第三章、人造勇者
ハーノスは陥落し、第三使徒も命を散らした。
最早一人残るのみになった第二使徒は、己に加護を与えた【光の法石】を祀る神殿をも捨て大陸の南端に逃げ延びる。
そしてそこは【雷の法石】の街、最後の要たる第一神殿の在り処。
すなわち神に最も近い街、ローランだった。
―――
法石と神殿を失う度に暗さを増していく空は、分厚い暗雲に覆われ昼だというのに薄暗い。
まるで世界の終わりの兆候のようなそれに一瞥をやり、第二使徒クロードは眼下の光景を見下ろす。
「…………」
聖都ローランを守る鉄壁の城壁は高く、大陸中からかき集めた軍勢が神殿を守るために死力を尽くしているのがよく見える。
……彼らが立ち向かう敵はたった一体の異形だ。
だがクロードはすでに使徒としての力の大半を失っており、安易に加勢することもできなかった。
「報告いたします」
そんなことを思いつつただ何かを待っていたクロードの背に、低く落ち着いた声がかけられる。
振り向けばそこには、クロードの物にも似た法衣を纏う男が跪いていた。
しかしクロードは何も答えず、ただ視線のみで先を促す。するとその意を読み取ったのか、神官の男は続けた。
「例の準備が、整いました」
「……そうか」
クロードはそう答えてまた眼下の光景に目をやる。
「…………」
視線は無意識に怪物の姿を探していた。
……アレだけは、何としてでも倒さなければならない。たとえ、どんな禁忌を犯したとしても。
胸中そうひとりごちて、それからクロードは踵を返す。
街の中へ。神殿の方へと。
―――
この世界に四つある法石とは、神の加護を行き渡らせる装置に他ならない。
では神の加護とはなにか?
神の加護がある限りは邪神は一体ずつしか襲来せず、また魔物共は形を保てず泥に成り下がる。
つまりは防衛装置のようなものだ。
クロードは最高位の神官であるが、信仰心はそう強くもない。
故に、神に対する考え方もどこか醒めたものだった。
華美に彩られた神殿の廊下を歩きながら、クロードは思考を続ける。
そして防衛装置がなくなればどうなるか?
決まっている。魔物は本来の力を取り戻し、魔王……いや、邪神共がこの世界を蹂躙するのだろう。
つまりこれは戦争だ。
自分たちの生存圏を守るための闘争であり、クロード個人としては神の栄光など知ったことでもない。
故に、だからこそ、クロード=シュバルツはセレス=アナスタシアを『聖女』にすることができた。
本来神の敵として憎むべき魔王を、神官でありながら兵器として利用できた。
クロードの精神は、それを忌避しなかった。
「……どうでしょう? 精神の摩耗を待つ暇はないとのことで、ご指示の通り薬で理性は潰してあります」
「悪くない」
辿り着いたのは、薄暗くも広い円形の地下室だ。
そこには無数の剣が突き立てられていて、それから一人の……いや、一体の異形がいた。
そしてそこにいる物に対して紡がれた神官の男の言葉に、クロードは無味乾燥に同意する。
「……呪詛の魔王『ウルスラ』か。いい具合に仕上がったな。ではこいつは、【希望の勇者】とでも呼ぶとしよう」
復活した魔王により窮地に立たされた世界。
けれど神は我らをお見捨てにはならなかった。
希望の勇者が降臨し、魔王を討ち天へと還る。
まぁまぁのシナリオだろう。クロードは鼻を鳴らす。
「命令だ、立て」
「…………ぁ」
薄暗い部屋の中、けれどそれの異質さはいささか薄れない。
クロードの言葉に従い立ち上がったのは、見るもおぞましい異形だった。
「かぇ……せ……ぁ……ぁ……かぇし……」
そんな言葉をぶつぶつと漏らす、その体高三メートルほどの巨駆は人間とはかけ離れていた。
まずその腰から胸にかけては大きな泥色の鳥のそれであり、肩口からは同じく泥の翼が生えている。
そして下半身は蜘蛛のもので、顔はというと目玉をくり抜かれた、けれどどこか穏やかな女の顔のようなものを象り、絶えず血の涙を流していた。
……あるいはそれは、元となった人間のものかもしれないが。
「……相変わらず気味が悪いですな」
「全くだ。今度こそ、処分は念入りにすることにしよう」
神官の言葉に答えて、クロードは悪趣味な『勇者』から目をそらす。
「……ぅら……り……あ……ぎ……」
「少し黙っていろ」
クロードはウルスラに言うが、答えは返らなかった、
相も変わらずうわ言のような呟きを漏らすのを聞いて、苛立たしげなため息を吐いて歩き始める。
「……そう言えばアレも、この命令だけは聞かなかったな」
そんな言葉を、ぽつりと漏らして。
―――
怪物は、戦場をひたすらに蹂躙していた。
逃げ惑い、あるいは果敢に刃を向ける者たちを一つの例外もなく触手で捕らえ喰らい殺す。
そうして無人の野を行くようにして進撃を続けていたその時。
突如としてその体が縦に両断される。
血を噴き出し、一拍の後に巨体がどうと音を立て倒れた。
しかしまた一拍の後には体を繋ぎ、怪物は立ち上がる。
そして再起した視界が捕捉したのは、一体の異形だった。
すなわち天より舞い降りる、泥の羽を広げた魔王の姿だ。
「…………」
やはり怪物は何も言わない。
だが敵だということは認識できたらしい。触手を蠢かせ、それらを一斉に放った。
しかし。
「――――!!」
ウルスラの首が唄う。
すると口の前になにか黒い文字が。
少なくともこの世界のものでない文字のような物が実体化し、怪物の触手は近寄るものから燃えることもなくただ直接灰へと変じる。
「――――――!!!」
さらに唄は紡がれる。
奇怪な高音は大気を震わせ、異界の文字は際限なく世界に貼り付けられる。
まず、怪物の頭上。炎が放たれる。
ウルスラの背後。生じた風の刃が怪物を貫く。
それから地面に空中に、四方八方に顕現した文字から万象が迸り怪物を際限なく傷つけていく。
一度死に、再生した怪物をまた死に追いやる。
ウルスラの物量は圧倒的だった。
だが怪物も、このままで終わりはしない。
「…………」
揺らめく触手が炎を纏う。
そしてそれは瞬く間に膨れ上がり、唄うウルスラへと巨大な火球として叩きつけられた。
唄が響き、ウルスラの前で三つの文字が重なる。
それは漆黒の障壁となり、いとも容易く火球を押し留めた。
怪物はほんのわずかウルスラが後手に回ったその隙に地を蹴り、肉薄しようとする。
しかしまた灰の唄が紡がれ、至近に踏み込んだ怪物は肉体を灰にされてゆく。
「…………」
灰になりながらも、怪物は止まらない。
触手を繰り出し、全てを灰燼に帰させるも一本の触手がウルスラの胸を貫く。
「ぁ……!!」
唄が乱れ、ウルスラは隙を晒す。
しかし怪物にはもう追撃を仕掛ける力もなかった。
貫いた触手も無惨に灰となり、体の大半を消失させた怪物はざらりと崩れ落ちる。
だが、そこは不死だ。
数瞬で体を再構築し、再びウルスラと干戈を交え始めた。
―――
繰り広げられる死闘を、一人見ている者がいた。
「…………」
城壁の上に戻ったクロードだ。
彼はウルスラの制御も兼ねて、眼下の闘いの行く末を見届けていた。
怪物がまた炎を、風を放つ。泥の激流を操る。
しかしそのどれもがウルスラに届かない。
何故ならそれは、弱すぎるから。
怪物はあらゆる能力を奪い、それは自分やアリシア、加えてザリドのような者に対しては絶大な優位性を発揮する。
しかしだ。魔王が相手なら、あの圧倒的個に対してはそれも通用しない。
ましてや怪物が操る能力はどれもが劣化を免れないのだ。
ただ一体で万象を操り、無敵の灰の唄をも備えるウルスラに勝てる道理はないだろう。
確信しつつも、クロードはやはり戦いから目を逸らさない。
それは一度あの怪物を恐れた、クロードの無意識からくる反応だったのかもしれないが。
「五度目」
クロードの声に、わずかな喜色が混じる。
怪物が倒れたのだ。
「六度」
後少し。後、ほんの数度でこの戦いは終わる。
「七」
「八」
「九」
灰の唄を叫ぶ。
怪物はウルスラの眼前にまで迫るが、やはり届かず灰になる。
「……十」
終わった。
エステル=アンの蘇生可能回数は九回だ。
そして最初の死からずっと時も数えていたクロードには、はっきりとウルスラの勝利が分かった。
「唄を止めろ」
魔術により、その命令は離れていてもウルスラに届く。
眼下のウルスラは灰の唄を止めた。
……と、さっそく城壁から降りてウルスラを始末しに行こうとした瞬間。
クロードの胸に、とてつもなく大きな違和感が湧き上がる。
「…………?」
エステル=アンの蘇生可能回数は九回。
エステル=アンの蘇生可能回数は……九回。
ならば何故劣化しているはずのあの怪物は、九回もの蘇生を果たしたのだろうか?
「…………っ! ウルスラ!!」
言葉にならない命令を叫ぶ。
殺せ、殺せ殺せ殺せ、あの怪物を、ロクを、立たなくなるまで殺せ!
「――――――――――!!!!!!!」
灰の唄が唄われる。
怪物が立ち上がる。
そしてその体はみるみる内に灰になっていくが、消えゆく背に風が、炎が、泥が、怪物が操りうる限りの力が顕現する。
そしてそれらは灰の唄を紡ぐウルスラへと放たれた。
「…………ああ」
脱力し、声が漏れる。
そうか。あの怪物は、知っていたのだ。
なにせかつて見たのだから。
あの魔王が、倒される瞬間を。
「ぁ……あ……う………!」
ウルスラの灰の唄は、放たれた炎や泥をも灰に変える。
しかしそれでも完全には防ぐことができず、やがて半身を大きく焼き焦がされる。
さらに風の刃で切り刻まれ、泥の槍が頭部を吹き飛ばした。
無敵とも思われた灰の唄。
その弱点は、展開中は他の事象を引き起こせないことだった。
故にその最も容易い攻略法は、一人が近接の間合いに入り溶かされている間に、物理以外の飽和攻撃を叩き込むことだ。
それをまるで知っているかのように、あの怪物は行動してみせた。
……つまりは、覚えている。
クロードのことを。誰よりも惨たらしく、殺してやりたいと思っているのだろう。
「……いやだ。いやだいやだいやだ」
喰われるのは嫌だ。殺されるのは嫌だ。肌が粟立つ。
クロードは城壁の階段を転がるように駆け下りて、それから神殿へと向かう。
怪物はウルスラを喰いでもしているのか、いまだ街の中へは足を踏み入れていない。
だから少しでも引き離そうと力の限りに駆けて神殿の中へと入る。
「クロード様?」
「どけっ!」
血相を変えたクロードの様子に何かを感じたのか、待たせておいた神官の男が訝しげに話しかけてくる。
しかし言葉を跳ね除けて、クロードはひたすらに神殿の最奥へと向かった。
「神よ……」
巨大な台座に据え付けられた、輝かしい金色の原石。
見上げるほどもあるそれの台座にすがりつき、クロードは生まれて初めて心から神に祈った。
「迫り来る、邪悪より、この身を……お守りください。どうか慈悲深き手を添えて……愚かな、魂を、お導き下さい」
所々震えにつかえながらも、クロードは祈り続ける。
上が、なにやら騒がしい。怪物が来たのか。
「助けてください……神よ……あなたは私を選んだのだろう?」
そうだ。使徒にしたのだ。目をかけているはずだ。
こうして祈れば、助けてくれないはずもない。
「力をどうかお与えください。さらなる力をください。どうか、どうか……どうか…………あなたの敵を、誅してください」
体が震える。震えを抑えるようにして、強く強く台座に身を擦り寄せる。すると上から、何も聞こえなくなった。
「…………?」
沈黙が、余りに長い。何も聞こえない。
クロードは振り返る。
そこには、大きく裂けた赤い何かがあった。
暗転する。
―――
ローランの神殿に安置された聖剣を全て喰らった。
つまりは、浄化され弱っているとは言えこれまでの魔王の残滓を全て取り込んだ。
今や過去の魔王に比しても比類なき力を手に入れた怪物は手にした力の全てを不死の強化に注ぎ込んでいて、それは今までもそうだった。
人を喰らう度、使徒を喰らう度、怪物は少しずつ己の身に宿る不死の力を高めていた。
流石に使徒の力は全てを消化することができず、あくまで名残りとして弱々しい炎や風を操れるようにはなった。
今しがた取り込んだ魔王の力に関してもきっとそうで、しかしそれも名残りに過ぎない。
蘇生可能回数は今や一秒に十回にまで達していて、さらに最早その姿は泥ではなかった。
怪物は神の力を克服し、黒く染められた本来の姿を取り戻してさえいたのだ。
最早何者であっても殺せないであろう怪物は、出がらしの使徒の頭を噛み千切り雷の法石に触手を伸ばす。
そして漆黒の、どこか底光りする軟体生物のそれのような触手が、雷の法石を何度も何度も刺し貫く。
すると次の瞬間金色の法石は輝きを失い、
――――怪物の姿は、この世界から消え去った。
―――
怪物が消え去った後。
神殿に隠れていた人々は、異変を察して外に出る。
崩れた城壁。転がる死体。
凄惨な光景に人々は目を覆い、天を仰ぐ。
それから気がついた。
薄暗く淀んでいたはずの空が、蒼く晴れ渡り始めていることに。
どよめく人々の頭上で雲に切れ目が入り、やがて清らかな光が差し込む。
…………そしてその日、世界は偽りの神話と決別した。
第三章、人造勇者・完




