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【書籍化】公爵家の三男に転生したので今度こそ間違えない 〜黯然の愚者が征く己の正道譚〜  作者: 虚妄公
トライデント魔導王国編

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第2-37話

 三戦目の魔物と戦うアーノルド。


 二戦目とは違い、たった一体の魔物——それも魔物の中でも強い竜型の魔物ということで流石のアーノルドも苦戦を強いられていた。


 だが——戦うこと十分ほど。


 龍の鋭い噛みつき攻撃を躱し、そのまま頭を足場代わりに飛び上がったアーノルドは空からの鋭い一閃によりその首を斬り落とした。


 それによって龍の形をした影は霧散して消えていった。


 アーノルドはその後に襲いくる疲労感により思わず膝をつく。


 即座に妖精がアーノルドを——そして場内を回復させるべく粉を振り撒き始める。


 次の舞台に備えろとでも言うかのようで忌々しげに顔を歪めた。


 二戦目の終わり、ここを形作るのに妖精が起因しているのならばと、試しに妖精達を斬ろうとしたが、それも徒労に終わった。


 そのため、いまのアーノルドは大人しく回復に努めている。


 あと二戦。


 いくら体の傷が回復しようとも気力と体力は完全には回復しない。


 まだ底をつくほどでも無いが、謂わばボス戦のラッシュといった感じ。


 精神の消耗がなかなか激しい。


 普通以上に消耗しているようにさえ感じる。


 これが『能力』によるものなのかただの錯覚なのかもわからない。


 そして今後何が出てくるか、そしてレヴォド本人をいつになれば倒せるのか。


 何より最後まで保つのか。


 アーノルドにも知らず知らずの内に焦りが芽生え始めていた。


 未だこの『能力』の全容が見えないが、少なくともアーノルドを疲れさせるというだけでも充分過ぎるほど役割を果たしている。


 それに加え、おそらくは強化したレヴォドと弱体化したアーノルドが最後には戦うことになる。


 アーノルドは思わず歯噛みし、苦々しく唾をゴクリと飲んだ。


 そして準備が整ったのか次の影が闘技場内に現れた。


 だがその影が現れた瞬間——アーノルドの全身の毛という毛が逆立つ錯覚を覚え、それまでの疲れなど見せない動きで思わず距離を取るように跳び退いた。


“それ”は今までで感じたこともない異質なる圧を放っていた。


 怨嗟、怨念、旧怨、仇怨、宿怨、積怨、憤怨。


 アーノルドですら怖気付くようなこの世を呪う恨みの感情。


 天地空全てに侵食する“呪”の発露。


 知らず知らずのうちに震える手に力を込めてそれを抑えようとするが、それでも震えは治らない。


 それは観客席にいるレヴォドですら例外ではなかった。


 全てを圧し潰すかのような圧迫感を受け、思わず目元を引き攣らせていた。


「おいおい……マジかよ……。これでも力が半減程度だと……?」


 闘技場と観客席を隔てる障壁がただ影が出す余波だけで軋んで悲鳴を上げている。


 もしあの影が完全体ならばレヴォドの力では抑えきれず今頃吹き飛んでいただろう。


 今まで呼び出した影の中でもダントツのヤバさを伴っていた。


「……あれと殺りあって生き残ったってか? 冗談だろう……?」


 レヴォドは思わず乾いた笑みを浮かべた。


“アレ”は話が通じるような者には到底思えなかった。


 レヴォドであっても、もし相対したならばすぐにでも逃げ出すことを選ぶだろう。


 逃げれるかどうかは別にしても、まず正面から戦おうなどとは思わない。


 そういう次元の生き物。


 戦おうなどという気すら根こそぎ削ぐような恐怖を心に植え付けてくる存在。


 強い意志を持たぬ者であればその眼前に前に立つことすら許されないだろう。


 影が自分を襲うことがないということがなければレヴォドは今すぐに影を消していた。


 それくらいの危機感と焦燥感をその影から感じていた。


 そしてこの四戦目からは影にも少し変化がある。


 影はまだ檻の中に閉じ込められているとも言える状態。


 それが今から真の姿で顕現する。


 ここからが終盤フィナーレへ向かう序章といったところ。


 レヴォドは無理やり作ったような笑みを浮かべる。



 一方、アーノルドは昂る気持ちを落ち着かせ、呼吸を整えるように息を吐いた。


 さっきまでの影などとは次元が違う存在。


 だがアーノルドは目の前の影に心当たりはなかった。


 これまで出てきた影は明らかにアーノルドが倒し、殺してきたモノ達であった。


 法則に則るのならば今度もアーノルドが殺したモノだろうと思っていたが、これほどの異彩を放つ者を殺した覚えはない。


 だがその謎もすぐ明らかになる。


 何か拘束でもされているかのように動きが阻害されている影の上空で数多の妖精達が踊り始めたかと思えば、その内の七匹が突如影に向かって突っ込んでいった。


 そのままスルリと吸い込まれた妖精達であるが、その後しばらくして影が纏っていた黒い靄が昇華でもしたかのように霧散して消えていく。


 アーノルドが警戒に目を細めると、そこから現れたのはもはや影ではなく人そのものであった。


 ゴキゴキと首を鳴らす茶白色の髪をした荒々しい気配を纏う青年。


 これまで会った記憶はない。


 だがその顔には見覚えがあった。


 いや、見覚えがあるは語弊だろう。


 実際見たことはない。


 だが誰かはわかった。


 歳は二十代といったところか、かなり若々しいがその顔には明らかにクレマンの面影があった。


 クレマンの境遇は知っている。


 師匠を亡くした後悔と怨嗟の念がどれほど深いか、いまもその仇を殺すべく行動しているはずだ。


 だがそんなことを知らずとも理解できてしまった。


 この目の前にいるクレマンは全てを殺し尽くす破壊の化身であると。


 この世全てを呪い殺すかのような殺意の放射。


 昔に感じた比ではなかった。


 そしてそれまでどこか虚であったクレマンの瞳がジロリとアーノルドへと向く。


 その傲岸さすら滲ませた双眸に見つめられ再び総毛立つ。


 だが臆しはしなかった。


 現代いまのクレマンには逆立ちしても勝てないであろうが、目の前にいるクレマンはまだ若い。


 十代と言ってもいいくらいだ。


 となればまだ師匠を亡くしてからそれほど年月は経っていないはず。


 クレマンは師匠を亡くすまで真面目に修行をしてこなかったと言っていた。


 ならばそれから修行をしたとして、その期間はアーノルドとそれほど変わらないはずだ。


 精々がその差、数年程度。


 アーノルドとて強さを手に入れるために死ぬ物狂いで鍛錬してきた。


 臆する理由はない。


 油断なくアーノルドが剣を構え、ふと瞬きに目を閉じ開けた瞬間——クレマンが視界から消えていた。


 そして次に認識したときにはアーノルドの横に並び立つように立っていた。


「ッ⁈ ……ぐっ⁉︎」


 気がつけば吹き飛ばされていた。


 だが反射的に動いた腕が辛うじて攻撃を防いでいた。


 防げたのは偶然。


 鍛錬によって刷り込まれた行動が功を奏しただけ。


 悠長に何が起こったのかを考察している時間もない。


 飛ばされた空中で体勢を立て直したアーノルドはそのまま迫ってきていたクレマンに向かって斬撃を放つ。


 だが一瞬クレマンが蜃気楼のようにブレ、その斬撃をすり抜けてくる。


「ッ⁉︎」


 既に間合いの中まで踏み込まれている。


 避けるのは無理だと判断したアーノルドは攻撃に耐えるべく身構えた。


 クレマンの打撃が腕にめり込むように叩き込まれる。


「グ、ッ……‼︎」


 ガードをしているというのに砲弾でも撃ち込まれたかのような衝撃が体に響いてくる。


 あまりの攻撃の重さに咄嗟に受け流す技を繰り出す。


 その技が決まりかけたその時——アーノルドは気がつけば地面に叩きつけられていた。


「グハッ……‼︎」


 一瞬の出来事すぎて何が何だか理解すら出来ていない。


 わかっているのはアーノルドを叩きつけたのはクレマンであることくらいだ。


 アーノルドは叩きつけられたことで肺にある空気も抜け切り、息ができない状況にあった。


 だがそれでもいま眼前の振り下ろしてきている拳を避けなければ死ぬことは分かる。


 アーノルドは力を振り絞り、転がり跳んだ。


 その瞬間、クレマンがそのまま殴り抜いた地面が崩壊し、地がひび割れた。


 放射状に拡がるひび割れがアーノルドを追うように迫り、呑み込んでいく。


 それを見たアーノルドは思わず舌打ちをする。


「……ッチ。何が昔は弱かっただ。十分化け物だろうが……」


 身体強化もなし。


 オーラもなしというただの殴りでこの威力。


 アーノルドでも不可能だ。


 これで弱いなどなんの冗談だと悪態を吐く。


 だが自然と口角が上がっていく。


 考えてみればいつ以来か。


 ここ最近研究ばかりで、命を賭けたような戦いを久しくしていない。


 神槍を持ったバルトラーも決して弱くはなかった。


 だが命を賭けた戦いであったかと問われればそれは否だ。


 終わってみればアーノルドには終始余裕があった。


 レヴォド本人と戦いあっている時も、命を賭すという感覚はなかった。


 レヴォド自身がアーノルドを殺す気がないというのもあるだろうが、それ以前にレヴォド本人からもそれほど覇気を感じなかった。


 だがいまは違う。


 命を賭した戦い。


 久方ぶりに心臓がバクバクと鳴るのが聞き取れる。


 そして相対する男からはヒシヒシと殺気のようなものが感じられる。


 それもその相手が普通なれば戦えないクレマンの若い時ともなれば、たとえそれがレヴォドの能力によって生み出されたものであっても気分が昂るというもの。


 レヴォドがいる手前、後の戦いのために魔法や体術といった手は極力使いたくなかったのだが、折角の機会。


 どこまで通じるか試さない方が損だろう。


 とはいえ、まだ四戦目であり、本命が他にいることも忘れてはいない。


 それゆえ奥の手を全て切るつもりはない。


 アーノルドが意識を変えると同時——再びクレマンが動き出す。


 だがアーノルドはその動きを目で追えていた。


 クレマンの動きを止めるべく、無数の小さな斬撃を放つが、その悉くが避けられ、当たると思った斬撃は拳によって素気無すげなく打ち払われた。


 アーノルドもすぐさま駆け出し、正面からクレマンに剣を振り下ろす。


 だがクレマンはあろうことかその剣に真っ向から拳を振り翳してきた。


 耳を劈くような金属同士の衝突音——剣と拳がぶつかったなどとは思えないような音が鳴り響く。


 アーノルドはクレマンが振り翳してきた拳の衝撃で大きく体を仰け反らせ、そのまま一転しながら着地した。


 クレマンも斬られた衝撃で十歩分くらい後ろへと退けられていた。


 そんなクレマンは追撃してくるでもなく、自身の拳を興味深げに眺めていた。


 僅かに滴る血からして、斬ることは出来たようだ。


 だがクレマンが拳を固く握ると流れ出ていた血が嘘のようにピタっと止まっていた。


 筋肉の収縮だけで傷を塞ぐなど、相変わらず化け物だなとアーノルドは苦笑するように口端を歪めた。


 とはいえクレマンの境地が分からぬ以上、最悪の場合いまのアーノルドでは傷一つ付けられない可能性すらあった。


 少なくともいまのアーノルドですら現代の本気のクレマンには全力で斬りかかろうとも傷一つ付けられない。


 そういう意味では最悪の状況は免れただろう。


 だが最悪は免れたが、状況は芳しくない。


 全力ではないとはいえ、真正面から斬りにいって、たかが薄皮程度の斬り傷など話にならない。


 アーノルドがクレマンの動きを見逃さないように剣を堅く構えると、ジッと拳を見ていたクレマンがニヤリと凶相を浮かべる。


「……テメェ、やるじゃねぇか」


「……ッ⁈ 喋った……、だと⁈」


 確かに人の姿は取っているが、ただの『能力』によって生み出された偽物レプリカが知能ある人間のように喋るなどとは思ってもいなかった。


 そんなアーノルドにクレマンが苛立たしげに目を眇める。


「……喋った? 当然だろうが。人間が喋ることがそこまで不思議か? まぁそんなことより、この俺に手傷を負わせるなんざ何年……いや、何ヶ月か……? どうにも記憶が曖昧でうざってぇが、……ともかく——その原因はテメェか?」


 傲岸な態度に怒りを滲ませ全てを圧し潰すような威圧を放ってくる。


 アーノルドも歯を食いしばり、体に力を入れることでそれを押し返すが、表情が歪むことまでは抑えられなかった。


 それを見てか、クレマンは嘲笑うかのように鼻を鳴らした。


「何だか知らねぇが、ただでさえ何か制限されているみたいに力が出せねぇ。その上、テメェみたいなガキに良いようにあしらわれるとは……冗談にしても笑えねぇな」


 現代いまのクレマンとは似ても似つかぬ口調に荒々しい気配。


 強さでいえばおそらく現代いまの方が強いのであろうが、それでも気配だけでこれが全盛期かと疑ってしまうほどに目の前のクレマンの威圧感は凄まじい。


「だが肩慣らしには悪くなさそうだ。どうにせよ、テメェを殺せばこのうっとしい縛りも消えて、記憶も戻るかもしれねぇしな」


 試してから考えればいいだろうとクレマンは殺意を剥き出しに睨みつけてくる。


 だがアーノルドはその場の空気になど気が付かないかのように口を開く。


「おい、貴様のいまの年齢はいくつだ?」


 その反応しつもんは予想もしていなかったのか、クレマンは一瞬呆けたような表情を浮かべる。


「……あ? 何だその質問は。……まぁいい、俺はいま二十一だ︎。……そういうテメェは何歳だ? あまり歳いってそうには見えねぇが、その技量なら若いってこともねぇだろ?」


「……十だ」


 その返答に対し、一瞬クレマンが目を丸くする。


「へぇ、十五はいっているかと思ったが、思ったよりも若ぇな。頭に乗るその態度もわからねぇでもねぇが——もう遊びも終わりだ」


 クレマンは殺意を滲ませつつ、瞬時に距離を詰めてくる。


 さっきまでより素早いといったわけではないが、クレマンの技量ゆえかさっきまでより段違いに受けにくい。


 受けようと思った瞬間どこか別のリズムの攻撃が来るといった変幻自在のスタイル。


 アーノルドは辛うじてガードをしているが防戦一方であった。


 防御しているとはいえ、その一発一発が体の芯に響く一撃だ。


 受け続ければそれだけで受ける体の部位が先に壊れてしまうだろう。


 いまのクレマンがしていることについてアーノルドは見たことも教えられたこともない。


 おそらく後に不要となり削ぎ落とされたスタイルなのであろうが、それゆえにアーノルドを苦しめる。


「はっ、よく防ぐじゃねぇかッ‼︎ だが——」


 クレマンが低く呟いた瞬間、アーノルドは腹部に痛烈な痛みを感じ、それが何か理解するより前に吹き飛ばされ、気づいた時には遠く離れた闘技場の壁へと叩き付けられていた。


「——テメェの遊びに付き合うのも、終わりだと言ったはずだぜ」


 恨み辛みがこもったような声色でそう吐き捨てたクレマンはアーノルドの方へとゆっくりと歩き出す。


「しかし、ここまでの力を持った十のガキか。“奴”の人形の可能性もあるか?」


 クレマンはピクリとも動かないアーノルドを見て、吐かせる前に殺すのは早まったかと頭を掻いた。



 アーノルドは闘技場の壁に叩き付けられた後、数秒の間地面に倒れ伏したままであった。


(…………くっ、一瞬気絶していたか)


 あまりの衝撃に刹那意識を手放していたアーノルドは気絶などいつ以来かと奥歯を噛み、口の中にある血を吐き出して立ち上がった。


「……つくづく度し難いガキだ。殺す気で殴ったつもりだったんだが、そこまで俺が弱体化されてるってことか? しかし……今の一撃を受けて立ち上がるとはな。いくら俺自身が弱くなっているとはいえ、ただのガキが喰らって死なねぇほど弱くはなかったはずだが……。剣術だけでなく体も鍛えているな? それも普通の方法じゃねぇ。……一体誰に教わった?」


 未来のクレマンだと言っても信じないだろう。


 クレマンは明らかに『傀儡士』との関係を疑っていることがわかる。


 この体を鍛える方法を知るのは“あの場所”を知る者だけだ。


 そして直接指導できるとなれば、並大抵の者には務まらない。


 アーノルドのことを『傀儡士』が直接鍛えた者だと疑っているのだろう。


「はっ、答える気はねぇってか? それとも答えれねぇか? なら……答えさせてくれと懇願させるまでだッ!」


 クレマンがアーノルドとの距離を一瞬で詰めてくる。


 上半身を一切動かさないことで相手に動いていないと錯覚させる歩法。


 アーノルドも知らなければ対処出来なかっただろう。


 クレマンが放った拳を辛うじて体を逸らして避けたアーノルドはそのままカウンター気味に斬り込むが簡単に腕で防がれてしまう。


 剣を腕で防ぐなど鋼鉄でも仕込んでいるのかと思わず舌打ちをしたくなるが、それをする余裕すらない。


 アーノルドは次に迫る拳を最小限の動きで避けつつ、クレマンに蹴りを入れた反動で距離を取ろうとする。


 クレマン相手にこの距離とリズムはまずい。


 だがそれが読まれたのか、クレマンは弾くでもなく蹴り出したアーノルドの足首をガッシリと掴んできた。


 並外れた握力で握り締められたアーノルドは思わず顔を歪ませる。


 だがアーノルドはその瞬間、無詠唱にて雷撃を放つ。


 超至近距離からの奇襲。


 アーノルドが持つ魔法の中でも最も速い雷。


 流石に直撃すればクレマンといえどただでは済まないだろう。


 だが——その雷撃はクレマンを掠めることすらなかった。


 発動から着弾までたったコンマ一秒といった極小の時間の中、クレマンは驚くことに地面の一部を抉り蹴り、アーノルドの放った全ての雷撃に正確にぶつけて軌道を逸らしてきたのだ。


 だがアーノルドも呆けてはいない。


 それすら想定内とばかりに、雷撃を放つと同時に体を捻りつつ、足を掴む手に剣を振っていた。


 流石にそちらへの対処は諦めたのか、舌打ちと共に簡単に手を離しその剣を避けたクレマンからアーノルドはすぐに飛び退いた。


 すると、アーノルドのこめかみにツツっと血が滴る感触が生じる。


「っ……⁉︎」


 いつの間にとアーノルドは思わず歯噛みし、忌々しげにクレマンを睨みつける。


 いつ傷を負わせられたのか、いま思い返しても全くわからない。


「解せねぇって顔だな? 自分が相手に攻撃するときに警戒するなんざ基本中の基本だろうが」


 そんな当然のことを怠ってなどいない。


 動揺させるつもりかと疑うが、クレマンの表情はいつになく真剣だ。


 どちらにせよ攻撃を喰らったことは事実。


 聞き流すこともできなかった。


 より深く警戒を強め、表情を引き締めた。


「——はっ、警告してやってもその程度かよ」


 呆れたようにクレマンが笑みを浮かべた瞬間、アーノルドは横から強い衝撃を喰らい、苦悶の声と共に地面をゴロゴロと転がることとなった。


 何が起こったか把握するよりも前に素早く立ち上がり、追撃に備える。


「すぐに起き上がったのは及第点だが——遅ぇよ」


 その言葉と共にクレマンの踵落としが天より落ちてくる。


 現代いまのクレマンのそれはもはや芸術的とも言えるものであるが、目の前のクレマンのそれは究極の破壊そのものであった。


 受ければ間違いなく腕が折れる。


 そう判断したアーノルドはそれを躱そうとするが、足に絡みつく蔓がそれを妨げてきた。


「魔法だとッ……⁈」


 驚愕に思わず声をあげるがすぐさまアーノルドは迫る脚から頭を守る。


 そしてすぐ隕石でも落ちてきたかのような衝撃がアーノルドの腕に響き巡った。


 衝撃で地面は砕け、アーノルドの体の骨という骨が軋み鳴る。


 このままでは圧死すると、アーノルドは踵落としの衝撃を上から下にではなく、上から横に受け流し、クレマンから離れるべく闘技場の端までわざと吹き飛んだ。


 そのまま下に押し潰されていれば体が背骨からひしゃげていただろう。


 立ち上がったアーノルドであるが、攻撃を受けた腕はダランと垂れ下がり明らかに折れていた。


 流石にアーノルドの表情も苦痛に歪んでいる。


 クレマンからの追撃が来るかと思いきや、クレマンはただ呆然と立っているだけであった。


「……いまのは、師匠の? やっぱりあのクソ野郎が……?」


 うわ言のようにそう呟いたクレマンはアーノルドをジロリと睨みつけてくる。


「おいテメェ、その技——一体誰に教わった?」


 錯覚でもなんでもなく地空が振動するほどの威圧がクレマンから放たれる。


 さっきまでのが世界を呪う嘆きだとするならば、いまはアーノルドへの純然たる怒りの発露であった。


 これほどの冷や汗が出る感覚を覚えるのも黒龍と戦った時以来だろうとアーノルドは思わず奥歯を噛み締めた。


 目の前のクレマンが戸惑っている理由もわかる。


 いまのはクレマンから教わった技だ。


 かつてクレマンの師匠が使っていた、クレマン自身が当時修得していなかった復元させた技。


 普通であれば体内で受け流す技であるためそう易々とその原理がバレるはずもないのだが、こと体術に至ってクレマンは天才だ。


 アーノルドがどうやって受け流したのか、その原理など一度見ただけで理解できたのだろう。


 クレマンの流派は一子相伝。


 弟子一人にしか継承されない極秘きょくひの奥義。


 それをクレマン以外が知るはずがない。


 いや、途絶えた今では誰も知るはずがないのだ。


 それを知るのは実際に戦ったことがあるか面識ある者のみ。


 それも並大抵の者が見た程度で再現できるものでもない。


 何にせよ齢十程度のアーノルドが使えるなどというのはありえぬこと。


『傀儡士』がアーノルドに干渉でもしたと確信にも近い感情を抱いているだろう。


 だがそんなことよりもアーノルドが驚いたのはクレマンが魔法を使ったことだ。


 過去にクレマンは魔法を“使えない”と言っていた。


 にも関わらず目の前のクレマンは魔法を使ってきた。


 もちろん簡単な魔法しか使えないからこそ使えないと言ったのかもしれないが、いまのアーノルドを一瞬でも足止めするほどの魔法ならば簡単な魔法とは言えないだろう。


「——どうした? 痛みで口が聞けんわけではないだろう。それとも無理やり開かせてやろうか?」


 クレマンがした質問など無視して考え込んでいたアーノルドに強烈な殺気が向けられる。


 だがアーノルドは気にした風もなくそれを受け流す。


 殺気程度で今更固まりはしない。


「お前、なぜ魔法が使える」


「……ああ? なんだ……、自分が“両統”だからとテメェだけが特別だと思っていたのか? ああ、だから魔法を撃った後の隙がデカかったのか? 明らかに慣れてねぇし慢心が過ぎるぜ。あの程度でまさか奇襲になるとでも思っていたのか?」


 アーノルドは奇襲かと内心ごちる。


 ある意味——いや、まさしく図星と言えた。


 アーノルドは極力魔法を人前では使わないようにしている。


 使う時には大抵の場合は相手を殺すかどうでも良い相手の前だけ。


 ここぞという時にしか基本的に使ってこなかったため、確かに知らず知らずの内に切り札的な扱いをしていただろう。


 だがそれが油断にまで繋がっているとはアーノルド自身思えない。


「なんだ、信じられねぇって顔だな? はっ、この程度の奴を使うか。いや、使い捨て如きにそこまでしねぇってことか。どうせたいしたことは知らねぇだろうが、何も見えぬ中で出てきた手掛かり——裏にいる奴が誰かは吐いてもらうぞ」


 クレマンはそう言うと、自身の拳をガツンと打ち鳴らす。


 それだけで衝撃波が生じ、クレマンを中心にブワッと粉塵が舞った。


 まるでクレマンの周囲だけが聖なる空間のように静謐とし、巻き上がった砂埃すらもどこかキラキラとしている。


 そして何か瞑想でもしているのか、目を閉じていた。


 さっきまでが“動”だとすると、いまのクレマンはまさしく“静“であった。


 アーノルドはこのクレマンを“知らない”。


 そしてクレマンからスーと静かにオーラが立ち昇る。


 その瞬間、ゾクッ——とアーノルドの背筋が凍った。


 すぐに構え、動こうとするが遅かった。


 ほんの一瞬でアーノルドは百発近い攻撃を叩き込まれ、ボロ雑巾のように地面に転がり倒れた。


 先ほどまででもまだ手加減していたということだろう。


 まさに為す術もない一瞬の出来事であった。


「加減はしてやった。とはいえ動かせるのは口だけだろうがな。さぁ、もっと甚振られてから喋って死ぬか、それともすぐに喋って楽に死ぬか——選べ」


 慈悲の欠片もないクレマンに思わずアーノルドは苦笑を漏らす。


「流石にクレマンを相手にこれは舐めすぎていたか……」


「……テメェ、やっぱり俺の名を知っているということは——」


 そう言いクレマンが一歩近づいてきたその時、アーノルドが黒いオーラを全力で吐き出す。


 その勢いに押されて、押し戻されたクレマンは舌打ちをしながらそのオーラを手刀の一薙で打ち払った。


 そして開けた視界に見たのは傲然と立ち上がるアーノルドであった。


「随分タフだな。それも“奴”に与えられたのか? ……ん?」


 怪訝そうにアーノルドを見たクレマンであるが、その理由は先ほどまでの殴打による痣や流れていた血が綺麗に消えていたからだ。


「治癒魔法まで使えんのか。随分大盤振る舞いじゃねぇか。……生きた反応はあるが、テメェ実は『死人形デッドドール』なのか? それともテメェも実は使徒の一人とかか?」


 怒りを滲ませ傲然と吐かれた言葉と共に先ほどまで引っ込んでいた純然たる殺意の奔流が再び垂れ流され始める。


 クレマンを中心に渦巻く殺意の波動。


 だがアーノルドも負けじとその殺気を跳ね返す。


「貴様の言う『死人形』とやらが何かは知らぬが、私は私だ。それに神を崇め、与えられたもので満足するクソ共と同じにするな。これら全ての力は私自身で手に入れたものだ。与えられたものなどでは断じてない」


 そう断じたアーノルドに、ピクリとクレマンの眉が動くが、口を開くよりも前にアーノルドから生じる圧力が高まる。


「……あまり晒したくはない手札だが……仕方あるまい」


 アーノルドがレヴォドの方をチラリと見て小さくそう呟くと、アーノルドの周囲に幾重もの魔法陣が浮かび上がり、それも束の間、その一帯が爆せたように弾け飛んだ。


 生滅を繰り返す黒い雷光が迸る爆煙が晴れて現れたのは、同じくバチバチと帯電でもしているかのように黒い雷を全身に迸らせているアーノルドであった。


「——『雷煌・黒殲』」


 それを見たクレマンは今までにないほど神妙な表情を浮かべていた。


「……器用だな。魔法で創った雷電にエーテルを纏わせて体を巡らせているのか。……だが、一歩間違えればそのまま死ぬぜ?」


 若くても流石はクレマンだ。


 一瞬で技の原理を見抜いてきた。


『能力』が使えぬアーノルドが、それでも『能力』を使える者に打ち勝つために試行錯誤した結果生まれた一つの技。


 いまのアーノルドの奥の手の一つ。


 魔法で生み出した雷を体内で循環させて一時的に爆発的な力を得ている。


 もちろんただ巡らせるだけならば、ものの一秒でまる焦げになる。


 アーノルドも初めてやった時にはほんの一瞬試しただけで指先から肘までが一瞬で炭になり焦げ落ちた。


 だからこそ体内を巡っているエーテルという保護膜をつけてその状態で循環させているのだ。


 マードリー監修の下、度重なる激痛に、治癒という能力がなければ完成はしなかっただろう。


 とはいえ、それによって得られる力の向上は凄まじかった。


 しかしクレマンの言う通り綱渡りもいいところ。


 少しでも操作を誤れば一瞬で焼け焦げる可能性すらある。


 それゆえ、体内時間の加速といったアーノルドが持つ切り札的魔法も同時に使用しなければならない。


 それも戦いではなく、体内の操作をするために全てを費やさなければならないため、効率としてはすこぶる悪い。


 激化する戦いの中、そう長時間使える技ではない。


 それにずっと包んでおくこともいまのアーノルドには不可能だ。


 周囲に迸る雷光はアーノルドが包みきれなかったものが漏れ出たものだ。


 制限時間は長くて一分。


 その間にクレマンを倒しきれなければアーノルドの負け。


 倒しきれればアーノルドの勝ち。


 五戦目がある以上、三十秒以上使えば、アーノルドとしてはもはや負けとも言えるだろう。



 アーノルドのその姿にゾクッと何かを感じ取ったクレマンはオーラを厚く体に纏わせた。


 そんなクレマンの視界からアーノルドが黒雷で形成された残像だけを残して消える。


 体は即座に動き始めるが——数センチ動いた時には既に殴り斬られていた。


「なっ……⁈ チッ‼︎」


 とはいえ表皮を撫で斬られた程度。


 衝撃で飛ばされつつ、オーラで体を覆っていなければ致命傷を負っていただろうとクレマンは舌打ちをした。


 それにアーノルドが帯電しているからか、その攻撃がクレマンに当たると感電するため一瞬動きが止まる。


 その一瞬が命取りになりうる。


 煩わしいと舌打ちをしつつクレマンも即座に迎撃するが、それはあえなく空を切る。


 捕らえれたのは残像だけだった。


 そしてすぐに衝撃と共に吹き飛ばされる。


 今度はさっきとは逆。


 クレマンが為す術もなく殴られる番であった。


 すぐに体勢を立て直すが、それも意味がなかった。


 しかし天が与えし才ゆえか、動きを追えないながらも致命傷だけは上手く避けていく。


 それから逃げ回るようにクレマンは動いているがそんなことはお構いなしにアーノルドは追い、斬り続ける。


 たった一秒の間に場内の至る所で雷電と爆撃のような衝撃が巻き起こっている。


 全力のクレマンよりもいまのアーノルドの方が圧倒的に速いのだ。


 避けようが弾こうが、それを上回る攻撃がクレマンへと当たっていた。


 クレマンの表情からも初めて余裕が消えている。


 クレマンが攻撃を繰り出そうとも、もはやそこにアーノルドはおらずその瞬間には殴られていた。


 しかもその一発一発が尋常ではないほどの威力を誇っている。


 クレマンでなければ今頃死んでいてもおかしくはない。


 だがクレマンもわかっている。


 これほどの力、それも『能力』でもない力がそれほど長時間持つはずがないと。


 身に過ぎた大きな力には代償が伴う。


 その力が切れるまで耐え切れば勝ちだと。


 幸い、致命傷を避けるのはそこまで難しくはなかった。


「だが……こんなガキに逃げ勝ってそれで満足ってか?」


 暗く呟かれたその言葉と共にクレマンが足を止める。


 突然止まったクレマンにアーノルドはなぜ足を止めたのかという疑問が浮かぶが、考えるよりも先に体が動く。


 横合いから神速で振るわれた剣。


 ——だがクレマンはそれを視線を向けることもなく片手で受け止めた。


 ただ無造作に差し向けられた手。


 偶然と言いたいが、偶然にしては迷いが無さすぎた。


 剣も黒雷を纏っているためそれを掴むクレマンの手が焼けていっているが、それでも尚お構いなしだ。


 だがそれによってアーノルドの動きがピタっと止まる。


 剣を通してアーノルドに干渉してきたのだろう。


 尋常ではない力がアーノルド自身を拘束している。


 それまでの騒然とした場とは違い、世界そのものが止まったかのような静寂が一瞬訪れる。


 焦ったように表情を歪ませたアーノルドはすぐにその硬直を解き、何十、何百という打撃をクレマンに喰らわせその手を無理矢理引き剥がした。


 この技でも決め切れないかと舌打ちをし、少し離れた場所に着地したアーノルドの鼻から血が滴り落ちる。


 時間を操る魔法は脳を相当酷使する。


 まだたかが十秒ほどだというのにすでにこれだ。


 何年も修行して使える時間が延びたとはいえ、それでもいまの状態ならば一分程度。


 あまり悠長にもしていられないだろう。


 クレマンの傷の具合は何百、何千という攻撃を当てている割には軽微と言えるだろう。


 深く斬れたところもなければ、骨が折れたような箇所もない。


 せいぜいが打撲程度。


 アーノルドと同じように体そのものが硬いというのはわかっていたが、既にいまのアーノルドよりも数段階上の境地にいることは確かだろう。


 何より攻撃を喰らうにしても、受けるのが段違いに上手い。


 体に当たった瞬間、もしくは当たる直前にクレマンは攻撃を往なす動作をする。


 まさしく天性の才能だろうとアーノルドは改めてクレマンという存在の異質さを認識していた。


 その時、ただ立つクレマンの足下が轟音と共に凹み砕けた。


 ただ立っているようにしか見えなかったというのにその威力たるや凄まじいことこの上ない。


 地のひび割れはアーノルドが立つ地面にまで影響を及ぼしている。


「——くだらねぇ」


 クレマンはそう吐き捨てると、アーノルドの方へと向き直り、今までにないほど真剣な表情で拳を構えた。


 というよりもまともに拳を構えること自体今回が初めてかもしれない。


 一秒にも満たぬ睨み合い。


 互いの呼吸が重なり合ったその瞬間、両者が同時に動き出した。


 とはいえ、先に攻撃を当てたのはアーノルドの方だ。


 いくらクレマンが意識を変えようともそう易々と倒せるほどいまのアーノルドは弱くない。


 いくらクレマンが強いとはいえ、いまのアーノルドは『能力』を使ったコルドーですら手を焼く状態。


 力を封じられている状態ならば尚の事避けるのは厳しいだろう。


 アーノルドはクレマンの攻撃を一撃ももらうことなく一方的に攻め立てていた。


 だがそんな中、アーノルドが繰り出す攻撃がクレマンに弾かれる。


 しかしすぐに追撃がクレマンに襲いかかった。


 いくら避けようとして動こうとも、いまのアーノルドならばそれを見た後で軌道を修正できる。


 それに最初と違い、クレマンも血を流しすぎているからかその動きの幅が小さくなってきている。


 だが——。


(動きの精細は欠いているというのに、攻撃を弾く回数が上がっている……?)


 さっきまでは五十発に一発程度だったのが、三発程度まで増えている。


 アーノルドは内心舌打ちをしながら、勝負を決めるために攻撃の勢いを増していく。


 いくらクレマンが丈夫だとはいえ、ダメージがないわけではない。


 最初に比べれば、動きもかなり鈍くなってきている。


 このままいけば決め切れる。


 そう確信していた。


 だが残り時間も多くはない。


 苛烈極まる斬撃と殴打の雨がクレマンに襲いかかるが、クレマンは器用にも急所に当たる攻撃だけは避ける。


 アーノルドもここまでくれば、すぐに急所に当てられるとは思っていない。


 その時が来るのを焦らず待っていた。


 だがその攻撃の最中——突如クレマンがフッと笑みを浮かべた。


 そしてすぐクレマンがアーノルドの攻撃を立て続けに五回弾く。


 一瞬目を見開いたアーノルドであるがすぐに四方から隙間なく攻め立てる。


 そのときクレマンが吐息を漏らす。


「——はっ、もう十分だ」


 クレマンはそう言いながらアーノルドの腕を掴んで無理やり動きを止めてきた。


 帯電しているアーノルドを掴むだけでもダメージを負うはずであるが、クレマンはどうやらそれを上手いこと地面に“流している”ようであった。


 アーノルドはすぐさまクレマンを引き剥がしにかかるがそれよりも前にクレマンの一撃が眼前に迫る。


「ぐっ……‼︎」


 咄嗟に黒電を打撃の箇所に集中することで致命傷は避けたが、その衝撃により完全に制御を失った雷皇が弾け解けた。


 そして強力な力を使った代償が倦怠感となり一気にアーノルドへと襲い掛かってくる。


 尋常ではない息の乱れに、何百キログラムという巨大な岩を体に乗せられているかのような疲労感。


 もうまともに動ける状態ではなかった。


「はっ……、遂に力尽きたようだな。だがその前に間に合ったぜ。テメェのその技、もう何度喰らおうが問題ねぇよ。既に見切り終えたぜ」


 クレマンの言っていることは誇張でも虚勢でもなく事実だろう。


 クレマンは最後にはアーノルドの攻撃を完璧に見切っていた。


 いや、見切っていたというよりはアーノルドの攻撃の癖を見抜いたのかもしれない。


「さて、テメェが奴の人形なのかどうかは正直わからねぇ。奴らは己らが崇める神を決して貶しはしないからな」


 アーノルドが真っ向から神を否定する発言をしたことでクレマンも『傀儡士』の傀儡ということに疑問を抱いているようではあった。


「とはいえ、何にせよ、俺の流派は一子相伝。貴様にそれを教えた者もそしてそれを知るテメェも生かしちゃおけねぇよな」


 奥の手まで完全に破られ、アーノルドは久しくなかった無力感というものに襲われていた。


 まだまだ自分は弱いのだという現実を叩きつけられた気分であった。


 久しく忘れていた自分は弱者なんだという意識が倦怠感に比例してのし掛かってくる。


 そして自分は天才でもなんでもないんだという虚無感とでもいう何かも。


 だがアーノルドはそれでもほとんど動かなくなった手を硬く握りしめながら最初の誓いを思い出す。


 アーノルドにとってはそれが全て。


 この世界で生きる意味。


 例えいま負けようとも、死のうとも、尚全てを打ち倒せるほどに強くなることだけが全て。


 自分自身が弱いことを認めようと。


 クレマンのように見ただけで模倣ができるほどの天性の才があるわけでもないのを認めよう。


 自分が決してこの世の主ではないことを認めよう。


 だがそれでも、この世で最も強くなるのは自分だと歯を食いしばった。


 その瞬間、アーノルドの内から力が湧き起こってくる。


 今までに感じたことがない力。


 立ち上がったアーノルドを奇妙なものでも見るかのようにクレマンは目を丸くしていた。


 当然だろう。


 アーノルドはもはや起き上がれるような状態ではなかった。


 治癒魔法も使わせる気はなかった。


 現にアーノルドは治癒をしていない。


 にも関わらず立ち上がったことにクレマンは警戒をより強めた。


 そして導かれるままに立ち上がったアーノルドは剣から吹き上がる黒いオーラが生み出した斬撃とでもいう何かをクレマンに向かって放った。


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