※64話
※この話には胸糞悪いと思うかもしれない内容が含まれております。そういうのが苦手な方はご注意ください。また、そういう話を2話に分けたく無いという個人的な理由により少し長めになっております。申し訳ございません。
玄関の扉を開けた『???』はいつもとは違う家の異様な雰囲気に気圧された。
何が違うなどということは説明できない。
だが、説明できなくともわかる。
これは違うと。
無始曠劫のような遥か昔の記憶の奥底を逆撫でされるような不愉快さが体を弄ぶように駆け抜けていく。
家の中に一歩入ると、先ほどまで確かに空は晴れていたにもかかわらず、家の外に雨が降っている音が響く。
振り返ると真っ赤な雨が。
まるで家に閉じ込めるかのように血のような雨が沛然と落ちてきていた。
不気味ではあるが、外に出るという選択肢はない。
「・・・・・・優奈?真由?」
掠れるようなか細い声で妻と娘の名を呼ぶが、返ってくるのは暗澹とした廊下の静寂のみ。
陰気に満ちた玄関の明かりをつけようと思い、壁沿いに移動すると何かが足に当たってガシャンと金属が倒れるような音が響き渡った。
明かりをつけて何が倒れたのか見てみると、それはダンケルノ公爵家の紋章が刻まれている剣であった。
『???』は剣などという非現実的な武器に対して何の疑問も持たずにそれを当たり前のように拾うと、帯剣しようとして剣を止めるためのベルトがないと気付きそのまま手に持ってリビングに向かって歩を進めようとした。
だが、足が思うように動かない。
そこに行かなければならないと心が訴えかけている。
だが同時に、その場所に行くことを体が拒否している。
そんな相反する想いに戸惑い、二の足を踏んでいると、『???』はドンと後ろから押されたような衝撃を受けて前につんのめった。
咄嗟に後ろを見たが何もいない。
『???』は薄気味悪さを覚えながらもリビングのドアの前に立った。
普段ならば何も考えず開ける扉がまるで金庫の扉のようにやけに重厚に感じられる。
ゴクリと唾を飲み込み、一呼吸置いてからガチャリとドアノブを引いた。
リビングの中は真っ暗で物音一つしない。
今まで感じていた嫌な感じは気のせいだったのかもしれないと思い、緊張からかいつの間にか止めていた息を吐き出しながらリビングの電気をつけた。
だが、嫌な予感というのは当たる。
『???』の目に入ってきたのはうつ伏せで倒れている優奈と真由の姿であった。
そして何よりも信じたくないのが、目を覆うような赤黒い血溜まり。
着ている服も明らかに血で染まり、切り刻まれているかのように所々肌が露出していた。
「な・・・・・・、え・・・・・・?」
状況が理解できず、いや、理解したくなく、『???』の口から発せられるのは言葉にならない言葉だけであった。
幻であってくれと、二人に近づこうと手を伸ばしたとき。
——グサッ
脇腹の辺りに熱を感じた。
熱を感じた脇腹をゆっくりと見ると
「よっしゃ‼︎俺の勝ち‼︎」
突然、部屋に響き渡った声に『???』は悲壮な面持ちでその声の主を見た。
3人の高校生らしき若者達が我が物顔でダイニングにあるイスに座っており、そして『???』の目の前に血のついたナイフを持ってニヤニヤと嗜虐的な笑みを浮かべる者が1人いた。
「おいおい、見ろよ、あの顔‼︎」
「アハハハハ、おい、このおっさんにこいつらを殺したときの動画でも見せてやったらもっと面白いんじゃないか?こいつらももう動かなくなっちまったし、ちょうどいいじんじゃねぇ⁈」
「ああ、そりゃいいな‼︎でもそれなら刺すんじゃなくて殴っておけばよかったぜ!今からでも間に合うか?」
「はっ、このくらい刺した程度で人間簡単に死にやしねぇよ!特等席でも作ってやろうぜ⁈」
高校生くらいの少年らしき者4人が楽しいお遊びの真っ最中だという感じで盛り上がっていた。
だが、『???』にとってはお遊びだなんて風には思えない。
悔しさ、怒り、憎しみ、あらゆる感情が一気にその身に襲いかかってき、歯を噛み砕かんばかりに力を入れた。
「お、お前達がやったのか?なんでこんなことを・・・・・・?」
震える声で弱々しくそう問うた『???』は渾身の力を振り絞り、仲間の方へと振り返っていた少年Aの肩を砕かんばかりに全力で掴んだ。
「いっ、痛ってぇな。掴んでんじゃねぇよ‼︎」
肩に痛みが走るほど強く掴まれたことに腹を立てた少年Aが『???』を一切の手加減なく蹴り飛ばした。
格闘技でもやっているのかその蹴りの威力は凄まじく、『???』は部屋の壁に叩きつけられた。
「おいおい、今から愉しむんだから殺すんじゃねぇよ。VIPなんだから丁重に扱かってやれよ」
少年Bの目は険しいが、その口元は笑っている。
少年達に罪悪感も感傷も微塵たりともない。
まさに無慙無愧な人間。
非道を非道とも思わぬ真正の外道共。
「ああ、すまんすまん」
少年Bの言葉に対して悪びれた様子もなく笑う少年Aは心など全くこもっていない形ばかりの謝罪をし、その特等席とやらに連れて行くために、蹴り飛ばした『???』に近づいて来ようとした。
だが、その最中に少年Aは何かを足で蹴飛ばした。
「何だこれ・・・・・・?おもちゃの剣か?へっ、この歳でなんでこんなもん持ち歩いてんだよ?ば・か・だ・ろ、こいつ。ガキかよ!アハハハハハ」
高笑いし終えた少年Aはその玩具の出来を確かめるべく鞘から剣を引き抜いた。
「へぇ〜、結構リアルじゃね?」
刀身を眺め、ブンブンと振り回しながら仲間達に見様見真似の無様とも言える構えを取ったポーズを見せながら楽しそうに笑い合っていた。
「それでも使ってやればいいんじゃねぇの?」
名案とばかりに一人の少年が少年Aの持つ剣を指さした。
「思いっきり突けば刺すくらいは出来るんじゃねぇの?自分の玩具で刺されるなんていい絵が撮れそうじゃね?」
少年Aはその少年の言葉には特に反応を示さず、見惚れているかのように薄く笑みを浮かべ刀身を眺めていたと思えば、嗜虐的な笑みを浮かべながら『???』に近づいてきた。
『???』はぐったりとした様子で壁にもたれた状態で何やらぶつぶつと言っていたが、それさえも気に入らないのか少年Aは不快気に口元を歪めて怒鳴り声を上げた。
「ああ?何ブツブツ言ってんだよ⁉︎」
だが、その怒りの表情もすぐに悪戯を思い付いた残虐な少年の笑みへと変わる。
「・・・・・・ああ、そういえばなんでそんなことをするんだ、だっけか?」
嘲るような笑みを浮かべる少年Aは『???』の髪をグッと掴み無理やり視線を合わせさせた。
「そんなもん面白いからに決まってんだろ?大体の遊びはやりつくしたし、次の遊びをしてるだけだっつの」
まさに悪鬼のような動機。
そんなくだらない、陋劣な動機で妻と娘はあんな変わり果ては姿になったかと思うと腑が煮えくり返るような激情が心のうちから沸々と湧いてきた。
少年Aは馬鹿にするように舌を出して挑発し、髪を持っている手を離すと『???』を蹴飛ばした。
「おい‼︎もう蹴るなよ‼︎そのせいで楽しみが減ったらお前の負けにするからな‼︎」
ぐったりしている『???』が死んでしまうのではないかと思った一人がそう声を出した。
だが、そこに心配の色はない。
あるのは自身の楽しみが半減することへの心配だけ。
「ああ?そりゃないぜ⁉︎そもそも最初に刺すこと提案したのお前じゃねぇか」
「うるせぇよ。ほら、さっさとこっちに連れてこいよ」
少年たちは何が面白いのか笑っていた。
『???』はそれを信じられない想いで見聞きしていた。
こんな非人道的な行為をしておいて、事を欠いて言うことが“遊び”。
『???』の心にこの世の理不尽さを呪う感情と、そしてこんなクズ共がのうのうと生きているこの世界に対する憎悪の感情が芽生えてきた。
「なんで、何でこんなひどいことが出来るんだ。たかがそんなことで、そんなことで・・・・・・」
『???』は拳に力を入れ、泣き声とも言える声にもならない呻き声を上げた。
今までの平和な日常がこんな理由で壊されるなんて許せなかった。
自身の欲を満たすためだけに、他者の命を脅かす行為など到底容認出来なかった。
「はぁ?たかが、だと?俺たちが退屈していることがたかがだと?むしろ俺たちのために役に立ったんだから感謝しろよ。ほら、ありがとうございますってよ!ほら、さっさと言えよ‼︎言えって言ってんだろ⁈アハハハハ」
少年Aは『???』に軽く蹴りを入れながら高笑いをしていた。
『???』はその少年の足にしがみつくように力を入れ、心のうちから湧き出る魂の悲鳴を口にした。
「お前達は・・・・・・、お前達は人を殺していいと思っているのか⁉︎そんなおもちゃのように他人の命を奪ってもいいというのか?」
無駄だ。
無駄だと誰かが叫び嗤笑しているような声が頭に鳴り響く。
悪鬼羅刹の化身のような目の前の少年達に何を言おうが届くわけがない。
「はぁ、もうそういうの聞き飽きたんだよ。良いんだよ。良いに決まってんだろ。俺たちがそう決めたんだ。お前らは大人しく従っておけば良いんだよ。なんで俺たちが何の面識もないお前らに対してそこまで考えなきゃいけないんだよ。死にたくなきゃ俺たちの目に入らないところにでも行きゃいいじゃねぇか。俺らの視界に入った時点でお前らは俺らのおもちゃになることを許容したってことなんだよ。それにこの世界はな、強い者が弱い者を虐げても良い世界なんだよ。お前は弱いから何をされようが文句なんて言えねぇんだよ!ほら、わかったか?一つ賢くなれて良かったな?」
カラカラと笑い醜悪な笑みを浮かべる少年の顔は、本当に同じ人間なのかと思うほど悍ましい。
「そうそう。俺たちの目に入るところにいるってことは俺たちの玩具になってもしょうがないんだよ。アハハハハ」
「はぁ、うぜぇな、このおっさん。誰に説教してんだよ。これならこいつらも、もう少し生かしておけば良かったな。目の前で痛めつけりゃ、このイライラももっと発散できたのによ」
少年達が口々にその悪鬼に同調する。
少年Bが妻の方へと近づいていき、自らの怒りを発散するかのようにその体を蹴った。
だが、それがきっかけとなった。
「・・・・・・るな」
声になっていない小さな声が静かな部屋に響く。
まるで亡霊が泣いているかのように鬼哭啾啾と空間が小さく鳴き始めた。
しかし、少年達はそれに気が付かない。
「あ?」
『???』に何かを言われたのがわかった少年Aが苛立ったように声を上げた。
少年達にとっては他者など自分たちが何をしてもいい奴隷のような存在。
奴隷如きが勝手に口を開くだけでも勘に触る。
「触るな‼︎」
だが、そんなことなどお構いなしに、『???』は床に倒れて動けないまま、渾身の力を込めて叫んだ。
「あ?なにお前如きが俺に命令してやがる‼︎」
『???』の言葉に激昂した少年Aが手に持っている剣で『???』を突き刺そうとした。
衝動的に。
何の躊躇いもなく。
奴隷の叛逆など許さないと。
だが、その剣が『???』を貫くことはなかった。
「・・・・・・あ?」
『???』は剣の刃の部分を素手でがっしりと掴んでいた。
腕からはポタポタと血が垂れているがそんなことはお構いなしに更に強く握り込んだ。
「ッチ‼︎ う、動かねぇ・・・・・・。おい、テメェ離せよ‼︎」
少年Aが掴まれた剣を引き抜こうとしたが、引こうが押そうが全く動かない。
「お、おい、あれ血が出てるじゃねぇか!本物の剣かよ⁉︎」
「おお、本物かよ‼︎ちょっと俺にも貸せよ‼︎」
「何やってんだよ。さっさと蹴るなり殴るなりして引き剥がせよ」
普通ならば触ることなど出来るはずもない本物の剣にテンションが上がった3人の少年は我先にとその剣を求めたが、少年Aはそれどころではなかった。
(うるせぇよ。それができたら苦労しねぇんだよ!なんだこの力は・・・・・・!少しでも力を抜いたら奪い取られる・・・・・・‼︎この、クズの分際でっ‼︎)
少年Aはプルプルと腕を震わせ、表情を歪めながら必死に剣を握り込んでいた。
だが、そんな少年Aとは違い、まるで何の力も入れていないかのように『???』が剣の刃を握ったまま軽々と立ち上がった。
その動作に先ほどまでのダメージも弱々しさも感じられない。
少年Aは剣を取り返すのを諦めたのか柄から手を離し、そのまま『???』の顔面めがけて蹴りを放ってきた。
「さっさと返しやがれ‼︎うぜぇんだよ‼︎」
しかし、その蹴りは失敗に終わる。
少年Aの攻撃は『???』によって足首を掴まれ、軽々と阻止された。
自身の攻撃を止められたことが許せず、少年Aはより苛烈にその双眸を怒りに燃え上がらせた。
「クソッ!ぶっ殺してやる‼︎離しやがれ‼︎テメェ———う、うぐぁぁぁぁぁぁぁあ」
『???』に足首を掴まれ逆さまになっていた少年Aはジタバタと暴れていたが、突然悲鳴を上げた。
『???』が凄まじい握力で少年Aの足首を握り締めたのだ。
『???』はそのまま少年Aを片腕一本で軽々と振り上げたかと思うと、渾身の力で床へと叩きつけた。
そのときの『???』の表情は窺えないが、少なくとも楽し気ではないだろう。
「ガハァッ・・・・・・‼︎」
床に叩きつけられたことによって凄まじい音が鳴り響き、叩きつけられた床は凹み破壊されていた。
受け身すら取れなかった少年Aは思いっきり叩きつけられたことで呼吸ができないのかピクピクと動き、必死に呼吸しようと胸をかいていた。
「テメェよくも‼︎」
仲間を攻撃されて怒った少年が『???』に殴りかかろうと一歩踏み出したとき、視界にいたはずの『???』がいなくなった。
「は・・・・・・?」
突然目の前にいたはずの人物が消えた状況に頭がついていかず困惑の表情を浮かべて仲間を振り返った。
「お、おい・・・・・・」
仲間の1人が声を上げ、指を差した。
そこに居たのは涙を流しながら優奈と真由を腕に抱いている『???』の姿であった。
そしてもう一人の少年は何かに気づいたのか『???』とは別の方を向き、それを仲間に伝えることも出来ず恐怖に震えて目を見開いて固まっていた。
「あ?いつの間に・・・・・・、テメェ‼︎」
『???』を見つけた少年Bは最初は、理解できない状況への困惑が頭を支配していたが『???』の姿を見ていると徐々に仲間を傷つけられた怒りが湧いてき、とりあえず『???』を見失った原因について考えることを止めて怒鳴り声を上げた。
だが、そこに今までのようなただやられるだけの玩具はもう居ない。
「——うるさいぞ。少し黙れ」
その声はあまりに平坦で、『???』は少年に視線を向けることもなかった。
突然の口調の変化に驚いた少年Bであったが、すぐに格下に舐めた口を利かれたと激昂した。
「て、テメェ・・・・・・。誰に舐めた口きいてやがる!殺すぞクソが‼︎」
だが、『???』にとってはそんな怒りの波動など、そよ風にすら満たない。
そうでなくとも、普段から口癖のように言う言葉などに重みは生まれない。
少年達は妻達を殺したと言っていったが、『???』にとってはまだ命の灯火が完全に潰えた状態ではなかった。
『???』の体から黒い靄が出てきて妻と娘を覆って見えなくした。
その目にはまだ慈愛の色が浮かんでいる。
まるで手足のようにその黒い靄を使っていたが、少年達には見えていない。
「舐めた口か・・・・・・。そうだな。君達と私、果たしてどちらが舐めた口を利いているのか・・・・・・、試してみるとしよう」
未だ穏やかな面影を残した『???』がそう言った刹那、4人の体に何かがのしかかるような重みがかかり、とてつもない勢いで顔面から床へと突っ込んだ。
それを満足げに見た『???』は口を開いた。
「たしか、君たちは自分が楽しいから、気に入らないからという理由で他者を殺そうが何をしようが問題ないと言っていたね?」
元々床に倒れていた少年Aは重圧によってさらに押さえつけられたことで気絶し、少年Bは床に衝突したことで血が出ている鼻を押さえながら『???』を睨んだ。
「て、テメェ‼︎何しやがった!殺す!ぜってぇ殺してやる‼︎」
未だに状況を弁えていないのか、血気盛んな少年Bはその程度で心が折れることもなく、まだ強気な態度で『???』に怒鳴りつけた。
他の二人の少年達はいまのありえない状況を理解しているが、もはや恐怖に抗う術もないというのに自分が強者だと勘違いしている愚者は自分が弱者であると気が付きもしない。
「はぁ・・・・・・、駄犬如きでは、身をもって体験せねば分からないか。2度までも吠えるとはその喉、余程いらないと見えるね」
何故だか殺すこともなく、怒ることもなく、威圧すらない。
その瞳には憎悪の色も、激怒の色も見えない。
何かに耐え、むしろ苦しんでいるかのようなその態度がその少年に未だに自身が優位であると勘違いさせる。
少年Cはもはや恐怖に震え、亀のように蹲っており、少年Dは畏懼の表情を浮かべ『???』を恐ろしい怪物を見るような目で見ていた。
だが、少年Bは未だに怒りを隠すことなく出して怒鳴りつけてくる。
「何言って———‼︎」
だがその瞬間、少年Bの喉元から血が勢いよく吹き出し、驚愕の表情を浮かべながら床に倒れて動かなくなった。
残された少年達は地面に飛び散った血を見て、自分もああなるのではないかと戦慄が体を突き抜け、全身から血の気が引き、注意を引いてはならないと思いながらも恐怖に抗えず声にならない悲鳴を上げた。
少年Cと少年Dは目の前の存在が常識外の存在であるともう気づいている。
なにせ、今いる部屋が数倍に広がり、元々あった家具は見る影もないほど禍々しき装飾品へと変貌を遂げているのだから。
そこに先ほどまでの一般家庭の様相は微塵もない。
そして、壁に浮かぶ無数の無垢な瞳が少年達を見つめている。
だからこそ、この部屋にある唯一の出口に行こうにも行けない。
あの瞳に見られる恐怖には打ち勝てない。
しかし、逃げなければと本能は訴えてくる。
このまま座して死ぬか、一か八か出口に逃げ出すか。
死の可能性があるだけでどちらも選べずにいる。
目の前の怪物がいつの間にか椅子に座っていた。
玉座のような優美な椅子に尊大に座っている『???』を前に頭を上げることすら出来ない。
「ほう、そこな馬鹿に比べれば少しはマシな頭をしていると見える」
またしても口調の変化。
だが、少年達にそんなことを気にする余裕などない。
まだ理性を保った双眸であるが、それを向けられだけでも少年達はすくみ上がった。
だが、意外にもその声色が普通だったために二人は意図せず安堵の息を漏らした。
すぐには殺されないと。
声には、嬉しさも、哀しさも、怒りも、憎しみも何一つ窺えない。
それゆえ目の前の人物が自分たちには怒っていないのだ、憎んでいないのだと、希望的観測を抱いてしまった。
ある意味では間違っていない。
『???』はまだ壊れていない。
それゆえ、少年Aも少年Bもまだ生きている。
しかしこの二人はわかっていない。
安息の地など、もうこの二人にはないというのに。
俯き床を見ていた二人の近くでガシャンと何かが投げられた音がした。
反射的に音の発生源を見ると、先ほどのダンケルノ公爵家の剣が二つ、手を伸ばせば届く位置にあった。
それを見た二人の少年の心臓が響めいた。
「拾え」
そう言われた二人の体が氷になったかのように強張る。
先ほどまでなら嬉々として拾っただろう。
それは自身が強者の側であったから。
拾ったところで自身の命を脅かすものなどではないのだから。
しかし、今は違う。
拾えばあの馬鹿げた存在と戦うということになりかねない。
扱いも知らない剣を持ったところで勝てるような存在ではないとわかる。
もしくは二人で殺し合えということなのか。
どちらにしても愉快なことにはならない。
それが分かるからこそ安易に拾うことは出来ない。
呼吸が荒くなって鼻息と心音がやけに大きく聞こえてくる。
そのとき、気絶していた少年Aが目を覚ました。
「・・・・・・テメェ。ぜってぇ、生かしておかねぇ。クソの分際で俺に歯向かいやがって」
少年Aは重圧に押し潰されて気絶したため何が起こったのかも全く把握していない。
なぜ自分が気絶していたのかも。
だが、少年Aにとってやられたならばやり返すのが当たり前。
相手が泣いて懇願してこようが徹底的に叩き潰す。
自分に歯向かう者などこの世に一人たりとも許さぬと。
殴られたなら殴り返した上でそいつの持つもの全てを奪わなければ気が済まないと。
血走った眼で『???』を睨みつける少年Aを見た二人は、そのまま少年Aに興味が移ってくれればいいと少年Aの蛮行を止めようともしなかった。
それどころか助かったと感謝すらした。
『???』は呆れたようにため息を吐くと、どこからか生まれ出た新たな剣を少年Aに向かって投げた。
「拾え」
『???』が無感情でそう言うと
「俺に命令してんじゃねぇ!クソ風情が‼︎ぶっ殺してやる‼︎」
激昂した少年Aは怒りで周りも見えていないのか、投げられた剣を拾い、そのまま止まることなく『???』に駆け出していった。
なんの技も技術のない、ただの突進。
だが、いくら近づこうと『???』は少年Aに一瞥もくれない。
ただ虚無のような瞳を浮かべ無視するだけ。
そして尊大な態度。
今まで自分の前でそのような態度を許したことなどない。
クズ如きが自分の前でそんな態度を取ることなど許せないと激昂し、剣の柄を壊すくらい力強く握りしめた。
「テメェェェェェエ‼︎死ねぇぇ‼︎」
怒りに表情を歪ませそのまま『???』の頭をかち割ってやろうと剣を振り下ろしたそのとき、剣を持っていた少年Aの腕が爆せるように斬り刻まれた。
それはもう跡形もなく。
「ぎ、ぎぃぃぃやぁぁぁぁぁぁっっぁっぁああ‼︎いた、いた、いてぇよ、いってぇよ‼︎クソ、なんで俺が、俺がっ・・・・・・こんな目に・・・・・・ぐぁぁぁあああああ!」
痛む腕を抑えようにも抑える腕がない少年Aは目に涙を浮かべ蹲るだけ。
この空間ではどれだけ血を流そうが『???』の赦しなくして死ぬことすらできない。
それどころか例え死のうが再び罰を受けるべく蘇る。
だが、少年達を殺そう痛めつけようが未だに『???』の表情には何の感情も見えない。
それでもやっと『???』の瞳が少年Aを映した。
「なぜか・・・・・・。そうだな敢えて言うならば、貴様らが私の視界に入ってきたからだな。退屈していたところだ。玩具がわざわざ目の前にあるのだ。遊ぶのが道理であろう?」
「ふっざけるな‼︎こんなことをして赦されると思っているのか⁈」
少年Aは自身が間違ったことを言っているなんて微塵も思っていない。
本気でそんなことが赦されるわけがないと思っている。
「赦す?誰が私を赦さないと言うのだ?貴様か?世界か?」
その声は氷点下のように冷たく、冷徹であった。
「はっ、俺の親父に言やぁテメェなんざすぐに豚箱行きだ‼︎」
少年Aは自信満々にそう言い放った。
目の前の怪物相手に。
法などというくだらぬ物に縛られぬ相手に。
「クク、クハハハハハハハハハハハ‼︎」
突然の高笑いに少年Cと少年Dはビクリと肩を震わせ縮こまり、少年Aは歯を噛み締め怒りを露わにした。
馬鹿にされたと思ったのだ。
事実、嘲笑を含んだ笑いである。
その怒りのためか、少年Aは腕の痛みがもうないということに気づいてすらいない。
腕が治っていっているなどという異常事態にも疑問を持たない。
「阿呆もここまで来れば、もはや道化だな」
『???』は先ほどまで大笑いしていたとは思えぬほど無感情に、無表情にそう言った。
「なんだとテメェ‼︎」
「貴様、ここから生きて帰れるとでも思っているのか?」
淡々と告げられた事実。
少年Aはこの世界が自分のためにあると本気で思っていた。
自分が死ぬなどということはありえないと。
それゆえ自身の心に蓋をしてきた事実を突きつけられた少年Aの顔はなかなか見ものであった。
恐怖、驚愕、虚勢、侮蔑、それらが混ざり合い顔が引き攣った少年Aの顔はまさに道化そのもの。
なかなか愉快爽快な表情である。
「な、なにを言って・・・・・・。はっ、殺す度胸すらない・・・・・・、そもそも社会のゴミクズ風情が俺を殺すだと?」
その頃には少年Aの腕も完全に治っている。
しかし、この世界だからか、そうなるようになっているからか、少年Aはそれを不思議に思わない。
少年Aはいつだって相手を虐げる側。
何をしようが、何を言おうが、親の権力で闇に葬り去れる。
だから生まれてから一度たりとも相手を尊重する、敬意を払うなどといったことをしたことはない。
鉛筆で誰かを刺そうが、誰かを虐めて自殺に追い込もうが、女を好きに犯そうが、いつだって最後に勝ってきたのは自分だ。
どれだけ悪行を積もうが最終的に謝ってくるのは相手。
金と権力さえあれば、相手を追い込むなど簡単なこと。
生きるためには誰しも金がいる。
そこさえ押さえてしまえば、相手は何も出来ない。
だからこそ、自分が謝ることなんて何一つない。
悪いのは金も権力もない弱い奴。
だが、そんな少年Aでも自身を殺しにくる奴は別だ。
いままで虐めてきた奴も、権力で黙らせてきた奴も、結局そいつらは法を犯すことを恐れ少年Aを殺しになど来なかった。
だからこそ、少年Aは何をしても赦される。
赦されてきた。
自身は何をしてもいい人間なのだと殺人に手を出した。
だがだ、だがここで、少年Aが予想だにしていなかった者が現れた。
自身を殺すことに躊躇いのない者。
全てを捨てれる者。
初めての痛み。
初めての死というものを実感。
少年Aの頭には逃げなければということしか、いま頭になかった。
逃げさえすれば、あいつを逮捕することも陥れることも容易なのだから、と。
たとえ罪が無かろうが冤罪を着せて逮捕してしまえばいい。
今までもそうやってきた。
そう考えていた矢先に
「拾え」
またしても剣が目の前に転がってきた。
『???』は何がしたいのか。
少年Aはその剣を手に取ると今度は反転し、この部屋の出口へと駆け出していった。
「おい、お前ら‼︎あいつを足止めしとけ‼︎さっさと行け!殺されてぇのか⁉︎」
少年Aは蹲っている少年Cと少年Dにそう命令した。
自分のためならば仲間すら躊躇なく使い捨てにする。
所詮仲間といってもただの他人。
奴らの親に何か言われるかもしれないが、それはお互い様。
知らぬ存ぜぬで何も出来はしない。
それに自分が殺したわけでもない。
悪いのは自分を殺そうとした『???』だ。
生き残れば良いのだ。
必死に走る少年Aはこのとき初めて異変に気づいた。
(あ?この部屋こんなに広かったか?だが、あいつ・・・・・・絶対に許さねぇ!あいつの家族、親族全員を殺してやる!全員を犯罪者にしてやる‼︎)
未だに少年Aは『???』に対して敵愾心を抱いていた。
ここまでくれば、もはやその度胸を、いや愚鈍さを賞賛すべきかもしれない。
だが、それゆえに部屋を出ることができたとも言える。
『???』へと憎悪を胸に抱きながら少年Aは廊下に繋がる扉をくぐっていった。
『???』はそれをただ見つめるだけ。
止めもせず、邪魔もしない。
そして、その視線が遂に少年Cと少年Dに向いた。
少年達はビクリと肩を跳ねさせるが、もう足が震えて動くことすらできない。
しかし、最後の力を振り絞って二人は示し合わせたかのように土下座の姿勢を取った。
「す、すいませんでした。その、俺はこんなことやりたくなかったというか、出来心というか、やめようなんてあいつに言えるわけないし?」
「そ、そう!本意ではなかったんです!あいつに無理矢理やらされたんだ!だから許してください!見逃してもらえたらこれから真っ当に生きていきますんで‼︎」
何処までいっても自分本意であり、他責思考。
そして死を前に敬語すら使えぬその言葉遣いから今までどう生きてきたかわかる。
だが、それすら『???』にはどうでもいい。
この二人の前にはまだ剣が2つ転がったままだ。
少年Bの喉の傷も当然のように治っているが、少年Bはそのまま死んだふりをしている。
『???』はそんな少年Bに向かって剣をもう一振り投げた。
それに反応し体をビクリと跳ねさせたことで、少年Bに意識があることなど丸わかりである。
「貴様らのような人間というのはなぜ生まれるのだろうな・・・・・・」
ボソリと、だがこの空間にその声はよく通った。
「っ・・・・・・‼︎」
少年Bは未だに自身が貶されれば反射のように相手に殺意が湧く。
ここまでいけば、もはやどうしようもない。
矯正など不可能な人間。
死を前にしても謙ることもできない人間。
「貴様達、いま楽しめているか?貴様らの表情からはそうは思えぬが・・・・・・。貴様らの要望通り剣も渡してやった。痛みもくれてやった。なのに貴様らは楽しそうではないな?」
憐れむような声色であるが、その双眸は少年達を殺さんばかりに鋭い。
「ふ、ふざけるな!誰が痛みを喜ぶんだよ⁉︎ちょっと考えれば分かるだろうが!俺がこんな目に合うなんておかしいだろ!こんなことされる覚えなんてねぇぞ!このイカれ野郎‼︎」
声は震えているが、それ以外の態度など知らないのか少年Bは吠えた。
まだ反論する威勢があることに喜んでか、『???』の口角が上がり含み笑いを漏らした。
「そうか?痛みも楽しさのスパイスであると貴様らは考えているのだろう?だが、まぁ違うとしてもどうでもいい。貴様らが痛みを感じれば、私の心が少しだけ救われる想いになれる。それだけで貴様らの存在価値は十分だろう?」
無慈悲に告げられたその言葉に、少年達は顔を強張らせた。
――∇∇――
少年Aは玄関までの廊下を必死で走っていた。
絶対王者である自分に逃げるという行為をさせたあの男の顔を思い浮かべ、顔を怒りで歪ませた。
殺す殺す、と何度も言いながら走る廊下もまた長い。
しかし、思考能力が落ちた少年Aはそんなことすら気づいていない。
怒髪天を衝いている人間の視野は狭い。
逃げさえすれば自分の思うように、どうにでもなると、玄関のドアに手をかけ醜悪な笑みを浮かべて外へと出た———はずだった。
――∇∇――
「貴様らが遊びたいというから用意してやったというのに・・・・・・。しっかりと遊んでくれたのはあの道化だけであるぞ?」
そのとき『???』の声しか響いていなかったこの空間に醜悪な声が響いてきた。
「はっは〜‼︎見たかあのクズ野郎‼︎絶対殺してや————」
玄関のドアを出たはずの少年Aは、扉などなかったはずのこの部屋の中央付近から突然高笑いをしながら出てきた。
他の少年達も目を丸くし、その少年Aを見ている。
「かくれんぼは終わりか?」
先ほどまでの無感情な声とは違う。
その表情も薄く笑みを浮かべている。
少年Aは黒闇無間に突き落とされた囚人のように体を震わせていた。
そこで初めて、少年Aは驚愕と恐怖の感情を意識した。
そしてあり得ならざる現象を。
そして目の前の存在がとてつもなく恐ろしいものだと。
その言葉が、その笑みが、その相貌が、その眼光が、体を蝕むように恐怖となって少年Aに侵蝕してくるのだ。
そしてもはや逃げようなどという気にもなれない。
なにせ先ほどは見えていなかった無数の無垢な瞳が少年Aを恨めしげに見つめているのだから。
「・・・・・・んで・・・・・・?」
なんで、と言葉すら満足に出なかった。
「どうした?殺したいのだろう?殺すのだろう?ならば向かってくるしかあるまい。貴様がこの空間から出るにはこの私を倒す以外にないのだから。貴様らの言う、ただの遊びだ。気負うことなど何一つない。負ければただ死ぬだけだ」
「ふ、ふざけるな!そんなことするわけがないだろうが!さっさと出しやがれ、このクソ野郎‼︎」
恐怖という感情に馴染みがない少年Aは、人間に備わる生存本能が極端に弱い。
だからこそ、このように吠えられる。
「なぜだ?」
「なぜだと⁈なんでこの俺がテメェ如きに命を賭けなきゃならねぇんだよ‼︎」
「それが貴様が定めたルールだからだろう」
そう断じた『???』に返ってきたのは嘲笑であった。
「はぁ?何言ってんだお前⁉︎俺が殺すのは良いが俺が殺されるなんざあって良いはずねぇだろ‼︎」
何の迷いもなくそう言う少年の顔には笑みが浮かんでいた。
他者を虐げるときに浮かべる笑みが。
「そうか。ならば仕方ない」
「はっ、バカは理解すら遅いから嫌いなんだ。ほら、さっさとここから出せよ!」
『???』がやっと自分に従ったかと、手のひらを返したかのように嘲罵した。
「何を言っている?お前がどう思うが関係ない。この場では私の言葉が絶対だ。この世には理不尽が溢れている。ただ気に入らないと言うだけで殺されることもある。弱者たるお前が私に暴言を吐いたのだ。死ぬには十分な理由だろう?」
含み笑いを漏らした『???』は嘲笑うような瞳を少年Aへと向けた。
そして玉座から悠然と立ち上がった『???』の瞳にはもう少年Aを映していない。
「はぁ?弱者だと?お前如きが———」
言い終わる前に少年Aの首が飛んだ。
「うるさくて敵わんな」
少年達にはなにが起こったのかすらわからない。
『???』はその場から動いてすらいないのだ。
手も、足も動かしていなかった。
少年達は、自分たちもいつでも、それこそなんの予兆もなく殺されるかもしれないと思い、体の震えが止まらなかった。
「それで、貴様らは私を楽しませてくれるのか?」
残った少年達《《2人》》の方に視線だけを向けて問うた。
「た、楽しませたら、い、生きて返してくれるのか?」
震える声を必死に我慢して聞き返したが、それに対する返答は無情であった。
「ギヤァァァァアァッァアァアア‼︎」
『???』に問うた少年の両手首から先が、キレイに斬り落とされた。
侮蔑の視線を向けた『???』は嘆息した。
「まだ立場をわかっていないらしいな。貴様らが私に問える立場だとでも思っているのか?私と対等だとでも?貴様達は玩具であろう。玩具とは最終的に壊される物の代名詞だ。死ぬ以外にお前達の行く末などあるわけなかろう?」
そうこうしていると少年Aの首が再生し、再び意識を取り戻した。
「死んだ気分はどうだ?楽しかったか?」
少年Aには『???』の浮かべる表情がもはや悪魔の笑みに見えた。
実際にはそんな笑みなど浮かべてはいない。
少年Aもやっと立場が分かったのか、意識が戻ってすぐ喚くことはなかった。
少年達を傷つけるほどに『???』は厭世の情が大きくなるとともに、今まで必死に抑えてきた憎悪の念も大きくなってきていた。
そもそもなぜ私が我慢しなければならないのだと。
人としての一線を越えてはならぬと?
そも、人としての一線とはなんだ?
ただただ、残虐に凄惨に惨烈に惨憺に・・・・・・。
そして無慈悲に・・・・・・。
鏖殺することの何がいけないのか。
なぜ我慢する?
——人を殺すのは悪いことだから。
なぜ悪い?
——人を殺すことは人の道義に反するから、そしてそれこそが人と獣の境界だから。
人を殺せば獣だとでも?
いいや、否だ。
道徳、道義、道理、そんなものは人間が定めた秩序のために作られたものに過ぎない。
古今東西、人間の営みは罪に始まり罪に終わる。
生きるために生命を喰らい、死ぬために生命を侵す。
原罪を背負いし人間にそれも今更な話だ。
人を殺せば悪?
人を救えば正義?
家族を、友を、殺そうとする野盗共を殺すのは悪か?
困窮に喘ぐ貧民共に食事を与えることが正義か?
否、断じて否だ。
平和な日常を壊す者が生き残り、ただ幸せに生きている者が抵抗も許されず死ぬ世界?
ただその日限りの施しを与えて満足げに正義を為したと嘯く者共が蔓延る世の中?
そんな不条理で不合理な世界など滅んでしまえばいい。
そもそも、何を以って悪とし、何を以って正義とする。
法か?
だが、法というのは貴族のため、そして権力者が優位に立つためのものだ。
なんなら犯罪者共のためにあると言ってもいい。
たとえどれだけ殺そうが、罪を犯そうが、その犯罪者の命は法のもとに保証される。
クソくらえだ。
ああ、まったく・・・・・・、いままで何を躊躇っていたのか。
鏖殺だ。
生かしておく価値もない者を、見ていて不快になるだけの者を、人間としての道義や理性、そして誰が決めたかもわからぬ法などというものに、この私が従って見逃せと?
くだらん。
殺せ。
心の赴くままにただ殺せ!
それでこそ自分が望む世界が出来上がるというものだ。
それでこそ二度と後悔せぬ道を歩める。
それでこそ、自分は生きていける。
先ほどまでの『???』とは様子が異なる。
いや、『???』が違うのではない、それを取り巻く環境が違うのだ。
さながら等活地獄の門が開いたかのように濃密な死の気配、重圧。
空間が軋みだし唸り声をあげるが、それでも尚少年達に気絶することなど許されない。
そして先ほどまでただ見つめるだけだった無垢な瞳から血のような黒い物体が滴り落ちて床を侵食していく。
しかし、幸運だったのは『???』がもはや少年たちのことなど眼中にないということ。
だが、少年達にとって死を運ぶ死神であることには変わりない。
逃げようにも逃げられなどしない。
恐怖で固まった体は動かないし、そもそも血のような物質が部屋の壁から徐々に近づいてくるため動こうなどという気も起きない。
だが、少年達が動かなかろうと、『???』の歩みは止まらない。
周囲から黒い光が『???』の手に収束していき装飾が施された漆黒の禍々しい剣が創られた。
少年達を見ていない『???』の注意を引きたくないのに震えで歯がガチガチと鳴り止まない。
少年達の歯が奏でる大合唱が『???』の耳に入り、その黒い双眸が少年達を貫いた。
目を逸らせない。
目を逸らせば死ぬかもしれない。
ただ震えることしかできない少年達の視界から突然『???』が消えた。
少年達が気づいたときには『???』が隣に立っている。
ビクっと体が強張り、必死に逃げようと動き出すが、遅い、絶望的な遅さだ。
それよりも『???』の振るう剣の方が圧倒的に速い。
見えもしない神速の剣が少年達を襲う——————はずだった。
その剣は少年達に当たる前に、『???』の意志を阻むかのように見えない壁に阻まれ、甲高い音と火花が飛び散った。
少年達は吹き飛ばされたかのように尻餅をつき、驚きに目を見開いた。
怪訝そうに目を細めた『???』がもう一度攻撃を繰り出す。
しかし、何度やっても結果は同じであった。
少年達は自身に攻撃が当たらないと分かると、もう心に余裕でも出てきたか挑発するようにほくそ笑んだ。
その精神力を賞賛するべきか、それとも憎むべきか。
だが、それで終わるはずもない。
再び空間が軋むような唸り声を上げ始めたかと思うと、漆黒の光が『???』の持つ剣に集まっていった。
だが、その程度では収まらず、空間が軋むなどという生優しいものではなくなっていった。
空間が沸騰したかのように歪みはじめ、床一面を蠢く赤黒い闇が部屋全体を覆うように這っていき幽鬼のように踊り始めた。
その張り裂けんばかりの脈動が頂点に達したとき、『???』の一撃が放たれた。
泣き笑いのような表情を浮かべ歯をガチガチと鳴らすことしか出来ない少年達はただただ迫りくる理外の一撃を見ていることしかできなかった。
凄まじい威力の余波で部屋にあった形ばかりの装飾品などは崩壊し、空間すら耐えきれずヒビ割れていた。
しかし、たとえ空間が壊れようとも少年達だけは守るという誰ぞやの意志なのか、それでも尚少年達は健在であった。
引き攣った笑みから安堵の表情を浮かべたのも束の間、すぐに少年Aと少年Bは『???』を嘲るような笑みを浮かべてきた。
“あれほどの攻撃が当たらないとなれば、もう自分が死ぬことはない”
“自分は神に愛されている”
“やっぱり、何をしようが自分は赦される。神が赦すのだ”
そう思い、自然と醜悪な笑みを浮かべるのだ。
だが、憎悪に満ちた吸い込まれるような黒く濁った黄金の瞳と目が合い、すぐにその得意気な笑みを浮かべる口角が下がる。
それと目が合ってしまえば、例え自らが安全だと思っていても死への恐怖を浮かべずにはいられない。
だが、それもここまで————。
再び『???』が黒いオーラを剣に集中させ始めたそのとき、『???』の体から漏れ出るように力が抜けていき、マナもエーテルも何も感じ取れなくなった。
そしてどこから現れたか金色に輝く鎖が『???』の腕、脚、首、胴体、あらゆる箇所を桎梏のように縛り上げ、暴れようとも徐々に指一つ動かせなくなっていった。
握ることすら出来なくなった漆黒の剣も手から滑り落ちると同時に幻であったかのように消滅していった。
そして『???』が憎しみに吼えるよりも前に、この空間そのものが崩壊し始める。
まるで壁が剥がれ落ちるようにペリペリと空間が落ちていき、ガラス細工のように粉々に砕け散っていく。
「・・・・・・はっ、結局は俺が生き残る。テメェはただ俺の前に跪いておけばいいだけなんだよ!」
先ほどまで呆然としていたにも関わらず、我を取り戻すや否や、顔はまだ引き攣ったまま高笑いを浮かべる少年Aの声が『???』の耳を抜ける。
憎悪など生ぬるいほどの激情が迸ったが、『???』にまとわりつく鎖はビクともしない。
そして気がつけば『???』が匿っていたはずの妻と娘が少年達側に横たわっている。
『???』は悲鳴を上げるように口を開いた。
『それはダメだ———』
だが、声すらもはや出すことができない。
それだけはダメだ、と必死に手を伸ばそうとするもピクリとも動きはしない。
空間が消滅していき、妻も娘も少年達さえもただのガラスの破片のように砕けていった。
———必ず殺す
薄れゆく意識の中、それだけを胸に抱いて一つの世界が崩壊していった。




