62話
「パパ‼︎寝るならベッドに行ったほうがいいよ?」
娘である真由に声をかけられソファでうたた寝しかけていた『???』の意識が覚醒した。
「ああ、少し疲れているようだね。最近仕事が忙しかったからかな・・・・・・」
『???』はなんだか悪夢でも見ていたかのように気分が悪かった。
「それじゃあ肩を揉んであげる〜」
真由はそう言い、小走りでソファの後ろに回った。
「そうかい?ありがとう」
娘の真由の優しさに『???』は嬉しそうに声を上げた。
なんだか気分も少し晴れた気がする。
しかしふと疑問に思った。
「そういえば真由は今何歳だっけ?」
なんでこんな疑問が浮かんだのかもわからない。
でもなぜだか聞かないといけないと思った。
「・・・・・・え〜、忘れちゃったの?・・・・・・11歳だよ?」
明らかに不機嫌そうな声になった真由に『???』は慌てて弁解した。
「あ、いや、忘れたわけじゃないぞ?ただ寝ぼけて記憶が混乱していただけだ」
真由はジトーと『???』を見たが、やがて諦めたようにため息を吐いた。
「まぁ、そういうことにしてあげる。あ、それじゃあ今度ライムズモールに連れていって‼︎買いたい服があるの!」
ニンマリと笑みを浮かべ抱きついてきた娘の頭を撫でながら『???』は満足そうに笑みを浮かべた。
「わかったわかった。今度のお休みに連れていってあげよう」
娘を宥めていると別の人物の声が聞こえてきた。
「どこに連れていくの?」
娘とじゃれていると妻である優奈が洗濯物が終わったのかリビングにやってきた。
その妻を見た瞬間に『???』の目から一筋の涙が出てきた。
「どうしたの?」
「大丈夫?」
娘と妻が心配そうに聞いてきていた。
「え?ああ・・・・・・、ちょっと目にゴミが入っただけだよ」
腕で目を擦りながらそう答えた。
「そう、それなら良いんだけど・・・・・・」
それでも心配そうに見つめている妻であったが、『???』は自分でも何故出たかわからない涙に困惑していた。
だが、その時はとくに気にすることなどなかった。
それからは毎日仕事に行って、家に帰っては妻と娘と団欒するというごくありふれた幸せな日々を送っていた。
仕事も順調であり、このままいけば近いうちに昇進することが決まっている。
これ以上ないくらい幸せの絶頂であった。
だが、『???』は幸せを感じるたびに胸の奥がチクリと痛んだ。
最初は小さな針で刺されるような痛みだったそれも日が経つごとに、まるで図太い大きな針で刺されているかのような痛みになってきた。
その程度がどんどんひどくなり、一度病院にも行ったが何も異常はなくこれ以上ないくらい健康であると言われた。
病院に行って、問題ないと言われたためか幸せを感じても胸の痛みが起こることはなかった。
それに幸せを感じて胸が痛むなど聞いたこともない。
ただの気のせいだったのだろうと幸せの日々を送る中でその痛みのことも忘れていった。
毎日変わらぬ日々を過ごして30日が経過した。
今日は家族で出かける日。
朝から車でお出かけしライムズモールへと向かった。
娘も妻も上機嫌である。
服を買ったり、アクセサリーを見たり、玩具屋さんに行ったり。
娘を甘やかしすぎて色々買いすぎてしまい妻に怒られたりといつもの日常を何気なく送っていた。
——イツモノ?
「パパ、トイレに行ってくるね?」
『???』が自分の思ったことに疑問を抱いていると娘が話しかけてきた。
「ああ、行っておいで」
娘と妻がトイレに行き、『???』はその間1人で待っているのだが、いかんせん荷物が多いため座れるところを探して人通りの少ない隅にある長椅子に荷物を置いて座って待つことにした。
椅子に座って一息ついていると、服を引っ張られる感覚がした。
「ねぇ」
人通りの少なく隅のベンチに座った『???』はさっきまでそこに誰もいなかったと思っていたのだが、そこには金髪で黒目の西洋の顔立ちの子供が座って『???』の服をちょこんと持って引っ張っていた。
いま居る長椅子に来るまでの道は一つ。
誰かが来たならば気づいても良さそうなのだが、全く気配を感じなかったため、『???』はびっくりした。
「えっと、・・・・・・何かな?」
明らかに日本人ではないので一瞬日本語が通じるかと考えたが先ほど日本語で話しかけられたようが気がするのでとりあえず日本語で話した。
「いつまでそうしているの?」
「え?・・・・・・いつまでって妻と娘が戻ってくるまでかな?」
「妻と娘なんてもういないのに?」
薄く笑みを浮かべたその少年はこともなげに疑問を問いかけた。
「え・・・・・・?いやいや?普通にいるけど?さっきまで一緒にいたし・・・・・・。えっと、誰かと勘違いしているのか?それとも迷子とか?」
突然の言葉に当惑した『???』は意味のわからないことを言う子供が日本語が一見流暢であるが実はうまく扱えていないのかも、と考えたりしていた。
「ねぇ」
そう考えていると再び子供に呼ばれた。
考え込んでいた『???』が再び子供を見ると、その黒い瞳を直視することとなった。
黒より更に黒い漆黒の瞳に『???』は薄気味悪さを覚え、目を逸らそうとしたが意志に反してその瞳から目を離すことが出来なかった。
吸い込まれるようにその瞳を見つめていると少年は狂気さえ孕んだ笑みを浮かべ始めた。
「君の妻と娘は殺された。仕事から帰ってくると無惨に凄惨に殺されていた。そうだろう?」
一瞬この場で妻と娘に何かあったのかとガタッと椅子から立ち上がったが、その後の言葉でそうではないのかと思いむしろ困惑が広がった。
「えっと・・・・・・、今子供の間で流行っている遊びか何かかな?ごめんね。私はそういうのに詳しくないんだ。他を当たってくれるかな?それとも迷子センターにでも連れていったほうがいいのかな?」
手に負えないと判断した『???』は、これ以上子供の言うことを真に受けるのはやめようとした。
そのとき、待ち望んでいた声を聞いた。
「パパ、その子だあれ?」
如何にありえないとは思いつつもやはりあんなことを言われれば不安にもなる。
「ああ、おかえり。えっと、それがパパにもよくっ・・・・・・う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
『???』が娘と妻の方を振り返ると目がなく首は折れ曲がり至る所から血を流している娘と妻の姿に思わず叫び声を上げた。
「いま、お前は幸せか?万福か?だが、そんな幸せはただの幻想に過ぎない。間違った世界のもしもの話だ。さっさと目を覚ませ。手遅れにならないうちにな」
聞き慣れない少年の声がして咄嗟に振り返ると先ほどの子供がそのまま少年になったような人物がそこに立っていた。
その腰には剣らしきものを携えている。
それを見た『???』が顔を引き攣らせ、一歩後ろへ下がった。
もう何がなんだかわからないと頭が真っ白になった。
が、すぐに『???』の娘と妻が突然叫び声を上げた『???』に駆け寄ってきた。
冷静になり改めて見ると娘と妻の姿は普通であり、叫んだことで掛けつけてきた他の客からも視線が集まっていた。
(げ、幻覚か?だが、幻覚にしては・・・・・・。やはり私はどこかおかしいのかもしれないな)
『???』は恥ずかしくなり頭を下げながら足早にその場を離れていった。
車での帰り道に『???』はあの男に言われた言葉が耳にこびりついていた。
(間違った世界ね・・・・・・。この世界が間違っているのならその考えこそが間違いだな。こんなにも平和で幸せなんだ。・・・・・・ん?そう言えば)
「なぁ、この前の戦争ってどうなったんだっけ?」
特になんでもない風に、それこそただの日常会話の延長のように『???』は妻に対してそう言った。
「え?なんの話?」
突然の突拍子もない話題に面食らった妻は鳩が豆鉄砲でも食らったような顔になっていた。
だが、『???』は運転しているためそんな妻の表情など気がつかない。
「いや、ほら、ダンケルノとワイルボード侯爵家の間でやったじゃないか。どうも結末がどうだったのか思い出せないんだ」
「なんの話?ドラマかしら?あなたドラマなんてあんまり見ないのに・・・・・・」
貴族の話が出れば流石に現実の世界ではないと思った妻は知らず知らず安堵の息を漏らした。
心の底で最近のおかしな夫の言動を心配していたのだ。
「違う違う!私が参加したじゃないか!ほら、クレマンとかコルドーとかパラクと一緒に・・・・・・」
『???』は必死になって説明した。
だが、それに反比例するかのように再び妻の困惑は広まった。
「ゲームの話?会社のプレとかで何かに参加したの?」
必死に常識の中であり得そうなことをかき集める。
「いやいや、現実の話だよ。剣を持って戦ったじゃないか」
少し懐かしげにも誇らしげにも見える表情を浮かべる『???』を見て妻の困惑は最高潮に達した。
「何を言っているの、あなた?やっぱりどこかおかしいんじゃないかしら。すぐに病院に行きましょう?」
妻は本気で心配そうな表情を浮かべ泣きそうになりながら病院に行くことを勧めてきた。
「ええ?なんでだい?確かに叫んだのは悪かったけどあれは疲れていただけだって。今だってちょっと忘れてしまっただけで・・・・・・」
しかし『???』にはこんなに鮮明に記憶があるのに何が何やらわからなかった。
「忘れたとかそういうことではないの。この平和な日本のどこで戦争なんて参加するのよ。ダン・・・・・・?、とかなんとかって貴族が日本で戦争なんてするわけないでしょう?ねぇ、本当に大丈夫?」
妻は本当に心配そうに眉を寄せながら『???』に縋った。
「パパ、大丈夫?」
娘もまたそんな妻の様子を見て、心配になったのか不安げな表情を浮かべていた。
『???』は一旦車を止めた。
そして妻と娘を見た。
妻と娘は本当に心配そうに『???』を見ていた。
だが、『???』は気づいた。
「疲れているのよ。早く家に戻って休みましょう?」
妻は『???』にそう急かした。
だが、『???』は気づいてしまった。
「パパ、早く帰ろう‼︎お腹すいた〜」
『???』は、——そうだね、早く帰ろうか——、そう言えたらどれだけいいかと奥歯を噛んだ。
だが、それはもはや出せぬ言葉。
未練はある。
後悔もある。
だが、行かねばなるまい。
そうでなければ、更に後悔することになるのだ。
それにもう十分だろう———。
「ごめんね。行かなくちゃいけないところがあるんだ。パパはね、・・・・・・帰れないんだ」
『???』がそういうと世界がぐにゃりと曲がった。
娘はまだ困惑げな表情を浮かべたまま、妻も心配そうに見つめているまま。
こんな表情で別れることに少しばかりの後ろめたさはあるが、気づいてしまってはもはや意味もない。
『???』は気づいたら家の前に立っていた。
だが、まだ昼だというのに空は真っ赤に染まり、家に入るなと心の底から誰かが叫んでいた。
心が家に入ることを拒否しているが、『???』は一歩、また一歩と家に近づき玄関の扉に手をかけた。
――∇∇――
「さぁって、そろそろ行こうかな?アーノルド様の世界はどうなっているのだろうか・・・・・・アハ・・・・・・アハハ、楽しみだな〜」
ロキは楽しそうに笑い声をあげるとアーノルドにターゲットを定めて精神世界へと入って行った。
ロキが目を覚ますと、とても大きな見慣れない廊下に寝ていた。
成功、成功、とロキは嬉しそうな笑みを浮かべ立ち上がった。
人が100人くらい横に並んで歩いても大丈夫なくらい通路は広く、天井も目を凝らしてやっと見えるくらい高かった。
そしてその廊下の至る所に高級そうな調度品が飾られており、一般人が足を踏み入れれるようなところではないという印象を受けた。
どこぞの王か成金か、いやたかだか一国の王だろうと成金だろうとこんな廊下を造ることなどできないだろう。
「城?宮殿かな?見たことがない場所だな。自国の王城もこんなところじゃなかったし・・・・・・。ということはこれがアーノルド様が未来に望む光景ということなのかな?」
ロキの術で映すのは何も過去だけではない望むことが未来にあるのならば未来に自分がどうなっていたいかということが再現される。
それゆえロキはこの宮殿が将来アーノルドが望む未来であると思った。
トラウマにしてはこんな宮殿など言ったことがあるはずがないし、こんなものが近くにあるなどロキの知る限りはない。
アーノルドの望みの一端を感じ取ったロキは嬉しそうに、見知らぬ場所を探検する子供のようにその宮殿の中を歩き回った。
だがしかし、ある程度歩いたが、ずっと同じような通路が続くだけであった。
そして気づいたのは人が1人もいないことである。
これだけの大きさの城だ。
使用人の1人くらい居ても良いはずだ。
「人が1人もいないのはアーノルド様が真に人を信じていない証・・・・・・かな?なるほど。だから周りに頼らずあれほど自分で力をつけようとしているということなのかな?まぁ本人を見つけないことにはなんとも言えないけどね」
この場所は人の在り方を映している鏡と言って良い場所である。
ロキは謎を一つ一つ解いていくような楽しさに上機嫌になっていた。
「しかし、これは広過ぎないか?いくらなんでも歩くだけで疲れちゃうよ。出口すら見当たらないし。こんな宮殿が本当に欲しいのか?それに本人はどこにいるんだ」
ロキがこの宮殿を見て回って既に半日が経っていた。
しかし一向に通路の終わりが見えず誰もいないためこの宮殿について聞くことすら出来なかった。
ループしているわけでもない。
廊下に置かれている芸術品は見ているだけでも面白いのだが————。
流石に飽きてきた。
ロキは人並みには芸術品に興味があるが、最も興味があるもの以外は基本的にどうでもいい性質だ。
もう限界だ。
ロキは無作法であるとは分かっているが、窓から宮殿を出ようとした。
いま興味があるのはアーノルドだけだ。
アーノルドがこの世界で一体何を見ているのか、何を感じているのか。
それが早く知りたいのだ。
窓の外は大禍時のように薄暗く、暗紅色の空模様であった。
ロキは窓を開き、その縁に手をかけそこから飛び降りようとしたが、窓の外に出ようとしたそのとき、見えない壁のようなものにぶち当たり廊下の中に勢いよく弾き飛ばされた。
ズサァと勢いよく床を転がったロキは、服についた埃を取るかのように手で払いながら起き上がった。
「いたたたた。入れないようにするならわかるけど出られないようにする意味ある?何これ、侵入者用の罠・・・・・・とか?」
ロキが思い至ったのはそもそもこの宮殿自体が罠なのかもしれないということである。
歩けど歩けど出口は見つからないしこれほど広いのに使用人の1人も見つからない。
「これは他人が自分に関わるなってことなのかな?でも残念だけど♪」
この技はロキのものである。
ロキが術者である。
それゆえ、たとえこの世界にどんな罠や攻撃を仕掛けられようと術者特権でこの術の中にあるものはなんであってもいじることができる。
この術の中ではロキは神のような立ち位置なのである。
「申し訳ないけど、ちょっと壊させてもらうよ〜」
窓に貼ってある結界のようなものを弄り外に出ようと試みた。
だが———。
「っ⁉︎————グハッ‼︎」
その瞬間ロキに得体の知れない力が襲いかかり窓とは反対側の壁へと勢いよく叩きつけられた。
壁が凹むほどの威力。
(ば、馬鹿な・・・・・・。この中は僕の領域内だぞ?なんでダメージを受ける⁈)
ロキは痛みに歯を食いしばり、驚愕の表情を滲ませた。
不測の事態であると理解し、ロキは即座に壁から抜け出し一旦この世界から出ようと試みた。
だが、出ることが出来ない。
「なんでだ⁈ここは僕の術の中じゃないのか?」
初めての事態にロキは冷や汗を浮かべて焦っていた。
一瞬罠に嵌められて別の術の中にいるのかと思ったが、自身の術が正常に作動していることは感覚的にわかる。
自身の術の中にいるが、ロキ以上の術者が何らかの干渉をしてきていると見做した。
そうでなければ辻褄が合わない。
ロキは自身のダメージの回復を試み、それが出来たことに安堵した。
事態の状況を把握し心に余裕が出来ると、廊下の向こう側から先ほどまでは確かになかった風が流れてきているのがわかった。
まるでロキを誘っているかのように。
「誘われている?・・・・・・面白い。僕の術に干渉できるだけの使い手か。あの中にそんなやつが紛れていたか?まぁ僕よりも実力が高いのなら気づかなくても無理はないか。それとも・・・・・・。アハハ、いいね面白くなってきた。予定調和なんてつまらないもんね⁉︎予測できない未来があるから面白いんだ」
ロキは迷うことなくその誘いに乗ることに決め、スキップする勢いで風が流れる方へと向かっていった。
ロキがたどり着いたのは凄まじい大きさの大扉。
扉は閉まっている。
どこから風が吹いていたのかはわからないが、そんなことはどうでもいい。
扉は横幅20m、縦は100mほどもある。
普段どうやって開けるのだろうかと考えていると、ゴゴゴと音を立てながら扉が開いた。
明らかにロキを招いている。
「アハ♪」
ロキはうれしくなり躊躇せずにその扉に入っていった。
 




