第2-22話
第四地区。
本来ならばマフィア達にとっての歓楽街ともいえるそこは今現在、臓腑が醸す死臭が渦巻き、数多の屍が倒れている。
本来奏でられている音楽の代わりに鳴り響くのは甲高い剣戟の音。
それが鳴り響く後ろから、ただそれを見守っているだけのアーノルドとコルドー。
前情報にあったボルネイの居場所が第四地区だっただけに奥の方まで——正確に言うならばこの地区の最も豪勢で堅牢なところまで来ていた。
「テメェら……一体何のつもりだッ‼︎ 何が目的でここに攻め入ってきやがった‼︎ よくも、よくも俺様の手下共を……ッ‼︎」
将区主がいるという建物に来たは良いがやはりというべきかボルネイの気配はどこにもなかった。
ハズレかとそのまま次の地区へと向かおうとしたところ、怒り狂った将区主がその建物から出てきたのである。
とはいえ、当然だろう。
ここに来るまで襲いかかってきた者達を全て殺してきているのだから。
アーノルド達がどのルートで、どうやって来たのか調べるまでもなく、後ろに積み上がる死体の山がそれら全てを雄弁に語っている。
むしろ、事ここに至るまで出てこなかった事をこそ謗るべきかもしれない。
そのまま襲い来る将校主に応戦したのはパラクであった。
流石は地区一つを任されているだけあってかパラクの初撃を見事に受けきっていた。
「ッチ‼︎ 雑魚がっ‼︎ 答えろッ、ガキ‼︎ 一体何のつもりだ⁉︎」
パラクの攻撃を力に任せて押し返したその者が額に青筋を浮かべて怒りも露わにそう吼えてくるが、アーノルドは無関心とも言える胡乱げな目を向けるだけだった。
「何のつもりだと? 知ったことか。貴様らが襲いくるから殺しただけのこと。無視していればよかったものを。貴様などに用などない。……ああ、いや、ちょうど良い。ボルネイがいまどこにいるか貴様は知っているか?」
嘲笑するでも挑発するでもないアーノルドの冷めた瞳がその男を貫く。
人を人とも思わぬ、まるで道具でも見るかのような目だ。
将区主はそれもまた気に入らぬが、それよりも何よりもアーノルドのその本当についでとばかりに自分を使おうとする物言いに怒髪天でも衝いたかのようにその顔を怒りに染めていく。
一地区とはいえ、この無法地帯の一帯を取りまとめる王とも言える存在である自分に対してその言い様。
舐め腐った態度が我慢ならなかった。
ガキに舐められるなど何十、何百回と殺しても飽き足らないほどの屈辱だ。
それに忌々しいボルネイという名。
先頃までこの第四地区にいて、第五地区へと上がっていった傲慢で気に入らない者。
上からの命令が無ければ、あのくだらぬ言葉を吐き出す口を縫って殺していただろう。
それゆえ、その名もまた男の機嫌を急転直下させていた。
「ガキがッ……調子に乗りやがって……ッ! ここは俺達のシマだ‼︎ 無視をしろだと⁈ テメェの家に土足で上がり込んできた奴を無視する馬鹿なんざいねぇんだよッ‼︎ 勝手をしているのはテメェらの方だろうがッ!」
ある意味では正論であろう。
相手の領域に攻め入っているのは明らかにアーノルド達だ。
だからこそ男は怒り猛るし、当然のように殺意を漲らせている。
だが恫喝のように叫ぶも、叫ばれた当人は微塵たりとも表情を変えず、さっさと質問に答えろと言わん態度である。
そんなアーノルドに男は目を吊り上げ剣を握る手に力を込める。
「テメェ……ッ。どうやら状況を理解していないようだな⁈ 護衛がいるから安心とでも⁈ はっ、その舐め腐った態度、後悔させてやッ——‼︎」
だが勇み駆け出そうとした男はそのまま何一つ動くことを許されず体を縦に真っ二つに切断され呆気なく絶命した。
男を殺したのはコルドーの一太刀であった。
殺された男は斬られたことすら感知できなかったに違いない。
「……なんだ、今日は珍しく積極的だな、コルドーよ」
剣術の指導者としての立ち位置ゆえか基本的にアーノルドが危機的状況になるか、命令あるまで動かないコルドーが自発的に動いたことにアーノルドは少し意外そうな声を出した。
「たまには私も、と。それに……少しばかり強き気配も迫ってきておりますので」
それはコルドーだけでなくアーノルドとパラクも感じ取っていた。
隠すことすらなく遠くから急速に迫ってくる強大なる気配。
ここを目指しているのは明らかであった。
「……来ました」
まだ点とも言える何かがまだ遥か先の空に見える。
この位置からでは鳥か、何か、それどころかどこかもわからぬくらいの小さな点。
だがその点も探すまでもないほど次第に大きくなり、人らしき姿が捉えられる。
そしてそれが見え数秒もしないうちに地に穿ち降り、耳を聾するほどの轟音を響き渡らせる。
まるで隕石が落下したかのような衝撃によって地面が蜘蛛の巣状にひび割れ、大地震でも来たかのように地を掻き揺らす。
そんな中でもアーノルドは飛んでくる石の破片を周りに張り巡らせたバリアで防ぎ、荘重たる様で立ったままであった。
「……うーむ……ぃよっと」
砂煙が舞う中、衝撃によって窪んだ地面から野生の獣の唸り声のような野太い声が聞こえてくる。
更に気が動転でもしているかのような成人男性にしては少し高い声もそこに響く。
「も、もう少しどうにかならなかったのですか⁈」
「ぁん……? うるさいぞ。嫌なら自分で来んか。連れてきてやったことに感謝するべきではないか? んん?」
次第に砂煙も晴れ、その様相が顕になってくる。
熊のように毛深く体格のいい四十代くらいの大男に、首根っこを掴まれているボルネイ。
変わらぬ——いや、少し痩せ、頬に一筋の傷痕が増えている。
更に言うならば服の袖から見え隠れするマフィアの刺青も変わった点といえばそうだろう。
そのボルネイの姿を見たアーノルドの雰囲気が傍目にはわからぬ程度であるが獲物でも見つけたように僅かに鋭くなっている。
そのアーノルドの僅かな変化からコルドーもパラクもあの二人のどちらかが標的であると把握した。
実際パラクもコルドーもボルネイの顔は知らないのだ。
事前に聞いていた話からして細身の男の方であろうと判断できるだけ。
だが二人のどちらもそんなボルネイには大して意識を割いてはいない。
大男はボルネイをいらぬ荷物のように軽々と横に放り投げるとアーノルド達の方へジロリと視線を向けてくる。
「で? お前さんらが侵略者か。酷い有り様だな。辺り一面血の海だのう」
石畳の隙間を赤黒い液体がまるで川のように流れている。
鉄が錆びたような臭いが辺り一帯に充満し、鼻が曲がる臭いがムンムンと漂っている。
正常な倫理観を持った人間ならば顔を顰めて然るべき有り様だ。
だがそれを見ても顔色一つ変えるどころかむしろ楽しげに笑みすら浮かべている大男。
「なっ⁈ お前は……ッ‼︎」
着地の衝撃から立ち直れていなかったボルネイが顔を上げ、アーノルドを目視すると驚いたように声を上げた。
だが込み上げてくる呪詛が喉元で渋滞でもしているのか、次に出す言葉に詰まっている様子であった。
その呪詛を抑え付けボルネイが次の言葉を紡ごうとした瞬間、大男が静かに尖り声を出す。
「——おい、なに勝手に喋っておる? ワシがお前に声を出していいと許可を出したか? このワシが喋っている時にお前如きが喋って良いとでも言ったか?」
凄みすら利かせた一種の脅しとも言えるそれに声を出すことも出来ないボルネイ。
そんなボルネイに大男はつまらなさそうに鼻息を漏らし、圧すら伴った鋭い視線を向けた。
「次はないぞ」
それに対し、ボルネイは怯えたかのように一歩下がり、少し頭を下げたまま喋らなくなった。
おそらく大男の方がアノッソファミリーでの地位が高いというものあるだろうが、ボルネイよりも大男の方が遥かに強いということが逆らえない理由だろう。
それに表とは違い、裏の世界では殺すという言葉がハッタリではない。
事実、ボルネイに次はないだろう。
もし言葉を発すれば問答無用で殺される。
為す術すらなく、ただそこらに生えている雑草のようにその命が刈り取られるだろう。
アーノルドはそんなボルネイになど興味がないとばかりに大男に声をかける。
「マフィアにしてはなかなか強いな。それほどの強さがあればわざわざ裏で生きる必要もないだろう」
力があればこの世界、職など選び放題だ。
騎士になろうが、傭兵になろうが、冒険者になろうが、誰かに雇われて護衛をしながら食い繋いで自由に生活することも容易にできる。
どこにいこうと引く手数多だ。
わざわざ後ろ暗い世界に身を置かずとも悠々自適な生活など容易にできる。
それに強さとは免罪符だ。
ある程度の強さを手に入れれば、そもそも雇い手も容易に手放せなくなるし、誰も手を出せなくなる。
だからこそ基本的に裏で生きる人間はそこそこの強さで大きな罪を犯して表で生きられなくなった人間か、表で生きる気概のなかった者が大半だ。
どちらにせよ、そこまで大した強さを持った者はいない。
騎士級相当でも十分ボスと呼ばれる人間になれる。
酷いところならば従騎士級程度の人間が平然とボスと呼ばれ、暴威を振るっている。
その程度でもそこらの治安を守る者達では十分手に余るのだ。
むしろその程度がほとんどとも言える。
それがこの世界でのマフィアの立ち位置。
だが目の前の大男は騎士級などではなく、少なくとも大騎士級相当の実力があるのは確実だ。
前情報からボスの容姿はわかっている。
目の前の大男はそのボスの特徴とは明らかに違う。
ということはただのマフィアの一構成員。
流石に幹部クラスではあろうが、それでも他の国の水準に当て嵌めればたかがマフィアにしては強すぎる。
その巨軀が放つ威容がヒリヒリとアーノルド達の肌を穿ってくる。
“あれはただのマフィアというには規模がデカすぎる。まだ情報が少なく何とも言えないが、行くのなら深度八は想定しておけ”
アーノルドへの報告を終えたシーザーが去り際にコルドーへと言ってきた言葉だ。
深度とはダンケルノ公爵家の任務の難しさに使われる言葉。
最大を十とする内の八ともなれば相当高い。
最低でも大騎士級が数人、普通ならば公爵“直属”の者達が行うような難度だ。
とはいえ、コルドーもそれが“最悪”を想定した場合であることはわかっている。
少なくとも目の前の大男だけで深度八に及ぶほどダンケルノ公爵家の任務の難易度設定は甘くない。
(だがこのような男がボスでもなく部下とは……。たしかにシーザーの言う通り異質だな。裏に何かあるのか、組織それ自体が何かの隠れ蓑か……? それともただ閉鎖的な国であったがゆえに変遷しただけということもあるか)
たしかに無くはない。
他の国で力ある者がマフィアにいないのは、その者達を取り締まれるほど強き人間がいないため、なる必要などないからだ。
あの戦争で相見えたヴォルフなどが良い例であろう。
やりたい放題やろうとも、本来ならば御すべき侯爵もヴォルフを止めれる力を持っておらず、行動を制限することすらできてはいなかった。
全てはヴォルフの一存、ヴォルフの感情により動いていただけ。
だがこの国の中心部にいる人間達はそれこそ優秀な者達が集っているのは周知の事実だ。
その深奥の淵がどれほど深いのかは定かではないが、目の前の大男のレベルであろうとも社会から追い出せるだけの実力者が多くいるのかもしれない。
それはそれでアーノルド達の国としては忌むべきことだ。
武力の違いは国力の違いともなる。
だが今はそれもどうでもいい。
(このレベルの男が他にも複数人いるのならば、それら全てを相手してアーノルド様を護れるか……。アーノルド様にはもう少し御身をご自愛して欲しいものだが、それでもそうなればアーノルド様はアーノルド様たりえぬか。もどかしいものだ)
いつ死んでもおかしくはない修羅場を敢えて潜るような生き方をするアーノルドに対しコルドーはそんなことを考え、大男を睨み見る。
そんな大男はつまらぬ言葉でも聞いたかのようにため息を吐き、まるで残念な者でも見るかのようにアーノルドを憮然と見据えていた。
「ふん……、裏だの表だのとくだらんの。ワシが生きたいように生きるのにこっちの方が便利なだけだわい。女も金も殺しも、なに憚ることなく自由に生きられるからの」
そんな言葉にアーノルドは思わずといった様子で鼻で笑って言葉を返す。
「そうか」
それに表情を強張らせたのはコルドーとパラクであった。
アーノルドに阿るという言葉は存在しない。
それゆえ、いつ襲い来るかと身構えていた。
とはいえ、アーノルドが放った言葉には一種の共感と納得の意が明らかに含まれていた。
大男はアーノルドの態度にどう反応すべきか推しはかるように訝しげに眉を顰めている。
「——だが、誰かの下につくのが生きたいように生きるとはな」
しかし次いで放たれたアーノルドの言葉はどこか呆れたような声色であった。
別に大男に対して何か思うところがあって言ったわけではない。
当然そういう生き方もあることなど承知の上だ。
パラク然り、コルドー然り、クレマン然りだ。
クレマンなどそれこそ執事などで収まるような力の持ち主ではない。
アーノルドの父である公爵と実際のところどちらが強いのかもいまだアーノルドにはわからぬほどの力を持ち、どこかの国を一つ落としてこいと命じられればそれを可能とするだけの力がある。
武力だけで容易に一国の王になれるだけの資質を持っているのだ。
だがクレマンはあくまでもダンケルノに仕えることをやめない。
それゆえ実力があるからと誰もが上に立つわけでも、そう望むわけでもないことは分かっている。
人により何のために力を得るか、そしてその力を振るうかは当然のように違うからだ。
それでもパッと見た大男の性質からすれば誰かの下で生きるようには、そしてそれで満足するようには到底見えない。
ジッと口を閉ざしていた大男は当然とでも言うべきか、アーノルドの侮辱とも取れる言葉によってその表情に陰を落としていた。
「……何だ坊主。ワシに喧嘩を売っておるのか? それともワシを勧誘でもしたいのか?」
「……勧誘? 貴様ごときをか?」
それに対してアーノルドは何を言っているのだと浅むような態度を取った。
大男は一瞬虚をつかれたような顔をしたが、怒りを浮かべるどころか興味深げな笑みを浮かべ、ニヤリと笑う。
「要は喧嘩を売っとるということだな? 話には聞いてはいたが、聞いていた以上に傲慢なガキだのう。——が……、いまはどうでもいい。誘っているのかは知らんが、それもいまは乗る気もないしの」
ニヤけたような顔付きで終始平らかともいえる態度でそう言った大男にコルドーやパラクはむしろ警戒心を上げた。
この手の人間はメンツを何より重んじる。
いくら本人にその気がなくとも挑発され、侮辱までされそれを受け流すなど本来ならばありえない。
そうは言いながら不意打ちでも仕掛けてくるのではないかと、大男の一挙手一投足を見落とさないように注視していた。
だが大男はそれ以上何も言わないアーノルドに鼻を鳴らし、ニヤリと笑みを浮かべるだけであった。
「お喋りもこのくらいでいいだろう。どの道メインディッシュはあっちだ」
大男はそう言うとボルネイの方をクイっと指し示した。
「おい新入り。ボスからの命令だ。そこな侵攻者共を殺せ。それがお前の試験だそうだ。ガキとその護衛二人。その護衛の一人もお前さんよりも年下のガキにすぎん。まさか人数差を言い訳に、出来んとは言わんよな?」
脅しのような嘲笑すら交えられた言葉に一瞬怯えを覗かせたボルネイであるが、すぐにその表情を怒りに歪めて険しくする。
「と、当然です。いまや私の境地はあのときの比ではありません。それにあいつは、あれは私の憎っくき仇です。この私を陥れ、人生を滅茶苦茶にした張本人。ノコノコと私の前に出てくるなど好都合。すぐにでも殺して差し上げますよ」
歓喜と憎しみによってか震えたような声で放たれたボルネイのその大言を聞いた大男はボルネイに分からぬように失笑した。
大男もボルネイがアノッソファミリーに入った経緯は知っている。
大男からしてもボルネイの行いなど自業自得。
そこに同情も情状酌量もありはしない。
あの出来事が本当に弱い者に謀られたにしても、ただ強い者にやられたにしてもボルネイの自業自得という言葉に介在が存在する余地は一切ない。
その時点でボルネイは弱者なのだ。
人生における弱者であり、所詮は落伍者なのである。
マフィアは強者こそが生き残る世界。
弱者が生き残るには弱者であることを認識することこそが肝要。
いまのボルネイは未だに己自身が強者であると錯誤している。
滑稽もいいところだ。
だからこそ大男はボルネイになど端から期待などしていない。
その代わりとばかりにその興味はアーノルドへと向いていた。
(ふーむ、あの坊主は些かばかり奇怪よのう。このワシが一瞬とはいえ鳥肌が立つとは)
初めにアーノルドを視界に収めたときに感じた得も言われぬ感覚。
まるで魑魅蠢く深淵にいる何かから覗き見られたかのような異質な感触。
とはいえそれも一瞬で、いまアーノルドから感じる圧のようなものは欠片たりともない。
強いことには強い。
だが言ってしまえばそれだけ。
先ほど感じた体を強張らせる何かなどまるで夢であったかのように感じはしない。
大男は自身の毛深く剛腕とも言える腕に視線を落とし、確かめるようにさすった。
未だ残る肌のブツブツが、先ほどの慄然とした感触が現実であると伝えてくる。
(夢幻の類ではないの。強いといっても所詮はまだ“枠組み”の中。気にするほどでもないが……ああいう奴はそれだけじゃ測れんのが常だ。ガキのくせに不気味なやつよ)
大男はそんなことを考えながら意気揚々と剣を抜くボルネイを見る。
(活きの良い奴が入ってきたと噂になっておったが、奴はてんでダメだの。そもそもあっちの大きいガキはともかく、あの体格の良い方の男は奴じゃあ天地がひっくり返ろうが倒せんだろう。それすら感じ取れておらんとは……。ワシが伝えたのも殺せという命令だけで一人で殺せとは言っておらんのだがの。まぁそれがわからんような言い回しはしたが、将になろうと言うのならば誰かを従えるのもまた重要なことなど言わずもがなだ。ワシの言葉に押されて言葉の裏も読めん程度の奴ならばどの道、将たる器ではないのう。個の力も重要であるが、奴程度の実力でそれを過信しているのならばそれこそ救いようがないしのう……)
元々ボルネイに課されていたのは侵攻者を殺せという命令だけ。
その際、“誰“を使おうが問題はない。
使えるかどうかは当然別問題であるが、率いることもまた資質であり、ボルネイが“望んだ”道なのだから御して当然のこと。
手頃なところで第四地区の将校達を従えれば良いと思っていたが、それらが既に死んでいるのは誤算といえば誤算だろう。
とはいえ、周りに隠れるように覗き見ている者共はいるにはいる。
ボルネイはそれらに気づいているのか気がついていないのか一人で殺る以外、眼中がなさそうであった。
(これではあの坊主の実力も見れそうにはないのう。とはいえワシが与するのもなー。どうにも興が乗らんし。そもそも奴の試験だしの)
当然、この大男もまたボルネイにとっての選択肢であった。
だが大男はボルネイの最初の様子からして既に見限っている。
たとえ頼まれようとも動くことはなかっただろう。
相手次第で態度を変えるような者は信用に値しない。
それが大男にとっての掟。
とはいえ、ボルネイがふざけた態度を取ればそれはそれでそれに相応しき末路を辿らせていたわけではあったのだが。
アーノルド達三人に対峙するように前に出てきたボルネイは少しの間無言を貫いていたが、満を持したようにその口を開いた。
「この数ヶ月……貴方を忘れた日などありませんでした。この私が味合わされた屈辱。それを晴らす日がよもやこれほど早く来るとは……やはり私は神に愛されているのでしょう」
信仰心にでも目覚めたかのように芝居掛かった口調で相変わらず嫌な笑みを向けてくるボルネイ。
執着しているという意味では両者両思いといって良いかもしれないが、互いの温度差は灼熱と極寒ほど違っていた。
「……くだらん御託はいい。さっさと来い」
憮然と言い放たれた言葉。
ボルネイにとっては待ち望んだ時かもしれないが、アーノルドにとってはただの作業だ。
そも、ボルネイなどと言葉を交わすつもりすらなかったのだ。
だが、かといっていまアーノルドから安易に踏み込むには少しばかりリスクが大きい。
ボルネイの後ろには大男がいるからだ。
ボルネイなどアーノルドにとっては気にするまでもない相手ではあるが、それでも戦いの狭間にできる一瞬の隙。
それを大男のいる眼前で披露できるほど短絡的な思考はしていなかった。
だが大男はそんなアーノルドの心中を察してか鼻で嗤った。
「そう警戒する必要はないぞ? お前さんを殺る気なら言葉を交わした時点で殺っている。少なくとも其奴が死ぬまでは手を出すつもりはないから安心せい」
先ほどの着地で砕け飛び、丁度椅子のようになっている大きな石の破片に腕を組んで鷹揚に座っている大男は完全に観戦の有り体である。
アーノルドは数秒大男を見据えたかと思えば厭わしげに鼻を鳴らし、まるでそれで警戒を解いたかのようにボルネイへと意識を向けた。
だが当然コルドーとパラクは代わりとばかりに大男を牽制し、アーノルドを守れる位置へと動いている。
大男はそんなコルドーとパラクなど気にした風もなくアーノルドのことをただ見定めんとばかりにジッと注視していた。
対してボルネイは先ほどのアーノルドの言葉に刺激でもされたか、信仰心に満ちていた敬神深き目とは打って変わって呪い殺さんばかりの眼力を以て睨み、気色ばんでいた。
「さっさと来いですか……。相変わらず減らず口を……ッ! 待っていなさい。すぐに貴方を守る護衛を殺し、その余裕を……」
得意満々の笑みを浮かべるボルネイは言葉を止めた。
アーノルドが小馬鹿にするように嗤っていたからだ。
「何がおかしいのですか」
「気にするな。相も変わらずおかしなことをと思っただけのこと。貴様如きを殺すのにあいつらの力などいらん。二度言わすな。さっさと来い」
アーノルドは冷笑を浮かべながら、わざわざコルドー、パラクと大男、ボルネイとアーノルドの構図になるように位置を移動してやった。
コルドーとパラクの助けなど借りないと示すかのように。
ボルネイにも先ほどの“来い”とはその言葉が持つ意味が違うことは理解できた。
先手を譲ってやると。
そうすれば攻めやすいだろうと。
舐められている、明確に——誰が見ようともそれは明らかであった。
剣すら未だ抜いていないアーノルドにそう言われたボルネイは徐々に体を震わせ始めた。
そしてバッと顔をお上げたかと思えば、血走ったような目を怖いほど見開き、悪魔の如き笑みすら浮かべ、発狂でもしたかのように奇声を発しながら地を勢いよく蹴った。
「キェぇぇぇぇぇえええええええ」
奇声を上げ、迫りくるその様相は狂っている。
明らかに試験のときのボルネイに比べて狂っていると言っていいだろう。
だがその代価か、試験当時よりも二段階は素早く、かつ鋭い一撃。
おそらくはアーノルドにやられてから、その怨念でも胸に抱いて更に鍛えていたのだろう。
もしくはその怨念がボルネイの中にあるリミッターを外したか。
その口元にはいやらしいほど勝ち気な笑みが浮かんでいる。
アーノルドを殺せるということが何よりも嬉しいといった感じだ。
——だが足りない。
その程度では、その程度で埋められるほどアーノルドとの差は容易くはない。
アーノルドは表情一つ変えず僅かに体をズラすことで剣尖から逸れ、それを避けた。
まさに数ミリという紙一重——だが言い換えるならば、必要最低限の回避。
完璧に見切っているがゆえにできる動き。
そうやって避けたアーノルドに対してボルネイが嬉しげとも取れる奇怪な笑い声を溢す。
「きひっ、この程度は避けますか」
ギリギリ避けれたとでも思っているであろうボルネイは嬉しげに嗤う。
すぐに殺してはつまらない。
すぐに死んでは事醒むと。
自身の心を慰めるにはまだ足りない。
これから……これからじっくりコトコトと……
そして妄想を現実にするため追撃を放とうとすぐにアーノルドの方へと振り向く。
「ですがどこまで避けれるかッ……⁉︎」
そう叫ぶが、脚に違和感を感じて言葉が止まる。
僅かに視線を落とせば進みたい方向とは逆に向いている下半身。
そして重力に従い落ちていく自身の上半身。
何が起きているか理解もできぬまま反射的に視線を上げるも、最後にボルネイが見たのは自身に視線すら向けていないアーノルドの背中であった。
(卑劣な……卑怯者めッ……。最後……まで……も……)
死の直前、ボルネイはアーノルドの護衛二人が隙をついて自身を斬ったのだと空想し、そのまま生き絶えていった。
最後まで自身の信じることしか信じられなかった者の呆気ない幕切れ。
もしアーノルドの実力を認め、もう少し慎重に事を運んでいれば少なくとも数合切り結ぶくらいは出来たであろう。
少なくともアーノルドに敵として対処されたであろう。
アーノルドは何の感慨もなく、黒い剣身のせいで血がついているのかもわからない黒剣を打ち払った。
そんな折、勝利を讃えるかのような手を叩く重く厚い音がその場に響く。
「なるほどのう。聞きしに勝る実力ではあるの。たかが鼻垂れ小僧の齢で何を、と半信半疑ではあったが、そこな雑魚程度じゃ文字通り相手にならないわけだ。……で? 坊主、お前さんは何の用があってここまで来たんだ?」
凄むわけでも脅すわけでもなく、まるで雑談でもするかのような気軽さで大男はそう問うてくる。
曲がりなりにも仲間が殺されたというのに激昂する様子すらなく、むしろ好感とも取れる感情を向けてきている様にアーノルドは眉を寄せる。
いままで潰してきたマフィアの習性とは明らかに違う。
一人殺せば、数十数百という人間が舐められてたまるかとばかりになりふり構わず復讐に押し寄せて来るのがマフィアであった。
今まで無用に絡んできたマフィアを殺し、その末に幾つかのマフィアを壊滅させてきたアーノルド達からすればいま目の前にいる大男の態度はむしろ不可解ですらあった。
この大男の仲間意識が低いだけかそれとも国によるものか組織によるものか。
だがそんなものは考えても無駄かと、アーノルドは一息吐いた。
「用なら済んだ。こいつを殺しに来ただけだからな」
アーノルドの言葉を聞いた大男は薄らと浮かべていた笑みを困ったように固まらせ、腕を組み獣のような唸り声を上げた。
「……お前さん、まさかそいつを殺すためだけにわざわざ万はいる組織に殴り込んできたのか?」
まるで信じられない、ありえないであろうことを確認するような声色。
「だったらなんだ?」
何でもなさそうに気負いなくそう言ったアーノルドを見て、大男は突然体を震わせたかと思えば、自身の太ももを手でバシバシと叩きながら機嫌良さそうに笑いだす。
「ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
空気をビリビリと揺らすほどの大声で哄笑するも、それでも笑いが収まらなかったのか地団駄を踏み、地を鳴らす。
地を鳴らす度に、ドン、ドンと街全体が揺れているかのような振動が地面を通してアーノルド達にも伝わってくる。
「イカれている! イカれているのう‼︎ だが良いぞ! 良い‼︎ 雑魚だろうがなんだろうが殺したい奴はどこにいようとも誰であろうとも殺す! それでこそ人間! それでこそ漢ってもんだ! なぁ! だからそっちの護衛共に任せずお前さん自身で其奴を殺したのか! うむ、納得だ!」
そう言いながら、気持ちが昂ってでもいるのか座る石に機嫌良さげに手を勢いよく振り下ろし、砕いた勢いそのままに大男は豪気に立ち上がった。
その石にピシリと亀裂が入ったかと思えば、まるで一瞬で風化でもしたかのように跡形もなく消え去り、砂のようなものだけがその場へと残る。
「今までワシが殺してきた権力だけ持った馬鹿共は他人に指図するだけで何も為せやしないクズばかりであったが……。なるほど。うむ、お前さんがさっきワシに満足かと聞いてきたことにも頷けるのう」
大男はそう言うとまたもガハハと大笑いしだした。
だがその笑いが収まるや否や、大男は剣呑とも言える真剣な眼差しをアーノルドへと向けてくる。
「ワシは第十区の将区主ゴルドルフィ・ドランガムという。改めて聞こう。坊主、名はなんという?」
闘気の昂まりとでも言うべきか、ゴルドルフィの体から目視できるほどのエネルギーが立ち昇るのを見たコルドーとパラクが警戒体勢になり剣の柄に思わず手をかける。
感じる肌の温度を数段下げ、体を強張らせるような静かなる力の波動がアーノルドに襲いくる。
だがアーノルドはそんなものなど気にした風もなく自身の剣を鞘に納めて、面倒そうに言い放つ。
「貴様如きに名乗る名など持ち合わせてはいない」
そのアーノルドの不遜とも言える言葉に辺り一帯がまるで無音にでもなったかのような静寂が訪れる。
いやむしろ、今まで様子を探っていた他のマフィア達が巻き込まれては堪らないとばかりに気配を消しながら遠ざかっていくのが鮮明に感じられる。
そして訪れる本当の意味での無音の空間。
アーノルドとゴルドルフィが睨み合う中、先に表情を和らげたのはゴルドルフィの方だった。
そして次第にクツクツと口端を歪めながら笑みを漏らす。
「顔色一つ変えんか。たいした胆力よ。その歳で一体幾度の修羅場を潜ってきたのか。試してみたくもあるのう。そう怖い顔をしなくともよい。そっちの二人もよ。お前さんらを殺す気はいまのところないぞ?」
そう言われようともコルドーもパラクも剣の柄から手を離しはしない。
「……そう容易く殺せるとでも?」
まるでいつでも殺せるといった態度がアーノルドの表情を暗ませていた。
だがそれに反比例でもするかのようにゴルドルフィの表情は楽しげなものへと変わる。
「ガハハ、そのような栓なき事を問うか。そういうところは齢相応にまだまだ青いのう」
ゴルドルフィは笑みを浮かべて煽るような口調でそう言うが、その目は一時も笑ってなどいない。
ジッと見定めるような真剣な目がアーノルドを見据えていた。
「つまるところ、殺せるかどうかなんてものはどうでも良いであろう。殺したいか殺さないか、それが全てよ。殺そうと思ったから相手が死ぬ——もしくは、力及ばずワシが死ぬ。それこそがこの世の真理だ。それ以上もそれ以下もない。相手のことなど考える必要などない。全ては自己で完結しておるのよ。お前さんも随分殺してきているんだろう? ならば知っておるだろう。勝った者の言うことが、やることが全て正しい。法を犯し、法を変えるものこそが力。それがこの世の力の本質よ」
ゴルドルフィはそう言いながらそのはち切れんばかりの剛腕に力を込める。
その腕は振り下ろせば今にもこの辺り一帯を吹き飛ばせそうなほどの威容を纏っている。
「どれだけ法を“侵そう”とも誰もワシに指図などできん。そうやってワシは常に勝ってきたからこそ今ここにいる。お前とワシ、もし死合えば強い方が生き残るというだけのことよ。殺せるかどうかなど論じるだけ無意味であろう」
断じるようにそう言い切ったゴルドルフィはニヤリを笑う。
「はっ、だがそれは今まで勝てそうにない相手には挑まなかったというだけではないのか?」
アーノルドは嘲るような笑みを浮かべていた。
言外に誰かの下についているというのはそういうことだろう、と。
所詮マフィアの法に縛られているではないか、と。
だが煽るような言葉にもゴルドルフィは豪気に機嫌良く笑い飛ばす。
「言いよるわ! だが、ワシが今まで殺そうとも思わなかったのは後にも先にもワシの主だけよ。だからこそワシは主の元におるし、主の言葉には従っている。それを恥とも思わぬし、不自由とも思わぬ。それこそがワシの自由だからだ。だからこそ敢えて先の問いに答えよう。ワシはいま、満足しておる!」
何の陰りもなく平然と言い放ったゴルドルフィにアーノルドは一瞬、苦虫を噛み潰したかのような表情をする。
自分自身ですらそんな表情をしたことに気がついていないほどの一瞬のことだ。
「……くだらんな。そんなものが自由とは」
アーノルドにとってゴルドルフィの言う自由は心底くだらぬものだ。
誰にも縛られぬこと、もう誰にも侵されぬ生を謳歌することがアーノルドにとっては絶対。
誰かの下で管理されながらある自由など、自由に非ず。
縛られ、侵される人生に一体何の価値があるのか。
その問いへの答えは黒暗のごとく何色にも染まることはない。
「ほう、ワシが自由ではないと言うか。ならば坊主、お前の言う自由とは何だ? どんな自由を求める? 誰にも縛られぬことが真の自由とでも言うのか?」
意味深な笑みを向けてくるゴルドルフィであるが、アーノルドはその挑戦とも取れる問いには応じず、嘆息するだけであった。
「それを聞いてどうする? 所詮どんな言葉もその解釈も、己自身の見解と利によって構成されるものにすぎん。他者の言葉になど耳を傾ける意味があるか? 貴様が自由か自由でないか、そんなものは貴様自身が決めればいい」
「ふむ……、まぁ道理であるわな。確かに元よりお前さんの言葉一つで動くほどワシの信念もそう安くはないのう。しかして、そこまでの放言を放っておいて煙に巻くような言葉は感心せんがのう」
ゴルドルフィは野獣のような鋭い歯を覗かせ目を細めた。
「くだらん世迷言だ。だが……私は自由を求めているわけではない。ただ誰にも侵されぬ安穏を求めているだけだ」
ゴルドルフィはその言葉に意外そうに目を見開き、ニヤリと笑う。
「ほほう。で? それを脅かしたそいつをわざわざ殺しに来たってわけか。そこな程度の奴儕など無視しても良かろうに。其奴が貴様の言う安穏とやらを脅かすとはとても思えんがのう。随分と態度に反して小心者ではないか。それに、そんなものを望むのならば縮こまって生活していれば良いではないか。そうも死が怖いか?」
相手を先んじて殺すことは死への恐怖の裏返し。
ゴルドルフィにとってアーノルドの行動はただ死に怯えるがゆえにその可能性あるもの全てを排除しようとする臆病者の行動そのもののようにも思えた。
だがアーノルドはその煽るような言葉を否定もしなかった。
「怖いか。はっ……、当然だろう。死への恐怖がないわけがない。だがそれ以上に何よりも、赦せない」
「赦せない?」
力強く断じたアーノルドの言葉を反芻するようにゴルドルフィは口にした。
「なぜ私がクズ共に譲歩しなければならん? そんな奴らのために自身を抑えて生活するなどそれこそ赦せぬことだ。思いのまま生きて死ぬこととクズ共に虐げられながら生き永らえる命、もはや迷う必要すらない。所詮貴様の言うように殺したいか殺さないかだな。この私の邪魔をする者、侵す者、傅かせようとする者、そんな者共は生きているだけでも害悪だ。生かす意味などどこにもないだろう」
アーノルドの全てを知っているわけではないゴルドルフィではその言葉の意味全てを理解することはできなかったが、分かることもある。
「ガハハハハハハ、ワシが言うのもなんだが、お前さん一見まともそうな形をしているが、その身の中は奥の奥までまでイカれているな? ……いんやぁ? まともに見えるってのもまた違うかの? ともかく、よくそっちの世界でのうのうと暮らせるもんだ。外の世界ってのはそうもイカれた者どもが暮らしやすい世界なのか? それとも貴族どもはどいつもお前さんのようなイカれた連中なのか? 星だけしか誇るものがないこの国の馬鹿共よりは余程マシそうだのう」
ゴルドルフィはそう言うと機嫌良さそうに快活と笑みを深める。
だがアーノルドは逆に憮然とした表情を強めた。
「……目的も達した。私は帰るが——それで? 貴様はどうするつもりだ?」
殺るのか殺らないのか——と、その目が如実に物語っていた。
「んー? ふむ、ワシは別にお前さんらを殺せとは命じられておらんからのう。気に入らんやつならぶっ殺しても良かったが、そうでもない。わざわざそんなやつを殺してもつまらんからのう」
「そうか」
アーノルドはそう言うと、全く臆することなくゴルドルフィに対して背中を向けた。
まるで後ろから攻撃などしてこないだろうと信用でもしているかのように。
「豪気なのか何なのか。せっかくだ。他の馬鹿共が手を出さないようにこの場で見送りくらいはしてやろうぞ」
何が面白いのか笑みを浮かべながらそう言うゴルドルフィにアーノルドは振り返りもせずそのまま来た道を帰っていく。
パラクとコルドーは最大限ゴルドルフィを警戒しながらその場を去っていくが、言葉通りゴルドルフィは見送りをするだけであった。




