこに行くつもりだ?」


「すいません! 治療室に行ってきます‼︎」


 カーボがリーンの手を引っ張りながら出ていくのをポリポリと髪を掻きながら見送った教師はまぁ良いかとばかりに教壇の上に立った。




 教師の話が終わったアーノルドは鼻を鳴らしながら席を立つ。


「くだらんことでわざわざ呼び出しやがって」


 言われたことは専攻についてとサークルについての注意点など。


 あとは基本的に生徒間のいざこざに教師が介入することはないから、退学したければさっさと退学しろという言葉。


 間違ってもどうにかしてくれなどとお願いしてくるなよ、と。


 そしてのし上がりたければ自分たちの力でどうにかしろという実にありがたい言葉だ。


 他にも色々とあるにはあったが、強制的に呼び出されるほど大したことは言われていない。


 カーボも結局帰ってはこず、教室の出口に向かおうとしたそのとき、前の扉がバンッと勢いよく開けられる。


「おい、屑ども‼︎ 貴様ら屑どもにとってこの上なく幸運な話を持ってきてやったぞ? この中でまだサークルには入っていない奴らは今すぐ俺達の前まで降りて来い! 今すぐだ‼︎」 


 威圧するように大声を張り上げながら入って来たのは三人の偉そうな子供達とそれに仕える護衛が三人。


 バッチを見れば、一年生のコマンドゥールに属する生徒だということがわかる。


 そして一際輝くバッチがもう一つ。


「恐れ多くも貴様ら屑どもを我らの代表であるラーク様が寛大なお心で栄誉と歴史あるヒエナサークルに迎え入れてくれるとのことだ! このようなチャンスを与えてくださったラーク様に感謝し、いまここで忠誠を誓うといい!」


 そう高らかに言うが、教室にいる生徒達はまるで固まった石のように誰一人身じろぎすらしなかった。


 その様子を見て痺れを切らしたように叫ぶ。


「ほらさっさと来い‼︎ シュヴァリエごときがまさかこの俺達に無駄な時間を取らせるつもりか? 入っていない奴がいることは確認済みだぞ?」


 その少年がまるで誰かわかっているぞとばかりにニヤリと笑い教室を見渡したことで、数人の生徒達が渋々といった様子で前へと降りていく。


 アーノルドはくだらなさそうにその様子を一瞥し、教室の後ろの方から出て行こうとした。


「おい! そこのお前‼︎」


 当然とでも言うべきか誰も動かぬ中後ろでただ二人動いていれば目立つというもの。


 呼び止められる。


 が、当然アーノルドは一瞥すらせずそのまま無視して教室を出ようとする。


「貴様ッ‼︎」


 それまで喋っていなかった後ろでふんぞり返っていた最も偉そうな少年がそう尖り声を出すと、凄まじい踏み込みを見せ、一っ飛びでアーノルドと出口の扉を遮るように間に入ってきた。


 そしてその顔を不快げに歪める。


「お前……、バッチをつけていないということはサークルに属していないな? はっ、ネズミのようにコソコソと。まさか気づかれないとでも思ったか? 俺たちの言葉は屑であるお前にとっては神の言葉に等しいのだぞ? その俺達の言葉に逆らった罪は重い。ちょうどいい。神に逆らうとどうなるか、見せしめも必要だろう。まずは謝罪からだな。さっさとそこに跪け。それともいますぐ痛い目にあいたいか?」


 傲慢なるその声が教室中に響き渡る。


 後ろに控えるパラクはもはや先の展開がわかっているのか呆れたような表情を浮かべていた。


 沈黙が降りる中、アーノルドの不機嫌そうなため息だけがやけに大きく聞こえてくる。


「……ただでさえ、無駄なことで呼び出され機嫌が悪いというのに。パラク、そいつを私の前から——消せ」


 珍しく不機嫌そうに低い声色に、強い命令口調を受け、パラクは刹那面食らうが、すぐに動き出す。


 その言葉を聞いたその少年は反抗されるなど夢にも思っていなかったのか驚いたように目を見開き、咄嗟に腰に差す剣を抜こうとするが、一拍遅れたパラク相手であろうともまったくもって間に合ってはいない。


 パラクは少年の胸の辺りを手のひらで叩き、教室の後ろから教壇まで勢いよく吹き飛ばした。


 文字通りアーノルドの前から消したわけだ。


 その瞬間教室に殺気が立ち込める。


 その出所は、パラクと同じく少年達の護衛であろう者達からだ。


「おい貴様! あのお方を誰と心得ている‼︎ お前のような者がよくも手を……!」


 怒りに染めた表情でアーノルド達を睨みつけ、今にも剣を抜かんとその柄に手をかけている。


 殺気に慣れぬ者ならば恐怖に臆し、強張ってしまうかもしれないが、アーノルドにとってはそよ風程度でしかない。


「——身の程も弁えん屑どもが」


 パラクにしか聞こえない程度に小さくその言葉が吐き出されるや否や、部屋の温度が急激に下がったかのような錯覚が教室にいる者達に襲いかかる。


 パラクも久々に感じるアーノルドの怒りに思わず冷や汗を垂らす。


(アーノルド様、今日は一段と機嫌が悪いみたいだけど……、そんな機嫌を損ねるようなことあったかな?)


 アーノルドは基本的に怒りはしても、その怒りを別の者にぶつけるようなことはしない。


 先ほどの少年も普段ならば無視され、結局向こうから何かしてくるからやられるというのに、今回はアーノルドから先に消せとのお達し。


 相当不機嫌なのだろうとパラクもまた慄いていた。


 その場にいる生徒達は訳もわからず震え始める身体に困惑し、怯えたような表情を浮かべている。


 アーノルドの機嫌も相まって漏れ出た怒気はその教室全体を侵していた。


 騎士達は流石に訓練を受けているだけあってかたかが漏れ出た怒気程度で固まるようなことはなかったが、身体の震えを抑えるためか全身に力を込め、アーノルド達の方を睨み見上げていた。


 その視線すらも不快であったか、アーノルドは鼻を鳴らし、金色に怪しく輝く双眸が騎士達を鋭く見下ろす。


 まるで許しなく見るなとでも言わんばかりに。


 騎士達はその瞳に見つめられてからまるで首を締め付けられているかのような息苦しさを感じ、そのまま耐えきれなくなったか徐々に膝を地についていった。


「……ふん、くだらん。相手にする価値もない」


 剣を交えるまでもなく決着が見える相手に興味などないアーノルドはそのまま不機嫌さを隠さぬまま出ていった。


 アーノルドがいなくなったことで解放された教室。


 至るところで息を吐くような音が聞こえる中、咳き込むような声が響く。


「ごほっごほっ……‼︎」


 体を打ちつけたことで少しの間気絶していた先ほどパラクに飛ばされた少年が目を覚ましたのだ。


「……大丈夫か?」


 その少年に対して別の仲間が声をかけるが、すぐに引き攣ったような表情を浮かべてしまう。


 凄まじい憎悪に満ちた目とでも言うべきか、あまりの恐ろしい瞳に思わず慄いてしまった。


「あいつ……絶対に、絶対に殺してやる‼︎ クソの分際で調子に乗りやがってッ……!」


 声を張り上げようとするもパラクに叩かれたところが痛むのか表情を顰める。


 過激派の思考に染まっているこの少年にとって他国の人間というだけで自身よりも遥かに格下の存在。


 それに加えてシュヴァリエなどという屑の集まりのクラス、自身が何をしようとも問題ないクラスの者に攻撃されるなど許容できようはずもなかった。


 立ち上がろうとするもまたしても全身が痛む。


 それもまた少年の怒りを倍増させ、周囲を見渡したかと思えば前に集まって来ていた他の生徒の一人へと近づいていく。


 そのまま一番前にいた少年の髪をぐいっと掴み、床に押し倒した。


 そのまま自身が優位に立っていることを確かめ、憂さ晴らしでもするかのように何度も何度も殴り、そして蹴り始める。


 最初は悲鳴を上げ、うめき声をあげていた少年であったが、次第に声も上げなくなってきたあたりで流石に殺しはまずいと思ったのか他の少年達が止めに入った。


「クソっ‼︎」


 それでも尚怒り冷めやらぬ少年は教壇を思いっきり蹴り飛ばし、他の生徒をジロリと見る。


 怯え後ずさる生徒に向かうかと思いきや、そのまま苛立ちを隠すこともなく教室を出ていき、結局後を追うように他の少年達も出て行った。


 ――∇∇――


 入学から一ヶ月経った今日から新入生も図書館の立ち入りが許されるようになる。


 この学院にはいくつかの図書館があるが、ここにもまた優劣があるのだ。


 アーノルドがいま入れるのはランクとしては下から二番目の斜陽館までだ。


 とはいえ、それでもかなりの蔵書数を誇っている。


 先ほどの教室を出たアーノルドはその斜陽館に向かっていた。


「しかし、凄まじい大きさですね〜」


 パラクが上を見上げながらそう言うがそれも仕方ないことだ。


 アーノルドの国にある王都の王立図書館にも行ったことはあるが、あそこも大きいことには大きいがそれは縦にであり横にはそれほどであった。


 斜陽館は縦にもある程度大きいが横にも大きく、ここだけで少なくとも一・五倍ほどの大きさはありそうだ。


 王立図書館には入るための条件に入館料があったが、この国の図書館にも入るための条件がある。


 この斜陽館に入れる条件は学院に在籍する者かつ学院での功績、ここでは優星というらしいがそれが一定以上ある者のみ。


 アーノルドが最初に与えられた優星は五○一二。


 新入生には主に試験の結果を元にそれらが与えられる。


 斜陽館に入るために必要な優星は三○○○以上だ。


 ちなみに一○○○でだいたいコマンドゥールの下位生からオフィシエの上位生くらいが入学時に持つ優星だ。


 ちなみにシュヴァリエは大体一○○から二○○といったところ。


 学院の首席であるヒュブリスは一○○○○の優星を与えられていた。


 ランクとしては最も下の亭学館は一あれば入ることができるので事実上誰でも入ることができるため新入生も困ることはないが、それでも揃っている専門性の高さはランクが上がるごとに段違いに上がっていくため優星の値はこの学院で出来ることの幅が大きく変わることは間違いない。


 ちなみにこの優星、ゼロになってしまえばその時点で退学となる。


 優星が減る要因は様々あるが、最も多いのはやはり試験の落第だろう。


 授業の最中にも教師の裁量で優星を与えたり、減らしたりとすることができる。


 もちろんそうするに見合っていればというのは当たり前のことであるが、異議申し立ては並大抵のことでは通らない。


 下手に自身にとってレベルが高い講義を受けて、教師の不況ばかり買えばそれだけでどんどん優星が減っていくということも起こりえるのだ。


 それにこの優星というのは通貨の代わりとして使われることもある。


 それゆえ優星を貯めるというのも容易ではない。


 アーノルドが斜陽館に入って行こうとすると、盗み見るかのように鋭い視線が集まってくる。


 館の中に入ってもそれは同様で、受付へ向かおうとするアーノルドを遮るように一人の大柄な少年が立ちはだかってきた。


「おい一年」


 バッチを見れば二年だということはわかった。


 クラスはコマンドゥール。


 元々が大柄でガキ大将のような風貌というのもあるだろうが険しい目つきでアーノルドを見据えていた。


「お前シュヴァリエだろう? まだ入学してから間もないから知らないのかもしれんが、ここは斜陽館っていって、優星三○○○以上ないと入れないところなんだ」


 ケチをつけて絡んできたのかと思いきやただの親切心だったようで後ろに控えるパラクは僅かに安堵の吐息を漏らした。


 いまのアーノルドの不機嫌さを思えば、正直どうなるか定かではないからだ。


 何がここまでアーノルドを不機嫌にさせるのか、パラクにはイマイチ理解出来ていないが、あれほど感情を露わにして尚、相手を殺さないということはアーノルドが不機嫌になった原因である者はあの者達ではなかったということ。


 困ったような表情でずっとアーノルドに何かを言い続けている少年は亭学館の場所でも教えようと思ったのか、この学院の敷地の地図がある方へとアーノルドを誘導しようとするが、アーノルドが伸びてきた手をやんわりと弾いた。


「おせっかいだ。ここに入る資格ならある」


 そう言うアーノルドに何を言っているのだと小首を傾げた少年の側を通り抜けて、アーノルドはそのまま受付へと向かう。


 周りで先ほどのやりとりを聞いていた誰もが怪訝な顔を浮かべてアーノルドの方を見つめていた。


 いくら特抜生とはいえ、入学したての一年のシュヴァリエが優星三◯◯◯もあるはずがないからだ。


 なぜなら、そもそもそれだけの優星を貰えるのならば特抜生などではなく正規のコマンドゥールかグランドフィシエのクラスに入れているはずなのだ。


 アーノルドが学生証を差し出し、受付の男性が本当に良いのかといった顔付きで何らかの機器にそれをかざす。


 するとピピッと音が鳴り、認証されたことが知らされたことで周りの者達がざわめく。


 受付の者もどういうことかと呆然とアーノルドの学生証と胸につけるバッチを交互に眺めている。


「おい、まだ何かあるのか? さっさとそれを返せ」


 そんな受付の者に対して少しばかり不機嫌さを滲ませる。


 そう言われた受付の者はシュヴァリエであるアーノルドから言われたからか、それとも単純にその横柄な言い方にムカついたのかムッと表情を曇らせるが、仕事は放棄せずすぐに学生証を返してきた。


 そのままゲートのようなものを潜り中へと入っていくアーノルドをその場にいる者達は少しばかり呆然と見つめていた。


 中に入ったアーノルドは入り口付近で立ち止まる。


「ほう……」


 アーノルドは思わず感嘆の声を漏らし、後ろに控えるパラクもまた唖然としていた。


 上も下も正面も、見渡す限りの本、本、本。


 王都にある王立図書館とてそれは変わりなかったが、それでも棚にある空きは目立っていたし、何よりも棚の配置が無骨すぎた。


 ここの館内は公共施設というよりはどこかの屋敷の趣向を凝らした場を思わせる。


 外からは普通の建物といった感じであったが、内装は全て木のようなもので整えられているためどことなく落ち着くのだ。


 周囲を興味深そうに見つめているアーノルドの耳にパラクの困惑したような声が飛び込んでくる。


「なんですかこれ?」


 そこにあるのは小さな模型であった。


 この館内のどこに何があるのかを示すと書かれた看板と共に立体の模型がガラスケースの中に入っている。


「わっ⁈」


 ガラスケースに触れたパラクが驚いたような声を上げ、反射的に手を飛び退かせていた。


 代わりとばかりにアーノルドがそのガラスケースにゆっくりと触れる。


 そして触れたところがまるで虫眼鏡でも当てたかのように拡大され、人型の何かが動いていた。


「これも魔道具、ですかね……」


 パラクが恐る恐るといった様子でそれを覗いているが、アーノルドは首を振った。


「いや……」


 アーノルドに思い当たる節はあるが、頭が、常識が、それを否定する。


「あ」


 その模型を見ながら考え込むアーノルドの耳に聞き覚えのある女性の声が飛び込んでくる。


 ゆっくりと振り返ると両目を眼帯で覆っているいつぞやの魔法試験の試験場で会った女がいた。


「久しぶりだね」


 抑揚のない平坦な声でそう言ってきた女にアーノルドが鼻を鳴らす。


「ここの教員がこのような下級の館に何の用がある?」


 計五つある書物が保管されている館の内、教員ならば最低限四つ目のランクまでならば入れるはず。


 それだけの優星を得ることが教員になるための条件の一つと聞いている。


「ああ、何も大は小を兼ねるわけではないんだよ。特に複写が禁じられている論文とかはね。僕もここに来るのは面倒なんだけど……、ここにしかないものもあるんだから仕方ないよね」


 心底煩わしげにため息を吐いたその女性は何かに気がついたように口元を引き締めた。


「そう言えば自己紹介もまだだったね。正式にこの学院に入ったのならば一応はしておこうか。僕の名前はラン・ノイマー、この学院の教師で普段は第十四研究棟にいるよ。専攻は魔法と器具の親和性、それと最近は魔法使用時に浮かぶ魔法陣の改良について研究している。もし興味があるのならば僕の研究室を訪ねてよ。膨大な魔力を持った君ならば歓迎するよ」


 魔法陣の改良。


 魔法を管理すると嘯く教会に喧嘩を売るかのような研究だなとアーノルドは内心愉快げに笑いつつ、その研究に少しばかり興味が湧いていた。


 だがそれよりも……


「ノイマー……、医学の祖と言われるノイマー家の娘か。なぜ医療について——」


「ア、アーノルド様……」


 アーノルドが話している最中に珍しくパラクが口を挟んでくる。


 訝しげに振り返るが、別段アーノルドを呼ぶようなことは起こっていなさそうだ。


 強いて言うならば少しばかり他の生徒の視線を集めているくらいだろう。


 どうしたと言おうとする前に、震えた声でパラクが問いかけてくる。


「ア、アーノルド様……。一体、誰と話しているのですか……?」


「誰と、だと……?」


 当然であるが、パラクの知らぬ人と話しているからなどという意味ではないだろう。


 どうやら周りにいる他の生徒もランを見ているというよりはアーノルドに視線を向けているらしかった。


 それに気づいたアーノルドが険しい目付きでランを見る。


 目元は眼帯で見えないが、口元は微笑んでいるかのように口角が上がっていた。


「そう言えば忘れていたよ。君があまりにも当然のように僕を見るものだから」


 そして相変わらず手に巻きついてる鎖のようなものをジャラジャラと持ち上げ鳴らす。


「耐性のない者が僕を見れば耐えられないからね。一定以上の耐性がない者には僕のことは見えないんだよ。あはは、一瞬幽霊だと思った? でも、ということは君は誰もいないところに向かって話していたことになるのか。なんだか申し訳ないね」


 長らく人と話していないから忘れていたよ、と小さく呟きながらそう笑うランの表情は少しばかり悲しげでもあった。


「なるほどな」


 そう言い、アーノルドが周りを遮断する魔法を使おうとするが、その魔法が発動せず、驚きで思わず目を丸くする。


「ああ、ここはスリザーヌ様の領域だから許可がないと魔法は使えないよ。重要書物とかを損失させられたら大変だからね」


 そう言いながらランが何かの魔法を発動していた。


 それにより、周りでアーノルドへと視線を向けていた者達は突然アーノルドに興味をなくしたかのように各々がやるべきことに戻っていく。


 魔法陣すら浮かび上がらなかったその魔法にアーノルドは興味深げに目を細くする。


 それこそがおそらくこのランの研究成果の一端なのだろう。


「……なるほどな。そしてスリザーヌか……」


 視線険しくその名前を反復するように言葉に出す。


「学院長の名前さ。スリザーヌ・ガルフィード。聞いたことくらいあるだろう?」


「ああ」


 当然だった。


 この学院の学院長というだけでなく、『妖麗の白姫』という異名をもつ婆さんだとか。


 曰く最強、曰く怪物、曰く化物。


 とても女性を形容するものとは思えないような言葉が数多く並ぶ。


 この国で最も強い者は誰か。


 そう問えば、誰もがスリザーヌ・ガルフィードの名前を挙げる。


「そこの模型だってスリザーヌ様が動かしているのさ」


「やはりそうか……」


 その言葉にランが楽しげにニヤリと笑う。


「まったく、規格外もいいところだよね。この学院を覆う結界だって全てずっとスリザーヌ様が発動させている。僕もよく天才だなんだと言われるけれど、次元が違いすぎて笑っちゃうよ」


 そう言い、こちらの反応を試すかのような微笑みを浮かべてくる。


「この学院は言ってみればスリザーヌ様の手のひらの上ってわけさ。まぁ流石に研究棟のような機密を扱うところまでは覗き見できるわけではないけどね。だから君も気をつけた方がいい。いつも通り誰かを殺そうと思ったら……さっきみたいに力が出ないなんてことも起こりうるからね。相手の攻撃は通るのに君の攻撃は阻まれる、なんてね。ここで殺傷は出来ない。でも殺傷以外なら問題はない。この学院はそういうところだよ。ある意味では便利だけどある意味では厄介だよね」


「……そんなことは聞いたことがないぞ」


 学院に入る上での説明会でそんなことは言っていなかった。


「はは、普通殺人は犯罪だよ? 殺した時にどうのなんて話をするわけないじゃないか。たとえ建前だとしても、その建前でルールは成り立っているんだから。それに結局のところ殺傷行為を止められたらこちらとしては問題がないんだ。それにちゃんと校則に生徒間での殺傷は禁じると書いてあったはずだよ。禁じるってのは君たちがってのもあるけれど物理的に禁じるって意味もあるのかもね。なかなか皮肉が効いていると思わないかい?」


 ランは何が面白いのかクフフと笑い始めた。


 そしてアーノルドの胸の辺りを視て、その笑みを引っ込め、眉を顰める。


「ん? 君は学道専攻なのか。意外だね」


 だがそんなランの言葉を無視するかのようにアーノルドはため息を吐く。


「魔法が使えないことはわかった」


 おそらくはこの場にかかる膨大な力に抗えるほどの魔力を込めなければ魔法が発動しないのだろう。


 全力で魔力を注げば発動するかもしれないが、その場合この場が吹き飛ぶ可能性もある。


 やる意味もない。


「だがこいつならばどうだ?」


 そう言いながら手を当てたのは腰に差す剣。


「試してみるかい? 僕になら斬りかかってきてもいいよ?」


 別に馬鹿にするでもなく、本当に研究に付き合うかのように事もなげにそう言うランにアーノルドもつまらなさそうにため息を吐いた。


「いいや、やめておこう。また面倒なやつが増えるのも煩わしいしな」


「面倒なやつ?」


「こっちの話だ」


 不思議そうにしているランであるが、突然中央にデカデカと飾られている大きな時計へと視線を向けた。


「おっと、僕ももう行かないと。もう少し話をしてみたかったけど仕方ないね。それじゃあ、またね」


 そう言って、ランは誰に見られることもなくそのままコツコツと歩いていく。


 アーノルドがそちらを向き、ため息を吐いたことで誰かが去ったことに気付いたのかパラクがアーノルドへと話しかけてくる。


「な、なんだったのですか?」


 そんなパラクを見て、少し考え込んだアーノルドは嘲るような笑みを浮かべる。


「見えもせぬ者か。パラクよ、お前は見えない敵に遭遇したときどう対処するか考えておくんだな」


「……やっぱり誰かいたんですね。途中強制的に意識がアーノルド様から逸れかけたんで、なんとか食いしばったんですけど……」


 そう言うパラクの口元は僅かに血で滲んでいる。


 痛みで強制的に意識を変化させたのであろうが、そもそもほとんどの者はそれをする間もなく術にかかっているだろう。


「全力とは程遠いだろうがそれでも耐性のない者ならば抗えんほどの魔法であっただろう。魔法をあまり使えんお前がよく耐えたと誇るがいい。それは鍛錬の成果だろう」


「……ありがとうございます」


 完全に対処できていなかったためか少しばかり複雑そうな表情でパラクは礼を言っていた。


「しかしノイマーの人間だと? あの家の人間は狂っていると聞いていたのだがな」


 アーノルドは誰にも聞こえぬくらい小声でそう呟いた。


 アーノルドはそのまま目的の本がある方へと向かっていった。


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