↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】公爵家の三男に転生したので今度こそ間違えない 〜黯然の愚者が征く己の正道譚〜  作者: 虚妄公
トライデント魔導王国編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

96/115

第2-21話

 学院が始まって一週間。


 いま、アーノルド、パラク、コルドーの三人は学院がある街から離れたクジャンという街に来ていた。


 この国で最も治安が悪いと言っても過言ではない裏の街だ。


 スラム街にいるような浮浪者、チンピラ崩れのギャング、花街区域を闊歩する娼婦、そしてこの街を支配するマフィア達。


 そんな者達ばかりが大手を振るって闊歩し、死と愉楽が満ちる落魄(らくはく)の街。


 一歩足を踏み違えたならば数分後には運が良くて身包みを剥がれその身一つ、運が悪ければ二度と生きては戻れない暗冥の地だ。


 とはいえ、いるのは小汚い者達ばかりというわけでもない。


 裏オークションやカジノなどのギャンブル、そういったものが集うのもこの街だ。


 希少な鉱石や宝石、武具、更には魔道具まで、本物から偽物までかなりのものがオークションに出品されたり、闇店で売っていたりする。


 特に国が開かれてからはその規模も広がり、各国から様々なものが集まっている。


 それゆえ護衛を伴った貴族の者達やその遣い、どこから来たのかあからさまに怪しいフードを被った者達も多い。


 だからこそいまアーノルド達が歩く中立地帯ともいえる場所ではそれほどの視線を集めはしない。


 だがそれも中立地帯ならばの話。


 いまアーノルドはとある道のど真ん中に立っている。


 何の目印もないただの道であるのだが、その手前までは道の隅に寝そべっている者や道を歩く者達がある程度いるにも関わらず、そこからはまるで本当はそんな道がないかのように全く人がいない。


「シーザーの話が正しければこの先か」


「はい、そのようですね」


 アーノルドの今回の目的はあのとき見逃した、試験官であったボルネイである。


 ボルネイの殺害。


 シーザーの調査曰く、結局ボルネイは死刑にはならなかったものの星を剥奪され奴隷同然の身分になったとのこと。


 とはいえ、星が無くなろうとも実力が変わるわけではない。


 そういった者達が行き着く先はいつの世も裏の世界だ。


 ボルネイも例に漏れず現在アノッソファミリーというマフィアに属しているのだとか。


 アノッソファミリーはこのクジャンを支配する三大マフィアの一つだ。


 アノッソファミリー、ヤタガラス、ノースリッジ。


 それぞれがそれぞれを牽制し三すくみの状態を維持していると言われている。


 アノッソファミリーが支配する領域は北半分と東一帯。


 ヤタガラスは中央と西を少し。


 ノースリッジは南の一部を支配領域としている。


 その中でもアノッソファミリーは勢力だけならば、他の二つと比べて群を抜いている。


 大幹部クラスからただのチンピラもどきまで、その構成員は莫大だ。


 そして他の国とは違い、地力が高いゆえかそこに属している者達の実力も高い、というのがこの国に入っている情報屋から手に入れた評価だ。


 ここから先はそのアノッソファミリーが支配する領域。


 チンピラ崩れのギャングであろうとも自らそこに踏み入れようなどとはしない。


 踏み入れるのは体のどこかに、王冠を被ったドクロとそれに巻き付く大蛇の刺青をいれたマフィアだけだ。


 これまで裏世界で調子に乗った貴族の子息達が足を踏み入れ、二度と返らぬ者となって発見されたことや未だ死体すら見つかっていない事件が幾度かある。


 外ならば貴族というステータスがあれば、たとえ裏の人間であれ容易に手を出せぬであろうが、ここではそんなステータスゴミクズにも等しい。


 それゆえ国もクジャンには行かぬように警告している。


 貴族が死ねば当然問題になるからだ。


 だがそれでもここに来る貴族は後を絶たないし、それでも国が何も動きもしないことからも容易にどうこう出来るほど安易な規模ではないことが窺える。


 そんなところに行くなど普通なれば止めるところであるが、パラクもコルドーもアーノルドが一度決めたことを止めぬことは嫌という程知っているし、そもそも止める気もない。


 護衛も何も全てはパラクやコルドーがやりたいからやっているだけであり、アーノルドが強制しているわけでもない。


 たとえアーノルドは一人であっても必ず行く。


 常人には理解できぬほどのアーノルドの行動原理。


 一線を越え、一度殺すと決めた者は誰であれ何であれアーノルドは執拗なまでに殺すために動く。


 そこにある損得の計算などなく、阻むもの全てを排除して。


 だが同じくその一線を超えた者であっても殺さぬこともある。


 バルトラーなどが良い例であろう。


 主君の命であろうともアーノルドを殺そうとした執事。


 アーノルドは基本的にどんな理由があろうとも自身を脅かそうとした者を生かすことはない。


 暗殺者であろうと、子供であろうと、貴族であろうと、誰であれアーノルドへ殺意を以って謀殺しにきた者を生かしはしない。


 それこそがアーノルドの一線。


 逆に言えば、どれだけ一般的にむかつく言葉を吐かれようとも、嫌がらせのようなことをされようとも、それがアーノルドの生活に、生命に害が無いのならば殺しに動くことはない。


 せいぜいが瀕死の状態にされる程度だ。


 だがアーノルドが基本的に極端であるがゆえに忘れがちだが、人間は基本的に一意ではない。


 昨日許したことであろうとも今日は許さないなど普通にある。


 そのときの気分一つで考えを変える者など人間としては普通だ。


 アーノルドはそれが極端に少ないがゆえに、パラクもコルドーも勘違いをし、その一線というものを見極めようとしたこともあった。


 臣下として役に立つためにと。


 だがいまはその考えを改めている。


 ただ障害となるものを排除するための道具であればよいと。


 全てはアーノルドの決めた“法”に従えば良いのだと。


 アーノルドは自身の臣下であるからと考えを強制することもなければ、行動を制限することもない。


 また何をしようとも興味がないとばかりに咎められることもない。


 それが逆に臣下としては寂しいという想いもまた僅かばかりあったが、ある意味では個々の尊重だ。


 パラクもコルドーもそれをアーノルドの美徳であると捉えているし、不満には思ってなどいない。


 忠誠は君主が求めるものではなく臣下が捧げるもの。


 君主は自由に振る舞い、臣下はそれを阻むもの一切を排除するためにある。


 だからこそパラクもコルドーもアーノルドを危ないからなどという理由で止めることはなかった。


 その危ないものを排除することこそが自らの役目であるのだから。



 アーノルド達がマフィアの領域に足を踏み入れた瞬間、アーノルド達に向けられる視線の数が当然のように増えた。


 直接向けられているわけではない。


 建物という建物から刺すように向けられる視線。


 敵意とは違うが、己の欲望を隠そうともしない不愉快な放埒だ。


 街それ自体は裏街とは思えぬ小綺麗とも言える風体であるが、進めば進むほど漂ってくる臭いばかりは誤魔化せない。


 血と死臭、そしてクズ共が蔓延る臭い。


 正確にはドラッグの臭いか。


 その臭いが一気に増す。


 アーノルドもこれまでクズ共を始末するときに幾度となく嗅いできた臭いだ。


 一種の薬でもあり毒でもある劇物が醸し、幾重ものそういったものが織り混ざったような臭い。


 種類も濃度も違うというのに、どこであろうとも大差ない臭いになるかのように似通っている。


 とはいえ幾度となく嗅いだからと何度も嗅ぎたい臭いではない。


 周囲に風魔法を起こし、その臭いをアーノルド達の方へと来ないようにした。


「……来ませんね」


 パラクは周囲を盗み見ながらそう言った。


 マフィア達も視線は寄越しているがすぐに襲いくることはなかった。


 だがそれは別にアーノルド達の強さを感じ取ってではない。


 ただ獲物が決して抜け出せぬように、網に掛かるのを虎視眈々と待っているだけだ。


 それを証拠に踏み入ってから少しして気持ちが逸りでもしたのかアーノルド達の前を遮るように少し遠くの建物から様々な武器を持った男達が出てきた。


「へっへへ」


 遠くから下卑た笑みを浮かべて獲物でも見るかのようなギラついた目をした男など気にもせずアーノルド達は歩みを進める。


 ここで足を止めようともともすぐに囲われることなど目に見えているし、止める気もない。


 その者達に近づくにつれてゾロゾロと顔や腕に刺青を入れた者達がアーノルド達を囲うように更に出てきた。


 完全に囲まれたためアーノルド達は一旦足を止める。


 薬物中毒者なのか大抵の者の目の周りには隈のようなものが色濃く浮かんでおり、目も血走っている。


「ようこそ楽園へ。へへっ、へへへ、坊ちゃん達、観光でもしに来たのか?」


 片目が逝っているのか動いていない男が気持ちの悪い笑みを浮かべていた。


 そしてアーノルドの持つ剣に視線を落とした。


「ふへへ、良い物持ってんじゃねぇか。いまは明るく気分もいいしよ、俺が案内でもしてやるぜ? なぁに心配するこたぁねぇ。優しく優し〜く案内してやるからよ。まぁ案内ってもすぐそこまでだがな。へへっ、へへへ」


 そう言ってその男が指差したのは数十メートル先のアノッソファミリーの領域の入り口であった。


 とはいえ当然言葉通りではない。


「お代はお前らが持つ物全てでいいぜ? 髪も、指も、目玉も……へへ、うひゃ、はひゃはひゃ……あひゃ、その髪ぃ〜、その瞳、生きたままかバラ売りかぁ……どっちが高くつくかぁ?」


 薬で正常な判断もできなくなっているのか、口からはよだれを垂らし出てくる言葉も虚であった。


 だがそんな男にドン引きするような視線を向ける者もいない。


 周囲を囲う人数はざっと五十はいる。


 様子を窺っている者も含めればもっといる。


 どいつもこいつも獲物を見つけた獣のようにギラついた目をしているし、マフィアというよりは浮浪者といった様相で汚らしい者が多い。


「見るに堪えんな。まともそうな奴を一人残してあとは殺せ」


「はい」


 その言葉に呼応したようにパラクが即座に剣を抜く。


 その敵対といえる行動に笑みを浮かべていた男達も表情を固まらせるが、すぐに怒号がこだまする。


 だが遅い。


 たった数十秒で辺りには血臭が漂い、残るは一人。


「肩慣らしにもならんか」


「護衛としてはこれこそが理想なんですけどね」


 悠然とした足取りで剣についた血を払いながら戻ってきたパラクは苦笑いを浮かべながらそう言った。


「まぁ次はコルドーにでも譲ってやれ。最近はパラクばかりで腕も鈍っているだろう?」


「いえ、そのようなことは……。それにこの程度の者達では錆落としにもなりません」


 そんな会話をしていると、意図的に残していた見るからに新入りらしき一人が狂乱でもしたかのように声を張り上げる。


「な、なんなんだよお前ら! このアノッソファミリーのシマで、こんなことして許されると思っているのか⁈」


 その言葉にパラクとコルドーは呆れたような目を向け、アーノルドもまた煩わしそうにその者を見た。


「……許される、か。相も変わらず聞くに耐えん言葉だな。貴様らが勝手に決めただけの領域で何をしようとこっちの勝手だ。ここの領主はお前ではないだろう」


 正確には領主はこの国にはいない。


 全ての土地は国に帰属しているからだ。


 だからこそ全ては国のもの。


 だがそれでも代わりにその土地を管理する者はいるにはいるのだ。


 政務局所属の者、貴嶺局所属の者が。


 どちらにせよマフィアはこの地を買っているでもなく不法に居座っているだけで許可も何も得てはいない。


 それゆえ、アノッソも他のマフィアも所詮勝手に自身の土地だと宣言しているに過ぎないのだ。


 それでも尚自分たちの土地だとでも言いたいのか忌々しげに睨んでくるが、それでも周りの血臭漂う惨状を見て臆しているのか表情が曇っているその者に対してアーノルドが憮然と問う。


「貴様に聞きたいことはただ一つだ。ボルネイはいまどこにいる?」


「ボル、ネイ……?」 


 そう問われた男は一瞬呆けたような表情を浮かべたが、アーノルドの表情が徐々に冷めていき、自身に近づいてくるのを見て慌てたように静止した。


「……ま、待て。知っている。知っている! 数ヶ月前に入ってきた生意気な新入りのことだろう⁈ 教える、教えるから命だけは助けてくれ!」


 そう言いながらパラクの方をチラチラと見ている。


 当然と言えば当然であるが、男にとって怖いのはアーノルドよりも周りの者達を皆殺しにしたパラクのようであった。


「言うのか言わないのかどっちだ」


 交渉の余地なしといったアーノルドの態度に忌々しげに奥歯を噛み締めた男は渋々ながら口を開いた。


「……第五地区。第五地区の将区副主の補佐としていまはそこに居るはずだ。言った。言ったぞ⁈ これでいいだろう⁈」


「……そうだな」


 アーノルドがそう言うとその男はその表情に僅かに安堵を浮かべる。


 だが——


「ゴフッ……‼︎ ……なッ……てめぇ……なんの……まね……だ……」


 男は口から血を吐き項垂れるが、それでも裏切られたとばかりに怨みでも込めたような眼をアーノルドへと向けてきていた。


「ゴミの分際で命乞いとは。お前は今まで無価値な者の言葉に耳を傾けたことがあったのか?」


 アーノルドの冷めた瞳と冷たい剣がその男を貫いていた。


 そして尚も何かを言おうと口を僅かにパクパクと動かしている男などお構いなしに剣を引き抜いた。


 ゆっくりとアーノルドの方へと倒れてくるその男。


 アーノルドが自身の剣を振るうべく手を動かそうとするが、それよりも前にコルドーがそれこそ邪魔なゴミを目の前から退かすかのように横から蹴り飛ばした。


 パラクはいまのコルドーの行動の意図がわからず首を傾げていた。


 コルドーが蹴り飛ばさなくともアーノルドが細切れにしていたであろうことは間違いないし、特にアーノルドに危険があったようにも見えない。


 とはいえあの程度のこと、些事と言えば些事だ。


 その程度のことにアーノルドの剣を振るう価値があるとも思えない。


 そう思えばパラクも動くべきだったかと少しばかり思案に耽った。


 そしてチラっと男の方を見る。


 パラクと同じ年齢くらいであろう者。


 建物の壁に叩きつけられ無惨な姿であるが、原型を保ち生き絶える姿。


 だがどの道アーノルドがここで殺そうが殺さなかろうが情報を漏らした時点であの男がマフィアのゴミ処理屋によって殺されることは確定している。


 情報は決して漏らすな。


 それこそが裏の世界の掟なのだから。


 それはどこであろうとも変わりはしない。


「第五地区か。聞いていた情報だと第四地区だったが、一つ上がっているのか。それともあいつの勘違いか」


「どうせまた襲いかかってくるやつらは大勢いますよ。進めば進むほど情報も正確になるでしょうし、そいつらに聞きながら進めばいいでしょう」


「どこにいようとも我々が先陣を切り、お守り致しますのでご安心ください」


 パラクとコルドーは久々の大きな戦いだからか知らないが、心なしか生き生きとしているようにも感じられた。


「……はぁ。好きにしろ」


 アーノルドは何に対してかため息を漏らし、再び奥へと歩みを進めていく。


 ――∇∇――


 アーノルドがボルネイを殺しに向かっている同時刻。


 薄暗い部屋。


 葉巻から出た紫煙がその部屋にたち込め、それを持つ女性の上品な緋唇から出された煙もまた部屋の空気に同化するように立ち昇っていった。


「でぇ? わざわざここまで来させておいて、まさかくだらない話じゃないでしょうね?」


 不機嫌そうに放たれた言葉は決して上流階級にいるような令嬢が放つような言葉遣いとは違い荒々しいものであった。


 その風貌もまたしかりだ。


 その女性は右眼に眼帯をしており、その顔の右側半分がまるで火傷でもしたかのような傷跡が首筋にまで伸びているのが見て取れる。


 痛々しくはあるがその傷跡の定着具合から最近のことではないことがわかる。


 そしてまるで眼光だけで人を殺さんばかりの鋭い目。


 その歳は三十にも満たないほどの小娘と言っても良いくらいであるが、この部屋にいる十人くらいの誰も小娘などと侮る者はいない。


 スカートから覗くスラリとした長い脚を組んでソファに横柄に座るその女性の真正面に、机を挟んで同じく座るのは親子くらい年の差がありそうなアノッソファミリーのボスであった。


 無精髭というわけではないが、どこかだらしなく見えるあごひげを生やし、筋肉隆々というわけでもなく少し厳つい中年のオヤジといった風貌。


 知らぬ者が見れば、到底マフィアのボスなどとは思わないだろう。


 良く言って気の良さそうなオヤジといった感じだ。


 そんなボスはグラスに注がれている何かもつかぬ澄んだオレンジ色の飲み物を勢いよくグイっと飲むと、先ほどの女性の言葉を鼻で笑い飛ばした。


「はっ、そうくなよ、レタ。久々に顔を合わせったってのにつれねぇこった」


 その旧友にでも話すかのような砕けた態度にレタと呼ばれた女性の後ろに控えている二人の男女の部下らしき者のうち女の方が吠える。


「テメェ! 誰の許しを得て姐さんを愛称で呼んでやがる! 今この場でバラされてぇのか⁈ あぁ⁈」


 一組織のボスにかけるとは思えないほどの暴言。


 だがそれを言ったエファの表情は至極真剣であり、満足げでもあった。


 そしてボスに罵声を浴びせられたことで、当然ながらその場にいるアノッソファミリーの構成員もいつ戦闘が始まってもおかしくないほど鋭い気配を放っている。


 当然だ。


 ボスの客とはいえ、客本人ではなくその部下ごときがボスを侮辱したのだ。


 メンツを何より大事にするマフィアにとってそれは許し難い。


 だが状況が動くより前にレタが葉巻の先端をエファの方へと向けて口を開く。


「——エファ。状況をややこしくするな」


 レタは身内の出過ぎたともいえる行為に怒るでも諭すでもなく、ただ淡々とそう言った。


「姐さん、申し訳ありません!」


 エファは背筋をピシッと伸ばして再びレタの後ろに大人しく固まった。


 それはまるで躾された忠犬を思わせる。


 それに対してアノッソのボスは少しばかり白い歯を見せ、ほくそ笑む。


「見ねぇ顔だな。新入りか? 人を毛嫌いしているお前が新しい部下を迎え入れるなんざ珍しいじゃねぇか。祝いの一つでもくれてやりたいところだぜ。だがな、誤解を生む行為は謹んでほしいもんだ。そうだろ? 後日死体で……なんてことになったら、お互い面倒だろう?」


 ボスは笑みを浮かべそう言うが、これはレタ達だけへの警告ではない。


 自身の部下に対しても手を出すなと言っているのだ。


 ボスは控えていた給仕の女に合図を送り、カラになっているグラスに飲み物を注がせ飲み干すと、ニヤッと笑みを浮かべた。


「それに部下の教育を怠れば苦労するのは上のもんだぜ? 俺は忠犬を育てろ——そう言ったはずだぜ、レタ。狂犬は組織の和を乱すだけだともな。もうそんなことは忘れたか?」


 狂犬だと言われたエファはピクリと動くが先ほどのように噛み付くこともない。


 沈黙が数秒その部屋を支配する。


 だがレタはこの場の雰囲気など気にした風もなく恬然(てんぜん)と葉巻を口元に持っていき、吸った煙をわざわざボスの方へと吐き出し、見下すように睥睨した。


「その教育を怠った馬鹿のせいで私がここにいることを忘れたのかしら? それに勘違いするな。エファはまごうことなき私の忠実なる部下だ。私がエファを諌めたのはこのクソみたいな場所に一分一秒でも居たくないからに過ぎないの。誤解を生む? どこに誤解の要素があるとでも。先の言葉に何か間違いなどあったかしら? 四の五の言わずさっさと要件を話せ」


 レタはそう言うと、手に持っていた葉巻をテーブルの上にある灰皿——の横に押し付け、徐々に力を込めていった。


 それにより、葉巻が本来持つ嫌な臭いが部屋に充満するように広がっていく。


 それだけでなく、まるで空間が裂けるかのようにテーブルに歪なヒビが入り、絶対零度の瞳を向けるレタから放たれた重圧がこの部屋にいる者を押さえつけた。


 明確な警告だ。


 全員、余計な真似はするなと。


 ボスの護衛達も僅かばかり苦悶の声を漏らしている。


 そんな中、ボスは僅かに笑みを浮かべ鼻で笑う。


「全く品のねぇ女だ。風情ってもんがねぇ」


「……風情? 風情ねぇ。お前と私がそんなものを楽しむ間柄だとでも言うのかしら?」


「はっ、昔は無愛想なりに可愛げがあったというのに。成長して色気の一つでも出すかと思いきやこれとは……。まだまだ大人の流儀ってもんをわかっちゃいねぇな」


 色気があるかないかで言えばあるだろう。


 女性らしい胸部に、スラリと鍛えられた足が魅せる美脚。


 女性としての魅力は誰が見ても十分だ。


 だがその顔に刻まれた傷跡——それはまだいいが、その冷酷さを伴わせる曇りに曇った暗愁の眼。


 それを見て欲情できる者はそれこそ特殊な性癖を持った者のみだろう。


 ほとんどの者は欲情するより前に竦み上がってしまうことは確実だ。


 何を言われようとも動じぬレタに、つまらなさそうにため息を吐いたボスはソファに深く横柄な態度で座り、レタに真剣な目を向けた。


「だが、呼び出したのはこっちだ。趣一つなかろうと、そのくらいは譲歩してやろう。単刀直入に言うぜ——俺と手を組め、レタ」


 ボスは下手に出るでもなく、かと言って、上からでもなくそう言った。


 レタはノースリッジのボスだ。


 アノッソファミリーが最大勢力を誇るマフィアだとすれば、ノースリッジは最大戦力を誇るマフィアだ。


 その構成員は三十〜五十とも言われており正確なところは部外者で知る者はいない。


 だが万を超えていると言われるアノッソファミリーと比べればその数は雲泥の差である。


 しかしそれでも尚、三大マフィアの中で最も強いのはどこかと問われればノースリッジが挙がる。


 その中でも一際強いのが今も不遜な態度でソファに背を預けて座っている怪物のような長身の女。


 身の丈はあるかという長刀を携えた真性の化け物。


 この女がここ(クジャン)にいるから国が手を出してこないとも言われる女傑だ。


 三つのマフィアの中で頭ひとつ抜けた存在。


 それがレタ、正確にはレーゼフォルタという存在だ。


 誰もが恐れる女の返答をボス以外の人間は固唾を飲んで皆が待っていた。


「——なるほどなるほど。この私をわざわざこんな場所まで呼び出しておいて、先頃の件の謝罪もなしに、言うに事欠いてお前と手を組めと……。アハハハハハハハハハ、くだらない。まったく……くだらない戯言ねえ。場末の酔っ払いでももう少しマシなことを言うんじゃない? いつからそんなに酩酊していたのかしら?」


 レタは先ほどまでボスが飲んでいたグラスの方を嘲笑するように一瞥した。 


「最近のヤタガラスがきな臭いことはお前とてわかっているはずだ」


「で? 一人じゃ何も出来ないから私の力を借りようってこと? それだけ仲間を集めて自身の力で何もできないのならいい加減マフィアのボスなんて辞めて引きこもってでもいたらいいんじゃない? 少なくとも腰抜けなんかと組む気はサラサラないわ。潰すだけならアンタの手を借りなくとも私一人で十分なのよ」


 呆れたような物言いでそう言ったレタは座ったまま後ろに手を出し、部下から上着を受け取ると席を立った。


「……まったく、無駄足だったわね。昔のよしみで、ここで殺すのは勘弁してあげるけど、腑抜けているようならお前から潰すわよ」


「まぁ待てよ。話は最後まで聞いてからだっていつも言ってただろ?」


 ボスは去ろうとするレタに対して軽快にも教えを説くようにそう言った。


 レタがその言葉で止まったことでボスは楽しげに笑みを深め、口を開く。


「——ノイマー家の情報。それが対価だとしてもか?」


 その瞬間レタの気配が暴風のように荒々しいものへと変わり、誰一人例外なくゾッと鳥肌が立ち、自身の武器へと手を伸ばす。


 ボスの護衛二人が反射的にボスとレタの間に割り込むが、刹那、腕を斬り飛ばされ、部屋の壁を突き破らん勢いで吹き飛ばされる。


 そしてアノッソファミリーのボスは座っているソファを真っ二つにされながら床に叩きつけられ、レタに馬乗りにされ頭を鷲掴みにされていた。


 すぐにボスの護衛達が助けに動こうとするが、レタの護衛二人がそれを許さない。


 牽制するかのように笑みを浮かべながら護衛達に鋭い気配を送っていた。


 だがそれでも動こうとする部下達にボスは止めろと言わんばかりに手で合図を送った。


「この私の前でその名を口にするとは……、いくら貴方でも一線を超えるのならば容赦はしないわよ? その腐りきった口を二度と開けないようにしてあげましょうか?」


 まるで猛獣かのように牙を覗かせ威圧するレタ。


「はっ、随分と殺気立ってるじゃねぇか。昔はこの程度でそこまで怒りはしなかっただろうに。なんだ? 焦ってでもいるのか?」


 だがボスはそんな状況であろうとも不敵に笑い、煽るような言葉すら放つ。


 ボスの護衛も気で気がない状態であった。


 ボスは尚も睨むレタに笑みを深め、その状態から鋭い一撃を拳で放つ。


 不完全な体勢で床に押さえつけられている状態から放たれたとは思えない威力。


 その衝撃で床が窪みヒビが入るが攻撃がブレることはなかった。


 だがレタは体を後ろに倒すことでその拳を容易く避けた。


 とはいえそれにより、ボスの上からは退くことになってしまっていた。


 その一撃で押さえつけられていた状況を脱したボスは、あくまでも綽然とした動きで服についた埃を払いながら口端を歪め笑みを浮かべる。


「女に上に乗られるなんてベッドでなら大歓迎なんだが、こんな硬く冷たい床じゃ食指も動かねぇってもんだ。それに、もうちっとばかり歳食って色気出してからから出直してこいよ」


 ボスは冗談らしく軽薄に笑みすら浮かべそう言う。


 だが次の瞬間にはまるで人が変わったかのような一組織のボスに相応き貫禄を纏った男がレタを睨んでいた。


「——だがな、レーゼフォルタ。お前に先に仕掛けたのも俺んところの馬鹿共の無礼な真似を見過ごしたのも俺だ。だからこそある程度のお前やお前の部下の俺への無礼は見過ごすし、見過ごした。いくらあいつらの首をやったとはいえ、それが筋ってもんだからな。だがな、いまのは俺に対する宣戦布告と受け取るぞ? お前に一線があるように俺にも一線がある。それは超えるな。前にも言ったはずだぞ」


「腰抜け如きが姐さんに——」


「黙っていろ三下。さっきはレタの新顔だから許してやっただけだ。雑魚如きがそれ以上調子に乗るなクソガキ」


「なッ……⁈」


 エファの蔑みすら含んだ言葉をボスはその地位に相応しい貫禄と重みを持って封殺した。


 先程までとは明らかに違う様子にエファが怯んだように気圧される。


 レタはそんなエファには視線も向けず終始ボスを凝視していた。


 そして不機嫌さを表現するかのように鼻を鳴らす。


「いまのお前如きが本当に私とやり合えるとでも思っているのか?」


「やってみると良い。イキがるのは勝手だが、狭い世界でしか生きてこなかった小娘に現実を見せてやるのも大人の務めってもんだからな。それにだ、レーゼフォルタ。——お前、そんなに死ぬのが怖いか?」


「……なんだって?」


「ただのガキだった小娘が身に余るほどの、いや、本来得れたはずの力の大部分を取り戻した。……で? いつまでそうしている? 一体いつまでそうやって生にしがみつくつもりだ? もう十分だろう。あのときの言葉は、誓いはどうした。お前は俺に腰抜けと言ったが……なら、お前はどうなんだ?」


 ボスのその言葉にレタは表情を僅かに歪める。


「今のお前なら、よっぽど俺がお前を拾った時の方が良かったぜ? 女としてもマフィアとしてもな」


「育ての親気取りか知らないが、お前との縁はもう切った。私の生きる道は私が決める。お前にとやかく言われる筋合いはないわ」


「そうかよ。それなら問題ねぇよな!」


 そう言うとボスは側に落ちていた自身の武器を足で蹴り上げ、手で掴んだ。


 それと同時にボスの護衛達の雰囲気が一変する。


 さっきまでは人数差があるレタの部下達にさえ強く出れなかった者達。


 だがその者達はいま、それこそ一人一人がエファ程度——否、エファを凌ぐ気配は放っている。


 そして何よりもボスの気配が尋常ではないほど膨れ上がっている。


 チリチリと自身の肌が焼かれていくかのような感覚。


 その変化具合にエファもそしてもう一人のずっと黙していた男も驚きを浮かべ、その表情を歪ませた。


 ノースリッジは一人一人が一騎当千を至上としている。


 そしてだからこそ、少数であれ他を圧するだけの力を有しているのだ。


 ゆえに、エファも護衛の男も一人一人の実力ならばアノッソファミリーなど恐れるに足らずと思っていた。


 ボスも当初見た時は軽薄なだけで、大した実力があるようにも見えなかった。


 殺そうと思えば自分でも易々と殺せそうだと。


 だがその認識は根底から覆された。


 自分達とは明らかに領域が違う。


 ——勝てないと。


 レタはその冷めた瞳をボスから一切外さず互いに睨みあっている。


 どちらかが動けばその瞬間開戦となることは誰の目にも明らかであった。


 レタは無愛想とも言える仏頂面でボスを睨み、ボスは勝ち気な笑みをレタに浮かべている。


 だがそこに突然一人の男が部屋に飛び込んでくる。


「ボス‼︎ 緊急事態ですッ……⁉︎」


 飛び込んできたその男はその部屋の異様さに思わず声を上擦らせた。


 しまったとは思うが、もはやどうしようもない。


「……なんだ」


 ボスはその男を一瞥することもなく、レタから視線を外さずそう問うた。


「侵入……ッ、侵略者です‼︎ 既に第三区までがほぼ壊滅——」


「お前か?」


 男が言い終わるよりも前にそう問う。


「何のことかは知らないけど。目の前にキングがいるのにわざわざポーン如きに手を出すとでも?」


 もっともかとボスは視線をレタから切り、男の方に向ける。


「ヤタガラスか?」


「ふ、不明です。で、ですが、主犯格らしき者は子供で、その護衛らしき者もいるということで他国の貴族かと……」


「……人数は」


「三人です」


「出身は」


「不明です」


「目的は」


「ふ、不明です」


「その程度のことでお前はこの場に乗り込んできたと? せめてもっとまともな情報ぐらい集めてこい!」


 怒りすら滲ませた声でボスは静かにそう言った。


「も、申し訳ございません‼︎」


 男は額を地に付け勢いよく土下座した。


 ボスがいるのは第一二地区。


 浅層である第三地区での揉め事如きでボスの手を煩わせるなど本来ありえない。


「と、特徴としましては黒髪の子供がいるとのことで、もしかしましたら七帝家の人間が絡んでいるかもとの……」


「そいつは女か?」


「い、いいえ。男のガキだそうです」


「ならば違うだろう。七帝家の黒髪のガキは女だ。それにガルフィードならばともかく奴らはここには手を出さん。一掃しにくるにせよ事前情報くらいは掴めるだろうよ」


「で、ですが、その、かなり強いとのことで現場の者達ではまったく歯が立たず……」


 一連の戦いを目にした男の言を聞いたこの男はあの程度の地区にいる平凡な者達では歯が立たないと判断した。


 弱い方であろう護衛一人にも誰も手も足も出ないのだ。


 あれにもう一人の護衛が加われば少なくともあと数地区は進まれる。


 半分も壊滅となればそれだけ戦力が下がるということだ。


 ヤタガラスとの抗争の可能性もある今、それはアノッソファミリーの崩壊すらも意味する可能性がある。


「で?」


「将校クラスの構成員を派遣していただきたく……」


 それを聞いていたレタが呆れたように口を挟む。


「全くその程度も下の者で処理出来ずよくも私と手を組もうなどと宣えたわね。下の者を教育出来ていなければ上の者が苦労するってのは本当のようね。覚えておくわ」


 責められているとでも感じたのか、土下座した状態の男の体がびくりと跳ねた。


「次会う時はせめてその鈍った頭を覚醒させてから呼んでほしいものね。とはいえ、次会うことがあるかはわからないけれど」


 そう言うとレタはカツンと靴を鳴らし、身を翻した。


「帰るわ。昔の義理は果たしたしね。……貴方がどうしようとも勝手だけれど、貴方の計画に私は興味がない。巻き込まないでね」


 レタは興醒めだとでも言わん態度でそう言うとエファ達を引き連れ部屋を出ていった。


 その後ろ姿を見遣るボス。


 だがそこに不満そうな顔も怒りもなかった。


「……あ、あの?」


 レタが去り、数十秒経とうとも何も言わないボスとその場の空気に我慢できなくなったのか、土下座していた男が声をかける。


 そしてすぐにしまったという顔をする。


 だがボスは先ほどの怒りなどなかったかのように淡々と男に顔を向けてきた。


「ん? ああ、将校クラスだったか。ちょうどいい第五区にボルネイとかいう新入りがいただろう。使えるか見てやれ。それと第十区の人間を一人派遣しておこう」


「は、はい。ありがとうございます!」


 その男はペコペコと頭を下げて、それ以上この部屋には居たくないとばかりにそそくさと出ていった。


「ボス、よろしかったのですか?」


「新入りのことか?」


「いえ、後々の面倒ごとはありますが爆弾の処理は早めで問題ないでしょう。それよりも……」


「レーゼフォルタか……。かまわん。そもそもあいつと手を組む可能性など最初からないことなど承知の上だろう? どの道今日のは確認作業にすぎん。それに少し力を見せたところで問題もない。元々奴は俺の力を知っている。まぁ俺への義理立てか誰にも話ちゃいねぇようだがな。それにどうせあと少しだ」


 ボスはため息を一つ漏らしながら壊れたソファに腰掛けた。


 中心で真っ二つに割れているソファはかなり座りにくそうであったが、ボスはだらしなくグデンと体をソファに預けていた。


「それに今回の件も良い掃除になるだろう。死体もアレに流せばちょうどいいしな。あの出来事のせいで計画が狂ったが、引き継げているのならば問題ない。最悪奪えば良いだけだしな」


「そうですね。……ですが、後顧の憂いを断つためにあの女も始末しておいた方がよろしいのでは?」


 どこか探るようなその言葉にボスは少しばかり感傷深げに目を細める。


「……やめておけ。腐っていようとも虎は虎だ。損害がデカすぎる。それに虎如きに所詮龍の相手はできん。使えれば使うつもりであったが、あれは囚われている。捨て置いても問題はないだろう」


「……では、そのように手筈を整えます」


「にしても、手を出すなと厳命したにもかかわらず動くとは」


 一息吐いたボスは離れたところで治療を受けている腕を斬り飛ばされた部下二人を見て、呆れたような物言いでそう溢した。


 レーゼフォルタと会う前に、部下達にはボスが武器を持つ前に手を出すなと厳命してあった。


 咄嗟のこととはいえ、それを破った者がいたことは組織としてはあるまじきことだ。


「申し訳ございません。私の教育不足でした。始末しておきます」


「そう容易く処分するな。処分するにしても使い道などいくらでもある。とりあえず再教育しておけ。それでも使えなければ、そのときは処分しろ」


「御意に」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。