61話
「いつまで寝てるんだい‼︎ほら、さっさと起きる!いつものようにサボることは許さないよ‼︎」
突然頭に響き渡った女性の声。
クレマンが目を開けるとそこは見慣れた自分の部屋。
自分はベッドに寝ており、眉間に皺を寄せて上から見下ろしてくる女性と目があった。
「げ、ク、クソババア。無断で部屋に入ってくんなよ!」
クレマンは心底嫌そうな表情を浮かべて暴言を吐いた。
「師匠とお呼び‼︎それに私はまだ30代だ。ババアなんて歳じゃないよ。全くもう少しレディの扱いも学ばせるべきだね」
師匠ことエレナがクレマンの頭に拳骨を落とし、文句を言いながら部屋を出て行こうとし振り返った。
「朝ごはんだよ。さっさと起きな」
クレマンは涙目になりながら頭をさすりベッドから降りて顔を洗いに行った。
鏡に映るクレマンはまだあどけなさが残る美少年であった。
「いってぇ〜、絶対タンコブになっているよ」
顔を洗いブツブツと文句を言いながら食卓へと向かった。
そこでいつものように今日の鍛錬のメニューが発表された。
「今日はガボン山でブルックホーンを一撃で100匹沈めてきな」
「え〜、無理だってそんなの。あいつの皮めちゃくちゃ硬いじゃん‼︎」
ブーブーと不満を言いながら顔を顰めるとエレナが大声で怒鳴り散らした。
「良いからやるんだよ‼︎この前死にかけたあとに、師匠俺強くなりたい〜、って泣いて懇願してきたのは嘘だったのかい?」
エレナはニヤニヤとクレマンをからかうように声真似をしながらそう言った。
「な、泣いてなんかいねぇよ‼︎」
クレマンは顔を赤くしながら大声で否定した。
だが、エレナは真剣な目でクレマンへと近づいた。
「でもね、強くなることも大事だけどね。無茶はしちゃダメだよ」
優しい目でクレマンを見ながらクレマンの頭を撫でた。
「・・・・・・その無茶をさせてくるのが師匠なんだけど」
クレマンは半眼でエレナを見た。
師弟愛による感動など微塵もない。
だって無茶させてくる張本人が、無茶するな、などと言っても何の説得力も無いのだ。
しかし、エレナはニンマリと笑みを浮かべクレマンの髪の毛をぐちゃぐちゃとかいた。
「たかだブルックホーンくらいで何を言ってるんだい。お前なら大丈夫さ」
「クソババアの基準で言ってんじゃねぇよ‼︎硬えんだよ‼︎あいつ殴る度に拳が砕けたかと思うくらい硬えんだぞ⁈」
クレマンは必死に自分にとってはどれほど辛いことかを訴えた。
「でも砕けてはいないじゃないか」
だがエレナは心底わからんとキョトンとした顔でそう言った。
「クッソおおぉぉぉぉ」
クレマンは叫びながら駆け出していった。
結局その日クレマンは100匹のブルックホーンを一撃で仕留めることはできたが、その拳は2倍ほどに腫れ上がりベッドで涙していた。
それから数日が経った。
クレマンは毎日何らかの課題が与えられ、ときにはエレナとの組み手をして一日中を修練に費やしていた。
しんどいけれどクレマンにとっては楽しいいつもと変わらぬ平和な日常が続いていた。
そんなある日、エレナが朝食の際にクレマンに嬉しそうに話しかけた。
「まさかあのサボりにサボっていたお前がこんなにも修行に打ち込むとはね〜。師匠としては嬉しい限りだよ」
エレナはしみじみとそう言った。
「はぁ?何言ってんだよ!そんなこと当然だろ⁈もう2度と・・・・・・、もう2度と・・・・・・?」
クレマンは自分が言おうとしたことに僅かに違和感を抱いた。
「どうしたんだい?」
突然考え込んで動かなくなったクレマンを心配したエレナがクレマンに問いかけたが、クレマン自信何なのかわかっていない。
「え?・・・・・・いや、・・・・・・なんかわからないけどモヤモヤするというか」
「なんだいそりゃ?また山で変なもん食ったんじゃないだろうね?」
エレナはクレマンがまた言い返してくるだろうと思ったのだが、クレマンは俯いたまま何も言わなかった。
エレナは椅子から立ち上がりクレマンの傍へと寄った。
「本当に大丈夫なのかい?」
エレナは心配そうにクレマンに呼びかけた。
クレマンはゆっくりとエレナの方を向いた。
「師匠・・・・・・、師匠は最近いつ死にかけたっけ?」
弱々しく震える声でクレマンはそう問いかけた。
ありえない。ありえないのだ。
師匠が最近死にかけたことなどないはずだ。
師匠が死ぬなどありえない。
だが、なぜかクレマンの心の奥底から師匠は死んだという声が聞こえてくるのだ。
「? 何を言っているんだい?向かうところ敵なしの私が死にかけるはずないじゃないか」
エレナは自信満々に胸を叩きながらそう答えた。
望んだ回答だった。
だが、違う。そうではない。
どれだけエレナが、そしてクレマン自身が否定しようとも、もはや否定できぬほどエレナの最後の光景が頭から離れない。
いま目の前にいるエレナと地に伏して血を流し動かないエレナがどうしても重なってしまう。
クレマンは、ああこれは幻だ、と理解した。
師匠は確かに向かうところ敵なしだった。
その強さゆえに先代の公爵様が自らスカウトに来るくらいには。
だが、その強さも護る者が居ては万全ではなかった。
あの日も特に変わりのない日であった。
だが、日常というのはいつだって突然壊れるのだ。
そいつは突然やってきた。
いま思えばそいつは師匠のその力が公爵家へ流れるのを恐れていたのだろう。
師匠の技は誰も真似できぬ一子相伝の技。
そのために自身の陣営に先代の公爵がここに来るよりも先に引き込もうとした。
だが、師匠はどの陣営にも従うつもりなどなかった。
私がいたからだ。
私が一人前になるまでは何があっても面倒をみると決めていた。
それゆえそいつの頼みを断ったのだが、そいつは
——『なら、そいつがいなくなれば解決だね』
そう不気味に笑って私に襲いかかってきた。
そのときの私にはその攻撃など見ることすら出来なかった。
気づいたときには師匠の腕の中におり、師匠が血を流していたのである。
——『へ〜、今のが間に合うんだ。余計に欲しくなっちゃったな。僕の玩具になれば生きていなくても別に問題ないよね?』
私はそう言い邪悪に笑った『傀儡士』の顔に震えることしか出来なかった。
師匠に逃げろと言われた。
庇いながら戦える相手ではないと。
だが、その当時修行など本気でやっていなかったサボり魔であったため、別に殺気を向けられたわけでも重圧をかけられたわけでもないにも関わらず足がすくんで動けなくなった。
それを見たエレナはギリっと歯を食いしばり私にそこから絶対に動くなと言った。
そして『傀儡士』との戦いに臨んだのであるが、『傀儡士』はことあるごとに私を標的にした。
さらに最初に私を庇った際の傷は浅いものではなかったため徐々に師匠の動きに精細が欠けてきていた。
そして遂にそのときが訪れた。
私はなんとかしようと短剣を取り出したはいいが震えからそれを取り落とした。
それを『傀儡士』の操る傀儡に拾われたのである。
そして私を庇い師匠が私の前で胴体部分を貫かれた。
わざわざその短剣を使わずとも殺せたにもかかわらず悪趣味にも『傀儡士』はそれを使ったのである。
『あはは、僕も結構玩具を消費しちゃったよ。でも君1人いればお釣りが来るから問題ないね』
そう言い狂気に満ち笑っている『傀儡士』の姿と師匠の背中は今でも鮮明に思い出せる。
その後、私のことなど眼中にないのかその場で師匠を自らの傀儡にしようとしたときにさえ私は動くことすらできなかった。
しかしその時すぐに先代の公爵とその配下が来たのである。
傀儡士は結局、師匠を傀儡にすることは出来ずに撤退していった。
その後、私は公爵とともにダンケルノ公爵家についていき騎士となった。
自らの不甲斐なさ、修行をサボっていなければという後悔。
それら全てが私を修行へと打ち込ませこれまでの人生で一切の妥協を許さなかった。
そしていつしか公爵家の使用人達の中で他の追随を許さぬほどの強さを手に入れた。
師匠の技は全て継承してもらうことはできなかったが、自分なりに考え改良し師匠の技をどうにか再生していった。
先代公爵に自らの直属の騎士にならないかという勧誘も受けた。
使用人としては最大級の評価であり、これ以上ない名誉なことであった。
だが、私はその勧誘を断った。
いま私の胸にあるのは傀儡士への復讐だけ。
先代公爵様には助けていただいた恩も師匠をしっかり弔うことができた恩もあった。
だが、それゆえに迷惑はかけられなかった。
もし任務の最中に傀儡士と遭遇した場合、私は自らを抑え付けれるのかわからなかった。
公爵様の命令と自らの悲願。
これら二つを天秤にかけ、命令を選び抜ける自信がなかったのである。
絶対に無理だという確信もあった。
クレマンが幻であると理解すると同時に目の前の情景がまるで蝋が溶けていくかのようになくなっていった。
クレマンは蝋のように頭から溶けていっており、心配げな表情でクレマンを見ている師匠を悲しくもあり、嬉しくもあるような表情で見ていた。
そして突然、場面が変わりあの日になった。
師匠が死んだあの日。
目の前にはあの『傀儡士』がいる。
そして師匠が私の前に立ち私に逃げろと叫んでいる。
選択の時が来た。
昔のクレマンは足がすくんで動くことすら出来なかった。
だが、今のクレマンは違う。
「いいえ、師匠。逃げる必要などございません」
今まで使ったこともないような丁寧な口調で話すクレマンに一瞬戸惑いの表情を浮かべるエレナを庇うようにクレマンは前に出た。
「ば、ばか———」
「へぇ〜、君が囮にでもなるのかい?それとも彼女のために死ぬ覚悟が出来たとか?」
エレナは慌てて下がるように言おうとしたがそれを遮るように『傀儡士』がクレマンに話しかけた。
「いいえ、どちらも違います。私はあなたを倒すために来たのです」
少年のものとは思えぬ鋭い目付きで『傀儡士』を睨みつけた。
「ははは、あの程度に反応できなかっ・・・・・・、ゴフッ、え・・・・・・なん・・・・・・で?」
傀儡士の顔から下が消失した。
何一つさせずに、喋ることすら許さずに殺した。
自身の欲など満たす必要はない。
ただ師匠を守ればいいだけ。
それだけがクレマンの望み。
「あ、あんた・・・・・・」
エレナは突然の出来事に言葉を紡ぐことすら出来なかった。
いまのクレマンの実力はエレナの比ではない。
「あのとき、あのときの私にこれほどの力があれば・・・・・・。はぁ・・・・・・、いえ、無駄な仮定ですね。師匠・・・・・・、どうですか?あなたの弟子は立派になったでしょうか?」
例え、クレマンが真面目に修行していたとしても逃げることも『傀儡士』を倒すこともできなかっただろう。
だが、そう分かっていても考えるだけ無駄な仮定を考えざるを得ない。
それほどクレマンの後悔の念は深い。
既に本物の師匠ではないと認識しているが、それでも師匠の形をした、クレマンの記憶から作られた師匠に今のクレマンを認めて欲しかった。
それがたとえ仮初のものだと分かっていても。
「・・・・・・ああ、お前は今も昔もどこに出しても恥ずかしくない立派な弟子さ」
エレナが微笑みを浮かべてそう言うと、目の前の情景が光の粒子となって消えていった。
そしてゲームにクリアしたと示すCongratulationという文字が現れクレマンの意識は沈んでいった。
目を覚ましたクレマンはひとまず周りを確認し、時計を見た。
15分。
夢の中では数日以上過ごしていたが実際にはその程度の時間しか経過していない。
「はぁ、傀儡士に一撃入れたことで気が緩みでもしましたか・・・・・・」
クレマンがロキのこの術を受けるのは初めてではない。
そもそもこの術を発動するだけならあの死神の力など借りる必要はない。
これだけの人数全てに術をかけるための大規模魔法にするためにあの死神を現界させたのだ。
それにロキが単体で発動するよりもかなり強力な術になる。
ロキのこの術では、まず本人が目指すものや望むもの望んだものなどが見せられる。
それを本気で目指す者ほど現実との差に違和感を覚え抜け出すことができるが、幻程度で満足してしまう者ではその状態に満足してしまい、まず抜け出すことはできない。
自身の精神力が試されるテストのようなものである。
しかしとても悪質な。
どれほどそれを手に入れたいのか。
口では本気であると言っていても本当かどうかわからない。
だが、この術はその程度を測ることができる。
口先だけの者ほど術に完璧にハマりその快楽に身を投じてしまうのである。
そしてその快楽から抜け出せた者が次に見せられるのは、その人物が最も悔いていることや恐怖していることやり直したい場面など負の出来事である。
クレマンならば師匠を殺されたあの日あの時がそれに当たる。
その日のやり直しが強要される。
精神の弱い者ならば、その重さに耐えきれず壊れてしまう者。
同じことを繰り返す者。
違う行動をしたが同じ結末を迎える者。
その結末を変えるために自身がどれほど強く渇望し努力してきたのかが試される。
実際やっている本人はこの間、術であるという自覚はないため、その渇望した結果が現実で起こるものとして直接的に反映される。
クレマンは2度目ということもあり、また実力的にはロキよりも上回っている。
それゆえ、師匠との邂逅の場面で自身の記憶を取り戻しており『傀儡士』との戦いでは今の記憶を持ったまま戦うことが出来た。
そして最後に師匠に問いたいことを問うこともできたのである。
1回目のクレマンがこの術を受けたのは数十年前。
未だに破られぬ記録は現実世界で5秒という時間で戻ってきた。
復讐の熱が全く冷めていない状態のクレマンにとって、師匠に対面した瞬間にその違和感を口にして終わった。
そして傀儡士との対戦。
何故かはわからないが自分が師匠を守るのだという、少年時代の当時ならばありえない想いを胸に抱き『傀儡士』相手にエレナと共闘することとなった。
結果は相打ち。
エレナを死なせることはなかったが、その代わりクレマンが傀儡士と相打ちで死ぬこととなった。
だが、その結果はクレマンにとっては勝利であった。
当時公爵の直属の部下でもないにもかかわらず使用人の中で最強と謳われていたクレマンに興味を持ったロキが今回アーノルドにしようとしていることと同じように精神世界に入り込んだ。
だが、たったの5秒という結末に思わずロキの顔も引き攣った。
ロキはそのときクレマンの過去を知った。
だが、大変なのはそこからであった。
現実に戻ってきたクレマンはより鮮明に思い出された師匠と傀儡士の記憶に触発され怒りを消すことが出来なかった。
その結果目の前にいたロキは失神し、その怒りの余波をくらい他大勢が被害を負ったのである。
結局、暴走状態となっているクレマンを止めるために先代公爵とその部下たちが来ざるを得なかった。
そうでなければクレマンの怒りが収まることなどなかった。
ロキに対してブチギレるかと思われたクレマンであるが、ロキが目を覚ますとまず謝罪してそのあと感謝の言葉を送った。
——『あなたのおかげで私のやるべきことが再確認出来ました』
そう言うクレマンの顔を見てロキは必死に顔を取り繕った。
怖いのだ。
目の前の男がどうしようもなく怖い。
クレマンが『傀儡士』の顔を忘れることなどなかったが、幼いときにパニックになっている状態で見たためしっかりともう一度確認できたのもよかったとその顔には畜生に落ちた獣のごとき表情が浮かんでいた。
それがクレマンの1回目であった。
それに比べれば今回の結果は耄碌していると言えるだろう。
だが、クレマンの心は満たされていた。
もう一度会えたなら聞きたい言葉。
師匠がクレマンに望んだこと。
それが果たして成せているのかどうか。
復讐しか胸にない自分が果たして立派なのかどうか。
クレマンの心が作った幻とはいえその答えが聞けたのはよかった。
クレマンの頬に一筋の涙が滑り落ちた。
涙を指で拭うと周りを再確認した。
未だにクレマン以外に目覚めている者は居りそうになく、化け物に支えられ空中に浮かぶロキも化け物どもに支えられている状態になっていた。
(この術の間は誰にも危害を加えることはできませんが、警戒はしておかなければなりませんね)
ロキの意識がないということはおそらく宣言通りアーノルドの精神世界に旅立っているのだろう。
この術の制限時間は現実世界で3時間。
その間にクリアしなければその魂はロキの自由となる。
殺すも生かすもロキ次第。
それがこの術なのである。
最速記録はクレマンが所持しているが、そもそも術にかけることが出来なかった者が2名。
それが先代公爵と現公爵なのである。
それゆえ基本的にこの術は必中と考えてよい。
だが、その結果は相手の行動、精神によって左右されるため殺すことを目的にしていない。
人間観察が趣味のロキらしい能力なのである。
むしろ強い者ほど術のゲームにクリアするため、相手を殺すという意味ではこの術は大して強くない。
ただロキのお気に入りはキープしゴミクズはすぐに処理出来るようにと、それを短時間で見分けるためだけにロキが考えた能力である。
実際殺すだけならば、より凶悪な術をロキ使えるのである。
今回ロキがこの術を使ったのはアーノルドの過去や未来を覗き見したいという欲望のほかに、民兵などの残存兵の取りこぼしをなくすためである。
この術で手っ取り早く相手の命を握ってしまえばいつでも殺すことができる。
「ロキがまだ戻っていないということはそれだけの何かがあるということですね」
ロキの性格上、それが興味を惹くものでなければ途中であっても切り上げてくるだろう。
まだ戻っていないということはアーノルドにそれだけ価値のある過去か未来があるということである。
主君の考えを覗き見するようで申し訳ない気持ちもあるが、クレマンはアーノルドの成長を自身の使用人としての一線を超えてでも望んだ。
例えそれがロキによって増幅されたものだとわかっていても。




