65話
その部屋は壮麗にして荘厳。
たった一人、広々とした空間で椅子に頬杖をついて傲然たる様子で座っている男が、何やら嬉しそうに微笑を浮かべていた。
「やっとか・・・・・・。やっと・・・・・・。ク、ククク、ククククク、クハハハハハハハハハハハ」
男は何が嬉しいのか、その広い空間に響き渡るくらい高笑いをしていた。
だが、男以外誰もいないはずのこの空間に第三者の声が響いた。
「————ずいぶん楽しそうですね」
鏡花水月のように儚げで、純白の透明がかったドレスを身に纏った女性がキラキラと黄金の眩い光を伴いながら顕現してきた。
その双眸は金色に輝き、髪は水色と銀髪が混じったような透けるような長髪。
その美貌はエルフに匹敵すると言っても良いだろう。
だが、あのエルフとは違い、その表情に人情味はない。
視界に収めるだけでも目の保養になりそうな女性を見た男の口角が誰が見てもわかるくらいに大幅に下がり、不機嫌そうな表情を浮かべながら睨みつけた。
「はっ、久しいじゃねぇか、クローシス。だが・・・・・・、俺の領域に無断で侵入するとは・・・・・・、随分偉くなったもんだなぁ⁈・・・・・・人形風情がその狼藉、その罪科、貴様の命で洗い落とすか?」
ロキが感じた比ではない重圧がその場を支配するが、クローシスと呼ばれた女性の表情は一切動かない。
その淡白な様子はまるで人形のようでもある。
「今の貴方がそれを出来るとは思えませんが」
ただ、淡々と事実を述べただけ。
そこに嘲笑も憫笑も浮かんでいない。
「ハッ、よく言うぜ。誰のおかげで、それだけ匆忙を極めたと思っているんだ?」
クローシスの体を押さえつけるような重圧が無くなり、男はクローシスの言葉に怒るどころか、むしろ冷笑を浮かべるだけだった。
だが、それに対してクローシスは何も言わず目を閉じるだけ。
心なしか不機嫌そうにも見える。
男の皮肉に対して何も答える気がないクローシスを見て、男が鼻を鳴らし、つまらなさそうに嘆息した。
「それで?何の用だ、クローシス」
問われたクローシスがゆっくりと目を開き、男から視線を外して虚空を見ながら返答した。
「・・・・・・些か、行き過ぎた干渉を感知したため出向いた次第です」
警告を孕んだ声色。
しかし、その言葉には個人の感情は何も乗っていない。
ただ義務を遂行しているというだけの態度。
「行き過ぎた干渉だと?心当たりがねぇな」
男は頬杖をついたまま、クローシスの言葉を鼻で笑い飛ばした。
その表情からは、故意によるものなのか、本当に心当たりがないのか読み取れない。
しかし、クローシスにとってはどちらでもいい。
クローシスは男の瞳を直視すると言い放った。
「契約は絶対です」
その言葉には有無を言わせぬ重みがあった。
だが、男は吹き出すように笑い、嘲るような視線をクローシスへと向けるだけだった。
「なんだぁ?あまりにも上手いこと事が運んでいるから是正でもしに来たつもりか?」
いまのこの状況はこの男にとって都合がいい。
いや、最善とも言える。
自分でも驚くほどに。
「では、この状況をどう説明するつもりですか?」
本来であるならば、有り得べからざる未来。
何らかの干渉なく起こり得るはずのない未来。
「ハッ、知らねぇな。すべては暗冥に導かれただけのことよ。なるべくしてなった、それだけだ。それに、これは俺が直接手を出したわけじゃねぇよ。あの愚物が勝手に見せただけ。愚物の行いの責までこの俺が面倒を見ろとでも言うつもりか?」
嘲笑を孕んだ笑みがクローシスへと向けられるが、それでも尚クローシスは言い募る。
「ですが、あの者を客人として迎え入れたのもまた貴方でしょう?」
「迎えただと?俺がただの人間如きを客人に迎えたとでも?・・・・・・その減らず口を叩く口、いまここで置いていくか、クローシス」
男から初めて微笑が消えた。
居心地の悪い静寂の中、二人の視線が交差するが、クローシスには焦りの色はない。
何故ならば男の手に未だ武器が握られていないから。
そもそも、目の前の男がその気なればわざわざ口で言いはしない。
口よりも先にその凶撃がクローシスを襲うだろう。
だからこそ、反応する必要もない。
それに、いまは前ほどの脅威も感じられない。
何も反応しないクローシスにつまらなさそうに鼻で笑う男はどこから取り出したか、黒く荒んだ金の器に入る葡萄色の酒を呷った。
その器は決して汚れているわけではない。
その黒は金に混じり、純粋な金色以上に典麗な器になっている。
「はっ、テメェは見目はいいが、本当に面白みのねぇやつだな。俺の臥所に土足で上がり込んできたんだ。少しは楽しませようと嬌声の一つでも上げてみてはどうだ?」
下品極まりない物言いであるが、そこに色情の色は微塵たりともない。
怒りも嘲弄も侮蔑もそこにはない。
何一つ含まれない空虚な言葉。
「貴方が何に楽しみを感じるかなど、私には興味がありませんので」
生娘のように恥じらう素振りもなく、ただ平然とそう宣うクローシスに、男は満足そうに含み笑いを漏らすだけであった。
「違いない。なら、少し話に付き合えよ。それくらいは礼儀ってもんだろ」
二人は親しいわけでは決してない。
言ってみれば、ただの顔見知り程度の関係でしかない。
「話・・・・・・ですか」
クローシスは困惑の表情を浮かべた。
なぜなら、この男とこんなに長い間、話をしたことはないから。
そもそも、この男がこんなにおしゃべりであるということも知らなかった。
もっとも、それを知るだけの時間を過ごしたことなどないのであるが。
「ああ、気負う必要はねぇよ。ただの暇潰しに過ぎねぇただの戯言だ。貴様は適当に相槌でも打っておけばいい」
男は困惑気な表情を浮かべるクローシスに構うことはなくそのまま話を続けた。
「貴様は人間という種についてどれだけ知っている?」
その問いを聞いたクローシスが今度は怪訝そうな顔を浮かべた。
質問の意図がわからない。
「・・・・・・特に何も。興味がありませんので。ただ・・・・・・、強いて言うなれば脆弱で暗愚なこと、そして致命的な欠陥品であることを伝え聞いた程度ですね」
クローシスの知り合いにはその手のことを嬉々として話してくる者がいる。
その者は、その愚かしさが愛おしく、見ていて面白いらしいが、クローシスには理解など微塵たりともできない。
「十分だな。まさしくその通りだ。人間ほど愚かで救いようのねぇ種はいねぇだろうよ」
カラカラと嗤い、満足そうに笑みを浮かべて杯を呷ったその表情に意図せず翳りが見えた。
「どうせ、ちょっと前からテメェも覗いてたんだろ?あのクソガキ共のことをどう思う?」
覗いていたというのは『???』の精神世界のことである。
「・・・・・・どう思うと言われましても、興味がないとしか・・・・・・。どうでもいいですね」
クローシスの金色の瞳の奥では、いまも『???』と少年4人が対峙しているのが見えている。
だが、正直どうでもいい。
興味がない。
興味が湧かない。
「ククク、まぁそうだろうな。これは俺の聞き方が悪かったな。あのクソガキ共の言い分をどう思う?」
面白そうに微笑を浮かべる男は質問の仕方を変えた。
「その前に一応聞いておきますが、クソガキ・・・・・・というのは、あのいまにも殺されそうな4人のことであると定義してもよろしいのでしょうか?」
クローシスにとって人間など見分けもつきはしない。
一人を除いては。
「ああ、そうだ」
「そうであるならば、あのクソガキ、もとい男達の言っていたことは間違っていないでしょう」
クローシスはただ淡々と自らの私見を述べた。
そこに迷いなど一片たりとも抱いていない。
だからこそ、何の懐疑もなくそう断じる。
「ほう」
興味深げな眼差しをクローシスに向けた男は、声には出さぬ笑いを心の中で浮かべる。
相槌を打っておけばいいと言っていたが、相槌を打つのは男の方であった。
クローシスがジッと男の方を見るが面白げに薄く笑みを浮かべ何も言わず見つめ返してくるのみ。
続きを言え、とその目が語っていた。
クローシスはそんな男に呆れたように嘆息し、続きを言うべく口を開いた。
「・・・・・・この世の生き物は全て強い者が生き残るのが定め。なぜ強者が弱者などのことを一々考えて行動しなければならないのでしょうか。生物ならば弱い者はいつ食われてもおかしくないでしょう。食われたくないならば視界に入らないようにする。至極当然の考えなのではないですか?」
それこそが絶対不変の世界の真理。
弱い者が生き残るにはより強くなるか、強い者の庇護下に入る他に、そもそも見つからぬように隠れて過ごすしかないのだ。
だからこそ、『???』の妻娘があの少年達の目に留まり殺されるのも道理であるとクローシスは考える。
隠れきれなかった者の末路は喰われるだけなのだから。
そこに善悪が介在する余地などないと。
「そうだ。生き物である限り逃れることのできない弱肉強食の掟。弱い者は淘汰され、強い者だけが生き残る。元来、生き物というのはそういう風に出来ている」
つまらなさそうに吐き捨てながらも、口角は楽しげに上がっている。
だが、それと対照的にクローシスの表情は一切変わっていない。
「喰らうために殺そうが、ただの戯れで殺そうが、気に入らぬから殺そうが、慈愛の末に殺そうが、それは強者のみが持ち得る特権だ」
そう断じた男の言葉には万感の思いが込められていた。
その男が何を思い、何を感じ、その結論に辿り着いたのかは誰にもわからない。
だが、それでもその言葉からは、その思想に他者が介入できる余地など一欠片たりともないのだと痛感させられた。
クローシスは自分だけ立ったままというのが嫌だったのか、突然、半透明は碧色のイスを顕現させた。
水晶宮にでもあればお似合いだろうが、ここでは非常に浮いている。
しかし、その場の雰囲気など気にした風もなく、重さなどないかのようにそのままふわりと座った。
その突然の蛮行を訝しんだ男にジッと見つめられたクローシスはコテっと少し首を傾け、その秀美な口を開いた。
「・・・・・・客人に椅子も出さない主人の代わりに自分で用意致しました」
何か文句でもあるのか、とその澄ました顔が言っていた。
だが、自分の城に勝手に物を持ち込まれた男の心中は面白いとはとても言えない。
「はっ、佳賓でもあるまいに、囀るではないか」
呆れるように鼻で笑うが、その表情に笑みは浮かんでいない。
かといって、怒っているという雰囲気でもない。
皮肉の一つでも言わなければ気が済まないと言っただけだ。
だが、それに気付いていないのか、気付くつもりもないのかクローシスは尚も飾らぬ言葉を口にする。
「女性を立たせたままというのも男性の沽券に関わると聞きました。出来の悪い男性に対する気遣いというやつです」
声色は、出来る私に感謝しなさい、といった風態であるが、その口元に得意気な様子はない。
言うなれば、人形が無理やり感情を演じている不気味さがある。
だが、その言葉を聞いた男は盛大に笑い飛ばした。
「誰だそんな出鱈目なことを言った馬鹿は。立つ立たないに性別なんざどうでもいいだろうが。座る権利も、座らない権利も、それを持つのは強者だけだ」
男にとっては強さこそが全てにおける基準である。
強ければ何をしても赦される。
いや、赦しなど求めてはいない。
ただ、その強さ故に罰せれる者がいないだけだ。
「・・・・・・ならば、貴方は立つべきでは?」
驚くことに、憚ることを知らぬくらい無遠慮に、クローシスは男に対してそう嘯いた。
当然ながら、男を舐めたその言動に対する返答は血が通っていないような冷たいものである。
「ほう、この俺を下に見るか雑兵風情が。如何に全盛期と言えずとも、貴様程度を屠ることなど容易いぞ?」
目に見えぬ死神の鎌がクローシスの首に纏わりつくが、クローシスは尚も表情を変えはしない。
クローシスはその言葉が虚勢ではないことは分かっている。
「確かに今の貴方でも全力でぶつかれば、私とてタダでは済まないでしょう。ですが、全力で来れるのですか?」
煽りなどはない。
ただ純粋なる疑問。
そもそも、クローシスに誰かを嘲笑するといった感情はない。
そんなことをする必要はないのだから。
それが分かるからこそ男もまた舌打ちをするしかない。
しかし、次に男が口を開く前に、クローシスが口を先に開いた。
「冗談です。やはり、私には言葉によるコミュニケーションというものはわかりませんね。楽しませる、というのはかくも難しいものなのですね」
わざとらしく、少し落ち込んだような表情をしているクローシスに男は口元を歪ませ睥睨した。
「・・・・・・この俺を弄するか。貴様はある種、純粋すぎるな」
呆れを含む声色で、馬鹿にするかのようにそう吐き捨てた。
先ほどの言葉といい、男の言葉へといい、少々間に受け過ぎである。
目の前の女には冗談も通じぬかとつまらなさそうに嘆息した。
「それで、先ほどの話の続きは?」
クローシスは特に気にした風もなく続きを促した。
だが、それもまた珍しい光景だ。
「なんだ?珍しく積極的じゃねぇか」
「・・・・・・詫びのようなものです」
クローシスは詫びのつもりか目を閉じ、声の語調が少しだけ弱い。
「はっ、随分しおらしいじゃねぇか。どうせただの戯言だ。そう気にすることはない」
所詮、今までのやり取り全てが暇つぶし。
戯言相手に怒る気も、気分を害することもない。
そのくらいの軽口を許すくらいには目の前の存在を認めている。
「続きか・・・・・・、まぁ、それこそどうでもいいが、どうせまだあの三文芝居も終わらねぇんだ。舞台の幕間に話を弾ませるのも一興か」
男は『???』の振る舞いが見るに堪えなかった。
弱者の振る舞い、弱者の思考。
どれも許容できるものではない。
赦されるならば今すぐに自身の手で殺したいほどに。
劇というものは共感でき、先が分からぬからこそ面白い。
ただグダグダと先の読める展開を見せられるなど興醒めもいいところ。
だからこそ、座に堪えぬとばかりに、今なお『???』が少年達を痛めつけるだけの舞台を観るのをやめていた。
「そうだな、人間という種がどれほど愚かなのか。それを貴様に教えてやろう。強き者が生き残るのは自然の摂理だ。覆しようもない事実だ。だが、その理に背くのが人間という種だ。誰がそんなくだらねぇ道理など奴らに与えやがったのか」
男は非難するような流し目をクローシスに送るが、クローシスはそれを不思議に思うだけ。
無駄な時間を取ったと、男がそのまま口を開く。
「人間共の愚かしさの象徴とも言えるのが法だ」
「法、ですか」
クローシスはおうむ返しのように聞き返した。
「ああ、人間共はわざわざ弱者を守るための法を作る。弱者が弱者のままであっても生きられるように、強者が強者として振る舞えぬように・・・・・・。誰もが平等に、そして不平等に。強者が弱者を自由に食えないように法で縛るんだ。信じられるか?強者が弱者の顔色を伺いながら、我慢しながら暮らしてるんだ。そして、弱者はそれを当然の権利だと、我が物顔で権利を行使し、強者はそれを仕方なしと甘受する」
傲岸なる目の前の男の嘆きとも言える言葉。
その言葉にどのような想いが込められているのかクローシスには分からない。
だが、それを考える必要はない。
口にするのは自身の想いのみ。
「正気の沙汰ではありませんね。だから、私は人間というものに興味が持てません。一体あの者達は何が楽しくて人間などを観察しているのでしょうか」
人間など、心底どうでもいいといった様子でクローシスは言葉を吐き捨てた。
理解できない存在であり、理解するつもりもない存在。
それがクローシスにとっての人間と呼ばれる種族。
男は、そのクローシスの言葉への答えを持ち合わせていたが、それを言うことはない。
言っても無駄だからだ。
無駄なことはしない。
「ああ、くだらねぇな。だが、そんな法を制定しているのも当然強者だ」
その言葉が吐き捨てられてから、時が止まったかのような静寂が少しの間この場を支配した。
クローシスが男の言葉の意味がすぐには消化出来ず、訝しげな表情を浮かべたからだ。
「・・・・・・それならば別におかしくないのではないですか?強者が定めた法ならば従うのが道理です。強者の箱庭にいる者は悉くが弱者であるのですから」
予想していた返答に男が含み笑いを漏らす。
男は存外静かなる声で、そして今までにないほど真剣な眼差しで問うた。
「お前らの強者の基準とはなんだ?」
クローシスの返答など分かりきっているが、それでも敢えて聞いた。
聞かなければならない。
「・・・・・・? それは当然位階の高さでしょう」
さも当然のように、それ以外の強さなどあるのかと言わんばかりの態度であった。
この者達にとっては純粋な力こそが自らの価値であり、全て。
それ以外の要素全てが瑣末な事。
「そうだ。より強い力を持つ者が上に立つ。そしてその者が統べる。それが当然だ。それこそが俺らの大義であり、真理である。だがな、人間の言う強者ってのは単純な強さじゃねぇんだ。権力、金、武力・・・・・・、奴らの考える強さには種類がある。その中で最も影響を与えるのが権力だ。あの世界で最も強い人間は、騎士か?魔法師か?いや違う。たかがふんぞり返っているだけの貴族という弱者が強者として君臨している。何も出来ぬ王などという存在が、自身よりも強い者に命令を下す。おかしいと思わないか?騎士共も、魔法師もその気になればあんな弱者、いつでも殺せるのに殺しやしねぇ。たとえ自らが殺されるってときでさえ奴らは抵抗しねぇ」
そんな馬鹿な行いをする者を蔑視するかのように男は吐き捨てた。
なぜそんな至極簡単なことも出来ないのかと。
不快と感じれば殺せばいい。
そのせいで誰かが襲ってこようが、そいつも殺せばいい。
その末に死んだのならばそれは弱い自分が悪いだけ。
だからこそ、この男は憚りなど持たぬ。
自身の思うまま、したいままに振る舞う。
「・・・・・・何故なのです?」
クローシスのその言葉にも、表情にも、微塵たりとも興味の色はない。
だが、どことなく不機嫌そうな声色であった。
が、男にはクローシスの態度などどうでもいい。
別に何かを言うことでそれに対する同意を求めているわけではないのだから。
舞台の合間のただの雑談。
そこに意味などない。
にもかかわらず、言いたいことを言うだけのはずの男が刹那、口籠もる。
何を躊躇うことがあるのか、その方がクローシスの興味を惹いた。
「・・・・・・貴族共が決めた法があるからだ。貴族であるというだけで、たとえ何の力も持っていなくとも身分が下のやつは逆らえねぇ。所詮、王侯貴族など、奴らが勝手にそう定めただけの見せかけの権力でしかねぇのによ。王も、貴族も、元を辿ればただの人間だ。平民と同じ血が流れている」
産まれながらに貴族であるなどという種族は存在しない。
貴族というのも勝手に人間が定めた身分。
所詮は同じ人間。
国ができる前まで遡れば、誰しもが同じ身分。
だが、クローシスは男の言葉に釈然としない想いを抱いていた。
この男がこんなくだらないことをわざわざ話すかと。
「・・・・・・生態系の構成はその種族によりけりでしょう。人間という種族が愚かであるということに変わりはありませんが、彼らがそう定めたのならそれが道理なのでは?」
その言葉を聞いた男は耐えきれないかように哄笑した。
その憚りすら知らぬほどの笑い声にクローシスが困惑の表情を浮かべるほどに。
だが、一頻り笑い終わった男の表情が一変した。
いや、変貌した。
悪魔のような形相に。
「貴様がそれを言うか。人形風情が」
その声は針のように鋭く、鈍器のように重たい。
何が男の逆鱗に触れたのかは分からない。
だが、男が戯言で処理出来ぬほどの激情をその身に迸らせたのはわかった。
「さらに、度し難いのは、奴らのように弱者の分際で勝手な法を作る下郎共の存在だ。武力も持たぬ権力者が強者として振る舞うのはまだ許せよう。そいつらの箱庭でどうしようが俺には関係がないからな。俺に干渉してくるならば殺せばいい。だが、人間は何も持たぬ弱者にも関わらず法を敷く。これは度し難い、赦し難い、見るに堪えん」
椅子に座っていた男がいつの間にかクローシスの目の前に立っている。
その手には装飾が施された赤黒い光沢を発する漆黒の剣が握られている。
この男がただ一つの願いを叶えるためだけに創造した、万物全てを因果に関わりなく屠る宝剣であり、神剣、魔剣とも言える至上の一振り。
因果の枠からはみ出している死せぬ神々すら消滅させ得る理外の一刀。
それを見たクローシスは顔を僅かに歪め、たじろいだ。
舐めていた。
目の前の男に、その剣を顕現させれるほどの力があろうなどとは思っていなかった。
だが———よく見れば、その威容は遥かに及ばない。
贋作、だが、それでも油断できるほど、優しいものではない。
何せオリジナルを持つ目の前の男が創った剣だ。
しかし—————もう目的は達成したとクローシスの口元に僅かな微笑みが浮かんだ。
その微笑みを見た男はクローシスから視線を外し、何かを見て憎々し気に歯を噛んだ。
「————貴様、これが目的か」
刺すような鋭い声がクローシスの耳に届いた。
舞台上では今まさに『???』の四肢が鎖によって縛り上げられている。
『封神天鎖』————万物全てを縛る牢乎の鎖。
力、記憶、感情、ありとあらゆるものを対象とし封じることが出来る神々を封じるために創られた百世不磨の神鎖。
「ええ、私は最初に言ったはずです。契約は絶対であると。それに、私にも思うところはあったので、個人的に謝罪も致しました」
いつ戦いになってもおかしくないと心の中だけで身構えたクローシスを嘲笑うかのように響いたのはまたしても嗤笑であった。
男の遠慮のかけらもない大笑がその口から放たれていた。
部屋にコダマする笑い声が消え、静寂がこの場を支配する。
男は誰に言うでもなくボソリと声を出す。
「舐めているのは、お互い様か」
それは静寂が支配していたこの部屋に殊の外響いた。
男は先ほどまでの怒りも、嫌悪も、嘲笑も何一つ浮かんでおらず、ただただ愉悦の笑みを浮かべているだけである。
クローシスは、怒るどころか笑みすら浮かべる男の様子に困惑し、尋ねずにはいられなかった。
「・・・・・・どういうことでしょうか」
その視線は刺すように鋭い。
美女の表情というのはたとえ怒っていたとしても、斯くも美しいという言葉を体現したかのような表情である。
クローシスは自らの目的は達成した。
いや、契約の義務を遂行した。
本来ならば、この男の目的とは遠ざかるその行為に、怒り狂い襲いかかってきてもおかしくはない。
むしろ、襲いかかってこないのが不思議ですらある。
この男がその気になれば誰であろうと活殺自在に殺し尽くし、世に放たれれば屍山血河となるのが如実に目に浮かぶ。
だからこそ、封じられている。
いや、封じさせてもらっていると言った方が正しい。
実際には封じているということすら正しくないのであるが。
本来ならばあり得るはずもない変異種。
最上級の神格を持つクローシスでさえも、一度はこの男の前に膝をついた。
「貴様ら、あの程度で封じたつもりなんだろうが・・・・・・、俺の根源はあんな玩具で抑え切れるほど軽くはねぇよ」
そこに浮かぶは、今度こそクローシスを嘲笑するような笑みであった。
神々すら縛る神鎖を玩具呼ばわり。
確かに、神々の中でも頂点に属する神々ならばあの鎖すら退けるかもしれない。
だが、あの人間がその因果を断ち切れるほどの力をあるなどとは思えない。
「しかし、記憶も消えてしまいます。それに、漏れ出た力程度では———」
焦ったように言い募るクローシス。
だが、その言葉も男の笑い声によって遮られる。
「クハハハハハハ、記憶が消えようが、その内に秘める想いまでは消えねぇよ。まぁ、見てろよ。すぐに現世に地獄が顕現することになるからよ」
クローシスはもはや何も言えない。
ただ見ていることしか出来はしない。
「だが、安心しな。貴様らの言うことにも一理あると思ったからこの契約を受けたんだ。なればこそ、それを疾くも破る気などありはしない。せいぜい貴様らは祈っときな。どうせお互い干渉することなんざ出来やしねぇんだからよ」
舞台に干渉できるのは役者のみ。
観客でしかない男とクローシスはただそれを眺めるだけ。
そうあるべきであり、それでこそ己の渇ききった盈虚な心を慰撫出来ると満ち足りた笑みを浮かべる男は崩れゆく世界を視界に収め、その笑みを邪悪に染めていった。




